不登校はプレゼント ~不登校や病気などの試練は、本来の自分らしい輝きを取り戻し生きるための素晴らしい贈り物~ -36ページ目

不登校はプレゼント ~不登校や病気などの試練は、本来の自分らしい輝きを取り戻し生きるための素晴らしい贈り物~

子どもの中には、人生の道しるべとなる内なる教師がいます。
本来持っている生命力を取り戻し、子どもが内なる教師の声を聞き、力を発揮できるようサポートしていきましょう。
不登校や病気などの試練は、とても素晴らしい贈り物になり得ます。

こんにちは。

モンテッソーリ教師のめぐみです。

ご訪問いただきありがとうございます。

 




育児で、いいとされていることは

時代と共に変わっていきますね。




私が子どもだったころは

悪いことをしたら叩かれることは普通でした。



お尻を叩かれたり

ほっぺを叩かれたり。。。



それ位しないと、

ちゃんと育たないと思われていたのか、


そういうことしても、伸びていく時代だったのか。。





私が育児をする頃になると

ほめる育児がいいと言われていました。





叩くなんて、虐待だと。




怒ることは逆効果だし、


叱ることでさえ、効果は薄いと。。。






叩く、怒るは、


子どもの心を蔑ろにしているかもしれないですし


反抗心や、恨みを抱くこともあり


信頼関係が崩れていくかもしれません。





また、自己肯定感も損なわれていくかもしれません。








叱ることをしなくても


子どもが自分で気がつくことは出来ると思うし




叱る手段でなく、


お互いの気持ちや


どうしていくのがベストなのか


話し合いをするほうがよっぽど役に立つ気がします。






ではやはりほめる育児がいいのかと??






私は、今現在は


ほめる育て方がいいと思っています。






ですが、ほめることをし始めると…




「ほめる」と言っても


なんでもかんでも褒めればいいって


ものではないのだと気がつきますね。






たとえば、当たり前のことに


「上手だね!」「すごいね!」「ありがとう!」


と言うことは、違和感があります。







確かに言われたら嬉しいかもしれませんが


デメリットも大きいです。






なんでそんなことでほめてくるのか

という不信感。




ほめられなければ動きたくなくなる

という勇気くじき。




大したことないのに、


自分はすごいんだと客観的に見れなくなってしまう。






いつでも褒めてもらえないと

満足出来なくなってしまう。。。







などなど、子どもを喜ばせられるかもしれませんが


褒めなくていい場面はあると思います。






また、よく出来た結果や


他の人と比較した結果出来たことなどは


出来るだけ褒めないようにしています。





それよりも、一生懸命したことや


ちょっとでも勇気を出して行ったことや


いつもよりほんの少し力を入れて行ったことなどに


気づいて、そういう過程を褒めたいです。







これには、私の思いがあります。









誰かと比べて出来たことに


喜びを感じるのではなくて、





自分への挑戦や


他の人への優しい心遣いを持ったことこそ


素晴らしいと思うし、


子どもにもそんな自分が素晴らしいのだって

思ってほしいから。。。









モンテッソーリ教育を習ったときは


褒めることについて


以下のように教えてもらいました。








「褒めすぎることは、子どもが自分から何かをする


 気持ちを邪魔することになることもある。」






「みんなの前で褒められるよりも、


 自分がやりたいと思うことを


 とことんやり切ったことの方が


 喜びが大きい。」







褒められることよりも、


自分で得た喜びの方が大きいし、




褒められることが


子どもが自分の気持ちから動こうとするのを、


惑わしてしまう可能性を含んでいるのです。








アドラー心理学では


褒めるのではなく


「勇気づけ」


が大切だと言っていますね。






勇気づけとは、



子どもが「勇気がある状態」



でいられるような関わりをすることです。






勇気がある状態って、なんでしょう。






抽象的な表現ですが、


モチベーションが高い状態だったり


自分に対する信頼を持てる状態だったり…


本人が幸せな方向へ向かっていけるような


関わりのことかな〜って思っています。









もしそうだとしたら、



褒めたとしても


叱ったとしても


それによって子どもが勇気のある状態であれば


いいのでしょうか。








そうすると、


どう関わるかは


子ども次第ですね。





当たり前ですが、


子どもによって感じ方は違いますから


子どものことをよく観察して


どういった関わり、言葉掛けがいいのか


実行して、失敗して、修正して。。。






試行錯誤をしていくしかないかと思います。







ですので、ほめるという言葉よりも


勇気づけの方が


わかりやすいのではないかと思いました。







ここで1つに例題を(笑)




子どもが誰かに対して



優しい気持ちをもって行ったことが、


例えば他の人に対して、


傷つけてしまうことだとしたら


どう対応するのが勇気づけになるのでしょうね。





あ、正解はないです(笑)





褒めるだけでも、叱るだけでも


勇気づけにはならないのではないかと


思います。





そして、


優しい気持ちを持っていたことに気づくかどうか、


ただ無知であったことや、想像が足りなかったことを


責めずに、気づくチャンスにしていくか。。。






大人に求められるのは


視野を広く持ち、


ニュートラルで安定した精神や、


観察力であったり、


共感力であったり。。。






そして何より


どんな関わりがその子どもにとっての


勇気づけかを、見つけていくことが大切ですね。






大人も成長のチャンスであったりしますね。







だけど、そういった子どもの素晴らしいところを


見てくれる大人が身近にいるということは


子どもにとっては、とてもいい環境ですね。










不登校のお子さんの中には


まだパワーが満ちていない子どももいると思います。











不登校は、今の世の中では



まだまだ特殊な状態であるとは思いますが、






そんな状況を生きる子ども達が


自分自身の人生を


より良いものにしていくために


勇気づけは


とても力になってくれるものではないかと思います。









我が家のちょっとした出来事。





昨日、洗濯機の排水がうまく出来ず


気がついたときには


廊下が洪水状態でした。




「ぎゃー!!!どうしよう!!助けて〜!」


と騒いでいると、




息子が


タオルで水を拭き取ってはバケツに絞り


拭き取っては、バケツに絞り。。。





廊下の汚れが気になるところは


掃除機を持ってきてきれいにしてくれたり、


大活躍でした。








「助けてくれて、嬉しかった。」



「すぐに手伝ってくれて、きれいにしてくれて

 助かったよ。


 ありがとうね。」



と、伝えることが出来ました。





これは勇気づけになりますか?





息子は


「これくらい当たり前のことだよ〜。」


と、言いながらも、嬉しそうな顔をしていました。








ここまでお付き合いいただき

ありがとうございました。

 

 

こんにちは。

 

モンテッソーリ教師のめぐみです。

 

ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

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毎日モンテッソーリ教育に携わっていますが、

 

 

お仕事という活動を通して

 

 

また、日常の生活を通して

 

 

子どもの論理的な思考力のたまごが

 

 

育っていくのを見守っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

こうしたら → こうなる

 

 

順番が違うと → うまくかない

 

 

失敗する → 気づく → 自分で直せた

 

 

工夫したら → もっと上手にできた

 

 

 

 

 

 

こういう、なんて事のない思考の流れでも

 

 

子どもが経験から学んでいるものです。

 

 

 

 

 

生まれつきあるものではないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大人が気をつけていることの1つは

 

 

 

 

子どもが自分で

 

 

 

自分の間違いに気づく機会を

 

 

 

潰さないようにしています。

 

 

 

 

 

 

 

間違いに気がついて、自分で直せた

 

というのは、子どもの喜びにつながるのですよね。

 

 

 

 

 

 

 

誰かに指摘されたり、

 

 

誰かが直してしまったり、

 

 

そういうことがなければ

 

 

「失敗」すらも喜びに変わる。

 

 

 

 

 

 

周りが介入したり、残念に思ったりするから

 

 

「失敗」が怖くなる。。。

 

 

 

 

 

 

 

まだ小さい子どもにとっては

 

 

失敗も楽しみの1つだったりするのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モンテッソーリ園でこんなことがありました。

 

 

 

 

 

 

年長児のダンスを見たい子どもがいました。

 

 

 

 

夢中で見ていたのですが

 

だんだん見たい子どもが増えてきて

 

よく見えない状態に。。。

 

 

 

 

 

 

 

そして、泣き出す子ども。

 

 

 

 

 

 

 

他の場所は、まだ空いていたので

 

「向こうなら見えるよ」と伝えたのですが

 

さらなる大泣きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

その子には、その言葉の意味が

 

わからなかったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なので、少し丁寧に向き合ってみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見たかったね。」「うん」

 

 

 

「でも、みんなが来て見えなくなっちゃったね。」

「うん」

 

 

 

「向こうは、お友達いないね。」「うん」

 

 

 

「向こうなら見えるかな。」「うん」

 

 

 

「じゃあ、向こうに行ってみる?」「うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

このようにやりとりをすると納得して

 

 

 

子どもは場所を移動しました。

 

 

 

 

 

 

 

自分で考える経験を

 

 

たくさんしてきている子どもは

 

 

最初の一言「向こうなら見えるよ。」で

 

 

理解して、行動に移せるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

悲しくて、途方に暮れて

 

 

泣いているだけの子どもが

 

 

経験して考えていくことで

 

 

自分でどうしたらいいか

 

 

行動出来るようになるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

だけど、経験が少ないと

 

 

やっぱり中々繋がっていかないですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モンテッソーリ教育は、

 

 

体験を大切にしている教育ですね。

 

 

 

 

 

体験から、

 

 

自分で感じ

 

 

 

自分の気持ちを知り

 

 

 

自分で考えて

 

 

 

行動していくことが

 

 

 

できるようになるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、小学課程では、

 

 

調べ学習が好きなお子さんがたくさんいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

何か調べたいテーマがあれば

 

 

観察したり、実験したり、

 

 

図鑑や本、インターネットで調べたり、

 

 

博物館などに足を運び、

 

 

誰かに話を聴きにいく…

 

 

そしてまとめて、みんなの前で発表していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

最初から答えが出されていて、

 

 

 

それを習うような学びはしていませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえ、調べた結果が

 

 

 

定説とは異なっても

 

 

 

それを訂正されません。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうやって、自分で考えて

 

 

 

結論を出していくことを

 

 

 

許されているのですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

だからこそ、

 

 

学びはさらに楽しいものに

 

 

なるのかなぁと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

発表は、緊張するけれど

 

 

 

正解かどうかを評価されなければ

 

 

 

プレッシャーは少なくなりますよね。

 

 

 

 

 

 

これで大丈夫かなぁ、

 

 

 

って気にせずに発表できますものね。

 

 

 

 

 

純粋に学ぶことが楽しい。

 

 

そして、それを誰かに聞いてもらうことが楽しい。

 

 

 

 

 

間違いがあったとしたら、

 

 

いつか気がつくかもしれない。

 

気がつかないかもしれない。

 

 

 

それでいいのではないかと思います。

 

 

 

 

だって、大人になって社会で働いたら

 

 

正解のない問題にもきっとたくさん出会うのだから。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

覚えるのではなく

 

 

 

考える。

 

 

 

 

 

 

知識は、目的ではなくて

 

 

何かをするときの道具なのかもしれません。

 

 

 

 

きっと考える力も

 

 

同じく、何かをするときの道具なのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

楽しみながら

 

 

知識も思考力も身につけていけたら

 

 

いいですよね〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで書いて

 

 

アドラー心理学を思い出しました。

 

 

 

 

 

 

 

アドラー心理学の

 

 

課題の分離

 

 

という考え方です。

 

 

 

 

 

 

 

課題の分離とは

 

 

 

ある物事の結末を体験するのは誰なのか。

 

 

 

 

 

その結末を体験する人の課題には、

 

 

 

他の人は基本的に介入しない

 

 

 

という考え方です。(多分…)

 

 

 

 

 

 

 

 

これも、モンテッソーリ教育と共通する部分が多くて

 

 

その人が体験から得る学びを

 

 

大切にしているように思います。

 

 

 

 

 

 

その体験で学ぶものを他の人が奪わない。

 

 

 

 

 

どのように考えて

 

 

 

どのように行動して

 

 

 

どんな結果で

 

 

 

どう感じたのか。。。

 

 

 

 

 

 

 

それはその人の大事な体験ですね。

 

 

 

 

オリジナルな体験ですね。

 

 

 

 

 

その中で考えたことや、感じる気持ちを

 

 

大切にしていってほしいなって思います。

 

 

 

 

 

 

 

モンテッソーリ流もアドラー流も

 

 

不登校の子どもと

 

 

相性がいいところ、きっとありますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこを最大限に生かせたら

 

 

最高の不登校時間になったりして。。。

 

 

 

 

 

 

 

ここまでお付き合いいただき

 

ありがとうございました。

 

こんにちは。

モンテッソーリ教師のめぐみです。

ご訪問いただきありがとうございます。

 






私は「ママ友」という関係が苦手でした。



大切なママ友も、何人かいますが…




子どもを通した関係を

上手く築いていくことができませんでした。




きっと私にとって

モヤモヤ、ザワザワポイントが

沢山あるのでしょうね。





苦ーい思い出もあるし…

中々築きにくいママ友関係。





だけど、出会いは「子ども」だったとしても

子どもを離れたところでも繋がれたら

素敵ですよね。






なぜならば

自分繋がりだったら出会えなかった人達と

出会えるのですからね。






子どもが不登校だという共通点で


繋がった人達が沢山います。





子どもが不登校になると

色々な感情を感じるかもしれません。





私も感じました。



出口が見えない真っ暗なトンネルの中にいる気分。





そんな苦しいときに


気持ちを聴いてくれる人がいたら。。。





そして、お互い共感し合える事ができたら


どんなに心強いことだろう。





色々な有益な情報を共有し合えるのもありがたい。






最初は、子どもの不登校のことで繋がっていても

いつからか、不登校とは関係なく

あなたと私で繋がれたら素敵ですよね。




その人は、普段出会う事ができないような

人かもしれません。






こういった関係を通して、

深い繋がりや、広い視野を

持てるようになるかもしれませんね。







きっと、まだまだ繋がれていない人もいるのでは
ないかと思っています。





少なくとも、私は

子どもが不登校になって半年ほどは

不登校親の会にも行けませんでした。







自分のことを話すのが苦手。


初対面の人に会うのも緊張する。


苦手なことをするパワーがない。





そう思っていましたから。

もしかしたら同じような人もいるかもしれない。





だけど、少しでも誰かと繋がれると

そこから世界は変わっていくと思います。






その繋がりが

温かくて

幸せを感じるようなものだったら

素敵だな〜と思います。








私の今の目標は、


地元で親の会を作りたい


ということ。







私が時々参加させていただく

親の会がとても素敵で、

会の終わりには、参加されていた方が

少し晴れやかな顔になるのです。



こちらの会です↓↓

八王子 不登校を考える親の会

 

 









私もこんな会を作ってみたい。





ほんの少し勇気を出して


動いてみようと思います。



 


やらないでする後悔より


やってする後悔の方がいい。





どこかで聞いたこんな言葉が結構すき。






失敗とは、

死ぬ時に「あー、あれは失敗だったな」

と感じたらそれは失敗かもしれません。






だけど、今失敗だと思ったことも


そのおかげで


のちのち大成功するかもしれない。






それは、今の時点ではわからないのだから

人生に失敗なんてない。





この言葉もどこかで聞いたかな。


結構すき。






ここまでお付き合いいただき

ありがとうございました。

 

こんにちは。

 

モンテッソーリ教師のめぐみです。

 

ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

 

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今日は主にモンテッソーリ教育でいう

 

発達の4段階について

 

ふわ〜っと、書いてみたいと思います(笑)

 

 

 

 

 

 

 

モンテッソーリは、

 

子どもが大人になるまでの発達を

 

4段階

 

に分けて考えていました。

 

 

 

 

 

その分類は6年ごとに

 

 

 

第1段階 0〜6歳 変容期

 

第2段階 6〜12歳 安定期

 

第3段階 12〜18歳 変容期

 

第4段階 18〜24歳 安定期

 

 

となっています。

 

 

 

 

 

変容期は変化が大きく、

 

安定期は比較的安定している時期だそうです。

 

 

 

 

 

おおまかに、この4つの期間ごとに

 

子どもには特徴があるので

 

関わる大人は、意識を変えていったほうが

 

いいようです。

 

 

 

 

 

子どもの様子を見れば

 

その違いもわかるのではないかなぁと思います。

 

 

 

 

 

 

 

確かに、

 

0〜6歳や12〜18歳は変化の時期ですね。

 

 

 

 

 

 

この世界へ生を受けて、

 

人間として生きる基礎を作る0〜6歳。

 

 

 

 

 

 

男性として、女性として、

 

そして社会の中で生きていく

 

基礎を作る12〜18歳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それぞれ身体も精神も

 

大きな変化の中で成長していくのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が、モンテッソーリの発達段階を知って

 

驚いたことは、

 

 

 

第2段階にいる小学生の時期は

 

 

知的好奇心に溢れている時期、ということ。

 

 

 

 

 

 

 

知的なものに対する敏感期

 

と言えるかもしれません、

 

 

 

 

*☆︎*☞︎*゚゚゚゚*☜︎*☆︎*☞︎*゚゚゚゚*☜︎*☆︎*

 

※敏感期というのは

 

何かに対する感受性が強い時期で、 

 

その時期を過ぎるとそれを獲得するのに

 

努力が必要とされるそうです。

 

 

 

ということは、敏感期の時期に獲得してしまえば

 

努力なくとも、楽しみや喜びの中で

 

獲得されてしまうということです。

 

*☆︎*☞︎*゚゚゚゚*☜︎*☆︎*☞︎*゚゚゚゚*☜︎*☆︎*

 

 

 

 

 

 

 

ですので、小学生で勉強するということは

 

発達的に見ればピッタリなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

ただし、

 

 

子どもが自分がやりたいものを選んだのなら

 

 

という但し書きが付きます。

 

 

 

 

 

 

 

私は幼児期のモンテッソーリ教師の

 

資格しか持っていないので

 

学童期は詳しくはないのですが、

 

 

 

 

モンテッソーリ教育の考え方の1つに

 

 

「子どもは自分で自分を創る」

 

 

という考えがあります。

 

 

 

 

 

 

子どもは自分にとって必要なものは

 

子ども自身が1番知っているのです。

 

 

 

 

 

 

子どもが自分の内なる声を聴けるように

 

関わっていくのが大人の役目だと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

そして、 

 

 

子どもが自分の本当にやりたいことをみつけたら

 

邪魔しないことが大切です。

 

 

 

 

 

 

 

 

幼児期は

 

 

子どもが何に興味を持っているのか

 

身体のどの部分を使いたがっているのかを

 

 

よく観察して、

 

それをとことんできる環境を

 

整えることをします。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも学童期は、そこまでしなくてもよく、

 

子どもが興味があることを存分に学んでいけるように

 

 

 

ヒントを示したり

 

 

一緒に考えていったり

 

 

どこかに行く必要があれば連れて行ったり

 

 

必要なものがあれば用意したり…

 

 

そういう関わりをするといいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼児期でも、学童期でも

 

子どもが学びたいことにかける情熱は

 

本当にすごいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

息子は一時期

 

百人一首にハマっていましたが

 

 

 

数日で歌を全部覚え

 

 

作者も覚え

 

 

作者同士の関係性や時代背景を調べ

 

 

その歌が読まれた場所をひとつずつ調べ

 

 

実際にその場所へ出向き

 

 

毎日カルタとりの練習

 

 

カルタ会に入っていたこともありました。

 

 

 

もちろん愛読書は「ちはやふる」

 

 

 

 

約半年、そんな時期を過ごしましたね。

 

 

 

 

 

 

 

小学生の学びに対するパワーは

 

そんなものだと思います。

 

 

 

 

 

しかも、すごい記憶力。

 

 

 

 

 

 

 

小学生で覚えたことは、

 

 

何度も使われる、基本的な知識というのもありますが

 

 

もう身体に染み付いていて

 

 

忘れることも出来ないくらい。

 

 

 

 

 

そんなすごい力を持った時期ですが、

 

子どもがやりたくない勉強を

 

強制的にさせることは

 

逆効果ですよね。。。

 

 

 

 

 

 

子どもは自分のタイミングで

 

興味のある色んなことを学んで

 

自分自身を作っていくのが

 

 

 

自然から与えられた人間の力なのだな〜と

 

 

 

わたしは、思います。

 

 

 

 

 

 

 

そして、もう1つ。

 

 

 

発達の4段階で興味を持ったのは

 

第3段階の思春期の時期です。

 

 

 

 

 

 

モンテッソーリは、この時期は

 

身体も精神も弱い状態なので

 

勉強をするのは向いていないと言っています。

 

 

 

 

 

 

 

アメリカなどにある

 

モンテッソーリの中学高校は

 

自然あふれる農場だそうです。

 

 

 

 

 

そのような場所でのんびりと

 

酪農をしたり

 

農業をしたり

 

そして、それを売れるような状態に加工して

 

販売するような

 

落ち着いた中にも仲間と協力して

 

社会に貢献していくことを

 

学んでいくようです。

 

 

 

 

 

 

 

日本の子どもで

 

1番勉強をするのは

 

中学生や高校生なのではないかと

 

私は思います。

 

 

 

 

 

モンテッソーリは、その時期は

 

勉強するのに適していないと言うのですよ。

 

 

 

 

 

 

これにはびっくりしました!!

 

 

 

 

 

それではいつ勉強するのか。。。

 

 

 

モンテッソーリ教育の第2段段階

 

小学生の時期に

 

高校生までの学びをしてしまうのです。

 

 

 

 

 

 

 

もちろん、個人差があり

 

子どもによって、

 

進んでいない分野もあれば

 

高校生レベルのところまで

 

学んでいる子どももいると聞きます。

 

 

 

 

 

でも、それでいいのだと思います。

 

 

 

 

 

その子どもに必要のないことを学んで

 

一体どれだけ役に立つのか。。。

 

 

 

 

 

必要になれば、

 

 

そのときから学んでも

 

 

決して遅くはないと思うのです。

 

 

 

 

 

 

日本には

 

モンテッソーリ教育の中学や高校が

 

まだないと思うので

 

詳しいことはわかりませんが。。。

 

 

 

 

 

 

 

これを踏まえると、

 

中学高校時代は勉強よりも

 

社会貢献の方に目を向けた方が

 

もしかしたら、子どもの本質に沿って

 

いるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもはどう思っているのでしょう。

 

 

 

子どもはどう考えているのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

子ども自身が、世間の常識から離れて

 

 

本当の自分自身のやりたいことに

 

 

耳を傾けられるかどうか。。。

 

 

 

 

 

 

実際、農場で過ごすとか、

 

自然あふれる場所で

 

仲間と過ごすとか、

 

その子自身が心から

 

欲しているのかはわかりません。

 

 

 

 

 

 

それは、親子で対話を続けていくことが

 

大切になります。

 

 

 

 

 

 

 

思春期の子どもと対話をする為には

 

 

信頼関係が大切になりますね。

 

 

 

 

 

 

 

モンテッソーリ教育の発達の4段階は

 

 

私たちに、別の視点をくれます。

 

 

 

 

 

 

 

それをどう使うかは

 

 

その人次第。

 

 

 

 

 

 

 

色んな考え方が出来るって

 

 

気持ちが少し緩〜くなりますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまでお付き合いいただき

 

ありがとうございました。

こんにちは。

 

モンテッソーリ教師のめぐみです。

 

ご訪問いただきありがとうございます。

 

 


 

 

 

息子は不登校になるまでは、

 

祖父母っ子でした。

 

 

祖父母とは居住スペースは別ですが、

 

同居しています。

 

 

 

おばあちゃんは昔から口うるさいけれど、

 

嫌いというわけではありませんでした。

 

 

 

 

よく祖父母の生活スペースに入り浸り

 

祖父とソファーに並んで

 

おせんべいを食べながら

 

連続テレビ小説を観ていましたね。

 

 

 

 

祖父のパソコンやタブレットを勝手に使って

 

YouTubeも観ていた模様。

 

 

 

 

きっと、我が家では制限していたので

 

祖父母宅で、見せてもらっていたのでしょう。

 

 

 

 

ときどき、祖父母宅で夕飯を食べると

 

1階のインターホンから音声が入ることもありました。

 

 

 

 

それが不登校をきっかけにして

 

関係が断絶しましたね。

 

 

 

祖父は、寄り添おうとしているようでしたが

 

祖母は、自分の気持ちや考えを

 

押し付けるばかりなので

 

当然のように関係が壊れていきました。

 

 

 

息子は、祖母に会わないように

 

足音を察知して、逃げていました。

 

 

 

もし鉢合わせしても

 

徹底的に無視していましたね。

 

 

 

 

不登校になって半年以上、

 

私自身も、祖母が息子に何かを言うのが

 

耐えられませんでした。

 

 

 

 

その言葉に傷ついたり

 

気力を無くしたり

 

イライラしている息子をみると

 

悪影響でしかないように思い

 

なるべく接触を避けるような生活をしていましたね。

 

 

 

息子が元気になるのを妨げている壁

 

のように感じていましたよ。。。

 

 

 

でも、ある日気がついたのですよね。

 

 

 

祖母が息子にかける言葉よりも

 

その言葉により

 

私の心が台風のようにかき乱される方が、

 

息子にとって悪影響なのではないかと…

 

 

 

やっとやっと気がついたのです。

 

 

 

 

それまでは、祖母に

 

「息子に話しかけないで」などと

 

伝えることもありました。

 

 

 

「息子は、答える元気もないから」と。

 

 

 

 

自分は変わろうとしないのに、

 

祖母に変わってほしいと言っていたのです。。。

 

 

そのことにも気が付きませんでした。

 

 

 

 

それからは、

 

祖母の言葉に私の心が乱れたときは

 

どうにかこうにか、

 

心をスッキリした状態になれるよう

 

自分の心と向き合いまくっていましたね。

 

 

 

祖母の言葉を聞きたくないときは、

 

どうにかして聞かない手段をとりました。

 

 

 

耳を塞いだり、

 

会話中に関係のない話題をぶち込んだり、

 

大きな声で「きーきーたーくーなーいー」と言ったり。

 

 

 

結構ひどいです(汗)

 

 

 

 

だけど、それと同時に

 

祖母が私自身のことをどう思おうが

 

平気な私に変わっていきました。

 

 

 

そうすることで、息子と祖母の関係に対して

 

過敏になることがなくなっていきました。

 

 

 

むしろ、ほとんど気にならない状態。

 

 

介入もしなくなりました。

 

 

 

祖母が息子に対して

 

「勉強はしておかないとね。

 

 勉強しないと、これからの人生真っ暗よ。」

 

などと言っても、気にならないし、介入もしません。

 

 

 

 

息子は答えたければ返事をするだろうし、

 

嫌なら無視するか「うるさい!!!」と言うだろうと

 

思えるようになりました。

 

 

 

 

祖母と息子の関係に、私が介入することは

 

「他人の課題に首を突っ込んでいる」ことに

 

他ならないことに、ようやく気がつきました。

 

 

 

そしてなによりも、

 

息子自身が元気になってきたので

 

祖母からのイライラするような言葉にも

 

自分なりに対応するだろうと

 

思えるようになってきたことも大きいですね。

 

 

 

それもこれも、

 

息子のことも、祖母のことも

 

どちらもそのままでいいのだと

 

受け入れられるようになってきたから、

 

なのではないかと思います。

 

 

 

めくじら立てて言い返さなくても

 

息子はそのままで十分だし

 

私だってそのままで十分なのだと

 

心の底から思えるから

 

祖母の言葉にも反応しない。

 

 

だって祖母も悪意があるわけではないのだから。

 

 

 

それがわかっていれば、もう十分。

 

 

 

 

私の祖母に対する許す気持ちや

 

尊敬する気持ちが

 

きっと息子にも伝わっているのだと思います。

 

 

 

 

最近、2週間に1回位

 

祖父母と息子だけで、

 

昼食に回転寿司に行っているようです。

 

 

 

息子に本を読んで欲しい祖母は

 

回転寿司の帰りに息子を本屋に誘い

 

好きな本を1冊買ってあげているようです。

 

 

 

そして、祖母から買ってもらった

 

1冊の本をきっかけにして

 

息子は今、本の世界にハマっています。

 

 

 

毎日2、3冊の本を読んでいます。

 

 

それが1ヶ月位続いています。

 

 

 

そして、息子は

 

「おばーちゃんに買ってもらったあの1冊が

 

運命の本だった。

 

そこから僕の世界が広がった。」

 

 

と言っていました。

 

 

 

息子は、祖母に感謝しているようです。

 

 

 

 

人間の関係性は、

 

どんなにひどい状態になっても

 

変わっていくのだと、

 

そんな希望を見せてもらいました。

 

 

 

このまでお付き合いいただき

 

ありがとうございました。