薬研堀の形態を追って、山口城から鮫ヶ尾城へと書き進める予定でしたが、そのルート途上にある鳥坂城の畝状施設を撮影してきましたので、予定に割り込んで鳥坂城3をおおくりします。
2013年に鳥坂城、鳥坂城新城部、を書いていますが、その時は藪で畝状施設を撮影することができておらず、畝状施設は掲載してありません。雪解けタイミングを計って出勤前に挑戦(近所の特権)、撮影に成功しました。
鳥坂城は、野尻新城と山口城で記した春日山城と信濃を繋ぐ幹線ルートである野尻新城を経由する北国街道、山口城・飯山城へと至ると富倉街道が、越後から信濃に向かっては分岐、信濃から越後に向かっては合流する地点に築かれており、山口城ー鮫ヶ尾城に割り込んでもいい城ですので、ご寛容ください。
鳥坂城を北西からみています
郭1背後(南)は、尾根を大堀切二とハのみならず、その間を畝状空堀群で幾重にも刻み、厳重に遮断、及び展開不可能に造作しています(鳥坂城掲載)。
今回撮影した畝状施設は、A・B・C・D・Eで、側面斜面に設けられています。
ごちゃごちゃ書かずに行きましょう。
素のまま
まずAゾーン
主郭背後(南)は、尾根上を大堀切ニとハ、その間を畝状空堀群が幾重にも刻み、遮断、寄せ手の展開を阻止している。
鳥坂城1掲載写真
尾根上を刻む畝状空堀群
尾根上の畝状空堀群は、斜面に竪堀状に降る
側面からの回り込みも阻止。
西斜面主郭(大堀切ニ)側は、尾根上からの畝状空堀が一旦途絶え、新たに畝状空堀群が設けられている。
尾根上の畝状空堀が一旦途絶え、改めて西斜面に施設された畝状空堀群
接近
Bゾーン
大堀切の北、主郭西下斜面にも設けられている
大堀切ニを滑るように降った先
接近
Cゾーン
郭②西斜面下に井戸のる帯郭がある。井戸への接近を阻止するかのように畝状空堀群が設けられている。
井戸
井戸の脇に石積遺構
機能はわからない。
その脇の緩斜面(ほぼ平地)に畝型阻塞
上杉の畝型阻塞は、ほぼ平地の緩斜面状帯郭を人工的に作り、配置する。寄せ手の展開・運動・進行を阻止、あるいは通路を限定する意図で設けている。先ほどの、回り込み阻止する、斜面の畝状空堀群(竪堀)とは機能が異なる。
上方から竪堀も降る
この井戸が、鳥坂城中枢の重要な水の手であったのだろう。
畝型阻塞付近から石積遺構と井戸
2014年にまとめた上杉の畝型阻塞 https://ameblo.jp/mei881246/entry-12496891942.html?frm=theme
Dゾーン
Dゾーンは、A・B・C・Eゾーンとは異なり、南東側、堀ホの南東端付近に設けられている。
堀ホを北西から
写真奥側の南東端付近がDゾーン
Dゾーンの畝は、わかりにくい。
一つは写真でもわかる
全容
ラストはEゾーン
Eゾーン
堀ホの城外側郭E(鳴海③)は、城内側堀ホ側に土塁を備える。
堀ホを通路とし、通る者への備えであろう。
郭E北西(左)下帯郭下にEゾーン
Eゾーンの畝状空堀群は、上越市史中世史部会(2004)『上越の城』の植木宏作図には記されていないが、鳴海忠夫作図鳥坂城の縄張り図に記されている。
郭E(鳴海③)
振り返る
城内・堀ホ側に土塁。
今回のテーマは畝。
右下に北西下帯郭。
Eゾーン畝状空堀群
帯郭下急傾斜下層を緩くして設置か。
スリリングでしたが、接近
この右側にも明瞭なのが生きてます。
生き物に出会った気分
接近
以上、割り込みレポートの鳥坂城畝状施設でした。
これら畝状施設は、雪と藪で観察可能時期は限られます。
私の撮影時は前日が雨で、足元が滑り、かなり危険な撮影でした。
挑まれる方は、じゅうぶんお気をつけて臨んでください。
参考文献 上越市史中世史部会(2004)『上越の城』、みどりシステム
鳴海忠夫(2012)「上地地方西部の山城」、越後の山城を歩く会学習会資料
なんか、今年、既に危険な行為が多い…。気を付けなければ。