一夫多妻と池袋の萌絵 | メメントCの世界

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一夫多妻と池袋の萌絵

久しぶりに「光る君へ」を観た。先週は都知事選だったから。

平安時代のまさかの少女漫画的展開にテレビの前で息子と楽しく笑ってしまった。一夫多妻って、話題になってるけど、そんなに簡単じゃないんだよねって思うわ。一夫多妻って、経済力とか責任とかついて周る話でしょ。それと、歴史的には夜這い文化と多夫多妻なのに、一夫っていって、一夫が支配できて偉いみたいなところが勘違いしている。冗談でも、少子化対策で言って欲しくない。無責任で子育てしないんなら、労働にたいする対価があって、精子工場があって、保育園があって平等に子育てロボットがついてくれたら、少子化率は改善するんじゃないのかね。


 そういえば、京都大学出身の河合ゆうすけとか、同じく京都大学出身の石丸何某が、一夫多妻を主張しているが一番のあほくさい人権無視の感じがする。選挙ポスターに品位が無いという声が上がっていたが、あの河合の「一夫多妻」選挙ポスターが通学路に貼ってあって、腹が立った。そのデザインも最悪だ。他人の排泄物を見せて喜ぶような変態性を感じる。それと同時に、池袋駅には(最近、通勤で通るので)おかしなゲーム会社の大きな大きな萌絵と呼ばれる、局部が肥大した少女イラストがあっちにもこっちにも貼られていて、引率で遠足に行く途中で腹がたった。

 都知事選で投票権を持つ生徒に、選挙についての授業があった。担当の先生が、「今年のポスターはここでは表示できません」といって、前回の都知事選のポスターをパワポで出していた。そりゃそうだよね。前回は、随分とまともでした。

 しかし、もっと品位も人権感覚もないものが、池袋には(そこしか行ってないので他は知りません)ぶちまけられたようにある。なぜ、ゾーニングしないのか?? オタクでペドフィリアの人用の通路に掲示すればいい。
 こういう性の商品化とか女性へのミソジニーが当たり前になっていく空気が、今の社会を作ってるんだなあと思う。

 今、1930年代の京都大学のことを調べていて、そこには女学生はいない。帝国大学では東北の方に数人居ただけだ。しかし三木清とかの留学先のドイツの大学には、ハンナ・アーレントもいたし、理系にもいた。リッケルトの講義では、女子学生や市場のおばさんや、顔のとんがった女性などがそれを聞いていたという話がある。キュリー夫人は既にノーベル物理学賞と化学賞をとった後だ。いったい、帝国大学から留学した日本男性の俊英とかは、自分たちの社会がおかしいことに気が付かなかったのか?? そういう記述は今のところ、どこにもない、ない、ない・・ないじゃないか。その当時の頭いいって言われていた誰も、専門馬鹿になってて、日本社会がおかしいって思わなかったのか??


 ある萌絵を批判したことで、暇空なんとかは、コラボを攻撃し始めた。鉄道の萌絵くらいいいじゃんと思うだろうが、ああいう池袋の肥大化した局部を強調した萌絵の肯定に繋がっていくだという、裏金とわいろの関係のように慣れてしまう感覚が恐ろしい。そういうことも分からないのは、知性があると言える状況なのだろうか?


 付け焼刃の知識だが、ハイデガーは、『歴史解釈とは、すなわち、その方法がいかなる問題設定に基づき、何を目指して構築されているのか、その大きな視線を獲得することに他ならない。』と言ったそうだが、本人がナチスにどっぷりはまってしまった。

 ここにきて、チェーホフのいう、「知性はあなたの行動を律しなかったのか??」という問い掛けこそが信じられるのだった。