不登校はプレゼント ~不登校や病気などの試練は、本来の自分らしい輝きを取り戻し生きるための素晴らしい贈り物~ -35ページ目

不登校はプレゼント ~不登校や病気などの試練は、本来の自分らしい輝きを取り戻し生きるための素晴らしい贈り物~

子どもの中には、人生の道しるべとなる内なる教師がいます。
本来持っている生命力を取り戻し、子どもが内なる教師の声を聞き、力を発揮できるようサポートしていきましょう。
不登校や病気などの試練は、とても素晴らしい贈り物になり得ます。

 

こんにちは。

モンテッソーリ教師のめぐみです。

ご訪問いただきありがとうございます。


我が息子、不登校歴1年半。



今まで意外と規則正しく、

一応朝と言われる時間に起きて、

夜のうちに寝ていたのですよ。




朝は6時〜9時頃までには起きていたし、

夜も深夜2時頃までには寝ていました。





本人も結構意識していた気がします。





深夜2時就寝になったのが3ヶ月ほど前で

夫が心配するので、

息子に話したことかあります。



昼夜逆転するメリットとデメリットを。。。笑



メリットは、昼夜逆転を体験できること。

体験することで、色々と思考に変化が起きるし

自分に合った時間を自分で見つけられる

可能性もあるということ。




デメリットは、昼間活動したいことが出来ても

まずは早起きしないと出来ないので

ハードルが高くなること。




他には、夜1人で起きていると寂しくなったり

するかもしれないこと。

1人取り残されたような気持ちになることも

ありますしね。






その後、

父親が心配しているからか、

昼夜逆転のデメリットで思うことがあったのか、



昼夜逆転にはなることなく過ごしていたのですが。。。





ここに来て、めっちゃ逆転し始めた!




1週間くらい前に突然始まった昼夜逆転。


しかも、嬉しそうに話してくる。





「今日も5時くらいに寝たんだよね。(自慢げ)」



「新記録!11時半に起きた!」






私は息子は昼夜逆転しない人なのかと思っていました。



なぜならば、朝起きるときに

すぐに起き上がれるからです。笑




夜もぐっすり眠っているようで

起こしても起きないし、地震でも起きないし、

飼い犬がけたたましく吠え始めても

まったく起きない。





そして、起きるときは

すくっと起きる。





だから昼夜逆転しないと思っていましたが

そんなことはありませんでしたね笑



思い込みです。




だって夜、自分の意思で

寝ないようにしているのだもの。。。




夜の静かな時間が好きなのだと。

本を読むのに集中出来て。。。





昼夜逆転については、色々な意見があります。




私達夫婦が月に1回お世話になっている

市の教育センターで

不登校になり始めたころに言われたことは



「昼夜逆転すると直すのが大変なので

不登校が長引く人が多い」



ということ。



学校へ戻るにもハードルが上がるので

出来るだけ学校に行っている時間に合わせた

生活時間で過ごすとよいことを聞きました。





また、他の信頼している方は


昼夜逆転は一瞬で直る。

きっかけさえあれば直る。




だけど、昼夜逆転しているときに

辛い気持ちをもつ子どもも多くいるということ。



「寝なければいけない。

でも眠れない。」


と焦る気持ちがあると辛いでしょう。





また、別の信頼している方は


昼夜逆転は、したくてしている子どもが多い。


したいことがあるから、寝るのが遅くなったり

朝特にすることがないから、起きない。



ただそれだけのこと。


朝何かしたいことが出来たら、起きる。







不登校になって

昼夜逆転しているお子さんを

何人も知っています。



親がそのことを受け入れて

昼夜逆転を直すかどうかは本人の課題であることを知り

子どもに任せていれば

世の中から取り残されたような辛い昼夜逆転には

ならないのかな、と感じています。




どのお子さんも、やりたいことがあれば

工夫して起きているのだから。




面白いのは、

昼夜逆転も色んなタイプがあること。




完全なる昼夜逆転の人はあまり聞かないかも。



少しずつ寝る時間がシフトしていって、

朝寝て夜起きることもあるけれど

何日か経つと夜寝て朝起きている。





「1日は24時間だけど、

僕の時間は26時間位がちょうどいい。」


そんなことを言っていたお子さんもいるそうです。






一般的に昼夜逆転は良くないって言われています。



世間の時間と違う時間で生活すると

社会に戻りにくくなる。


それはそうだな〜って思います。

 

だけど、やりたいことがあれば

簡単に直るものでもあります。





もし子どもが昼夜逆転になったとしても


大丈夫なんだって思えれば


少しどーんと構えて


本人に任せることが出来るかな。




子どもにとって1番辛いのは

周りが批判してくることだったり、

周りが不安になることだったりします。




周りが批判したり不安になることは

子どものことを否定していることになるのです。




だって、そのままの子どもでは

ダメだって言っているのだから。。。



周りが気持ちをわかってくれるのだとわかれば

それだけで、子どもは安心して

その出来事(昼夜逆転)から自分で学んでいきます。





私もやっぱり不安になりました。



出来れば昼夜逆転して欲しくないと

思っていたのだと思います。



昼夜逆転=不登校悪化


という固定観念があったかな。




確かにそういう一面もあると思うけれど、

子どもにとって家庭が安心で、安全な場所

そのままの自分を認めて愛してくれる場所だったら

そんなに心配しなくても、

子どもが自分で学び

いい方法を考えていくと思います。




親は、そのサポートができればいいですね。



まずは、親自身が心の状態を整えておくこと。



毎日楽しく一生懸命に、ときにはゆる〜く

幸せに生きていれば、

子どもの昼夜逆転など大したことにないと思えるかなぁ。




それに、実際大丈夫な子どもが沢山いるということを

知っていると安心するかもしれませんね。




また、子どものことを受け入れて

共感的に関われるといいですね。



子どもが楽しそうだったらそのままでいい。



何か辛そうにしていたら

子どもの気持ちを色々と想像してみる。



子どもの気持ちは正確にはわからないけれど

共感するプロセスが大切だと思います。


わかろうとすることが大切かなと思います。


そういうところは、子どもにも伝わりますからね。



実際には正確にわかっていなくても

決めつけたりせず、

批判したりせず、

分かろうと努力してくれている親だったら

信頼出来るのではないかなぁ〜。




子どもがはやく昼夜逆転を直したいと相談してきたら

じっくり聴いてあげたいですね。



子どもはどうしたいと思っているのか

どうしたらいいとおもっているのか

子どもが自分の気持ちや考えを整理しながら

いい方法を子ども自身が見つけていけるように。。。





ちなみに。。。

私自身は、めっちゃ昼夜逆転するタイプですね〜。




制限がなければ

多分お昼くらいに起きて

朝方に寝るようになるでしょう。。。




夜遅くの方が集中出来るのも

息子と同じかな。




だけど、違うのは、

私は昼夜逆転している自分を

認めることが出来なかったこと。




朝起きるのが苦手な私は

起きれない自分を責めていました。



他の人に批判的に思われたこともありますしね。



だけど、それが私なんだって

そのままの自分を受け入れられるようになると

責める必要もなくなるわけで

ずっとずっと、楽になります。



心の疲れ具合も変わってくる。



ただ昼夜逆転しているだけ。


私がダメだからでも、努力が足りないわけではない。



だって、朝起きるのが苦手な人は

毎日朝起きるのに人一倍努力しているのですからね。





息子は、昼夜逆転していても

そんな自分にもオッケー出せればいいな。



だから、私もそのように関わっていきたいです。




昼夜逆転してるからダメだって、 

メッセージを送らないようにしたいですね。



ここまでお付き合いいただき

ありがとうございました。

 

こんにちは。

 

モンテッソーリ教師のめぐみです。

 

ご訪問いただきありがとうございます。

 

 


 

 

 

勉強したいと言い始めて1ヶ月

 

自ら算数の勉強を始めた息子です。

 

 

 

どんな勉強方法がいいか、

 

それは本人に任せています。

 

 

 

 

今回は、四谷大塚の予習シリーズがいいと

 

言っています。

 

 

 

理由は、はっきりとしっかりと書いてあり

 

色んな問題が少しずつあるから。

 

 

 

 

読めば理解できるテキストなんですよね。

 

 

 

 

 

確かに演習問題などで難しいものは

 

誰かの解説が必要かもしれません。

 

 

 

 

ですが、実はそういう問題の解き方は

 

YouTubeやGoogle検索で見つかる可能性が高い。

 

 

 

 

 

ですので、基本的な説明をしっかりと書いてあると

 

 

学習するにはちょうどいいようです。

 

 

 

 

 

 

教科書は、内容は簡単なものが多いのですが

 

 

ちゃんと説明がされていないので

 

 

子どもが1人で進めるには

 

 

意外と難しいようですね。

 

 

 

 

 

 

ドリルも少しやりましたが、

 

 

息子が求めているのは

 

 

繰り返して計算の精度を上げることではないようです。

 

 

 

 

 

 

昨日やったのは、約数と公約数。

 

 

 

最初の説明文に素数のことが書いてありました。

 

 

 

 

 

「いくつかの素数に分解できる数を、合成数という」

 

 

という文章が書いてありました。

 

 

 

 

 

 

息子が素数について語り始めました。

 

 

 

「以前、素数を探したことあるよ」と。

 

 

 

 

 

モンテッソーリのお仕事だと思いますが、

 

 

何日間にも渡って、ひたすら素数を探して

 

 

表にしていったことがあると。。。

 

 

 

 

 

 

だから、素数自体がものすごく珍しい数

 

 

だということを知っていました。

 

 

 

 

 

息子が体験したのは、児童期のお仕事ですが、

 

 

そういえば…

 

 

モンテッソーリの幼児期のお仕事でも

 

 

素数を見つける数のお仕事があったな〜と

 

 

思い出しました。

(割り算のお仕事の中にちらっと出てきます)

 

 

 

 

 

 

少し前に佐伯和也さん主催のBASEコミュニティーで

 

 

勉強会があったのですが、

 

 

素数は、1と自分以外では割り切れないため

 

 

結婚式のご祝儀にちょうどいいというような

 

 

お話しが出ていたので、

 

 

そのことをチラッと話しました。

 

 

 

 

息子は、

 

「じゃあ3円にしよう!」と笑っていました。

 

 

(佐伯和也さんのブログはこちは↓

https://ameblo.jp/sinosakura/)

 

 

 

 

 

 

 

そういえば…と、また思い出して

 

 

webの暗号化にも、素数が使われているよって

 

 

ちらっと話したりしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

素数という気になったワードで、

 

 

少し世界が広がりました。

 

 

 

 

こういう雑談って、楽しいですよね。

 

 

 

 

 

 

雑談だからお互い気楽に話せるし

 

 

もし興味があることがあればそこから広がります。

 

 

 

 

 

また、今は興味なくても、

 

 

頭のどこかに引っかかっていれば

 

 

他の体験をしたあとに、そういえば…と思い出して

 

 

世界が広がるきっかけになる、、、かも?

 

 

 

 

 

 

 

話は変わりまして、

 

 

以前息子がこんなことを話してくれました。

 

 

 

 

 

ちょうど1年前の事です。

 

 

 

「僕にとっての学びとは

 

 

 学びの木に、沢山の枝や葉をつけること。」

 

 

 

 

何か1つのことに興味をもって調べていくうちに

 

 

それに関連することに興味が湧き、

 

 

また調べていく…

 

 

 

そうやって、「興味」という繋がりで

 

 

どんどん調べていくと、

 

 

その学びの木がどんどん広がって豊かになっていく。

 

 

 

 

 

そんな説明をしてくれました。

 

 

 

 

 

この学習方法は

 

 

モンテッソーリ教育から

 

 

息子自身が学んできた方法です。

 

 

 

 

 

 

そういった学びの仕方をすると、

 

 

 

いろんな科目を横断的に学べます。

 

 

 

 

 

 

例えば息子は以前戦国武将にハマっていましたが、

 

 

武将たちの物語から

 

 

城や戦いを調べていくうちに、

 

 

現代や戦国時代の地理について

 

 

刀や甲冑、家紋について

 

 

寺について、仏教や神道について

 

 

天皇について

 

 

歴史について

 

 

歴史の考え方について…

 

 

興味は色んな方向に広がっていきました。

 

 

 

 

 

 

こういう好奇心の赴くままに広げていくと

 

 

終わりがないですし、

 

 

出来る出来ないというものは

 

 

まるで関係ありません。

 

 

 

 

 

 

 

不登校になって

 

 

または他の理由により

 

 

学びから遠ざかったとしても、

 

 

そういう学び方があることを知っていると

 

 

いつでもどこからでも勉強に復帰できます。

 

 

 

 

 

 

また、私が好きな学び方は

 

 

目的がある勉強です。

 

 

 

 

資格取得の勉強だとか、

 

 

技術習得のための勉強だとか、

 

 

やりやすいし、好きですね。

 

 

 

テンションも上がります。

 

 

 

 

 

 

 

新卒で入社した会社は

 

 

通信機器メーカーですが

 

 

入社して初めて部長との面談で聞かれたことは

 

 

「学生時代に何を学んできたか」。

 

 

 

 

 

 

重要なのは、その学習内容や知識ではなく

 

 

学び方の方法や、

 

 

わからなかったときにどうやって解決するのか、

 

 

そういうことを聞かれたのです。

 

 

 

 

 

 

確かに、社会人になって必要な能力は

 

 

勉強が出来る出来ないではないですよね。

 

 

 

 

 

 

だって、ほとんどのことに

 

 

答えはないのですからね。

 

 

 

 

学び方や解決の仕方の方が

 

 

重要なのでしょう。

 

 

 

 

 

 

そう、学び方の話です。

 

 

 

 

不登校になって中断された息子の学びですが、

 

 

ゲームをしてようが

 

 

YouTubeを見てようが

 

 

アニメを観てようが

 

 

ラノベを読んでいようが。。。

 

 

 

 

 

何をしていても、

 

 

そこから知りたいことを吸収する力や

 

 

関連したことを調べていく力、

 

 

ちょっとした興味に敏感に反応し見逃さない力、

 

 

そういう力があると思うのです。

 

 

 

 

 

だから、学校の勉強だけではなくて

 

 

色々な学び方を知っているといいのかなと思います。

 

 

 

 

 

勉強が出来る出来ないよりも

 

 

色んな勉強方法を知っていることの方が

 

 

大切なのではないかな〜って思います。

 

 

 

 

 

 

どんな方法が合うのかは

 

 

人それぞれなのですからね。

 

 

 

 

 

不登校の子どもは、それが見つけやすいと思います。

 

 

 

 

勉強をしたくない不登校の子どもは

 

 

多いかもしれないけれど、

 

 

好きなことはしたい子どもは多いです。

 

 

 

 

 

だから、そこから広がる学びの木が

 

 

豊かになっていくといいなーと思います。

 

 

 

 

 

子どもによって、全然違う学びの木。

 

 

 

 

彩り豊かな森になるかもしれませんね。

 

 

 

 

ここまでお付き合いいただき

 

 

ありがとうございました。

こんにちは。

 

モンテッソー教師のめぐみです。

 

ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

 

 

小6の息子は、小5の夏頃から不登校になり

 

 

1年以上全く勉強していません。

 

 

 

 

 

 

 

学校には興味ないんだよね〜

 

 

勉強は、大っ嫌い

 

 

 

 

 

不登校になってからは

 

 

そういう言葉しか聞かなかったのですけど

 

 

 

 

 

 

それが1ヶ月くらい前から急に

 

「勉強したい」

 

といい始めました。

 

 

 

 

 

 

だからと言ってすぐに

 

 

始めるわけではありませんが…

 

 

 

 

 

 

 

でも、

 

 

「勉強したいんだよな〜」

 

 

「勉強しなきゃな〜」

 

 

「算数がやりたいんだよね〜」

 

 

「高校生くらいまでの勉強を一気にやりたいんだよね」

 

 

と言った言葉を頻繁に呟いています。

 

 

 

 

 

 

 

中学生になることへ向けての勉強

 

 

というよりも

 

 

将来のため、未来のために

 

 

勉強したいと思うようになったようです。

 

 

 

 

 

 

その心境の変化の中には

 

 

大好きなYouTuberの言葉も影響しているようです。

 

 

 

 

 

 

「◯◯さんが、勉強はしておいた方がいいって、言っていたんだよね。」

 

 

 

 

 

 

 

リアルな繋がりのある人でなくても、

 

 

 

会ったことがある人でなくても、

 

 

 

尊敬する人の言葉には

 

 

 

影響を受けるものなんだ。。。

 

 

 

 

 

 

これには、ちょっとした驚きを感じました。

 

 

 

 

どこからどう影響を受けて

 

 

 

気持ちに変化が起きるかわからないってことです。

 

 

 

 

 

 

ですが、影響を受ける人は

 

 

きっと好きな人や尊敬する人です。

 

 

 

 

 

嫌いな人や、尊敬できない人の言葉には

 

影響を受けたくないかな〜って思います。

 

 

 

 

 

だから、好きな人や尊敬できる人が

 

いた方がいいのですね。

 

 

 

 

 

それは、リアルな付き合いでなくても

 

 

もはや知り合いでなくても

 

 

いいんだって、

 

 

息子から学びました笑

 

 

 

 

 

そういう尊敬できる人に出会うのは

 

 

いつなのか、どこからなのか

 

 

それは誰にもわからない。

 

 

 

 

 

 

だからこそ、

 

 

子どものやりたいこと、やってみたいことに

 

 

制限を掛けていては、

 

 

そういう出会いは生まれないのだと見えてくるのです。

 

 

 

 

 

たとえ生まれたとしても

 

 

確率が低くなりますものね。

 

 

 

 

確率を上げたいですよね。

 

 

 

 

 

 

では、親が出会わせたい人にだけ

 

 

出会うように制限をかけるとどうなるのか…

 

 

 

 

 

親が尊敬する人を

 

 

子どもも尊敬するとは限らない。

 

 

 

 

だからその人に子どもが影響されるかわからない。

 

 

 

 

それはもう賭けですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

話が逸れてしまいましたが…

 

 

 

どんな勉強方法がいいのかは、

 

 

現在試行錯誤中のようです。

 

 

 

 

 

 

テキストとノートを使った勉強がしたいそうです。

 

 

 

YouTubeは、副教材的な位置付け。

 

 

 

 

小5までの教科書は実は処分してしまい…

 

 

辛うじて半年前にもらった

 

 

6年生の教科書が捨てずにあったので

 

 

開きましたが、説明がわかりにくいらしい。

 

 

 

 

いや、本当に説明がわかりにくいのですよ。

 

 

きちんと書いてくれていないのです。

 

 

 

 

きっと、教科書は先生の説明とセットで

 

 

使うものなのでしょうね。

 

 

 

 

 

なので、教科書は2,3ページで終了。笑

 

 

 

 

 

「そういえば

 

 中学受験用に使っていたテキストはある?」

 

 

 

 

捨てようか迷っていたのですが、

 

 

 

捨てずに取っておいたテキストが

 

 

 

きっと物置の奥の方にあるはず。

 

 

 

 

 

探すと、出てきました。

 

 

ちゃんと全部。小4下から小5下まで。。。

 

 

 

 

ええ、そうです。

 

 

四谷大塚の予習シリーズです。

 

 

 

 

そのテキストの小4下からやるそうです。

 

 

 

 

一瞬「難しいのでは??」とちらっと思いました。

 

 

 

 

まあ、でもそれは本人が感じたらならば

 

 

何か対策を考えるだろう。

 

 

 

 

それに、一度習ったところですからね。

 

 

 

 

 

ノートに書くのも楽しいらしい。

 

 

 

線を引いたり、色変えたり、文字もきれい。

(漢字が書けなくて草!と言っていますが)

 

 

 

 

単元の前文みたいな文章も

 

 

ものすごく丁寧に読んでいて

 

 

ひとつひとつ理解していって

 

 

雑談なんかもしながら。。。

 

 

 

 

 

 

 

私、こんなに余裕がある勉強って

 

 

したことあったっけ??

 

 

 

 

 

自分でやりたくてしている勉強でも

 

 

前文は最低限わかればいいし、

 

 

早く早くといつも焦っているような気持ちで

 

 

学んでいたのかも。

 

 

 

 

 

 

余裕があるっていいなって思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の中から湧き出てきた

 

 

 

勉強したいという気持ち。

 

 

 

 

 

未来のことを考えた上で

 

 

やった方がいいと思って始めた。

 

 

 

 

 

競争意識はなくて

 

 

出来ても出来なくてもいいけど

 

 

知識として知っておきたい。

 

 

 

 

 

それは、未来の自分にとって

 

 

役に立つと思うから。

 

 

 

 

 

 

 

純粋に自分のための勉強。

 

 

 

 

遂にスタートしましたが…

 

 

 

どうなるのかな??

 

 

 

 

 

 

私は、私で、やりたい勉強をしようっと。

 

 

 

 

 

 

ここまでお付き合いいただき

 

 

ありがとうございました。

こんにちは。

 

モンテッソーリ教師のめぐみです。

 

 

 

ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

image

 

 

 

「やりたいことがないなんて、

 

 

生きている意味がない」

 

 

 

 

 

 

この言葉は、息子が不登校になってから

 

 

半年位のときに、言った言葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

この言葉を反対にしてみると、

 

 

 

 

「やりたいことがあるということは、

 

 

 生きる意味がある。」

 

 

 

 

ということでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

息子は、そういう価値観を

 

 

持っているのかもしれないな〜って

 

 

思いました。

 

 

 

 

 

 

 

小6の息子は、不登校になる前まで

 

 

 

常に何かやりたいことをしていたように思います。

 

 

 

 

 

 

学校の面談では

 

 

「知的好奇心が旺盛ですね。」

 

 

と言われていました。

 

 

 

 

 

 

反対に、いつも

 

 

「社会性が心配です。」

 

 

とも言われていましたが。。。笑

 

 

 

 

 

 

同じような特徴をある一点からみると

 

 

「知的好奇心が旺盛」になり

 

 

別の一点からみると

 

 

「社会性が心配」になるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

長所、短所というものは

 

 

究極的にはないと思っていて、

 

 

物事のどの面を見るかによって

 

 

長所にもなるし、短所にもなるだけだと思います。

 

 

 

 

 

 

息子の場合は、

 

 

何かをやりたい気持ちが強く

 

 

それに向かうことが最重要事項であったのです。

 

 

 

 

 

 

 

ですので、周りの人に合わせることは

 

 

優先順位が低く、

 

 

周りの意見を受け入れることよりも

 

 

優先したいことがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

よって、社会性がない面が目立っていたのだと

 

 

今なら思いますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

決して、優しい気持ちがないわけではない

 

 

と思います。

 

 

 

 

(いや、

 

もしかしたら親子の信頼関係がよくなかったから、

 

そのストレスが出ていた、

 

ということはあるかもしれませんね。

 

 

それにコミュニケーション方法を学んでいないなら

 

 

なおさら難しいかもしれませんね。)

 

 

 

 

 

 

 

人間は、暇であることが耐えがたい生き物

 

 

だそうですので、

 

 

息子の言葉にも納得できます。

 

 

 

 

 

 

 

知的好奇心が旺盛だと言われていた息子ですが、

 

 

不登校になってから

 

 

「知的好奇心は、おやすみ中なんだね〜」

 

 

と、思う位、知的なことへの興味がなくなりましたね。

 

 

 

 

 

やりたいことは、

 

 

おもちゃで遊ぶことや、

 

 

ゲーム、YouTubeでしたからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

不登校になってから半年間、

 

 

知的好奇心がいつやってくるのかと

 

 

まだかまだかと待ち構えていた私ですが、

 

 

 

ものすごくそこに執着しているということに

 

 

ある日、ふっと気がつきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

私、知的好奇心が旺盛な息子が

 

 

好きだったんだ。。。って。

 

 

 

 

 

大好きな息子は知的好奇心が旺盛

 

 

 

 

だったのに、いつの間にか

 

 

 

 

知的好奇心が旺盛な息子が大好き

 

 

 

 

に変わっていたのですね。

 

 

 

 

 

やたらとこだわって執着していた私。

 

 

 

 

 

 

 

 

それに気がつくことが出来たのは

 

 

 

本当に本当に大きいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

気がつくことによって

 

 

 

手放すことが出来たのですから。。。

 

 

 

 

 

 

もういいや〜って手放しました。 

 

 

 

 

 

 

 

 

知的好奇心があろうとなかろうと、

 

 

 

生きていてくれるだけで、幸せだわって思いました。

 

 

 

 

 

 

 

知的好奇心への執着を手放すことが

 

 

不登校である息子を、認めることの

 

 

最後の階段だったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

そうやって、そのままの息子を

 

 

 

受け入れることができました。

 

 

 

 

 

 

 

そうやって、手放した執着心。

 

 

 

 

すると、色々と見えるようになりました。

 

 

 

 

 

今でも、知的好奇心、あるんじゃない??って。

 

 

 

 

 

 

 

私がそれに該当する範囲を狭く定義していただけで、

 

 

 

視野を広げてみると、

 

 

 

息子の知的好奇心が1つも消えていないことに

 

 

 

気がつくのです。

 

 

 

 

 

 

 

例えば、

 

 

ゲームで使う武器が

 

 

どんな性質があって

 

 

どの位のダメージを与えられて

 

 

どういう場面で使うと効果があるのか

 

 

まとめたり、調べたり、試したり

 

 

そうやって精度を上げていくのって

 

 

知的好奇心なんじゃないの??

 

 

 

 

 

 

 

同様に

 

 

息子がハマっていたベイブレードも

 

 

各パーツの特徴を把握して、

 

 

組み合わせを変えた時の動きを予測して

 

 

試してみるっていうのは

 

 

知的好奇心なんじゃないの?

 

 

 

 

 

 

 

そういう視点で見るようになると

 

 

 

息子が見ているYouTubeも

 

 

 

ただ楽しくて面白おかしい動画だと思っていても、

 

 

 

どういう編集の仕方をしているのか

 

 

 

どんな風に動画を撮ると視聴者が楽しく感じるのか

 

 

 

そのYouTuberが駆け出しの頃はどうだったのか

 

 

 

どの動画でブレイクしたのか。。。

 

 

 

 

そういったことにも注目して

 

 

観ていることがわかりました。

 

 

 

 

 

 

 

私が、自分が思うような

 

 

知的好奇心にこだわり続けていたから

 

 

見えていなかっただけなんだ。。。

 

 

 

 

 

 

 

ただ単に私の問題だった。

 

 

 

 

息子から知的好奇心が

 

 

失われたわけではなかった。

 

 

 

 

 

私の視野を広げればいいだけ。

 

 

 

 

 

 

それからは、結構楽しいですね。

 

 

 

 

 

 

息子が何かを楽しそうにしているときに

 

 

 

その内容をみて

 

 

 

こんなことを学んでいるのかな?

 

 

そこからこんなことにつながっていくかな?

 

 

ここから育つ意外な能力ってなんだろう?

 

 

 

 

 

って、めっちゃ勝手にあれこれと

 

そこから何を学べるのかを考えています。

 

 

 

 

 

これは結構楽しいです。笑

 

 

 

 

 

だからなのかな??

 

 

息子がやっていることから何が学べるのかなって。

 

 

 

何もやっていなくても

 

 

たとえ落ち込んでいるときでも。。。

 

 

 

そこから学べることはなんだろうって。

 

 

 

 

そう考えると、不安はなくなりました。

 

 

 

 

 

実際に、息子が何を学ぶかなんてことは

 

 

もはやどうでもいい(笑)

 

 

 

 

 

日常の色んなことから

 

 

学ぶことが出来る人を

 

 

天才ってよぶのだと、

 

 

どこかで読んだようなないような。。。

 

 

 

 

 

 

でもその言葉も、ひそかにお気に入りで

 

 

 

私を励ましてくれる言葉だったな〜。

 

 

 

 

 

 

 

やりたいことを思いっきりしたい。

 

 

 

夢中になって

 

 

幸せを感じながら。

 

 

 

 

やりたいことをしているときって

 

 

生きている実感湧きますよね。

 

 

 

 

 

 

そういうことを生きる価値としている

 

 

息子っていいな〜。

 

 

 

 

ここまでお付き合いいただき

 

ありがとうございました。
 

こんにちは。

 

モンテッソーリ教師のめぐみです。

 

ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

 

image

 

 

息子が不登校になったとき、

 

ひとつずつ出来ることが減っていきました。

 

 

 

 

 

学校へ行かなくなった

 

 

習い事に行かなくなった

 

 

学校の友達と遊ばなくなった

 

 

勉強しなくなった

 

 

外に出なくなった

 

 

お風呂に入らなくなった

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

こういう状態になったら、そりゃあ心配ですよね。

 

 

 

それに、切ないですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パワーがない状態だと

 

 

 

「頑張って」何かをすることは結構難しいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しなければいけないこと」をするのには

 

 

 

パワーが必要なんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

だからきっと、

 

 

 

やらなくなってしまったことは

 

 

 

息子にとっては

 

 

 

今はやりたくないことなのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

何か…嫌だな〜って、怖いな〜、面倒だな〜って

 

 

 

思うものかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

今の彼には必要のないものなのかも。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今の世の中の仕組みは、

 

 

 

過去からの積み重ねで出来ており

 

 

 

過去の素晴らしい人達が試行錯誤を重ねて

 

 

 

作ってきた社会。

 

 

 

 

 

 

 

確かに、生まれたときからそのレールに乗って

 

 

 

保育園や幼稚園→小学校→中学校→高校→大学

 

・・・

 

 

 

それに乗ると便利。

 

 

 

 

 

 

その流れに乗ると、

 

 

学びや、社会が提供される。

 

 

 

 

 

 

 

その中で、基本的な知識を学び、

 

 

社会を経験し、

 

 

色んな感情を体験できる。

 

 

 

 

 

 

素晴らしい仕組みですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だけれど、

 

 

それは自分で考えながら

 

 

試行錯誤しながら作ったものではないから

 

 

 

 

 

人によっては苦手なことをしなければいけないし、

 

 

嫌いなことをしなければいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

それをする理由は

 

 

「しなければいけないこと」だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

本当は、理由なんて存在しないかもしれません。

 

 

 

 

 

 

それをやらなくても生きていけるし

 

 

 

やらなくてもいいのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、子どもの頃、

 

 

 

球技が苦手でした。

 

 

 

大嫌いでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど、仕方なく、怒られながら

 

 

 

 

クラスメイトに迷惑かけて、嫌味を言われながら

 

 

 

頑張って授業に出ましたが。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

成績は5段階中2。

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに嫌いになりました。

 

 

 

 

さらに自信がなくなりました。

 

 

 

 

 

 

嫌な思い出も増えたし、

 

 

 

クラスメイトのことも嫌いになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな体験、したければすればいいと思いますが

 

 

した方がいいこと、なんでしょうかね〜?

 

 

 

 

 

 

 

今したくないことって、

 

 

した方がいいことなのでしょうか??

 

 

 

 

 

今しないと将来本当に困るのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

したくないことは、しなくてもいいって思うことは

 

 

 

 

逃げていることになるのでしょうか?

 

 

 

 

 

そんなに社会は甘くないよって。

 

 

 

そんなんじゃ、苦労するよって。

 

 

 

 

 

 

 

私は球技は苦手でしたが、

 

 

走ったり、水泳は好きでした。

 

 

 

 

 

 

 

大人になってからも

 

 

ハーフマラソンに出たり、

 

 

登山したり、

 

 

ボディーボードをしたり、

 

 

ダイビングをしたり、

 

 

スノーボードをしたり。。。

 

 

 

 

 

感覚的に出来るスポーツは好きで楽しんでいました。

 

 

 

 

 

球技が出来なくて困ることなんて

 

 

1度もありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから子どもが

 

 

 

なんにもしなくなったとしたら

 

 

 

 

 

今したくないことをしなくなった

 

 

 

 

ただそれだけなのかな、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

したくないことはしない

 

 

 

ただそれだけのこと

 

 

 

かもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だけど、何にもしないと言いながらも

 

 

 

きっと何かしていますよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

YouTube見たり

 

 

 

ゲームしたり

 

 

 

 

テレビ観たり

 

 

 

 

漫画を読んだり。。。かもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

もしパワーがないとしても

 

 

 

その状態でしていることは

 

 

 

好きか、嫌いかで言えば

 

 

 

きっと好きなもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

身近にあって、

 

 

 

手軽に楽しませてくれるもの

 

 

 

かもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

そこから、何かをみつけるのかもしれないし、

 

 

 

しばらくすると飽きてきて、

 

 

 

暇だ〜って思う日が来るのかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間は、

 

 

 

暇であることを

 

 

 

耐えがたいと思う、生き物だそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのときに、何をするのか。

 

 

 

 

 

「これやりたい!!」

 

 

 

「これ楽しそう!!」

 

 

 

って、純粋にワクワクすることを始めたとしたら

 

 

少しずつ、世界を広げて、

 

 

壁を乗り越えて

 

 

自信をつけて、

 

 

 

 

 

 

いつか、羽ばたいていくと思う。

 

 

 

 

 

 

 

だって、好きなことなら

 

 

新しいことに対して「えいやーっ」って

 

 

飛び込む原動力をくれる。

 

 

 

 

 

 

好きなことなら、

 

 

ちょっと頑張ってみようと思っちゃう。

 

 

 

 

 

苦労が苦労じゃなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先人たちが作ってくれたレールや枠組みを

 

 

もし、自分で作っていくとしたら。。。

 

 

 

 

 

 

私だったら

 

 

 

苦手なものはやらないかも。

 

 

 

 

嫌いなものはやらないかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

好きなものばかりをやりたいし、

 

 

 

興味のあるものから広げていきたいし、

 

 

 

得意なことを深めていきたい。

 

 

 

 

 

 

それが一番効率的であるし、

 

 

 

簡単に努力できる方法だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

もし、目標ができて

 

 

そのために苦手なことをやる必要が出てきたら

 

 

そしたら、頑張ってみればいい。

 

 

 

 

 

 

自分でやるのは大変だから習ったり、

 

 

 

学校に行った方がいいって

 

 

 

思うこともあるかもしれないですね。

 

 

 

 

 

 

 

だから、子どもがなんにもしなくなっちゃった

 

 

 

としたら、それはチャンスにもなるのじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

本当に自分のやりたいことを見つけるチャンス。

 

 

 

 

 

 

 

ただ子どもは経験が少ないと思うし

 

 

 

知っていることも大人よりは少ないと思うから

 

 

 

何が本当に好きなのか

 

 

 

自分に向いているのか

 

 

 

わからないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、好きなこと、得意なことを

 

 

見つけるのもそれなりに時間がかかると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかも、学校へ行っていないので

 

 

受動的に入ってくる情報が限られてしまう…

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、子どものすることに

 

 

 

制限をかけてしまうと、

 

 

 

見つかる確率も低くなってしまう

 

 

 

のではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それと、もう1つ。

 

 

 

 

とても大事なことなのですが、

 

 

 

 

親が、ありのままの子どものことを

 

 

 

認めて愛することが

 

 

 

きっと前提条件になるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親が必要以上の心配をしていると

 

 

 

子どもは自信を持てないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

親が今の子どもを心配していると

 

 

 

それを子どもは感じ取って

 

 

 

このままの自分じゃだめなんだ…と思うから。

 

 

 

 

 

 

そうすると、子ども自身も不安が付きまとい

 

 

 

本当にやりたいことを見つける余裕なんて

 

 

 

中々できないかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

だから、

 

 

 

学校に行っていても行っていなくてもいい、

 

 

 

勉強していてもしていなくてもいい、

 

 

 

外へ行ってもいっていなくてもいい、

 

 

 

ゲームばかりでもゲームをしていなくてもいい…

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな風に、子どもを無条件で愛することが

 

 

 

とてもとても大事だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな風に認められた環境の中でならば、

 

 

 

今はなんにもしなくなっちゃっても

 

 

 

そのうち遅かれ早かれ

 

 

 

何かをきっかけにして

 

 

 

夢中になることを見つけていくと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、何にもしなくなっちゃっても

 

 

 

大丈夫だって思います。

 

 

 

 

 

 

むしろ、唯一無二の自分として

 

 

 

これから生きていく土台を

 

 

 

作ろうとしているのだな

 

 

 

その準備期間に入ったのだなって

 

 

 

そう思っていいのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

人によっては価値観は違いますけれど

 

 

 

私は「やらなきゃいけないこと」よりも

 

 

 

好きなことから世界を広げてほしいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

好きなことから、

 

 

 

努力することや

 

 

 

一生懸命やることや

 

 

 

誰かのために貢献することも

 

 

 

きっときっと経験できると思うから。

 

 

 

 

 

 

 

ここまでお付き合いいただき

 

 

ありがとうございました。