萩城(石川県珠洲市上戸町) | えいきの修学旅行(令和編)

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A地区萩城。 シリーズまとめhttps://ameblo.jp/mei881246/entry-12496899804.html

                      

萩城全景
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 飯田城の南西約2.5km、黒峰城のほぼ東6kmに位置し、両城とともに櫛の歯状畝状空堀を備え、天正5~8年に上杉方武将により構築された城と考えられる。
 珠洲市指定遺跡永禅寺古墳群の範疇であり、大手登り口は南西端だが、ちょうど写真の山裏手の永禅寺から通行可能な山道が主郭に通っている。
                  
萩城概念図
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郭・堀名は佐伯哲也(2015)『能登中世城郭図面集』に準拠。
 主郭Aにはちんちん堂が鎮座する。東は急崖、南北は堀切で遮断、西は切岸下に南北の堀切②・③との間に畝状空堀群を配している。
 南の堀切②は土橋で郭Ⅽに、次いでもう一本堀切①があるが、ここも土橋で郭Bに接続し、南大手を守っている。郭Ⅽ・Bは虎口前を守る馬出し機能の小郭であろう。
 郭D付近は藪で踏み込めず、おおまかに郭D堀④の位置を示すに留める。背後を守る従郭であろう。
 
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南大手登り口
 
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いきなり難儀
永禅寺背後の山道を入った方が無難です。
 
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なんとか攀じ登り、道?に取り付く
崖途中 シャッター押してる  アホがいる
 
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大手路であろうか
どうやって帰ろうか深刻な懸念に苛まれつつ、行くしかない。
 
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上に小郭B
大手を守る馬出郭であろう。
 
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郭B背後(主郭側)に堀切①
 
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堀①は土橋が通る
 
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土橋
左(西)側には回り込みを阻止する竪堀が一本沿う。
右(東)側は箱状。
 
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土橋東は箱状か
 
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土橋からやや急に登り郭C
途中、堀①と郭Bを俯瞰する写真を次に掲載。
 
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堀①と郭Bを俯瞰
折れ、横矢掛け構造は無いが、郭Bは馬出様構造。
 
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郭C大手側入り口は虎口状の痕跡
 
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二段目馬出機能の郭C
(って、ただの藪…)
 
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郭C背後(主郭側)の堀切②
左(西)は主郭A切岸下畝状空堀群と連携。
右(東)は切岸を主郭A東崖まで伸ばす。
 
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西は主郭A切岸下畝状空堀群と連携する。
 
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畝状空堀群はあとでたっぷりと。
まずは主郭Aを目指します。
 

 
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切岸上に主郭A南出入口
虎口としての構造は緩いが、坂という防御は効く。
 
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主郭A南虎口
平入だが、内桝形に見えなくもない。
 
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郭A内から南虎口
 
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主郭A虎口から堀②・郭Cを俯瞰
虎口前に一郭配し、馬出しとする。
 

 
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主郭A南部
奥(北東)にちんちん堂
 
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ちんちん堂
 
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主郭辺縁には土塁はなく、東面は傾斜は急、北東切岸下には畝状空堀群が施設されている。
 
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北西切岸下
切岸下のほぼ平地の緩斜面に畝状空堀群
 
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北は堀切③で厳重に遮断
 
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往時は遮断面であったと考えるが、永禅寺からの道がちんちん堂北東裏に入り、堀③に降りることができる。
 

 
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堀③
南方の堀②①は土橋で馬出郭CBに接続し、大手へのルートを構成するが、こちらは厳重遮断面。
 左方(北から西)には畝状空堀群が施設、右方(東)は北の堀③と南の堀②を長くのばし、急な傾斜面を壁としている。
 
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右方は堀をのばし、急な傾斜面を壁とする
 
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左方、もこ
一つ目の畝。
畝の隆起がそこそこ高く、畝状空堀群というよりも畝型阻塞に近いか。
 
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堀と畝を組み合わせた防御施設
 
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櫛の歯状に上端と幅を揃えた上杉方の侍による畝状空堀群
 
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頭上は切岸上主郭から監視下にある
 
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ほぼ平地の緩い緩斜面に施設し、敵の動きを制限、切岸上からの殺傷攻撃を容易にする。
緩斜面をも構築していると私は考えている。
北方からのルートを畝上端と主郭切岸下との際に通しているのではないか。
 
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南の堀②まで連動している
 

    
大堀切③の北から北西の尾根上の別郭陣地
 
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大堀切③の北
 南のように土橋ー馬出といったルート接読はしていないが、約80m先に郭D・堀切④からなる別郭陣地が設けられている。
 
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北西に転換
 
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萩城後背を守る郭D
藪…。
 
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郭を区画する段差がわかったが、詳細は不明
写真奥北西面は堀切④
 
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堀切④
 
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側面から
佐伯図では堀④中に土橋。
 郭D北端がやや張出し、堀④(土橋)に横矢を掛けているが、その土橋が不明で何処と何処を接続しているのか不明。
 
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張出から土橋
(平成29年1月、土橋を確認 以下2枚写真追加)
 
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土橋
 

登り口

 
 私は冒頭の南から大手推定ルートを辿りましたが、南端部は危険です。困難とみれば、永禅寺背後から入るのが無難です。
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永禅寺背後に珠洲市指定永禅寺山古墳群への遊歩道(山道)がある
 
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 奥に入り、左の山に登っていく。堀切④-郭D-堀切③を経て、主郭Aちんちん堂まで遊歩道(山道?)が至る。
 
参考文献 佐伯哲也(2015)『能登中世城郭図面集』、桂書房