さよならがたくさん
年明けから四月まで、サヨナラがたくさんありました。
私の身内ですが、介護17年になろうとした父が90歳でみまかりました。2月のはじめの頃で、ミモザフェスの稽古の真っ最中でしたが、仲間の助けで、稽古を自主的に進めてもらい、葬儀などを終えることができました。
いつかは来る、と思っていた要介護4の父は、あっけなく心臓麻痺でたったの15分ほどで亡くなりました。
もちろん、私はそこにいたわけではなく、母が村の人の助けで救急車を呼んだ時には、もう心停止。本当にラッキーな父でした。葬儀は、ほとんど非喜劇的ともいえる状況でした。喪主は87歳の母ですが、親戚の皆でいろいろ決めて、おっさまの都合でまた葬儀が三日後になったり、絶対に棺桶を運び出せない座敷に遺体を寝かせてしまったり、あー!!やばいの連続でした。
あんまりぽっくり行ったので、昔の職場のNTTの人が、選挙の頼み事にやって来て、「ちょっと顔を見に来たよ」と言い、通された座敷で父と対面して絶句とか・・・・・寒い冬でしたが、たくさんの方が弔問に来てくれたので、部屋の温度が上がり、遺体が「あれ?くさってきた?」みたいになって焦ったり・・・・不謹慎ではありますが、葬儀まで長かったので諦めがつきました。
しかしながら、葬儀は選択肢があるのかないのかわからないような状況で式次第やら予算組をするから、博打ですなあ。棺桶のサイズはLサイズで、庭を通ってようやく外へ出たり。母は、もう二度と葬儀をやらなくていい!自分は直送で!と言い切っていました。
49日もその前の準備があたふた。なんと、わが村方面には、四十九日餅だか、饅頭だかの伝統??があり、四十九日の前に餅屋にそれを発注し、取りに行く(配達はなし)ので、準備に唖然。
結局、その餅は、法要が終わると下がってくるので皆で分けたのです。その餅は決して焼いてはならない!そうで、私はうっかり焼き餅にして海苔をまいて食べました。
19年も夜も何度もトイレに連れていくなどの介護をしていた母はすっかり燃え尽きています。やっとぐっすり眠れるようになったのに、やることがないので寂しい寂しい・・・
というような実家と東京を行ったり来たりの私は、つい最近、ものすごく昔に大好きだった女優さんの訃報を聞きました。記憶の病気を患っていたので、もうとっくに亡くなったのでは、と思っていたら、施設へ入られてからほぼ10年して年末に亡くなったようで驚きです。そこまで頑張られたのか、と思うと会えなかったのが矢張り、心残りです。
いつか人は必ず亡くなりますから、サヨナラは当たり前。だけど、いろんな記憶が自分を励ましてくれるので、行ってしまった人に感謝です。
花の季節は、お墓に行ってもまた華やか。
泉先生が2021年に亡くなられた時も、境内の花が満開でした。新緑の季節は別れの季節です。南無阿弥陀仏