韓流時代小説秘苑の蝶~龍は夢見るー貴方とお腹の子、三人で新しい家族を。決して見てはならぬ夢なのに | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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第五話(最終話) Blue Lotus~夜の蓮~

去年から一年に渡って執筆してきた長編「秘苑の蝶」ここに完結。

☆国王陽祖が崩御した。陽祖のただ一人の子を懐妊した最晩年の側室となった雪鈴。だが、お腹の御子の本当の父親は陽祖ではなく、世子文陽君だ。やがて即位した文陽君(直祖)は、かつての言葉を思い出させるような大胆な行動に出てー。
ー俺は、そなたを取り戻すために必ず王になる。王になるために、女を奪われた屈辱にも耐えてみせる。
シリーズ最終巻が開幕。

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 だが、いつもは大人しい彼女はいつになく引き下がらなかった。
「さりながら、殿下が尚宮さまにお心を残しておられるのは明らかー」
 雪鈴は語気を強めた。
「言ってはならぬと申しておる!」
 普段は母とも信頼する馬尚宮に対し、高圧的な物言いは絶対にしない。けれど、今だけは声を荒げてでも止めねばならなかった。
 何より、雪鈴自身がそれを望んでいたから。
 あの男の冷え切った瞳の奥底に、かすかな温もりを見いだしたいと願ってしまうから。
 だが、現状、彼と自分の関係はまさしく〝母と息子〟だ。雪鈴は正式な側室ではないが、それに準ずる立場であった。仮にコンの言うように、この先、男児を産めば昇進は間違いない。先王は既に崩御してはいても、ただ一人の世継ぎの母として相応の位階を賜ることになるだろう。
 先代の王の妻である雪鈴は、先王の猶子となった新王にとっては母には相違ない。儒教国の朝鮮では血の繋がりはなくとも、〝親子〟で情を交わすことは絶対的禁忌とされる。
 いまだ即位したばかりのコンの玉座は盤石とは言いがたい面もある。彼の王としての行く末を思えば、義母との密通は消えない汚点となり、あってはならないことなのだ。
 雪鈴はホウと深い息を腹の底から吐き出した。何だか途方もなく疲れた。上辺だけ空すべりする空(むな)しい意味のない会話のやり取り、更にはコンの綺麗な瞳に吹き荒れていた冷たい嵐。かつては、あの瞳は雪鈴だけを映し、優しい春風のような温もりを宿していたのに。
ーコンさま、お腹の子は先王さまの御子ではありません。この子は、あなたご自身のお子なのです。
 けして、言葉にしてはならない真実だった。
 彼がここにいたのは、長い時間ではなかったのに、彼は幾度も口の端を歪める独特の笑い方をしていた。
ーあんな笑い方をするひとではなかった。
 斜に構えた物言い、皮肉げな笑い方、すべてが雪鈴の見知らぬもので、まるで彼が見知らぬ別人のように見えた。
 すべては我が身のせいだ。その想いは何も今に限ったことではなく、これまで何度も感じた。春風のように温かな男だったコンの心を憎しみで氷りつかせてしまったのは他ならぬ雪鈴のせいなのだ。
ーあの方はいまだに私が欲得づくで裏切り、先王さまの許に走ったのだと思っている。
 むろん、彼がそう思うように仕向けたのも雪鈴自身であり、雪鈴が言葉にして別離を突きつけたのだ。
 より権力を持つ男を選ぶのは当然だと。
 今更ながらに、あの別離の朝、コンの瞳を覆い尽くした絶望の惛い翳りが瞼に蘇る。あの時、自分は自ら彼の手を放したのだ。今になって後悔する資格すら持たない人間だ。
 雪鈴は消え入るような声で呟いた。
「少し眠りたいわ」
 馬尚宮がハッとしたように頭を下げた。
「申し訳ありません。私としたことが気づきませんでした」
 馬尚宮が隣室に控える若い女官に指示を出すと、女官二人が入ってきて手早く夜具を敷いてくれた。馬尚宮は雪鈴が褥に入るまでを見届けた後、わずかに捲れた掛け衾(ぶすま)をきちんと整えた。
「それでは、ごゆっくりとお休み下さいませ」
 扉が静かに閉まり、横たわった雪鈴は眼を瞑る。不思議なものだ。つい今し方までは、あれほど眠りたいと思っていたにも拘わらず、眠気はいっかな訪れなかった。無意味な会話の繰り返しで確かに精神は塵芥(ちりあくた)のように疲れているが、意識の芯はしんと覚めている。
 雪鈴は何度も分厚いふかふかの褥の中で寝返りを打った。それでも知らない間に眠りに落ちていたのは、やはり疲れていたのか、それとも妊娠も中期に差し掛かり、身体にかかる負担が大きくなったからなのか。
 眠りながら、雪鈴は夢を見ていた。また、あの不思議な銀色に輝く蝶に導かれ辿り着いた先は壮麗な御殿ー交泰殿(キョテジョン)だった。既に我が身はあの美しい殿舎がこの国で至高の女性が住まう場所だと知っている。
 そう、四ヶ月前、王宮庭園でコンと再会した日も、銀蝶は気紛れに現れ、交泰殿へと我が身を導いた。
 何故、銀蝶は幾度も現れては同じことを繰り返すのだろう。それは願うことはおろか、夢見てさえいけない夢なのに。
 彼を裏切った自分が彼の妻になれる日は未来永劫来ない。その事実を知りながら、幾度も果たせるはずのない夢を見せる美しい蝶は何て残酷なんだろう。
 雪鈴は夢を見ながら、涙を流した。
 雪鈴が次に目覚めた時、既に室内は、ほの暗くなっていた。褥に身を起こせば、締め切った八角形の窓の向こうは暗い。晩秋の陽は暮れるのが早い。床に入ったのはまだ昼下がりだったはずだから、随分と眠っていたことになる。
 そろそろ夕餉の時刻だけれど、馬尚宮は気を利かして起こさないでいてくれたのだろう。空腹感はまるで感じない。眠ったはずなのに、相変わらず疲れが身体の芯に澱のように残っているのは、銀蝶が見せたあり得ない夢のせいかもしれない。
 もしや、自分はいまだに浅ましい未練を捨てられないのだろうか。コンの手を放したのは彼の王として進む道のためだと思いながらも、心のどこかでは彼の隣に立つ見果てぬ夢を見ているのだろうか。
 だからこそ、先刻のような見てはならない夢を見るのか。あのような夢を見るのは銀蝶のせいではなく、雪鈴自身の心に邪な願いが潜んでいるからではないだろうか。