鳥坂城
信越国境に近く、越後から富倉峠を越え信濃飯山城へ至る道と、関山・田切を越え、牟礼に出、善光寺に至る二筋の道の分岐点を抑える要衝にある。
麓の菓成寺は川中島へ進出する謙信宿営地とも考えられる(大家健(1998)『図説中世の越後』、野島出版)。
謙信時代は越後国境に迫る武田への備えとして、景勝時代には信長勢への備えとして、本拠春日山城のある頚城郡を守る重要な城であったであろう。
御館の乱では景虎方の城、富坂が鳥坂城のことと思われる。
郭Cには竪堀通路虎口、また、銃撃戦を想定し、箱堀で構えた新城部など、天正期以降の改修を思わせる越後上杉の近代的普請も見られる。
上越の城掲載鳥坂城縄張図(植木宏作図)より主要部を引用加筆(2枚上の写真は左右逆転)
高床山森林公園まで車でいくことができます。
最奥(北東)駐車場(この写真ではありません)から徒歩7分程度で新城部に到達します。
最奥駐車場はこの付近http://yahoo.jp/XGY-Vp
遊歩道を直進すると新城部(こっちをメインに書きたい)に到達するのですが、記事構成上、図下(東)のルートで主郭背後(南西)堀ハに入ります。
堀ハ
右に畝状空堀群、主郭・主要部。
左、尾根伝い新城部。
畝状空堀群
図面では土橋が通っているように見えるが、ボコボコで、通行用途はなかったのではないか。
主郭背後を使用できない(敵が寄り付けない)ようにする普請と思う。
畝状空堀群の先、主郭背後の大堀切ニ
すごっ
乗り越え、鳥坂城主郭
堀切側には土塁がる。
主郭北西下郭C
北西面(写真左)に土塁
南東(写真右)に虎口
南東に竪堀通路を迎える虎口
両側、上部三方向から挟撃。
郭C北東から見る。
竪堀通路に向かってスロープ状に降りる虎口がある。
虎口
枡形からスロープ状に降り、降りた先の郭は、竪堀状通路に土塁を構えて接っし、竪堀通路を登り来る者を監視、迎撃する。越後上杉の普請では進化した普請と思われる。
スロープ降りると、右に竪堀通路
竪堀に沿って土塁を構えている。
竪堀通路下方向
竪堀通路上方向虎口
この竪堀通路がルートであろう。
測量図では、さらに北東域に、畝状空堀群他の郭群あるのですが、緑に覆われ不明瞭ですので、主要部主郭周辺はここまでとします。
新城部に向かい、引き返しながら、遺構を辿ります。
スロープ虎口
郭Cから主郭への屈曲登路
主郭
主郭背後 大堀切H越に畝状空堀群
もこもこ
堀ハ
おっと、眺望を忘れてました。
日本海方向。
その2では、新城部を辿ります。
参考文献 上越市史中世史部会(2004)『上越の城』、みどりシステム
鳴海忠夫(2012)「上地地方西部の山城」、越後の山城を歩く会学習会資料
大家健(1998)『図説中世の越後』、野島出版
2016.4.10 鳥坂城3畝状施設を追加しました。https://ameblo.jp/mei881246/entry-12496898834.html