メメントCの世界

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ハーベスト社 本体1800円  
ISBN978-4-86339-104-8

ドキュメンタリー部門 創生知見賞 Yokosuka1953

木川剛志 監督作品

 

 

門真国際映画祭ドキュメンタリー部門にノミネートされドキュメンタリー部門 創生知見賞を受賞した「Yokosuka1953」は、私の予想を覆す内容だった。当初、紹介文を読まなかった私は、横須賀と言えば軍港の町であり現代もまたアメリカ軍の街だから、アメリカ軍についてのドキュメンタリーだと思っていた。それに友人が、汐入に住んでいたことで、町について聞くことも多かったからだ。そして横須賀芸術劇場の立派なホールでオペラを観た事があったが、そういった文化施設の立派さと、軍事施設の対比は、何かいびつな印象を強く感じた。

その町に担わされている負担と恩恵は、どこか不健全なものを感じずにはいられない。

 

映像を観るうちに、横須賀の浜辺に残っている昔の横須賀村のような鄙びた海辺の村の風が吹いてきた。

優しい風が吹く波辺と、そこに住む人々の基地の町とは違う一面を、フィルムの中で何度も感じた。

このドキュメンタリーの肌触りは殊の外優しい。

主人公は横須賀で戦後の混乱期に、日本人の母親と名も知らぬ米兵の間に混血児と生まれ、その後にある米軍の一家族に養子縁組で貰われて渡米した女性。名前を木川洋子さんという。

監督の木川剛志氏は、和歌山大学の教授でドキュメンタリー映像作家でもある。そして社会学の先生かと思いきや、そうではないという。

そして偶然にも、主人公の洋子と同じ「木川」という苗字をもっているので、彼の親族についてのフィルムなのかとも思った。

でも、全てが偶然で、「木川」という苗字を手掛かりに、自分のルーツを探そうという老女の願いが、このフィルムを生んだ。

 

ここからはネタバレなので、フィルムを先に観てほしい。

 

 

 

 

アメリカで暮らす洋子さんが人生の老齢に差し掛かった時、どうしても自分のルーツを確かめたいという希望から、彼女の娘たちを通じて「木川」という苗字を持つ日本人にメールを送ったという。そして、そのメールを受け取った木川剛志氏は、親切にも彼女に会いに行き、アテンドや、リサーチを誠心誠意行って、彼女の母親の生きた断片を次々と見つけ出していく。

それだけで奇跡のような事だと感じる。

洋子さんは、とても素敵なルックスと瞳の輝きを持つ女性で、東洋的ではない。

物言いも、知的でさっぱりとしていて、存在感も際立っている。

この美しい老女の悲劇的な子ども時代は、本当に多くの孤児たちが辿ったものの中で、ましな方なのだと思う。

洋子さんは、生まれ故郷の町にもどり、横須賀の秋谷地区の人たちに温かく迎えられる。それも、本当に驚きだ。

横須賀の過去は様々な悲劇でいっぱいだろうし、まだそれが消え去るほどの時間はたっていない。

人情のやさしさが観ているこちらを優しくさせる。

以前、五大路子さんの主催する横浜夢座で、「風の吹く街・野毛坂ダウンタウンストーリー」という音楽劇を書いた。

 

戦後の桜木町、野毛界隈の闇市を舞台にしたものだ。パンパンと呼ばれた女性たちも勿論、登場する。

その主題歌の一部は、故平岡正明氏の文章「浜風が人情の露にかわる港町」から歌詞を創作した。

まさに、横須賀の秋谷の人々の人情とはそういったものだった。

米兵の慰安婦としてキャバレーに勤めた女性たち、防波堤とされて理不尽な運命を背負わされた女性たち、そういうものは、

現代の日本の中で、とっとと水に流し忘却することで精算されていった。しかしそれは決して胸を張れることではない。彼女たちの犠牲の上にあぐらをかいて戦後が復興したわけだから。

パンパン、オンリーさんへの貶めるような言葉が、ドキュメンタリーの中で一度も出てこなかったこと、それを語る地元の老人の面持ちが切なくてたまらない。言葉にならない悲しい記憶だ。

 

来日した洋子さんは、実母を知る人に会うにつれてどんどん輝いていき、顔つきも更に若くなる。

彼女の五歳位の記憶は、細かいようでいて、肝心の母親の相貌を思い出すことができない。それが悲劇だ。

母親はとても良い人だったようで沢山の秋谷の住民が彼女の人となりを語ってくれる。その優しさが堪らなく愛おしい。

洋子さんの母と小学校に通い遊んだという老婆が、出会ってずっと洋子さんの手を放さない。次に会うまでには私は死ぬだろう、という老婆。

確かに時間は残酷で、こうして母の面影を彼女に伝えられたことは、その老婆にとっても大きな慰めなのだ。

誰も彼女を貶めることなく、懐かしさと喜びで語る。

やさしさに溢れている人々の言葉が、観ているこちらにも沁みて来る。

何よりも素晴らしいのは洋子さん自身だ。

人生の苦難を受け入れ、真実を受け入れる強さを持つ彼女は、母親がアメリカ人に性を売って生きていたことを否定しない。

自分を愛し、生活に必要なために彼女はそうしたのだと感謝さえしている。

実は彼女自身が養父母の虐待のサバイバーだが、どうしたら魂の平和を保てるのか、揺るぎない何かに支えられている。

それは巡り合った人々の愛情が素晴らしかったからだろう。そして、五歳までの彼女を慈しんだ実母の愛に支えられているからだと思う。

一度でも真の愛情に触れて育った人は自分を不幸にしないと聞くし、五歳とはいえそれは彼女の精神に大きく影響したのだろう。

誇り高くぶれない彼女の言葉や視線、表情に、観客はどんどん取り込まれていくのだ。

苦難を生きた人の人生の中で、何かが癒されいく瞬間を目撃し、その体験は、私たち観客に言葉にならないような波動と感情を生みだす。

それが感動だ。

 

最後に彼女は、亡くなった母親の相貌に巡りあう。

生みの母の顔を確かめ、一番愛しい母親の顔を瞼に焼き付け、彼女は子供の様な表情に戻っていく。

幸せな笑顔、輝いていく洋子さんの顔。

かつて何千、何万という不幸な子どもたちが一目、瞼の母に会えずに死んでいった。

木川洋子さんが、木川監督と出会えて本当に良かったと心から祝福した。

その他、誠実な人達がこんなにいることにも、癒された。それをこのドキュメンタリーで知ることが出来て私はとても安らかな気持ちになった。

だからこのフィルムをつくり、洋子さんに寄り添った監督や、沢山の人に感謝したい。

やはり、横須賀でも浜風が人情の露にかわるのだった。

 

 

 

 

祭りのあと

 

門真国際映画祭が終わりました。

久しぶりにメメントの大内、明樹由佳さん、泉監督らと移動して、門真市に3日ステイしました。

大阪というのは、四季時代に随分と長く住んでいたので、土地勘はありますが、門真には行ったことがありませんでした。

京都行くならおけいはん、の京阪にもあまり乗らないから。

京橋のビル街にあったMBSホールには2年弱、通っていましたので、淀屋橋で京阪に乗り換えて門真という道すじは懐かしかったです。

毎年、人形劇団クラルテさんに劇作講座などでお邪魔していて、定期的に大阪には行くのですが、コロナに突入して、昨年、一回、今年も一回の講座になりました。

それで、今回、バテバテながら門真に行けて、何だかこの12年間を振り返るような旅になりました。

それで、きっとなんで私が舞台映像を映画祭に出品したのか、謎だと思っている人も多いので、人生の選択肢は実はとても溢れているのだ、

ということでこんなことを書いてみます。

 

 

行ったけどまさかこの様な最多受賞の結果を持ち返ってこられるとは、全く思っていなかったです。

久々に、制作の役割のない現場に居られて、作品に浸れたことがとても楽しかったです。

しかしながら、映画っていうのも、作るのが本当に大変だなあと、各作品を観ながら思いました。

書かれたシナリオが映像になる確率は、舞台よりも低い低い映画の世界。そして、予算も桁違い。

それでも、表現をやめたくない人、したい人であふれていた会場は、ノミネートされたフィルムメーカーでごった返し、

エネルギーに溢れていました。

ああ、私もその一人なのだ、と思うのがとても誇らしかったです。

こういう業界にいると、どうしても、ガチンコで審査される機会はどんどん減ります。

名前が知られたり作品が受賞したりするようになると、必ずレッテルが張られます。

ですので、3時間という長大な上演映像を審査して、評価下さった映画祭の審査員に心から感謝します。

 

私は演劇界にそれほど知り合いはいません。それは株式会社四季や、音楽業界のバイトでずっと過ごしたからでしょう。

先週、四季で大変お世話になった音響の大先輩が、肺がんでなくなりました。

すさまじい大規模ミュージカルの仕込に人生をかけていた先輩ですので、

表に出ることは皆無。しかし、難しいハイテクな音響ブースや、凄まじい重量のスピーカーのスタッキング、調整を40年以上も担ってきた方です。そういう下から基礎を支えてくれる人がいるから、ライオンキングや美女と野獣とかアナ雪とか、そういう数千回のロングランが出来るのです。でもそういう人が名前が挙がることは皆無なのが、この世界です。

四季時代には、会議で私の言うことが分からないので、ある先輩が必ず通訳してくれました。

当時、平尾という名前の私は仕事場でも宇宙人で、やたらと喧嘩ばかりしていました。

「平尾の言ってることはこういうことなんだよ」と言い直してくれる親切な先輩にも、恵まれていたのです。

 

正しい仕事をする!ということは、過酷です。

音響機器の測定から始まる「正しい仕事」は、1キロヘルツ、100ヘルツ、10キロヘルツで始まります。

オシレーターの針がぴったりなるように、何度も怒られては測りました。今では考えられないアナログ世界でした。

正しい音と、正義は似ています。まあ、こんな感じでいいんじゃないの?ていうのと、完璧な調整は果てしなく違うものなんです。

でも、計測機よりも、人間の耳の方がはるかによいのですがね。

完璧なものなんてないのに、本当にみんな、正しい仕事を目指して不眠不休で24時間働いていました。昭和の悪しき伝統ですね。

キャリアの13年ほどを、そういう音響業界で先端の技術に触れながら過ごしたことで、今の私は映像配信などというものに、手を出して

それを形にすることができました。これもビギナーズラックですが、出会いがそれを可能にしてくれました。

 

何とここに、30年近く前の私と明樹由佳さんの写真があります。(笑)

場所はウェストサイドストーリー上演の日生劇場の楽屋。

彼女は、ジェット団の女子。私は音響オペレーターでオーケストラのミキシングをしていました。

恐ろしいほどの縁です。

その後に、明樹さんは四季をやめて、キャラメルボックスの看板女優になり、2012年に私と再会しました。

 

撮影監督の株式会社アレイズの泉邦昭さんと出会ったのは、浅草の西徳寺の、邦楽セミナーです。

望月太左衛先生や、江戸の遊郭のお話のセミナーでした。

誘われて参加した私の近くに座っていた泉さんと、音の話で盛り上がり、当時、泉さんが開発していた「音を抱きしめる」プロジェクトのとてもユニークなスピーカーを、女人往生環の舞台と、音響支援席の補助スピーカーに使うことになったのです。

泉さんは音響開発者というより、映像の表現のシステムの開発者です。

私には良く分かりませんが、ハリウッドで、2D→3Dデジタル変換の会社をされて、タイタニックやアバター、ナルトなどの3Dシーンを担ったとのことです。そういう専門家なのに、私の言うことを真摯に聞いてくれます。

ピアノのコンサートやオーケストラの収録をよくされているので、クラシック音楽やスピーカーの事で、おたくに盛り上がれる共通点があり、女人往生環「韋提希」では、スピーカー実験と、収録の両方をされました。あまりにも忙しいので、音響・演出をしていた私はもう頭とコードがぐっちゃぐちゃになりましたが、その時に映像を撮ってくれたお陰で、女人往生環の英語版映像も完成しました。

 

 

2020年12月の公演の収録には、BlackMagic社の6K,4Kカメラに、ハイビジョンカメラと、6台のカメラが使われました。

演出家席の後ろが、照明ブース、その後ろに収録用の機材が並び、泉さんと、2カメの田中雅樹さんが打ち合わせ中です。

本番ぎりぎりで、配信のスイッチングは私がやることになりました。理由は、台本とミザンスと呼ばれる役者の立ち位置、照明のきっかけを暗記しているのは、私だけだからです。舞台の演出は藤井ごうさんで、そのやってることをカメラにどう入れていくのか、そこが問題なのでした!

広角でないと収まりきらない舞台を、どうやって撮影するのか?稽古中に、小道具を作りながらいろいろ考えました。視点をどこに置くのか?

観客席だけではない視点も必要だとおもいました。

 

 

とはいえ、インカムもないのに、二人のカメラマンとマルチモニターを観ながら三人のチームでよくやれたなと思います。

ライブ配信は、やはり本当に難しかったですよ、今思うと。どうしてあんな勢いがあったのか。

舞台を演じる人、演出する人、ライブを進行する人、撮る人、スイッチングする人、もうそれぞれが最善の結果を尽くしたから出来たことだとおもいます。

ゲネでスチール写真を撮って下さった、萩原美寛さん、徳山七海さんにも感謝です。

 

私は映像が分からないけど、大内史子は、一時、映画の世界に居たので、彼女が言ってくれることを信頼して、いろんな作業をやっていきました。そういう人が近くにいて幸いでした。

 

2020年の年末から今年の1月まで編集地獄でした。とはいえ、私は編集に文句をつけるだけで、編集して下さったのは、泉監督です。

何回、太平洋食堂を観たことでしょう。もうお腹いっぱいですが、授賞式の大スクリーンは流石に迫力ありました。

昨年のコロナの中の上演から、まさかこの様なご褒美が貰えるとは思えませんでした。

これも、本当にめぐりあわせなのでしょう。

皆様、心より感謝致します。ありがとうございました。

 

映画祭で様々な人の頑張りを観てエネルギーはもらいつつ、どっと眼精疲労が来ています。これも加齢のせいですね。

おまけに頭痛もするので、寝て起きてと言う感じで、このニ三日を過ごしています。

また、「リアの食卓」の稽古が始まります。そろそろ起きなくてはです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

門真国際映画祭舞台映像部門・最優秀主演男優賞発表の映像です!

 

ホールの大スクリーンに、主演男優紹介の映像が映ります。

上映はスクリーン3でホールより小さいスクリーンでしたので、受賞発表時のホールでのスクリーン映像は、とても大きくて舞台写真なみに美しかったです。是非ごらんくださいませ。間宮氏は稽古で授賞式に参加されなかったので、おえい役の明樹由佳さんが受け取ってくださいました。ご苦労様でした。太平洋食堂には、本当に沢山の主演俳優が出演したので、もう誰が最優秀でもおかしくないのです。

ですので、受賞の映像とともに、沢山の主演俳優を振り返って、一挙、舞台写真の蔵出しです!撮影は、徳山七海さん、萩原美寛さんです。

 

https://youtu.be/nrPxUKxdh_o

 

 


 

門真国際映画祭ご報告2

 

映画祭が終わりました。

お祭りが終わって寂しいのですが、沢山のエネルギーとやる気を貰いました。

苦節何年というと、ぬかみそ臭いのですが、映画作品の中には監督の構想18年の作品もあり、それぞれの、思いが受賞をしていく、

映画祭の受賞式は、一番のドラマでした。門真国際映画祭は、事務局や市民の皆様が手弁当で作っている映画祭です。

門真市長さんは、プレゼンテーターとして来場されて、ぺっとの猫もいました。門真市のシンボルは、レンコンです!!

明樹さんの後ろにひっそり立っているのは大内史子です!劇王と、2015年の「太平洋食堂」御堂会館大ホールの上演、新宮公演以来の、メメント旅でした。

 

しかし、関西最大の映画祭となって、今年も沢山のドラマや新しい映画を世の中に送り出しました。

ノミネートされたフィルムメーカーさんたちの、輝く笑顔は、観ているこちらも、「よし、がんばるぞ!」というエネルギーを増幅させてくれました。感動を作る仕事、本当に素晴らしい。素晴らしいけれど、茨の路です。

どの作品が受賞しても、おかしくない。そういう優秀賞ノミネートの猛者たちのスクリーン上映は、どれもが甲乙つけがたかったです。

メメントCの「太平洋食堂」が、受賞式の舞台へ行かれたのは、本当に沢山の人の手によって運ばれたのだとおもいます。

そして偶然も大きく働いています。

しかしながら、情熱を持ち続けていること、新宮の大逆事件について、大石誠之助について、高木顕明について、沖野岩三郎について、あの時代のあの食堂に居た人々について知って欲しいという思いが私や仲間に続いたことこそ、奇跡かもしれません。

舞台上演だけでも大きな意義がありました。それは私自身が一番よくわかっています。本当に多くの俳優、スタッフの手によって、上演が作られ、全国で沢山の方に舞台を観て頂きましたから。

そして、この先、最終上演が終わっても、映像によって観客は増えていくという、嬉しさは格別です。

是非、三時間という長丁場ですが、長い人生の内の三時間、じっくりと見てください、と撮影監督の泉邦昭さんがおっしゃってくださいました。

 

また、授賞式をオンラインで観て下さった方、見守って下さった方、本当にありがとうございます。

お祝いの声を沢山いただき、長いマラソンのゴールに着いたなと、胸を撫でおろしています。明樹さんとは、何度も新宮へ一緒に行きました。

惜しくも最優秀助演女優賞を逃しましたが、彼女は私の最優秀主演女優賞です。おえいさんが居なかったら、誠之助さんはいかれぽんちだったと思います。

 

 

「太平洋食堂」の作品賞発表の動画、是非ごらんくださいませ。

 
天国の大石誠之助さん、浄土の高木顕明さん、あっちこっちにいる新宮の犠牲者の皆様、この祈りとこの世からの声援を、受けてください!
貴方方の舞台映像が大阪府知事賞になる時代が来ました。
次は、世界配信ですよ!!!