こんにちは。
モンテッソーリ教師のめぐみです。
ご訪問いただきありがとうございます。
これは今日の出来事。
息子の話を聴こうとしたのですが。。。
1度目は失敗し
2度目は成功しました。
1日のうちにどちらも体験( ∩︎´ω`*∩︎)
しかも同じ題材で。。。
折角だから覚えている範囲で
会話を書いてみようと思います。
何か見えてくるかも??
☃︎失敗例☃︎
朝の4時に祖父と散歩に行きたいから
寝ない、と張り切っていた息子。
(祖父は30年間、
雪の日も台風の日も、旅先でも
毎朝の散歩を欠かしません)
私は朝の5時に目が覚めて、
そういえば息子はどうしたかなとリビングに行くと…
寝落ちしていました(笑)
そして朝の8時前に目を覚ます息子。
息子「4時に(散歩に)行こうと思ったのに、
寝ちゃったー!!!」
息子「もうやだ。。。本当やだ。。。」
私「何時に寝たの?」
息子「3時くらいかなぁ。」
「もうやだ。散歩に行きたかった。」
ちょっと泣きそうな声。
私「じゃあさ、
そのまま寝落ちしちゃってもいいように
もうリビングに布団持ってきてさ、
祖父が散歩するときに
起こしに来てもらえば??」
息子「・・・」
私「祖父に来てもらえば、
確実に起きられるんじゃない?」
息子「・・・」
そのまま、タオルケットをかぶり、寝に入る。
会話終了しました チ─︎─︎─︎(´-ω-`)─︎─︎─︎ン
✿︎成功例✿︎
私が午後仕事から帰ると、
息子「今日起きれなかった。
悔しいわ〜。本当やだ。。。」
密かに朝の失敗を反省していた私は
これは聴くチャンスだと思い、
聴く体勢に入りました。
私「うん。」
息子「ちょくちょく寝たり起きたりしていたんだよね。
10分寝て10分起きてを繰り返していたんだよね。
それで3時半くらいになって
あとちょっとかなって思って寝たら、
もう朝だったよ。」
私「寝たらもう朝だったんだね。」
息子「やっぱりさ、
4時まで起きてるのって難しいよね。
でも散歩には絶対に行きたいんだよ。
最近身体動かしたいじゃん。
僕夜中の散歩って結構好きだからさ、
ちょうどいいと思うんだ。
明日は、なんとしても行く。」
私「どうしたら起きていられるんだろうね。」
息子「少し長めに寝ておいた方がいいんだよね、多分。
だけど、夜中に本を読むのは
僕にとって最優先だから、
10時頃にちょっと寝て、
12時に起こしてくれない?」
私「なるほどね。
12時に私が寝る時に起こそうか?」
息子「お願い。」
〜少しの間〜
息子「あー、でもそんな時間に眠くなるかなぁ。
やっぱり運動しとかないと駄目かな。」
こんな感じです。
成功例の方が、失敗例に比べると
うまくいっているのがわかります。
でも成功例が完璧ってわけではないですよ。
両者を比べれば、こっちの方がいいかなって、
程度かもしれません。
でも、息子は話したかったことが話せたと思うし、
息子が自分で考えを広げていくこともできました。
何が違っていたか。。。
私は『息子を助けてあげたい』って
思っちゃったんですよね。
それで、要らぬアドバイスをしてしまった。。。
求められてもいないのに。
だから、息子に無視されました。。。
息子の「本当にやだ…」は
まだまだ私の中では解消しきれていない
トラウマなのかもしれません。
息子の状態が良くなっても悪くなっても
そのままで十分だって思っているつもりでも
不登校当初みたいに、死にたいと苦しむ
そんな息子はみたくない。
そんな風に無意識で思っていて、
そして無意識でそこへ向かわない道へと
自分を動かしている。
「もうやだ…」が「死にたい」に変わる前に
何としても助けようと
動いてしまったのだなって思いました。
そういう自分がまだいた!!
息子が以前のように落ち込むことがあっても
そういう息子でもいいよ、って
自然と思える自分に変わっていくことが
出来たらいいと思います。
もし、以前のように
息子が落ち込んでも、
息子も私も変わっていっているので
また苦しむことになるのかどうかは
そのときになってみないとわからないですね。
今のうちに、
そんな状態になったとしても
這い上がっていけるような
マインドの強さも手に入れたいですね。
話は戻り…
息子の気持ちを無視した
「動かしたい」気持ちからのアドバイスは
意味ないどころか、逆効果。。。
息子の心が閉じていきましたね(泣)
息子は、祖父に起こしてもらうような
確実な方法で、散歩に行きたいのではなく
自分で起きるなり寝ないなり工夫した上で
散歩に行きたいんじゃないかなって思いました。
私にも、起こしてはもらいたくないのだと思いました。
息子が自分で考えて、試行錯誤したいんだ
努力したいんだって思いました。
息子は自分で考えたいんだ。
だから、2回目の会話では
こちらがほとんど何も言わなくても
息子はどんどん話し
思考を整理して
方法を見つけていきました。
私に出来ることは、
息子が自分の気持ちを
吐き出したり、整理したり、
考えを広げていくお手伝い。
聴く、ということは、
そのお手伝いなのだな〜って改めて実感しました。
さて、後日談ですが…
(当日だけど笑)
仮眠を取ろうとした息子ですが、眠れず。。。
本を読みながら、朝4時まで起きていたようです。
そして、念願の祖父との散歩へ。
1時間半位、歩いてきたようです。
そして、不登校になって1度も
1階(祖父母宅)でご飯を食べなかったのに、
朝ごはんも頂いてきました。
そのあと爆睡zzz
散歩は、とても楽しかったそうです。
目がキラキラしていました。
出来れば明日も行きたいなぁ〜って言ってます。
そして、現在仮眠中です。
「今日は、仮眠を取って、
この本を読破する!」
と夜中寝ない計画を立てています。
自由だ♪︎ヽ(*´∀︎`)ノ
こうやって「夜は寝るべき」のような
親が思い込んでいることから、一旦離れてみると
子どもが思考を働かせるのだということを
実感しました。
夜は寝るべきだって思い込んでいたら
早めに寝る→早く起こして
いつも通り寝る→早く起こして→昼寝をする
いつも通り寝る→早く起こして→疲れがたまる
位しか思いつかない。。
「夜は寝るべき」の制限を取り払うと
もっと自由に発想できるのではないかなぁ。
発想力は、一朝一夕では育たないと思うから
家に居ても
こうやって考える力を育てていくことは
とても大切だなぁって思います。
私も…
カターイ頭を柔軟にしていきたいな〜って
今回の失敗で、改めて思いました☆
最後に…
不登校になって、
祖父母から認めてもらえないことで
息子は、交流を避けているところがありましたが
まさかこんな形で距離を
縮めるとは思いませんでした。
息子は祖父みたいに、毎日のことを
日記にしてみたいと言っていました。
また、いつか一緒に
江ノ島まで歩きたいと言っています。
祖父は何度か歩いて江ノ島まで
行ったことがあるそうです。
Googleマップでは、徒歩7時間と出てますけど(笑)
(ちなみに祖父は80歳超えてます。。)
息子は、祖父のことを憧れているんだな。。。
こんな風に祖父母との交流が来るなんて
もっともっと先かと思っていました。
未来って、予想外に溢れていますね。
クリスマスプレゼント、かな。
メリークリスマス。+゚(*´∀︎`*)。+゚
今日もここまでお付き合いいただき
ありがとうございました。
こんにちは。
モンテッソーリ教師のめぐみです。
ご訪問いただきありがとうございます。
今回は
モンテッソーリ教育とアドラー心理学について
普段思っていることを書きます。
興味ある方いるかわかりませんけれど…笑
書きたくなっちゃったので書いてみます。
モンテッソーリ教育とアドラー心理学は
共通する考え方がたくさんあります。
子どもとコミュニケーションをするときに
モンテッソーリ教育もアドラー心理学も
どちらも念頭におきながら接すると
子どもとのコミュニケーションが上手くいきますし、
子どもが真っ直ぐに力を発揮しながら
育っていきやすいのかなと思っています。
まさにモンテッソーリ教育の隙間を
アドラー心理学で補完していくイメージがぴったり。
モンテッソーリ教育は、
発達心理学だと思います。
子どもが年齢と共にどういう発達を辿っていくのか
精神と肉体がどう関わり合って
育っていくのかを紐解いたもので、
モンテッソーリという医者が
実際に子どもを観察して導き出したものです。
どう子どもと関わったら
子どもが人間としての力を最大限に発揮しながら
幸せな大人になっていくのか…
それは大人が教えるのではなくて
子どもが自分の内なる力を頼りに
自分で自分を創っていくことを援助することで
達成されていく。
そういう教育だと思います。
一方アドラー心理学は、
幸せに生きるための心理学だと思います。
人間の悩みはすべて対人関係に起因するって
アドラーは言ってます。
世界にたった1人しか人間が存在しなければ
悩みも存在しないと。。。
今までの人間関係の中でこじれて絡まってきた
心の中の糸を解いて
これから社会の中でどのように生きていくか
その指標をくれます。
モンテッソーリ教育をしていると
子どもにだけ目が行きがちなのですが、
だけどモンテッソーリが大事にしていることの1つに
「大人は自分を整えること」
という言葉があります。
子どもに対するときに
大人の心が未熟だったり、揺れていたりすると
子どものことが見えないし
むしろ子どもが自分を育てていく邪魔になってしまう。
モンテッソーリ教育をする上で
大人は自分を整えておくことは、大前提なのだと思います。
ですがこの
「大人は自分を整えておくこと」について
どうやったら出来るのか、
それは示されていないのです。
これって、不登校対応でも同じじゃないかと思います。
不登校対応でも
ありのままの子どもを受け入れたところから
スタートするのじゃないかと思います。
でもそれって実は難しくないですか?
子どもが学校に行きたくないって言ったら
ザワザワしますよね。。。
今日は休んでもいい。
でも明日も明後日も…1年後も5年後も
子どもが家に引きこもっていたらどうしよう。
不安になってザワザワして
どうにか学校に行かせたいって
思ってしまう人もいると思います。
私もそう思っていたし、
そんなときに本当に子どもの力になるためには、まずは子どもを受け入れてから。。。
親に出来ることは
子どもを無理矢理動かすことではないし
子どもが自分の意思ですることを
サポートすること。
そうわかっていても
出来ないものは出来ない。。。
無理矢理動かそうするような声かけをして
子どもと大喧嘩。
そして子どものパワーを奪ってしまう。
なんてこと、不登校あるあるじゃないかなぁ。
同じだなって。
大人が子どもを邪魔しているのだなって。
なんとなくおざなりになってしまう
大人が心を整えること。
本当の意味で
子どもと上手に関わりたいのなら
大人が心を整えることは必須なのだと思います。
そのことに気がついたのが
子どもが不登校になってから…です。
自分の勝手な思い込みで
子どもを評価しているうちは
きっと子どもの姿は見えてこないかもしれません。
「これは失敗」
「これはおかしい」
って思っていると子どもの心は
見えてこないかもしれません。
勘違いされたままの子どもの心…
そこには
もやもや、イライラが溜まっていき
大人への反感や、わかってもらえない悲しみから、
自己否定していくことにも繋がりかねませんね。
だから、
子どもを出来るだけ真っ新なままの心で
見られるようになるといいですね。
大人が自分を整えていくためにも、
子どもの本当の姿を見るためにも、
子どもとのコミュニケーションを良くしていくためにも、
アドラー心理学はとてもとても参考になります。
どんなところが??
ここから、モンテッソーリとアドラーの共通点をあげ、
両者を組み合わせることで
より、保育や、子育て、不登校対応が
実践しやすくなるヒントを探してみたいと思います。
アドラー心理学では、
課題の分離という考えがあります。
私にとっては、1番わかりやすく
自分を知り、自己受容を進めるのに
とても助かっています。
自分の課題と相手の課題の間に
線を引きます。
子どもの課題に踏み込んで
押し付けたり、干渉したりしないようにします。
これは、ものすごくザワザワすることがあります。
でも何でザワザワするのか紐解き
そこを思考転換したり、
受け入れたりしていきます。
すると自己受容も進んでいくと思います。
子どもの方も、大人から教えてもらうのではなく、世界から学ぶので、次第に自分で考え行動するようになります。
だから、子どものことを信頼して待てるようにもなってきます。
課題の分離、自己受容、他者信頼…
この循環をぐるぐるぐる。。
これは、モンテッソーリ教育の考え方にかなり近いです。
子どもが環境から学び、自分で考えて、
行動していく機会を大人は見守ります。
今までは見守るだけでしたが、
アドラーを知って、
そのとき感じる心の動きにも注目すると
自分も成長していけることに気がつきました。
こうやって、日々繰り返していくと
大人が心を整えている状態に
近づいていくのかもしれませんね。
次に、アドラー心理学には目的論という考えもあります。
子どもの行動には、何かしらの目的があります。
例えば子どもが泣いているときに
確かに何か原因があるのだとは思いますが
そこに注目するのではなくて
泣くことは手段なのだと考え
何を成し遂げるために泣いているのか考えるのです。
自分の悲しみをわかってもらうため
誰かに優しくしてもらいたいため
泣くことで誰かを動かしたいため。。。
子どもの行動に目的があることを知ると
コミュニケーションをとりやすいです。
この考え方は
モンテッソーリ教育とつながるところがあります。
モンテッソーリ教育では、
「逸脱」という状態を正常化することが
教師としての最初の目標になります。
今までの成長過程で
環境や大人からの影響で、
子どもの精神が気持ちよく
真っ直ぐに育っていない場合、
逸脱した状態として現れてきます。
騒がしかったり、
乱雑であったり、
怠惰であったり、
攻撃的であったり、
衝動的であったり、
依存的であったり、
消極的であったり。。。
ほとんどの子どもは、このような性格の
どれかを持っているかもしれませんね。
もちろん特性としてそういった性質も
あるのかもしれませんが、
モンテッソーリでは、こういう性格を
逸脱状態だとしています。
こういう状態も、
大好きな活動に力を注ぐうちに
きれいに消えていきます。
子どもは本来、
素直で、まっすぐで、優しくて、勤勉で、努力家です。
今まで隠れていたそういう面が表に出てきて
逸脱した状態は消えていきます。
逸脱した状態を目的論に合わせて考えると
力を発揮出来ないことの悲しみ、怒り、
もどかしさ、怖さなどを表す手段かもしれませんし、
もっと思いっきり力を発揮したいことを
大人に教えるためかもしれません。
逸脱した子どもを咎めるのではなく
ではこれからはどうするのと考えていくといいですよね。
これは不登校にも当てはまります。
色んな環境により、逸脱した状態にいるのかもしれません。
もしそうであるなら、
やった方がいいことも見えてきます。
子どもが自分の魂を
震わせるような体験をすることですね。
そこに全身全霊を注ぐような
体験を重ね続けていくこと。
そういうものに出会えばたちまち、
逸脱した状態なんて
もしかしたら…
一瞬にして消えてしまうかもしれません。
また、勇気づけという考え方も似ています。
アドラー心理学では、
褒めることではなく、勇気づけをしていくことが
大切だと言っています。
褒めることには弊害があるからです。
「褒めてもらえるから、〇〇する」
になりかねないし
「褒めてもらえないから、〇〇しない」
になる可能性も出てきます。
何かをするときに
「褒めてもらえる」という
外的要因によって動くよりも、
自分の中から生まれる
これをしたい、これをしよう
という内的要因によって動く方が
モチベーションが高いでしょうね。
褒めるには弊害があるので、
勇気づけをするといいそうです。
子どもが勇気がある状態になるような
関わりをするということですね。
モンテッソーリ教育では、
子どもを褒めますが
どちらかというと勇気づけに近いと思います。
むやみやたらに褒めたりしません。
何かができたときに
みんなの前で賞賛されることよりも
自分で達成できた喜びのほうが
大きいことを知っています。
だから、
「出来るようになって良かったね。」
「うれしいね。」
と言ったような共感するような声掛けをします。
これも、子どもが求めてきたら、ですけれど。
また、直してもらいたいことを伝えるときは
そのまま言うのではなくて
「〇〇が素敵に出来るんだね。」と言ったような
自分で気がつく余白を残した声掛けをします。
それで直らなかったらしかたない。
まだ時期ではなかったのだと思います。
こんな風に、勇気づけも共通する部分ですね。
アドラー心理学では
共同体感覚を養うことが大切だとも説いています。
共同体感覚とは、
その集団の中で自分が一員であるという感覚かな?
その集団の中にいる自分は
そのままの自分でオッケーで、
他の人も
そのままのその人でオッケー。
自分に出来ることでその集団に貢献していく。
もし苦手なことがあれば、他の人に助けてもらう。
誰もが認められている感覚。
それが共同体感覚だと思います。
それを感じられるようになるには、
自己受容、他者信頼、他者貢献が出来るようになってくるといいのかな。
そのままの子どもで十分素晴らしくて
みんながみんなをそのまま受け入れ
そのままの自分でいいんだって
みんなが思えるような感覚を
養っていきたいですね。
モンテッソーリ教育は、
日常生活の練習という分野があり
自己への配慮、
環境への配慮、
社会的な振る舞い
といった内容が含まれています。
具体的な活動を通して、
自分を大切にすることや
環境を大切にすること
誰かに対して優しい気持ちを表す方法などを
身につけていきます。
これって、
自己受容、他者信頼、共同体感覚
に含まれるなぁ〜って思います。
どれも幸せに生きるために
大切な要素ですものね。
そして最後に
モンテッソーリ教育もアドラー心理学も
自分の心に気づき、大切にしていく方法を
知り、身につけていくこと
を大切にしています。
モンテッソーリ教育は
生まれたときから、
自分の心を大切にしていく教育です。
まずは自分からなのですが、
次第に親や教師、友達、環境、
社会へと大切に思う気持ちを広げていきます。
少し本題から離れますが
学童期の活動では、
色々なものの歴史を調べていきます。
歴史といってすぐに思いつくのは戦いかもしれません。
ですがモンテッソーリ教育では、
生命の歴史から始まり
手の歴史、
言語の歴史、
文字の歴史、
衣服の歴史、
乗り物の歴史、
明かりの歴史、
食物の歴史。。。
色んなものの歴史に触れていきます。
そうやって知っていくと
発明したことや、発展し続けてきたことに
感謝の気持ちを持つようになります。
そうやって、今自分が受けている恩恵に気付き、
世界は感謝で溢れていることを知り、
自分は社会に何を返していけるのかを考える
きっかけを与えているのですよね。
これも共同体感覚の1つかもしれませんね。
自分に出来ることで
社会に貢献していきたい気持ちを
育てているのですから。。。
めっちゃ長くなってすみません。
こんな風に共通する部分がたくさんある
モンテッソーリ教育とアドラー心理学ですので
親和性が高く、
保育する際にとても参考になっています。
もちろん、子育てにも。
そして、不登校対応にも。。。
モンテッソーリ教育って
子どもへの教育なので
あまり大人の自分のためには
使えないのかなって思い込んでいました。
だけど、子どもが心から
楽しんで出来る活動をすると
逸脱した状態も正常化するように、
大人だって、そういう活動に出会えば
今まで生きていく中で身にまとってしまった
沢山の自己否定や、劣等感、悲しみ、恐れ、
自信のなさなど…
そういうものが、するりと落ちていくのかもしれない。
アドラーとモンテッソーリを組み合わせながら、
子どもも自分も、みんな幸せになれるような
そんな方法が見つけられるような…
そんな気がしています。
ここまでお付き合いいただき
ありがとうございました(✿︎´ ꒳ ` )♡︎
こんにちは。
モンテッソーリ教師のめぐみです。
ご訪問ありがとうございます。
不登校って、ただ学校に行っていないだけ
なのではないかなぁ〜って思っています。
不登校だからって、
学校に行っている子どもより劣っているとか
落ちこぼれだとか…
そんなことは全くない。
もし、不登校だから我が子は
人間的に劣っているんだって
そう思っているのなら、
それは世間一般の考え方に
染まっているだけなのですよね。
不登校は学校に行っていない選択をしているだけ。
親も子どもも、そのことに心乱されて
落ち込んだり、苦しんだり
しなくていいのに(。´・ω・`。)
だけど、もちろん我が家も、
心乱れました。
落ち込みました。
苦しみました。
どうしてだろう??
現在小6の息子は、不登校歴1年半。
1年前の今頃は
「人生オワタ」
「転生してやり直したい」
とよく言っていました((((´Д` ))))
ただ学校に行っていないだけなのに
人生終わった感。。。
今思うとびっくりするほど
視野が狭く、世間の考えに染まっていました。
学校に行かない選択をしていることを
「みんなが普通に出来ることが出来ない」
と捉えていました。
そして、ふと気がつきます。
学校に行かずに
社会へ出て行く方法も知らなかったし、
考えてもいなかったことを。。。
学校任せ、常識任せ、世間任せ。
考えることをしてこなかったんだなぁ〜って
気がついたのです。
だから不安になっていたのかなって思います。
見えている範囲がとても狭くて
限定されていたんだな〜。
学校に行かなくても社会に出て行く
方法なんていくらでもあるし、
「みんなが普通に出来ないことが出来る」と
捉えることもできる。
また、
学校に行くと
自動的に勉強が用意されているし
同年齢の社会に入ることが出来ますね。
そこから学ぶことはとってもたくさんあると思います。
でも…
好きなことをやりたい時期に
思いっきりやる勉強の方が楽しくて、
モンテッソーリ教育に関わるうちに
その方が実りが多いことを実感しています。
また、同年齢に絞ったクラスよりも
異年齢の集団からの方が
社会性は学べます。
これもモンテッソーリ教育からヒントを得ていますが…
上の子を見て育ち、
下の子の面倒を見る。
同年齢だと、
比較したり競争したりが強くなりませんか?
2歳児でもそうなのですから、
学齢が上がると尚更だと思います。
劣等感や、優越感を味わう必要、ないのに。。。
この際、むしろ大人も子どもも関係なく
横の関係で関わり合える集団もいいのではないかな。
…なんて。
学校は確かに
勉強と社会の
最低限の機会が提供されているけれど、
今の日本には、
学校に行かなくても
そのどちらも提供されている場所は結構あります。
また
学校に行っていれば
進学しやすいということはあります。
進学したくなったのに、
そもそも出来ないのだったら、それは悲しい。
ですがそれも工夫すれば
機会は十分用意されています。
完全不登校でも
点数次第で都立高校にだって入れるのだから…
不登校になることで
今まで自動で乗っていたレールを降りることで
色んなことを自分で考える必要が出てきます。
義務教育を終えたらどうするの?
大人になって生活を自立させるには、
何をしておいたほうがいいの?
短時間でどんなふうに勉強したら効率的?
勉強は何をしておくと役に立ちそう?
仲間を作りたいんだけどどうしたらいい?
考えることは無限にあるかもしれませんね。
でもそうやって1つひとつ、しっかり見て
考えてみればいいのだと思います。
先生や学校や、世間の考えではなく
自分で考えていく力が身に付きます。
そうやって考えたことや
自分で創っていった道は
社会に出たときに役に立つでしょうね。
必ず、子どもの力になります。
不登校になって落ち込んだ経験や
そこから乗り越えてきた経験は
子どもの力になってくれると思います。
同じような苦しんでいる人の力になれる。
今後辛いことがあったとき、自分へのエールになる。
あのときはもっと辛かった…
今はなんて幸せなんだろうって…
乗り越えたなら、
唯一無二の素晴らしい経験になります。
だから、子どもが不登校だからって
悲しむ必要なんてこれっぽっちもないんですよね。
子どもが今の生活を楽しめるように
そっと応援していればいいって思います。
子どもは、大丈夫。
親が本心から
子どものことを大丈夫だと思っていれば
それは子どもにも伝わりますからね。
本心、であることが大事。
無理やり思い込もうとしても
そこには無理があるので
いつか爆発する可能性もありますしね。
その前に、本心は子どもに伝わっているかな…?
不登校の子どもって、
親の気持ちにとても敏感だから。。。
親が子どものことを、
この子は大丈夫だって心から思っていたら
それは子どもに伝わって、
子どもは少しずつ元気になっていくのではないかな。
実際、息子だって、
他の不登校の子どもだって、
親が子どものことを大丈夫だって思い始めたら
遅かれ早かれ元気になってくるのを見てきましたから。
子どもは、大丈夫。
学校に行かなくても大丈夫。
折角だから、学校に行かないことを
最大限に生かせることをしたらいいなって思います。
時間と自由を生かして
やりたいことを徹底的にやったらいい。
とことん遊んだらいい。
何気なく過ごしている日常的な何かに注目して
疑問に思ったり、考えたり、調べたり…
そうやって過ごしていくのもいいのては??
落ち込んでいる暇があったら
思いっきり楽しめるように
心を砕きたいなって思います。
だって、
子どもの今も、私の今も
今しかないのだから…
不登校の親子は楽しんじゃいけない
なんて、そんな決まりもないのですしね。
ここまでお付き合いいただき
ありがとうございました。
こんにちは。
モンテッソーリ教師のめぐみです。
ご訪問いただきありがとうございます。
小6の息子が不登校になったのは、小5の夏。
ですから、小5の運動会から、
学校で行うすべてのイベントには参加していません。
確かに残念な気持ちはありますけれど
普段の生活ではその気持ちは感じずにいます。
ですが…
勤務先の保育園で、運動会や発表会をすると
胸がぎゅぅ〜っと締め付けられるときがあります。
子ども達の頑張っている姿や
輝いている姿、
色んなことを乗り越えている姿、
全身で楽しんでいる姿を観ると
とても感動するのですが、
一方、
我が子が経験できなかった行事だな〜とふと思い、
胸が苦しくなります。
もし、息子が参加していたら…
行事で大変だったことや難しかったことを
笑顔いっぱいで話してくれたんだろうな。
仲間と動作を合わせたり、
お互い協力しながら作り上げるダンスや組体操、
成功したら嬉しいのだろうな。
リレーや徒競走では、声を張り上げて
応援するのだろうな。
最高学年として、子どもたちをまとめたり
6年間の集大成として、
誇りを感じながら過ごすのだろう。
下位学年の子どもたちの憧れだったんだろうな。
そんな姿を見たかったな〜…
経験させてあげたかったな〜…
そんな感情がぶわーっと、溢れてくるのです。
涙もポロリポロリと落ちて止まりません。
きっと同じように切なくなって
涙が出てきてしまうような経験をされている方
たくさんいるのだろうな〜と思います。
そう思うと、慰められます。
私だけじゃないんだって…。
子どもの運動会や発表会などの行事は
大人を感傷的にさせるのかな。
こんな切ない感情が浮かんできたら。。。
私は、この感情をちゃんと感じるようにしています。
出てしまう涙は、無理には止めなくて大丈夫。
保育園で、年長さんのダンスを観ながら泣いていたら
「先生、大丈夫だよ。僕がついているからね。」
と、3歳の男の子が慰めてくれましたけど( ∩︎´ω`*∩︎)
心を動かすような感情は、ちゃんと感じます。
大切な感情なので、
無かったことにはしたくないなって思います。
切ないよね。。。って。
そういう姿見たかったよね。
だって親だもの。
「こんなに大きくなったんだな。素晴らしいな。」
って感動したいじゃない?
だから、自分の気持ちに寄り添ってみます。
涙が出てなくなるまで、そうっとしておきます。
しばらくすると、スッキリ。
悲しみや切なさは、自然と消えていきます。
そういう感情を持っているのは
決して悪いことではありませんよね。
人間らしい感情だと思います。
ですが、ただそれだけです。
行事に子どもが出ないからといって
子どもも私も可哀想なわけではないと思います。
確かに悲しくなっちゃいますけどね。
出来れば体験させてあげたかったなって思います。
ですが、それは私の小学6年生の記憶が
とてもいい思い出だからかもしれませんね。
だから、同じような思い出が作れたら
幸せなんじゃないかなって思ったのです。
また、私は高校のときに1年で部活をやめたのですが
後々長いこと後悔していました。
学生時代しか経験出来ないことだから
もっと続ければ良かったって思っていたので
息子もあとから後悔したら可哀想だなと思ったのです。
それは、私自体の経験上の話。
息子が同じように感じるとは限りません。
息子が自分で選んだ道なのだから、
私がそのことで悩まなくていいのです。
息子に任せていい。
私は私の悲しみや切なさを感じるだけでいい。
それに、確かに5、6年生の行事には出ていませんが
それまでの行事はほとんど出席してきました。
それはとても恵まれていることですよね。
今までたくさんの素晴らしい姿を見せてくれた息子。
私はそれを当たり前だと思っていなかったかな?
活躍しているところばかりに注目していなかったかな?
とてもとても恵まれていたのに、
そのことに感謝することもなかったかも。。。
そして、今も元気な息子は生きている。
以前よりも仲良くなった息子がいる。
以前よりも素直で優しい息子がここにいる。
だったらいいじゃない?
それで十分じゃない?
確かに行事は経験できなかったけれど
ただそれだけのこと。
それは、不幸なことでも可哀想なことでもないんです。
後悔したり、不幸だと感じたりするとしたら
それは私ではなく息子なのかな。
私は息子が進む道を応援していけばいい。
息子が、将来、行事に出られなかったことを
後悔するかもしれないけれど、
そのときに息子がやりたいことを
思いっきりやっていたとしたら
そのことで自信がついて
生き生きとしていたら。。。
行事に出られなかったことなんて
大したことではないのでは??
ですが反対に
未来では、自信をなくし
やりたいことが見つからずに
後悔しながら生きていたら。。。
想像するだけで悲しい気持ちになってしまいますが、
そうならないように今私に出来ることを考えたいです。
行事に出ようが出まいが
この世にたった1人の大切な息子。
少しはにかんだような、嬉しさがこぼれるような
そんな大好きな笑顔。
そんな息子とたくさんの時間を過ごせる幸せ。
毎日感じていきたいな〜って思います。
ここまでお付き合いいただき
ありがとうございました。
こんにちは。
モンテッソーリ教師のめぐみです。
ご訪問いただきありがとうございます。
小5の夏から不登校の息子(小6)は、
最近になり、ときどき算数の勉強をしています。
四谷大塚の予習シリーズ
小4下の最初からやっています。
…というか、まだ数ページ。
亀の歩み???
気が向いたときにやっています。
何も制限のない勉強。
いつまでにどこまでやるかは決まっていないし
正解してもしなくてもどちらでもいい。
ただ理解したい。
知識を得たい。
答えを導き出せるようになりたい。
そうなるとどうなるか。。。
やり方を覚える勉強ではなくなります。
どうにかこうにか理解しよう
理解を深めようと工夫するようになるかもしれません。
息子がやっていたのは
問題を自分で作ること。
しかも解くのにめちゃくちゃ時間の掛かりそうな問題。
例えば、5桁の適当な数の約数を見つける問題。
それを解く中で
忘れかけていた割り算の筆算をしまくることになり、
割り算をする中で
掛け算を暗算するようになり、
計算が速く、正確になっていきました。
そして、面白いのは、
計算が面倒なので
出来るだけ楽して答えを出そうとするところ。
数の法則を見つようとしたり、
それが正しいのか証明しようとしたり。。。
素数を調べたり、
素因数分解してみたり。。。
寄り道だらけ。
でも、それでいいのですよね。
探求していくことは
数学の面白いところの1つでもありますからね。
より理解を深めていくためのものだったり、
別のところへの興味、発見にも繋がります。
テキスト通りにやってもいいけれど、
テキストから外れてもいい。
やりたいようにすればいい。
モンテッソーリ教育を習ったときに
「子どもはみんな研究者」
という言葉を聞きました。
子どもが自分で発見していくことを大切にしています。
自分で発見出来るような仕組みを用意しています。
「あっ!そういうことか!」
と何かに気づいた子ども達を見るのは、
大人の喜びでもあります。
自分の手を動かして
思考を動かして
そして心を動かして発見したことは
きっと、ずっとずっと忘れないのではないでしょうか。
何よりも、やりたいから、知りたいから
といった気持ちからすることは楽しいです。
楽しければ、努力も苦にならないし
吸収力も高くなりますものね。
小学生は知的敏感期の中にいます。
色んなことを知りたいのです。
息子は不登校になる前は宿題が苦手でした。
一斉授業も好きじゃなかったと思います。
不登校になってから「勉強は嫌い」と言っていました。
ですが、「学びをしたい」とも言っていました。
勉強が嫌いな不登校の子どもって
結構多いのではないかなぁと
個人的には思っています。
好奇心の固まりである小学生でも
勉強が嫌いって思ってる。。。
今まで
自分の好奇心とは関係なく
勉強を強制されてきたり、
自分のペースで進めたり、続けたり、
やめたり出来なかった。
日本の小学校の授業って
基本的に自分の好き嫌いは
あまり考慮されないですからね。。。
だから嫌いになってしまう子どもが
多いかもしれないですけど、
でも本当の子どもは知的な好奇心で溢れている。
好きなことがひとたび見つかれば
そのことにとことん没頭して
探求者にも研究者にもなります。
それをつぶさないことは、
とてもとても大切だと思います。
それがたとえゲームでもアニメでもYouTubeでも。
算数でも、漢字でも、生物でも、歴史でも。。。
子どもにとっては、違いがないのですよね。
ゲームはダメで、算数はいいってすると
知的な好奇心や探究心は、
どんどんなくなっていくのではないかなぁ。
もちろん興味がなければ、
無理やりやる必要はないですけれど。。。
また、この年代の子どもには必要ないと判断すれば
与えないというのも、ありだと思います。
ですが、子どもがやりたいと言うならば
わかるように説明したほうがいいとは思います。
どうして与えないことにしたのかを。。。
偏った説明にならないようにしたいですよね。
色んな方向から見たゲームやYouTubeの
長所や短所を説明して
だから、まだ与えたくないと思っていることを伝え
子どもが納得くれたらいいと思います。
子どもが自分で考えられるといいですね。
話がそれましたが…
やりたいことに熱中すると
その中で、思考はフル回転するし
努力を努力と感じないほど一生懸命向かいます。
そしてやはり、楽しいんですよね。
その対象がゲームだと
不安になるかもしれませんが
親がどーんと構えて子どもの気持ちを
受け止めていれば
しばらくすると飽きてきたり、
本当に才能があれば、
結果を出して道が開けていくのだと思います。
息子は、一日中ゲームをやっていたこともあります。
1日10時間以上やっていましたね。
でも今はほとんどやっていません。
それは興味が次のことへ移ってきたからです。
ゲームをすることで培ったものの1つは、
熱中する力。
やりたいことに熱中することが楽しいという気持ち。
息子が死にたいと言わなくなったのは
フォートナイトが上手くなり
動画編集を始めた辺りからです。
不登校になるまでゲームは
ほとんどやっとことがありませんでした。
ゲーム機をお年玉を貯めて買ったのは10歳のとき。
でもそれから1年間は、ゲーム時間は30分。
ゲーム制限をなくしたのは
不登校になってからです。
制限を外すと、一日中やるようになりましたが
毎日たくさん遊んで練習して
経験値を上げていきました。
そのおかげで、フォートナイトを始めて3ヶ月位で
動画を配信出来るまで
少なくとも本人が納得出来る位の腕前に
なることが出来ました。
動画を配信することで
仲間が出来たり
未知のことを自分で調べて工夫して
思考を動かして
心を動かすことができました。
不登校になって落ち込んでパワーもありませんでしたが、
熱中する力をまた手に入れたんです。
そうやって、次への好奇心へと橋を掛けていきました。
こんな風に、知的好奇心って
育っていくのではないかなぁ〜って思っています。
不登校の子どもは、よくも悪くも
世間から少し離れている子どもも
結構いると思います。
これをメリットだと考えうまく利用すると
自分で考える力や、想像力を育てる時間にも
出来るのではないでしょうか。
学年に追いつく勉強ではなくて、
考える力や想像力
探究心や、問題解決力など
そんな非認知能力を育てていくと
いいのではないかなぁ〜と思います。
それは、遊びでも、勉強でも、
どんなところからも育てることは出来ます。
大切なのは、
やりたい、やってみたい
という気持ち。
今はそういう気持ちが
一時的に失われたように
思えるかもしれません。
ですが、知的好奇心がいっぱいある子ども時代は
やりたいことを大人よりも見つけるのが得意だと
感じています。
家庭が、子どもにとって
ありのままの自分を出せる安心する場所であれば
遅かれ早かれ何かを見つけます。
そのときに、
それを全力で応援出来るかどうか。。。
もし全力で応援出来れば
やりたいことをやってみる力や
継続する力や
集中して取り組む力が育まれていくと思います。
それは、次への扉の鍵となる。
そうやって、どんどん広がって
いつかどこかのタイミングで
子どもの才能が発揮されるようなものに
出会うと思っています。
そんなものに出会ったときに
集中してやり遂げる力
努力を努力と感じずに一生懸命やる力
調べる力
問題を解決する力…
そんなものがすでに培われていたとしたら、
それは子どもの力の土台となって
才能だって開花されやすいのではないでしょうか。
私はそう信じながら
今
子どもがどのように過ごすといいのだろう
親は何をすればいいのだろう
と考えながら過ごしています。
出来るだけ。。。笑
子どもが才能を開花させることが出来たなら
その力を使って、社会に貢献できますね。
それをまず親が見せていく必要があります。
自分に出来ることで社会に貢献していく姿を
それで生き生きとしている姿を
子どもに見せていきたいな〜。
子どもは小さな研究者。
すべての子どもに当てはまります。
その力を引き出してあげればいいだけです。
ここまでお付き合いいただき
ありがとうございました。




