中条城・累城 1(長野県飯山市緑中条) | えいきの修学旅行(令和編)

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戦略的位置・情勢については、越後に迫る武田の脅威からご覧ください。

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本記事は宮坂武男『信濃の山城と館8』(以下宮坂本)を参考にし、堀・郭名を宮坂本に準拠します。

A・B地点はブログ説明用のえいき呼称で、かたつむり状構造の読み解きはえいきの私説です。           
               
中条館から累城・中条城
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 郭群をかたつむりのように前面に巻き、後背を四重の堀切で警戒・遮断する。さらに背後高地を増築したと思われる累城が守る。
 伝承では中条城を今清水氏、累城を中曽根氏としている。
 外様衆今清水の持城を、永禄中期以降、越後上杉氏の影響下、越後国境防衛のため強化改修された城と考える。
 
その1では中条城のかたつむり状構造を、その2では中条城後背の四重堀切・累城を辿ります。
 
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入口には屋号「入城」と呼ばれる郭5で、今清水氏のお宅がある。
今清水氏に関しては長野県立歴史館古文書目録名一覧の今清水家文書の項を参照下さい。http://www.npmh.net/archives/komonjo.php?pg=5&n=163
 
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屋敷内通過は避け、北の田の畔から城域にはいるのがよいと思います。
この田は、宮坂本お方屋敷とよばれる郭6。
残雪のある写真は4月上旬、緑の写真は5月GW明けの撮影です。
 
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入城からのルートが斜めに走る
 
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お方屋敷の上方は城域西に谷口にあたり、水が豊富である。
 
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城域に入り、城内道の結節点A地点。
 頭上郭1・もう一段の監視下、左に郭7・後背の堀ウ、お墓の上に主城域郭2・郭1、お墓の横・奥にかたつむり下層の郭4へと至る。郭3にのこちら側(西端)には、石積土塁で塞がれ、接続は阻止されている。郭3は郭2と東回りで接続している。
 
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くびれの奥に郭7
こちらから郭1背後に回り込むと、累城との鞍部に四重の堀切の堀ウに至る。
近づいてみると凄いです。
 
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郭7から中条城後背(北)部
累城との鞍部にあたり四重の堀切が設けられている。
その2で。
 
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戻りましょう。
A地点から城内方向。
郭3・郭4はかたつむり下層で、帯郭と捉えていいだろう。
さきに下層の郭3、4を見てきましょう。
 
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かたつむり下層の郭4
切岸上は郭3が巻く。
 
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郭4東端には竪堀
竪堀で阻止され、またこの先、東面は急傾斜。
つまり郭4から城内へは入れない。
 
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郭4下層にもう一段ある。
南下端からの取り付を警戒か。
 
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郭3・郭4切岸にもルートはない
 カタツムリ下層帯郭は、竪堀・切岸・土塁を施設し、山麓からカタツムリ帯郭伝いには攻め上りにくいように工夫されている。
しかしよじ登る。
 

 
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郭3
手前(西端)A地点方向には石積土塁で通行は阻止。A地点(西)からは郭3には入れない。
奥、東から郭2と接続する東回りルートがある。
 
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西端石積土塁(石塁)
 
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郭3からかたつむり上層、郭2・郭1
切岸は城壁状で寄せ付けない。写真右の郭3東部から郭2に接続する。
 
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郭3東部
東端から郭2と接続する。
 
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東端ルート
B地点で折れ登る。
 
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このあたり、頭上から監視を受ける
 
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B地点
ここで折れあがる。
 
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頭上は郭1南東隅
寄せ付けない…。
 
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B東先は郭1東急切岸下をまわり、後背・累城方向に回りこむルートがあったかもしれない。
 
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郭1東切岸も石積み補強された急切岸で、寄せ付けない。
通るとすれば切岸下。
 
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郭1東面切岸石積み
急な法面を維持するための崩落防止構造か。
 
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B地点折れ登り郭2方向
笹のあたり、土塁か。
 こちらも塞いでいたやもしれない。完全封鎖ではなく、城戸状か。カタツムリ下層はルートではなく、下から取り付く寄せ手を迎撃する段ということだろう。
城内へのルートは、A地点から郭2に入り、切岸トラバースし、郭1へと至ったルートであろうか。
 
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笹の土塁向こうに郭2
右は郭1南切岸
 
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郭1南切岸
頭上は郭1
 
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切岸下、半月形の郭2
ずいぶん広い
 
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郭1が威容を示し聳える
トラバースルートがカタツムリ状に巻き登る。(後述)
 
A地点から入ってきます。
 

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A地点から城内郭2へ至る導線(再掲)
私は側面高く郭1・もう一段に監視された坂虎口と捉える。
 
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引いてみるとわかり易いか
 
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五月の写真で坂虎口
 
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虎口は造作はないようだ
 
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郭2
五月は踏み込めません。
4月の写真で。
 
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郭2入ると、左に郭1へ至るルート。
Aからの坂虎口のみならず、入った地点、郭2、郭1へのルート入口も、もう一段が狙っている。
 
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このもう一段、絶妙な構造に思える。
 
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郭1へのルート下は石積み補強
 
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もう一段
 
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もう一段から郭2
郭1へのルート、郭2も掴んでいる。
 
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郭1へのかたつむりルート
 
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ちろん側面頭上は郭1が監視
 
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ルートはかたつむりなのでカーブする。
この辺りで振り返り、郭2をみるといい。
 
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郭2、その下層の郭3
 
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郭1へは西から入る
虎口は造作されていないようだ。
 
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郭1
後背(北)には土塁を設けている。その土塁背後に四重堀切を設け、厳重に警戒・遮断している。
 
郭1は土塁上から俯瞰しましょう。
 
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東ラインから土塁へ
この東ライン、B地点でさきに触れたが、石積補強されている。
 
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石積補強 
崩落防止だけではなさそうな。
 
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土塁上から中条城郭1
 
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土塁上から後背(北)
 
四重堀切、累城はその2で。凄いです。
 
参考文献 宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版