先日、廣瀬神社さまをお参りして
御祭神の若宇加能売命さまが勝手神と分かり末社で祀られていた水分神も勝手神さまの娘だということがわかりました。

そして、次の日は不思議なお導きがあって能勢妙見山へ行くことに✨

妙見信仰の北極星が「ト」の神様であり鬼子母神=勝手神さまと
いろんな事が表に現れてきましたね。

こちらに来ることはきっとまた何か意味があるのだと思います。

高速を降りて車で山道を登って行くと能勢妙見山がありました。



山の上からの景色です。

能勢妙見山は関西随一の日蓮宗霊場で、開運北辰妙見大菩薩を祀っています。

天平勝宝年中(紀元750年頃)に行基菩薩の開闢をもってその始まりと伝えられています。

のちに能勢家の旧領主鼻祖源満仲公(清和天皇の孫経基親王の嫡子)が家鎮として鎮宅霊符神(妙見大菩薩の道教での称)を祀る。

鎮宅霊符神って星田妙見宮にも祀られていましたね。妙見大菩薩のことだったのですね。

その後日乾上人が鎮宅霊符神も法華経勧請し妙見大菩薩として祀ったそうです。

現在開運殿に祀られる御尊像は、日乾上人の御自刻のもので、右手に受け太刀左手に金剛不動の印を結ぶ能勢妙見独特のものだそうです。



開運殿✨

北極星の星のマーク妙見信仰のことですが、私の中でなんとなく機織りの経糸と緯糸の意味にも繋がるような気がしました。

こちらでお参りした時いただいたメッセージは

『五穀豊穣』

多分その後に水が続いたのですが、お経の声でちょっと聞き取れませんでしたが、
水を調えていきなさい。ということかもしれませんね。

最近龍神さまのことなど繋がっていくことがいっぱいです。

廣瀬神社での勝手神さまも五穀豊穣の意味がありましたものねおねがい

水を調え豊かな大地にすることは世の中の人を守っていくためにとても大事なことなのだと思います✨


絵馬堂だったかな。妙見大菩薩の古い扁額がいっぱいです。
その後駐車場に続く道の途中、山を降って行く方向に能勢妙見山の奥の院の看板があって、行ってみたくなったので参道を歩くことにしました。

歩いても歩いてもなかなか奥の院らしき建物もみえないし、
距離が分からないところを歩くのはやめておいた方が良かったな〜と少し恐くなりながら、
30分以上は経ったと思うのですが、下に大きなお寺が見えてきました。
奥の院かも〜って喜びながらお参りさせていただきました。

実際には奥の院ではなく、
『能勢妙見山本瀧寺』
だったのですが。

こちらは天台宗なので上のお寺とは別のようです。開祖は日照大和尚で
天台宗の修験道の修行の場でもあるようです。

このお寺に残る伝説ですが、

野間中の字「フルノ」という所に、大きさ手まりほどの星が天降(あまくだ)り、村民達が恐れて巫女(みこ)の口を借りて尋ねたところ、

『我は北辰(ほくしん)大菩薩なり。国土守護のためこの地に降りた。清浄な地に移し、一心に祈念すれば、諸願成就せしめん』

このようなお告げに村民は喜び、早速、東の高嶽にこれを勧請しお祀(まつ)りした。

そうです。
妙見宗の総本山で
ご本尊は妙見大菩薩・常富大菩薩様が祀られています。


こちらに来て最初に瀧が気になったのでそちらを先にお参りさせていただきました。

瀧の横に末社があり一つだけ御神酒を3本も置いて祀ってあるお社があったので気になって行ってみるとそこには
『鬼子母神』
が祀られていました。

そしてね。
その後本殿をお参りさせていただくと、

金色に輝く綺麗な菩薩さまが視えて
でも、なぜか左を向いてるんです。

実は菩薩さまから見ると左は末社がある方なんです。
きっと妙見大菩薩さまが「鬼子母神」だということを分かりやすく伝えて下さったのかもしれませんね。


とてもとても美しい菩薩さまのお顔でしたよ✨

私が皆様に伝えていくためにちゃんと答えがあるところに導いて下さったのかもしれませんね✨本当に感謝です。


帰り社務所によったら妙見山の奥の院はまだまだ歩いてかなりかかるそうなので元来た道を戻って帰りました。
また機会があったら奥の院の方も行ってみたいと思います。
でも奥の院の近くまで車でね(笑)









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松村靖子