メメントCの世界

メメントCの世界

演劇ユニット「メメントC」の活動・公演情報をお知らせしています。

嶽本あゆ美 初の戯曲集、発売中!!





ハーベスト社 本体1800円  
ISBN978-4-86339-104-8

2024から2025年の出来事

 

 

大雪の地方のニュースがテレビから聞こえてきます。

私は、日曜日に新潟市秋葉区の「走れ!ロコモーション」プレ公演から帰ってきましたので、新潟の大雪に直面し、ぬくい静岡生まれなので、仰天していました。

 

もう川崎は春っぽくて、メジロが梅の木で思い切り、飛び回っていたのに!

 

2月23日公演の秋葉区ミュージカルは、支えてくれた皆さんのお陰と、新津一中の吹奏楽部の演奏で大成功、炎上するぐらいに皆で盛り上がりましたが、私は気が抜けて風邪をひいたのでした。

 

それで、二日ほど寝込んだのですが昨年のいつから休んでいなかったのか分からないほどに、二日も寝込みました。

なぜなら、11月までエヴィータの公演があり、その後も原稿を書いていたら、私の生涯に大きく影響を与え、育ててくれた、二人の叔母と伯母がお正月に亡くなったのでした。

年末に、叔母のホスピスにお見舞いにいき、苦しそうな息がとても気がかりでしたが、実家に餅付きの為に帰省しました。

母と喧嘩しながら、8升ほどの餅をつきまして、それを叔母に送ったら、訃報が来たのです。

 

悲しくてたまりませんでした。

叔母はとても私と性格が似ているにも関わらず、おおらかで、進歩的な養護の先生でした。

その叔父もとてもやさしくて、大学の発表会には埼玉の入間市まで私の演奏を聴きにきてくれたのです。

親も来ないのに。

演劇の公演があるたびに、二人は差し入れを持って私を激励してくれました。

ある時、四季を辞めたあとに、従妹がフランス人と結婚することになり、結婚式に叔父叔母、伯父伯母を引き連れて、フランスとベルギーの境にある田舎の村へも行きました。私は優秀なアテンダントで、はりきって、エアもホテルも全部、自前でとったんです。楽しき珍道中のフランス旅行でした。

叔母はなんでもフランクに話し、パッと決める性格で、行動力にあふれ、おしゃれで、料理が上手で私にとっては、

大きなモデルだったんです。

叔母が難病になってから、行けたお見舞いの数はそれほどでもなく、お葬式で後悔しても仕方ない。

ただただ、苦しそうだった呼吸が止まり、天国で元気にしていてくれたらと思うばかりでした。

叔父の悲しむ姿が本当に悲痛で、家族の愛情の深さをひしひし感じた葬儀でした。

 

 

 

そしたら、次に、母よりも私を可愛がってくれた、一番上の伯母が、グループホームで亡くなりました。

伯母はアルツハイマーでした。帰省したら必ず、お見舞いに行きました。大晦日にはとても元気だったのに。

その前に心臓を患いペースメーカーを入れたりと病気がちでしたが、本家に行くと、いつも豆の皮をむいたり、野菜をいじっていて、猫のげんちゃんと話をしていたのです。

アルツハイマーになってからの伯母は、誰のことも分からないけど、会えば、愛想よく挨拶をし、ニコニコして、猫と伯父の話をするのです。なんでも、ゲンちゃんに見えるので、隣の知らない人にも、「ゲン、ゲン」と話しかけていました。

私があったアルツハイマーの患者さんの中では、一番穏やかで、グループホームでも愛されて、ほめられていました。

その伯母は、正月のすぎに、お昼ご飯を食べてちょっとしたら、亡くなっていたんです。

全く苦しまなかったので、施設の人がほめていました。

 

アルツハイマーになっても、褒められることしかなかった伯母は、確かに人の悪口を言ったことがなかったし、私が何かしでかしれも、ニコニコ笑いながら、「あゆみ~こうするとこうなるだでねえ、こうせんといかんねえ」とたしなめるだけで怒ることもありませんでした。何しろ、1歳半から伯母が面倒を見てくれたので、3,4歳位までは自分の家は、伯母の所だと思っていたくらいで。

 

ずっと畑、田んぼ仕事だった伯母は、グループホームに入って初めて、職員さんに、きれいなマニュキアをぬってもらったのです。

 

ハンドカヴァーも編んでもらって、こんなに可愛い伯母の手を見たのはアルツハイマーが酷くなってから。

働き続けた伯母は、おしゃれなんてしないし、冠婚葬祭で留袖を着る時くらいしか、化粧もしませんでした。

いつも、土をいじって、猫をなぜて、漬物をつけて、畑仕事をしていた伯母。

小学生のころ、川で泳いでいとこたちと戻ってくると、お風呂にいれてくれて、井戸で冷やしたスイカを食べさせてくれました。

お茶の季節は、一族総出でお茶畠に行くので、お昼の支度は20人分くらい。私や従兄弟姉妹で手伝いました。

あの幸せな子ども時代は、伯父伯母などのお陰だったので、その思い出の中に伯母が入っていってしまったのが、悲しいというか、寂しいというか。

 

伯母に対面したのは、最初のお葬式で横浜に戻り、その後にまた袋井に戻った時。

親戚中が、お葬式で大移動していました。ひーひー

 

伯母は伯父のお嫁さんで、実際には私とは血の繋がりがないのですが、甥、銘、孫の面倒を見続けた生涯です。

祖母が亡くなった時、私は高校生でしたが、家で湯灌をしたので、みんなで祖母の骨川筋エモンになったからだを拭きました。

その際に、伯母がずっと祖母の思い出を語り続けてくれた声を忘れません。

祖母の思い出やらなにやらを、まるでイタコの様に語っていた伯母の声はとてもやさしくて、祖母の魂がまだそこにあるのだ、という感じでいっぱいでした。死ぬことと生きることが、まだ繋がっているのだと感じられた事や、祖母の死で泣きまくってる私の母とかが、子供に見えたものです。

 

伯母の葬儀は、可睡斎という大きなお寺から、お坊さんが四人来て、盛大なるお経を挙げました。

チン、ドン、シャンも壮麗な音色で、伯母の旅路を飾りました。

もう65になる従兄は、泣きながらマイクで喋っていたのですが、昔の夏の日に川で遊んだ時の従兄弟たちのようでした。

私もいつか死ぬのだけれど、伯母の様には生きられません。

どうして、あの様に穏やかに耐え忍んで生きていけるのか、想像もつかないのです。

 

猫のげんちゃんは、きっと伯母の帰りを待っているでしょう。

伯母さん、本当にお疲れ様。ありがとうね。

春になったらお墓参りに行くでまっててね。

 

そして、ようやく、「聴衆ゼロの講演会ー中井正一伝説」を最後まで書き上げた私でした。

 

 

 

EVITA 終演 演出家ノート

 

桐朋短大のEVITA、無事に千秋楽を迎えました。疾風怒濤の公演でした。

ライセンスの関係で、多くは語らないのですが、上演台本の裏に書いた演出家ノートを掲載します。

演出ノート

コンセプト

・ブレヒト劇としてのエヴィータ

・テーマ “Oh What a circus !! ” こいつはサーカス猿芝居 

今回の上演台本では、ブレヒトの影響が大きくみられるティム・ライスの作劇を汲み取り、より演劇的な公演を目指している。

ミュージカル・EVITAは、冒頭のチェ・ゲバラの曲の歌詞「Oh What a circus. Oh What a show」としてずばり二言で提示される。そのシニカルさがブレヒト的だ。

 

初演は1978年ロンドンのウエストエンド・プリンス・エドワード劇場。

オリジナル・スクリプトに色濃く描かれるのは政治と膨張する経済、社会のひずみ、そして個人の欲望だ。

アルゼンチンの1940年代の政治と経済の混乱、第二次世界大戦後にラテン・アメリカ全体が軍政の恐怖政治へと変容する歴史は、マヌエル・プイグ「蜘蛛女のキス」、イザベル・アジェンデ「スピリチュアルアル・ハウス」、アリエル・ドーフマン「谷間の女たち」「死と乙女」などでも詳細に描かれている。アルゼンチンのホアン・ペロンによるポピュリズム、社会国家主義の強権政治の時代は過去のものと思われたが、この現代と共通するものが多い。

物語の重要な狂言回しである、チェ・ゲバラについても、この芝居の観客には、中米革命などの基礎知識が前提とされている。

特権階級を頂点とした南米社会は、ヨーロッパの帝国主義の奇妙な残滓だ。

アルゼンチンでは広大な土地を一部の白人が所有し、イギリスの資本が産業を独占。市民革命や民主主義が来るのは、20世紀の後半になるし、第二次世界大戦時には輸出が増大し好景気だったが、その後に経済破綻した。

 

ライスもウェーバーを民衆を物語の土台にすえ、社会を描く上でコーラスを重視した作りになっている。A.ロイド・ウェーバーの分厚いサウンドのストラクチャーは、この作品をミュージカルからオペラとしての芸術に昇華させている。

ティム・ライスとの共作の「J・C・S」のスコアにも見られるクロマティック、ペンタトニック、モチーフの循環が、ここでも緻密に絡み合い、その威容と伽藍を誇っている。独特のメロディーラインやシンフォニーは、テキスト以上に、A.R.Wのイニシャルを作品に刻印している。コーラスには対位法や旋法が取り入れられ、終盤のヱヴァとペロンの二重唱は正にオペラだ。

 

この難度の高い音楽とコーラスは、欧米言語以外で上演するときには、不幸にも更に技術を必要とする。しかし、それを学ぶことでほぼ、クラシック、ロック、ミュージカル、演歌などの大衆音楽までを演習できる。

若くグリーディーな情熱でアルゼンチンの欲望に塗れた、時代と大衆とエヴィータを描きだす試演会としたい。

映画製作後にオプショナルとして追加された部分に関しても可能な限り反映させていく。

 

 

 

注1 上演台本は、学内公演用にライセンサーから提供された日本語版(四季版)を尊重しつつ、脚本のティム・ライスのオリジナル・スクリプト(英語台本)に基いて作られたものである。学内公演を基盤とする許諾契約により、学外での発表への使用は条項により禁じられている。

注2 Mナンバーは、ボーカル抜出しのスコアやスクリプトではなく、オケスコアに準じる。初演版、2010年版などの複数の音楽バージョンがあり、調性、楽曲アレンジ、進行、寸法、拍子などそれぞれに異なる。提供されたヴォーカルスコアとフルスコアにも、曲により相違があるため、フルスコアに準じた上演台本、ボーカル譜となっている。

注3 ライセンサーから提供された日本語台本に無い部分は、英語シナリオに典拠し、追加訳出した。また、英語台本と著しく異なる設定や訳出は最低限度の訂正で反映している。

エヴィータはすごいインパクト

 

あと一週間で初日です。

うひゃ~~~

夏のスコア研究と音取用のピアノ録音から始まった、エヴィータ

稽古場は通し稽古の毎日で白熱しています。

本当にみんな頑張ってる。

できることを初日までがんばります!!

 

チケットは、短大のサイトから御申込ください。

 

11月22日(金)19時

11月23日(土)14時・19時

11月24r日(日)14時

 

全席自由・チケット料金 1000円です。

 

 

2025年劇団民藝レパートリー

 

 

2025年の劇団民藝のレパートリーが発表されました。

 

9-10月 紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA

聴衆0の講習会 ――中井正一伝説(仮)

作・演出=嶽本あゆ美 

 

執筆中です。

山代巴と中井正一の物語、お楽しみに!!!

三木清も、戸坂潤も出てきますよ。

ハイデッガーとハーレントのシーンは、没りましたが、

ドイツと日本の京都学派の哲学者の戦前の葛藤はすごいものでした。

その戦後の中井正一の国立国会図書館副館長への道を中心に描きます。

尾道で始まった文化運動、山代巴との出会い、そして戦前の治安維持法に散った友人たち、

その想いの全てを、戦後の活動に投入した中井正一たち。

 

大平洋食堂の様な壮大な物語になりそう、いやなりますが、まだ脱稿しておりませんので、

誇大宣伝にならないように、いやいや、太平洋食堂より大作にならないように気を付けます。

上演時間は、休憩込みで2時間半を目指しているのでした。(笑)

ちなみに、太平洋食堂は休憩込みで3時間5分でした。

 

桐朋芸術短期大学のエヴィータの稽古も佳境です。

さて、私は何人居るのか???

孫悟空のように鼻毛を吹いて人数を増やしております。