わたしの過去をシリーズで綴っています。
今回は完結編。
ぜひ①から順にお読みくださいね。
いじめられっ子の私がアイドルと呼ばれ応援されるようになるまで
①~不幸の手紙~
②~「一生恨むから」~
③~舞台上のいじめ~
④~居場所~
⑤~ひとつだけ~
⑥~夢を捨てて~
⑦~応援される理由~ ★イマココ
***
日の出前の4時30分に起き、熱いシャワーを浴びて、ストレッチをし、発声のための呼吸練習をして、ニュースをチェックしながら朝食をとり、7時にはラジオ局へ。
札幌市内の小さなラジオ局にアナウンサーとして採用されたわたしは、朝8時から11時まで3時間の情報番組を月曜から金曜まで担当することになりました。
それまでもこの放送局ではたくさんの仕事をさせてもらっていましたが、
3時間もの番組を1人で担当するのは初めて。
しかも朝の通勤中というラジオのゴールデンタイムのひとつです。
プレッシャーと不安と、それを上回るわくわくした気持ち。
でも、番組がすぐにうまくいったわけではありません。
わたしが担当した番組は、毎日3時間も放送しているのに、
リスナーさんからのメッセージがほとんど届きませんでした。
時々、わたしが以前持っていた番組のヘビーリスナーさんだった方からメールが来るくらい。
メッセージの量だけで番組の価値をすべて判断することはできませんが、指標のひとつなのは間違いありません。
しかも、わたしが放送をしているのは、地域密着の情報をウリとした小規模ラジオ局。
地域の方たちとの距離の近さが最大の魅力なのに、
わたしが一方通行で喋るだけの放送でいいのだろうか?
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メッセージの少なさには理由がありました。
この番組はわたしが立ち上げた企画ではなく、前任のアナウンサーさんから引き継いだものです。
前任の方は引き継ぎの際、こんなふうに言っていました。
「この番組は情報を伝えることが目的。
だから私はなるべく自分の色を出さないようにしてるの」
この方は、実はわたしの養成所時代の先生でもありました。
元大手放送局アナウンサーであり、まるくやさしい声が魅力的な、尊敬する先生です。
先生はリスナーさんからのメッセージを積極的に呼び込むことをしておらず、
ニュースを正確に、より多く届けることを最優先した番組をつくっていたのです。
わたしはその番組を引き継ぎました。
番組の流れ、情報の量、トークのトーン、選曲など、初めはすべて前任者である先生を真似てみました。
そして、リアクションのほとんどない放送を数日続けてみて、これでいいのかな?という思いが強くなっていったのです。
ニュースを読む技術も、理解の深さからくる適切なコメントも、わたしは先生には及びません。
声そのものも、先生のほうがずっとアナウンサーらしい。
番組の流れだって、いくら真似たところで、先生の流れるような進行にはまだ届かない。
…それならば。
わたしは編成局長に「番組のカラーを大きく変えたい」と申し出ました。
ニュースを正確に届けるための番組から、
わたしというパーソナリティーを前面に押し出したうえで情報を伝える番組へ。
そもそもラジオ局の体制が大きく変わった時期だったこともあり「いいぞ、やってみろ」と受け入れてもらえました。
わたしは構成を一から作り直し、トークのトーンを大きく変えました。
ニュースや天気情報はきちんと伝えつつ、
その他のコーナーでは「地域住民のひとりであるわたしの視点での情報」を伝えることにしました。
それまで排除していたパーソナリティーの「色」「視点」「主観」をどんどん取り入れることにしたのです。
そうすると、少しずつ、少しずつですが、
リスナーさんからのメールやFAX、時にはお便りが届くようになりました。
「めぐちゃんへ」と、
まるで顔見知りに語りかけるようなメッセージをいただくようになっていったのです。
うれしくて、うれしくて、
わたしも大切な友人に対するように、精いっぱいの気持ちをこめてご紹介させていただきました。
わたしは先生のように喋れない。
でも、わたしなりに喜んでいただける番組の形が見えた気がする。
そうだ、先生だって引き継ぎのとき、「私はなるべく自分の色を出さないようにしてる」
と言っていた。
あれは、「あなたがどうするかは自分で考えなさいね」という、先生からの最後の教えだったのかもしれない。
…都合のいい思い込みかもしれないけれど、なんにしろわたしは小さな手応えを感じながら毎朝の放送を続けました。
そして1年後、
番組は局内でもっとも多くのメッセージが届く、人気ナンバーワンの番組になっていました。
わたしはいつの間にか「アイドル」と呼ばれるようになり、
リスナーさんや取材先の方、スポンサーの方からあふれるほどの応援をいただけるようになっていました。
リスナーさんから毎日届くメッセージ、取材先でのにこやかな対応、「これはぜひめぐちゃんに」と依頼していただく司会やCMナレーション…
ラジオ局の仕事はどんどん充実していきました。
たくさんの方に「アイドル」と呼ばれ、仕事をつないでいただき、応援された理由はなんだったのでしょうか。
当時のわたしは「がんばれば報われるんだ…!」などとずいぶんざっくり捉えていましたが、
ある日、わたしをアナウンサーに誘ってくれた先輩がぽつりとこんなことを言ってくれました。
「お前はメッセージの扱いがすごいよな。
たった1行のメールでも、めちゃめちゃ広げて話題にするだろ?
あれだけ丁寧に取り上げてもらったら、またメールしようって思っちゃうよな~」
ラジオ番組では普通、リスナーさんからのメッセージの扱いはシンプルです。
特に大手の放送局の場合は、メールの一部とラジオネームを読み上げて「ありがとうございました~」だけということも多いです。
ですが、わたしの番組は、1通のメールを取り上げる時間をかなり多くとっていました。
『今日はいい天気ですね!』
という1行のメールにも、共感だけでなく、
こんな天気の日におすすめの場所だとか、暑いから何が食べたいとか、おもしろい形の雲が浮かんでたとか、
お役立ち情報から雑談まで、自分の思いをプラスして返していました。
それがリスナーさんの心をつかんでいるのだと、
リスナーさんにまたこの番組を聞こうと思ってもらえる理由なのだと、
アイドルと呼ばれ応援される理由なのだと、
先輩は言ってくれたのです。
衝撃でした。
そもそもは、単にメッセージをいただけてうれしかったから始めたことです。
リスナーさんに喜んでもらえるし、わたしも楽しいからと定着したやり方でした。
それが、わたしが応援される理由だと、
わたしをずっと見てくれていた先輩が言う。
やっぱり、表現だったんです。
自分を表現すること。
ここにすべてがつながっていきます。
わたしは、リスナーさんの思いを受けて、
自分の思いを表現することで、
リスナーさんに「ラジオ番組」という「居場所」を提供することができたのです。
わたしは、ずっと探し求めて苦しんでいた「居場所」を、演劇を通して見つけることができました。
そしてアナウンサーになり、ラジオを通して、どこかの誰かに「居場所」を差し出すことができました。
その居場所が心地よいと思ってくれた方たちがわたしに応援を返してくれました。
コミュニケーションが絶望的に下手で、人に嫌われ、恨まれ、いじめられっ子だったわたしが、
アイドルと呼ばれ応援されるようになった理由。
それは、自分の思いを表現したからでした。
結婚とともに新天地での活動を決意し、ラジオ局を退職した日。
リスナーさんやスポンサーさんから抱えきれないほどのお花をいただきました。
写ってないのもまだある…!!
自分の思いを表現するのには、勇気が必要かもしれません。
わたしが中学1年のクラス劇の練習でそうだったように、「何それ」「変!」という反応が返ってくるのはとても傷つきます。
想像するだけでも怖いです。
わたしは、傷ついた経験のおかげで成長できる、とは思いません。
そんな経験なければないでいいと思います。
ただ、辛いことがあっても、表現することを選択し続ければ、いじめられっ子がアイドルと呼ばれるくらいの人生の振り幅は十分にあるということをお伝えしたいと思い、このシリーズをつづってきました。
自己表現なんてできない、苦手だ、と諦めないで、表現することを選択してみたら、自分でも思いもよらない方向に道が開けるかもしれないのです。
そして、
表現し続ける選択をするためには、安心して表現できる場でステップを重ねることが大切だと思います。
家族や、親しい友人、仲間…
わたしにとっては中学3年からの演劇部が最初の「安心して表現できる場」でした。
この長いシリーズを読んでくださったのは、きっとご自分もなにかしらコミュニケーションや自己表現に悩みのある方だと思います。
ぜひ、安心できる場で、小さくても挑戦を続け、表現することを選び続けてください。
自分から表現すること、それこそが人と人の心をつなぐのだと、わたしは信じています。
そして、もしもあなたに「安心して表現できる場」がないというなら、
わたしがあなたの「安心して表現できる場」になりたい。
そう思って、わたしは今、話し方や表現について伝える活動をしています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
あなたのまわりが、のびのびとした表現と、それを受け入れる価値観に満たされますように。
わたしも、一歩一歩、進んでいきます!