メンタルサポート総合学園(クマの手カフェ) カウンセラー養成プロコース 在校生の心の気づき・成長ブログ! -4ページ目

メンタルサポート総合学園(クマの手カフェ) カウンセラー養成プロコース 在校生の心の気づき・成長ブログ!

クマの手カフェを運営する北浜「メンタルサポート総合学園」プロコースの生徒や卒業生(クマの手カフェスタッフ)の気づきや成長。

メンタリストやカウンセラーとして必要なことを学び、お店での体験などリアルな在校生や卒業生・スタッフの目線で綴っていきます。

 

 

 

空気を読む   ― 日本独特のコミュニケーションツール

 

みんながそう言ってるから私もそうしなくちゃ ― 同調圧力

 

 

さて、いったいこれはなんでしょうか? 

 

言葉にして言っていることもあるかもしれませんが 

ほとんどが無言 

非言語のものですよね?

 

今日はこの非言語 NLPでいうところのノンバーバルメッセージについて書きたいと思います。

 

◆ V : 視覚 <Visual>   見る

◆ A : 聴覚 <Auditory>  聞く

◆ K : 触覚 <Kinesthetic> 感じる

◆ O : 嗅覚 <Olfactory>  臭う

◆ G : 味覚 <Gastatory>  味わう

 

この5つが五感ということです。OとGはKに統合されて V A K と称されます。

 

人は普段 言葉で情報を伝えながら V A Kで様々な感情を 相手に伝えています。

 

言葉では大丈夫と言いながら 

不安そうな表情をし 

語尾が震える。

気にしていないよと言って 

顔がこわばり拳を握って息が荒くなる。

 

このような言外の情報を全く気にせず放置して言葉のままに捉えたなら 

この先のコミュニケーションはどうなるでしょうか?

 

相手の不安 恐怖 怒り 悔しさ ためらい 悲しみ 喜び … 

言葉に乗ってくる色々な情動をつかみ取り 

そこに寄り添うことができれば 

カウンセラーとしても人としても本当の意味での繋がりができるのです。

 

このV A Kを感じ取り始めると 

不思議なことに世界は違って見えてきます

 

人は心にも思っていない事を 

良心からも悪心からも 

いくらでも口にすることができますが 

感情は知らず知らずのうちに態度に表れてしまいます

 

これを間違えずに捉えられれば相手が本当に思っていることが理解できてくるのです。

 

言葉と感情の不一致の元を探り 相手との距離を測り 最も有効な人間関係を築けるのです。

 

教室では常にあらゆる

 

非言語 = ノンバーバル

感情を言語化 し 

 

誰にでもわかる状態で提示するよう求められます。

 

それは他人の感情や 

時には記憶の中にあるV A Kで刻まれた自分自身の感情との向き合いです。

 

人によっては自分のトラウマに否が応でも向き合わされることにもなります。

 

これは厳しくもありますが 

長年のトラウマから解放されることでもあります。

 

詳しくは次回にお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

今までよりこれからの自分へ

13期生のY.Mです。(初投稿)

現在また心の学びを高めようと、学園にて再び勉強中です。

昨年はコロナ一色で世界中激動の一年でした。


そんな私もコロナ禍で生活は一変心は疲弊。
この先どうなるんだろと悩めば悩む程、心は病むばかり。


空元気だけで心にゆとりが持てないと、何をやるにもネガティブな感情しか湧いて来なくて、

自己肯定感の低さに自分を追い詰めることしかできず、負の連鎖続きで心が折れそうな毎日でした。

そんな時、私の心の救世主!
現在の愛犬コロンちゃんとの生活が始まります。


我が家に迎えた時は生後三ヶ月。


丁度緊急事態宣言が出た頃でした。


愛くるしいクリクリしたお目めに鼻ペチャ受け口がチャームポイントのコロンちゃんはいつも遊ぼう!
って戯れてくるんです。


私は気持ちが沈みっぱなしで考えることはこれからどうしよう。。
大変な世の中になってしまったわ。
母子家庭の我が家ではまだ子供達にも教育費も掛かるし、ホンマにヤバイなぁ。

コロンちゃんと遊んであげてても上の空。


そんな私の暗いノンバーバルが、、


言葉では可愛いねーと言ってあげてても、頭を撫でててもしっかりコロンちゃんにキャリブレーションされているんです。


私の顔を見上げて


どしたの?

大丈夫ママ〜


って目でうったえるんです。


独り言でぶつぶつ言ってる時も
近寄って来て


何かあったの?


って顔したり、、


寂しそうにしてたら、ずっと側から離れないし、
私が辛くて泣いてしまった時も近寄って前脚でトントンしてくれて・・


もう、その時は・・

 

コロンちゃん抱きしめて号泣してしまって溜まってた涙が全て溢れました。

こんな私の心が分かるの


ホントに凄い!

動物は言葉を話せないけどちゃんと、しっかり
ノンバーバルをキャリブレーションしてるんだと実感しました。

 

まさに、動物(アニマル)セラピーだわ~~!

おれそうな心を、ペットを通じて救われたことに気づき、涙しました。


我が家で子供達は最近まで私の沈んでた雰囲気を察知してか、

自然と触れない様にしてた気がします。


何でもない日常の中でもキャリブレーションされてたんだって
気づかされました。


私がだんだんとコロンちゃんの癒しで明るくなってきたので娘がぽそっと言ったんです。


お母さんは笑ってる顔の方が素敵やで!
って。

 

あーまた涙・・


子供達や愛犬にまで
悟られてたんだ!


って思ったらこれはダメだ!


と目が覚めて、いつまでぐちぐちしていても何にも始まらないや!
兎にも角にも前に進まなきゃ・・


私はメンタルを勉強してきたのに
プラスに活かしてないじゃないか!!

 

とまた再燃焼心の学び中です。
続く・・・


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最後までお付き合いありがとうございました。

また日常でほんのささいな気づきなど綴っていきたいと思います。

 

 

 

前回、第3ポジションに立てない私のもやもやを書きました。 

 

さてその後です。

もう一度整理するとNLPのポジションチェンジの観点から 

 

第1ポジション(自分=カウンセラー) 

第2ポジション(相手=クライエント) 

第3ポジション(第三者=客観的視点)

という位置付けになります。

 

カウンセリングにおける私の悩みが 第3ポジションに立てない、客観的な視点が持てないということでした。 

しかし じっくりと自身のカウンセリングを検分してみると 見えてきたものがありました。

 

そもそもカウンセリング中に 私は第2ポジションには入れているのか? 

カウンセラーの視点(第1)だけで話を進めているのではないのか?ということでした。

 

傾聴するのはOK 共感するのは…あれ? 

確かに第1でジャッジはしていないけれども 相手の心をあたかも自分自身のことの様に深く共感できている?  

う~んまだこの時点であったか!!

 

盲点でした。

共感力がたぶん人一倍強い私は カウンセリング中も勝手に第2になれていると思いこんでいたのです。

 

確かにカウンセリングも人対人なので相性のようなものはあります。

うまくいったカウンセリングの時はちゃんと第2ができているが   

 

グダグダになる時は もはや第2すらできていなかったのかも?

と思い至りました。

 

第2になれていない私はもちろん第3にもなれず 

ずーっと第1の視点から次々と質問を繰り出し 

迷宮へ入って行っていたのです。

 

カウンセリングにおける有効な質問とは 

第1の私が聞きたいことではなく 

第2になった私が(クライエントの気持ちになったカウンセラーが)その時どう感じていたのか、

どう苦しかったのか、何を求めて満たされなかったのか、

カウンセラーがクライエントと共に心の奥深くにダイブし探していく作業だと気付きました。

 

この作業によってクライエントの気持ちは整理され 

次の第3の俯瞰した視点によって見えてきた 

その次にどうして生きていけばよいのか、

何を目指すことが最良なのかを知る手がかりを掴むのです。

 

ロジャーズの傾聴と共感も大事、

NLPのポジションチェンジを使っての俯瞰する視点も大事、

どちらが欠けてもうまくいきません。 

 

この二つがセットになることで 

クライエントが深い次元の気付きを得られるということ。

 

 

私の中での大きな理解となりました。

 

次回へ続く・・・

 

前回、自身の本音(=マインド)を他人に伝えることに無意識の恐怖を抱いていた。

 

というお話をしましたが、この心理、感覚、感情の根底に根深く関わっていた得体の知れないもの、その正体が授業の回数を重ねるにつれて、ついに判明しました。

 

それは、愛着(アタッチメント)関係の不足、傷つきでした。

 

愛着(アタッチメント)とは、精神分析家ボウルビィが提唱した特定の他者との間に築かれる情緒的絆のことです。また、愛着(アタッチメント)関係の基本は、母親との対人関係にあり、この愛着(アタッチメント)が成り立つためには、子ども側の愛着欲求と愛着対象(=母親)の情緒反応性が呼応することが必要です。

 

一般的に愛着(アタッチメント)に問題があるというと、母親側の要因として、産後うつ、精神疾患、母親自身の愛着スタイルの歪み、子ども側の要因として、発達障害(自閉症スペクトラム)、小児科疾患などが挙げられます。

 

この事を聞かされたとき、私の頭には“”が浮きました。

なぜなら、私と母との関係には、互いの精神疾患もなければ、虐待もなく、愛着スタイルの歪みもなかったからです。けれども、この一般に含まれない愛着(アタッチメント)不足の問題は確かに存在しています。

それは、愛着(アタッチメント)の質は個人の特性によるということです。

 

 

つまり、子ども側が欲しいと思っている愛情、言葉がけ、感覚の共有、肌感覚、などの愛着欲求と母親側が与える愛情や反応に個人の特性による感覚のズレがある場合、そこにの違いが生まれてしまい、母親側が100%の愛情を与えていると思っていたとしても、子ども側が60%だと感じていれば、子ども側には40%の満たされない不足した感覚が残ってしまうということです。

 

私の場合、HSS型HSP=HSEの気質を持っているため、非HSPの母とは根本的にV・A・K・O・G(視覚・聴覚・身体感覚・嗅覚・味覚)の感覚、感じ方に違いがあり、そこから生まれる物事の感じ方の感覚の差がズレを生んでいました。

HSPの概念が発見され、広まる以前でしたし、最初はただの感じ方や受け取り方の差だったはずが、その差を母には、分からない、理解できない、細かい、気にしすぎ、と言われていまい、私には、本来の感覚(=本音)は受け入れてもらうことができないのだという無意識の認識が刷り込まれ、その歪みが他者に本音を伝えられない、伝えるのが恐い、だって、実母にも受け入れて貰えないのに、他人に言えるはずがないという思考パターンとなり自身を苦しめていたのでした。

 

次回、その後も自分探しは続きます。

 

読んで下さる皆様に意義のあるメンタルの気づきが訪れますことを願いつつ~。

 

 

こんにちは。5回目の講座が終わった第15期受講生です。

 

前回、「自分のマインド(本音)と向き合ってそれを出すことを取り組み中です。」と、さらりと書きましたが、

それがいかに今の自分にとって抵抗があって難しいのかを思い知らされているところです。

 

■マインドの話

 

「言葉にマインドが感じられない」

「優等生すぎる」

「綺麗にラッピングしてまとめすぎている」

 

授業中に何度も投げかけられています。

 

 

様々な場面でフィードバックを求められるのですが、もともと内観を言語化するのが苦手な上に、

自分ではマインドを伝えているつもりが、どうやら私は感じたことを素直に伝えることができていないようなのです。

 

自覚がないから始末が悪い。

考えれば考えるほど余計わからない。

 

なんで、できないの?カウンセラーになるならそこは必須よね?

 

もはや致命的では?

 

長年の習慣の賜物で自責についてはいともたやすくできてしまう私。

 

 

 

まずい、こんなことしてる場合じゃないのに、先へ進まないといけないのに!

と、緊張状態なのでコルチゾールなんかも分泌されまくって、不安と焦りで視野をさらに狭くして、頭を抱え込んでしまっている状態です。

 

そう、まだ深い気づきを得ていない私です。

気づきそうで気づけない。

 

何度も「はっ」とする瞬間があるのですが、つかもうとするとさらさらと消えてしまうような。

ガチガチに何重構造にもセキュリティ強化されていて、マインドまでたどり着けない。

何からこんなに自分を守ろうとしているんでしょうね。

 

そこに、向き合って、内観していくことが「新しいわたしになる」ためには必須なようです。

 

少しだけ俯瞰して自分を見ることができるようになったもう一人の私がささやきます。

 

「これ、いつものパターンじゃない?」

 

ああ、また思考優位になって

 

「ちゃんとしないといけない」

「まわりに迷惑かけないようなんとかするべき」

のフレームが発動して、余裕をなくしていました。

 

そこじゃなかった、自分が何を感じているのかに向き合わないと。

 

 

■すべての情動に価値がある

 

今までの取り組みの中で、感情に蓋をしていた(らしい)ことに気づき、自分の中の情動を観察することを日々の課題としています。

 

「怒り」は私の中ではネガティブ感情と位置づけられており、まるでなかったことのように封印されていました。

 

ですが、いざ観察してみると、毎日様々なことに怒っていたことに気づき、びっくり。

 

しかも激しい系かも。

「私、怒りません」と涼しい顔していたようですが、きっと、実際には非言語領域で漏れ出ていたことでしょう。恥ずかしいです。

内観の感度をあげて自分のマインドの言語化ができてこそ、他者のマインドの非言語領域を言葉にできるのですものね。

情動の観察は習慣にしたいと思っています。

 

 

そうそう、情動といえば、5回目講座では情動があふれて、爆泣きして、涙と鼻水にまみれ、お化粧も取れて、授業も中断して、

ティッシュケース一箱使い切るという体験をしました。

 

そのことはいつか書きます笑。

ここでは、先生も先輩も仲間たちも、どんな情動も受け入れて、しかも喜んでくれた・・・。

愛を感じた出来事でした。

 

このブログには自分の学びや成長を書きたいのに、いつもジタバタしていてごめんなさい。

 

 

では、次回に続きます。

 

 

 

前々回は私の持っているフレームについて少しお話ししました。  

 

フレームとはその人が持っている認知=考え方の癖ということです。 人は皆人生の中で様々なことを見、聞き、経験して自分が感じたこと考えたことを 脳内で記憶します。 それは客観的事実ではなく あなたが捉えている世界です。そして百人居れば 百通りの世界観が生まれ 百通りのフレームができあがります。 それはあなたの正しさ あなたの『~するべき』です。

 

●母親は常に家族をやさしく見守り状況を把握しておくべき   

●私はいつも周囲の人に対して明るく親切にやさしくふるまうべき  

●常にポジティブ思考で 嫌なことがあっても前向きに行動すべき

 

私の中の理想とする私 『べきな私』 こうして文章にすると変だとは思っても 今までの私はそんな人になろうと努力してきたのです。年々変化していく状況―夫の転職や家族の病気 子供の不登校等々 自分の心をなだめ 押さえ 必死に心の舵を切って理想に近づこうと 一生懸命に生きてきました。  ところがそれがいつの間にか他人をジャッジする物差しになっていたのです。私の中にムクムクと巣食う

「私は間違ってない!私は精一杯やっている!」

という感情そんなフレームがやっと見えてきました。

 

 

 

 

学園で学ぶ【リフレーミング】 今まで自分が使っていたフレームを外して違うフレームに変えてみることで視界が一変し 物事を捉える感覚が全く違ったものになります。よく例として使われるのは コップに水が半分入っているとき「半分しか入っていない」と感じるのか「半分も入っている」と感じるかということです。

 

薬を飲むための水ならば半分あれば充分でしょう。でものどがカラカラに乾いていれば半分しかないと思うでしょうし 石鹸を使って手を洗いたいと思えば話にもならない量でしょう。

 

ならば今まで自分のフレームがなんかおかしいぞ 間違っていたかもと思うなら リフレーミングして新たな視点で眺めなおしてみてはどうでしょう。 

視点を変えて思考の柔軟性を高めれば どんな出来事にもいろいろな意味があり 自分の人生に役立てられる様々なツールが眠っていると気づきます。固定され使い古されている物にいつまでも縛られていなくてもよいのです。

自身の中の『~するべき』を外し新たな視点を手に入れると気持ちはとても自由です。自分を守るために他人を否定したり 考えを押し通すために言い争ったりしなくても 視点さえ変えればいつでも違う世界から 物事を見られるのですから。

 

古い私を捨て新たな視点を手に入れることで やっとカウンセラーを目指すための入り口に立てた気がしました。 

  

 

 

 

カウンセラーとして「心」を正しく観るために ポジション・俯瞰する・・

 

 

フレームの次に浮かび上がってきたことそれはポジションです。 

 

第1(自分)・第2(相手)・第3(第三者)の視点に立って 物事を見るということです。

 

普段人は自分の視点で見、考えています これが第1。 

誰かの話を聞き深く共感することで相手の立場に立ち 第2の視点が生まれます。 

そして第3ポジションとは 自分でも相手でもない客観的な視点を持つということですね。 

(その上に第4(高次=メタ)ポジションというものもあり これは第三者をも俯瞰した より立体的な視点を意味しますが わかりにくいので今日は触れません)

 

第1ポジションは自分自身なので問題はありません。相手の立場になり相手の心をあたかも自分のことのように感じる(ロジャーズの共感的理解にもありました)。 これが第2ポジションを作っていくわけですが フレームを外すことを意識しだしたことで 元々人の話を聞くことが大好きな私は すんなりと第2ポジションの視点を持つことができました。

 

カウンセリングを行う上で第3ポジションはとても重要な視点です。 

カウンセリング教室によっては ロジャーズの傾聴と共感ができていればOKというところもあるようですが 

当学園ではそれは全くお話にならないことです。 

 

クライエントの話を傾聴し共感することで クライエントのカタルシスは得られ 話したことによるすっきり感は有るでしょう。

けれどもっと心の奥深くにしまい込まれたマインドにたどり着くことは 容易ではありません。

 

なぜこの人は この話ばかりを繰り返しするのだろう? 

なぜこんなにも怒りがわき、なぜこれほど悲しみに涙しているのだろう?

話を聞いて寄り添うだけでは クライエントが本当に解消したい悩みを見つけることはできないのです。

 

なぜなら クライエントから感じた不一致を第3ポジションで見つけ その違いを目の前に提示し クライエント自らがその不一致を認識して始めて 本当の意味のカウンセリングが行われるからです。

 

話は戻り さあ私の第3ポジション視点です。これがなかなか!

 

頭ではわかっている、原理も理解できる、なのにできない。

 

私が私に問いたい 

 

なぜ?

 

どうして? 

 

同級生達のカウンセリングを隣で見ていると 

 

それはまさに私は第3者なので「こんな質問をすればいいかな」

「クライエント役はこう思っていそうだな」とか 

 

いろいろ浮かんでくるのですが 自分がカウンセラー役になったら全くと言っていいほど 

第3ポジションでの視点が吹っ飛んでしまいます。 

 

いっきに何が何だか頭は大混乱、動悸も激しくなるばかり。

 

 

ああ~どうしたらいいんだい? 

 

私のもやもやは一向に解消されず

 

 

次回に突入です。

 

 

ミルトン・エリクソンってごぞんじですか?

 

ミルトン・エリクソン(Milton H〔yland〕 Erickson, 1901年12月5日 - 1980年3月25日)

催眠療法家として知られる精神科医、心理学者。アメリカ臨床催眠学会(英語版)の創始者で、初代会長も勤めた。

アメリカ精神医学会(APA)、アメリカ心理学会(APA)、アメリカ精神病理学会(英語版)などのメンバー。

 

「クライエントに変化をもたらすようなことを何かすることだ・・・どんなに小さな変化でもかまわない。 
クライエントは、どんな小さな変化であれ、それを求めているのだし、それを変化として受け入れるからだ」 


ミルトン・エリクソン博士の言葉です。

 

 

<エリクソン催眠>
彼は精神医学も催眠も独学であった。彼は大学で医学教育を受けたが、当時の米国では適切な精神医学の教育は殆ど受けられず、又、催眠もきちんとしたカリキュラムがなかったからである。その結果、彼は自分独自の技法を次々に開発していく事となった。

彼は大学時代にのべ2000人以上に催眠実験を行ったと言われる。彼の催眠技法は非常に広汎かつ独特なもので概説は困難であるが、その根本にある考え方は催眠はコミュニケーションの1つだというものであった。そこで、彼は自分が気づいたダブルテイクや、言葉の命令的側面、呼吸や抑揚に関する理解などを催眠誘導に持ち込む事で、催眠誘導を非常に巧みに行った。又、普通の会話と催眠誘導の境界を曖昧にした。つまり、普通の会話の中で自由に催眠誘導と行き来した。

従来の催眠(古典催眠)とは大きく異なるため、エリクソンのそれは現代催眠、エリクソン催眠と呼んで区別するのが一般的である。

 

 

 

ミルトン・エリクソンの逸話は神がかったもののように紹介されて、
それが催眠療法の誤解を生んでいるようなところもあるのですが...

超人ではなく、神業でもない...

しっかりした人間観察に基づいた、その人に合わせた助言、提案。
ミルトン・エリクソンがやっていたことをお伝えいたします。

たとえば...
エレベーターで事務所まで昇れない男性に

「エレベーターガールからアプローチさせる」

これは、その男性をしっかりと

「観察」

していたからできたことです。


誰にでも使えるものではありません。

その観察力・・

NLPでいうところのV・A・K「キャリブレーション」ですね。

その人(クライエント)から、何が見え、何を聞き答え、あなたは何を感じたのか・・

それはあなたの内観・・

自分で考え、感じるようにように感度高く、

あなたの心の中の、「非言語の言語化」 へでと続く内観の感度の高さ・・

 

チャングアップ & チャングダウン・・



様々な心の学びの感度を高めるために、

 

本物の「メンタル&カウンセリング学園」で学ぶことをお勧めいたします!


ミルトン・エリクソン、天才からのモデリングですね!

 

 

 

C.ロジャーズだけでは限界が来ますよ(( ´∀` ))

 

 

4 回目の講座が終わったばかりの第 15 期受講生です。 今回もみっちりと濃厚な 1 日でした。その中で、先輩のブログにも登場したロジャースのカ ウンセリング理論について学びました。私はまだメンタルのカウンセラーではありません が、長く支援の場にいるため、毎日いろんな方と面談をしています。ロジャースは過去に知 識として学び、その時もカウンセラーの態度や姿勢についての概念に、感動すらした記憶が あります。ロジャースは、人間の成長の可能性に最大の信頼を置いていたのですが、先生が 熱く「僕はこのマインドを信じ切っているから!全然疑っていないから!」と言い切ってお られたのが印象深い。 私は「受容と共感」のマインドだけは持っているように自己認識していましたが、実は、無 意識に机上の空論のように扱っていたと思います。 誰かの人生に携わる仕事をするプロとして、ベーシックな基礎のマインドとして、本気で血 となり肉となるようにしていきたいと素直に思った次第です。

 

■宿題絶賛取り組み中

 

さてさて、現在絶賛自分のフレーム(私たちがどのように世の中を見ているかを規定してい る枠組み。心の眼鏡)外しの真っ最中。宿題に取り組む日々ですが、以下その時の私の心の 声をお聞きください。 「あー!無理!どうしてこんなに抵抗があるの?よっぽど自分を悪者にしたくないんだ ねえ。怖いよう。嫌われることが怖い。なんでこんなことしてるんやっけ?そっか、そのフ レームで生きづらくしてきたと気づいたんだった、私変わりたいことに気づいたんだった。 もう変えるしかないんだった!」

※宿題の具体的な中身はご想像くださいませ(^^) この自問自答をことあるごとに繰り返しています。まったくもって潔くない笑。

 

私は自分の本音(マインド)を出すことが苦手です。子供時代は目立たないように問題も 起こさず過ごし、社会生活もそれなりにそつなくこなし、結婚もして子供もいます。卒業し てから 30 年間仕事も続けてきました。もしかしたら、まわりからは「幸せそうな人」に見 えているのかもしれません。実際には、ペルソナ(仮面)にせっせと磨きをかけて、そう見え るように、頑張って「本当の気持ち」を抑えて我慢してきたので、ある意味成功したのかも しれませんね。でも、それと引き換えにいつも「生きづらさ」を持ち続けることになってし まいました。その上、幸せになりたいために本音を犠牲にしたにもかかわらず、なぜか問題 は山積している状態なのです。やれやれ。

 

自分の本音(マインド)と向き合うこと、それを出すこと。 深い気づきを得るには、自分自身を理解すること、そして「~べき」に拘ってしてこなかっ たことを体験してみること、整理すること、俯瞰すること。 それが私の今の取り組みです。

 

私は自己肯定感が極めて低くて、自信がなく、予期不安大好き人間だったので、あえて、い つも言い聞かせています。「よく頑張ってるね。自分のことをあきらめてはいない。私なら できる!だいじょうぶ!」

 

受講生の気持ちそのまま綴っているブログです。少しずつ気づきと成長がみられるよう に努力します。またお付き合いいただければ嬉しいです。

 

 

さて、新しい私に出会うべくプロコースへと進んだ私を待っていたのは、授業中に幾度となく投げかけられる、

 

自分の心=マインドの話をして下さい」

「その時、あなたはどう感じましたか」

という問い掛けの数々でした。

 

これは、否応なしに自身の心と向き合うことを求められます。

人生の中で、また、普段の生活の中で自身のマインドを他人に話す機会はどれ程あるのでしょうか。

 

人にもよるかとは思いますが、そう多くはないと思います。

私は、本音(=マインド)を他人に伝えることに無意識の恐怖を抱え、それを避けて生きてきていました。

その為に、本音を建て前の中に隠したり、他人に変に思われない内容に変換、話をすり替えて

(=主旨をずらして)伝える事を無意識に覚えてしまっていた人でした。

 

しかも困ったことに、そのことに全く気づいておらず、自身はちゃんと本音を話している気でいたのです。

本音に触れるのを予感すると、それ以上を追求するのを拒否したいが為に、

 

“なんかよく分からんけど”

という枕言葉をほぼ毎回使い、主旨をずらしている自分がいた事に気付かされた時はハッ!としました。

 

この枕言葉(=キーワード)に気づき、その言葉を使いたくなったら、それを使わずに自身の感情(=マインド)言語化することを心がけ、

自分の本音により深く気づき、向き合うことが出来るようになりました。

 

キーワードはその人によって異なりますが、それが分かる事をきっかけにその人のマインドがツルツルと引き出されていく事を身をもって体感しました。

キーワードには浅い気づきをもたらすものと、深い気づきをもたらすものとあるかとは思いますが、その人が何度も繰り返しよく使う言葉や、マインドがやけにこもっていると感じる言葉(=非言語領域のノンバーバルで感じる)などがあるかと思います。

自身のマインドと深く向き合うということは、自身の中に埋まった感情、感覚、印象、フレーム、エピソードなど様々な無意識を意識の上に持ってくることです。私の場合は、無意識下のマイナスの感情やトラウマ、マイナスのアンカーが多く埋まっていて、必然的にそれと向き合うことになり、情動が動きまくりで、授業の度に大号泣を幾度となく繰り返しました。その度にひどく疲れるのですが、話す程に心の傷が癒えていくように感じられる不思議な安心感があり、徐々に涙も減って行きました。

 

心の成長を見守り、支持してくれる仲間と先生がいるというのはとても心強いことだなぁと感じています。

次回、まだまだ自分探しはつづきます。
読んで下さる皆様に意義のあるメンタルの気づきが訪れますことを願いつつ~。