わたしの過去をシリーズで綴っています。
ぜひ①から順にお読みくださいね。
いじめられっ子の私がアイドルと呼ばれ応援されるようになるまで
①~不幸の手紙~
②~「一生恨むから」~
③~舞台上のいじめ~
④~居場所~ ★イマココ
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中学3年の学習発表会。
わたしたち演劇部は、第二次世界大戦中の子どもたちの友情をテーマにした脚本を選びました。
つらい生活の中、それぞれの夢を胸に支え合って生きる4人の子どもたち。
だけど空襲で街は焼き尽くされ、子どもたちも命を失ってしまう。
ピカソの「ゲルニカ」をモチーフとし戦争の悲しさを描いた物語です。
3年生になってすぐに活動を開始した演劇部は、発声などの基礎練習、脚本の読み合わせ、シーンごとの練習、と稽古を重ねていきました。
わたしの役は、教師になる夢をもつしっかり者のアリサという女の子でした。
他の3人の子どもの役を演じるのは普段から仲よくしている友だちです。
1年のときに一緒にいじめられっ子役をした女の子も入部していて、このときは、勇敢で正義感あふれる少年の役をしました。
彼女の少し低めの声がキャラクターによく合っていると感じたのを覚えています。
戦争、貧困、生と死…
難しい題材でしたが、元劇団員であるS先生の演出のもと、部員同士で話し合い、意見をぶつけ、ときには言いあいになりながらも、少しずつお芝居を作っていきました。
自分の演技をして、相手役の演技を受けて。
照明や音響のタイミングにあわせて。
同じ「演劇」なのに、
1年生のときのクラス劇とは、作る過程がまったくちがいました。
どちらも「いい演技をしよう」と思っていたのは同じです。
1年生のとき、わたしの原動力は、
「見返してやる」
「絶対に負けない」
そんな気持ちでした。
でも演劇部での原動力は、
「いいお芝居をつくりたい」
だったでしょうか…?
実はこのあたりをあまり覚えていません。
そんなこと考える必要がなかったのかもしれません。
自分が望んでお芝居をしている。
仲間もわたしが演じることを望んでいる。
それで十分だったんじゃないかと思います。
1年生のクラス劇では、わたしが胸を押さえて倒れる演技をしたとき、指を指して笑われました。
何それ、倒れてるの?
階段下りてるみたいになってるよ!
ヘンな倒れ方~
悔しくて、自宅で意地になって練習しました。
奇しくも、演劇部での演劇にも倒れるシーンがありました。
子どもたちが暮らす街が空襲に遭い、爆風を受けて死んでいくシーンです。
こちらのほうがさらに難しい演技でしたが、誰からも笑われることはありませんでした。
ここをこうしてみたら?
こういう動きは??
あ、それいいね!
…
同じ「演劇」なのに、
1年生のときのクラス劇と、演劇部の演劇とは、まったくちがいました。
わたしは、安心して表現できる場所に立っていました。
嫌われ、いじめられ、それでも変われなくて、
一体どこにあるんだろうと探し続けていた「居場所」が、
そのとき、たしかに、舞台の上にありました。
半年後、高校に進学し、
わたしは別人のように変わりました。
歯列矯正が終わって器具が外れ、歯並びがきれいに揃うと、人前で歯を見せて笑うのが苦じゃなくなりました。
分厚いビン底メガネをやめてコンタクトレンズにすると、それまで言われたことがなかった「目、大きいね」「まつ毛長いね」という褒め言葉をもらうようになりました。
そしてなにより、心が変わりました。
人と接するのが怖くなくなりました。
演劇部に入り、放課後も土日も部活に熱中しました。
やさしい先輩たちに基礎から稽古をつけてもらい、同期とは時にケンカしながらも強いつながりをつくることができました。
暑い日も、吹雪の日も、お化けが出るという噂の旧校舎で稽古を続けました。
クラスでは、特に高校2年のときの友だちと気が合い、10人ほどのグループにいました。
相変わらずキツイ口調や失言で友だちを傷つけてしまうこともありましたが、20年経った今も良い関係を続けることができています。
アイスクリーム屋さんでバイトをし、お給料で新しい服を買うのが楽しみでした。
「Zipper」という原宿系の雑誌を愛読し、当時JUDY AND MARYのボーカルだったYUKIちゃんや、千秋さんに憧れ、影響を受けました。
高校3年生のころは、髪型はサイドだけ短く切りそろえた姫カット、ルーズソックスにキラキラしたスパンコールを縫い付けたものをはき、セーラー服のタイにピンクのビーズを通して、好き勝手な格好をしていました。
部活の大会や、休日に出かけたときなど、後輩から「憧れです」と声をかけられたり、ナンパされるようになっていました。
不幸の手紙をもらい、呼び出されたり、一生恨まれると言われたり、いじめられる役を押しつけられたり、
嫌われて、自分の価値を感じられなくて、居場所がないと思っていたけれど、
わたしは別人のように変わりました。
好意的な人に囲まれて、自分の好きなことを楽しめて、堂々としていられる。
信じられないような思いでした。
境目となった中学3年の演劇部での経験は、いったいどんな意味があったのでしょうか?
わたしはあのとき、笑われる心配なく、自分の思うように演じることができました。
それだけでわたしは受け入れられました。
虚勢をはって「わたしはこんなにできるんだ」「わたしはこんなにすごいんだ」と声高に主張しなくても、
他人を攻撃しなくても、
わたしはわたしを表現するだけで、受け入れられ、相手も表現を返してくれて、それに影響されてわたしはまた新しい表現ができました。
中学3年の演劇部は、わたしにとって「安心して表現できる場所」でした。
わたしはそこで、自分を出し、人を受け入れることができていました。
ずっと居場所を探していて、どこか遠くに行けばあるのかと思っていたけれど、違ったんです。
自分を表現し人を受け入れることで、
自分がいまいる場所が「居場所」になるのを感じました。
ずっとできなかった「人を受け入れること」、
これは、まず自分を表現することで、まるで心にスペースが生まれたように、自然と少しずつできるようになっていたのです。
安心して表現することで、わたしは居場所を手に入れられました。
安心して表現することで、ようやく、良い循環が回り出したのです。
高校では、それなりに悩みやトラブルもあったけれど、とても自由で楽しい時間を過ごしました。
そして、友だちが大学受験に向けて動き始めるころ、わたしも自分の進路を決めました。
子どもの頃からの「好きなことを仕事にしたい」という思い、中学高校と演劇から受けた多大な影響。
わたしが選んだのは「プロの役者になる」という道でした。
親を説得し、北海道を離れて東京の芸能系専門学校へ進学することを決めました。
このとき、わたしには大きな不安はなく、むしろ根拠のない自信に満ち溢れていました。
なんとかなる!なんとかする!!とばかり思っていました。
18歳。若かったといえばそれまでですが、暴走にも近いこの勢いは、
この後ほどなく経験するわたしの人生最大の挫折を招いた原因のひとつでした。
わたしは表現で大きく変わることができました。
だけど、
それで表現を大好きになったからといって、
表現を仕事にできるかどうかは、あたりまえですがまったく違う話でした。
続きます。