第四話 韓流時代小説 夢の途中【秘苑の蝶】 後編
～王と世子（コン）の間で揺れる雪鈴の心。そんな中、承恩尚宮ソン氏の懐妊が発覚し～
国王陽祖に召し上げられた雪鈴は、後宮入りし、承恩尚宮となった。21歳も若い娘のような雪鈴を熱愛する陽祖。
一方、文陽君ことコンは愛する想い人を突然、王に奪われ、嫉妬で鬱々とした日々を送る。そんな中、世子冊封の儀式が行われ、コンはついに正式な東宮となった。
コンはまだ雪鈴が一方的に別離を告げたのは、自分の前途を思い身をひいたのだと考え、何とか雪鈴の本心を確かめたいと思っている。しかし、「王の女」である雪鈴と世子であるコンが二人きりになれる機会など、あるはずもなかった。
だが、秘苑と呼ばれる王宮庭園の奥深く、二人は運命的かつ皮肉な再会を果たす。
更に、導きの蝶である銀蝶が雪鈴を導いたのは王妃の居所とされる中宮殿だった。
ー今でさえ正式な側室でもないのに、私が王妃になるなんてあり得ない。
やはり、銀蝶が未来を告げるというのは自分の思い違いにすぎないと苦笑する雪鈴だったが。
嵐の王宮編、怒濤の展開、後編。
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「私がー身籠もって？」
王はどこか厳かにも見える素振りで頷いた。
「恐らくは」
雪鈴の全身に冷たいものが流れた。何ということだろう。稚(おさな)く未熟な自分は、これが懐妊の兆候だということさえ思いつかなかった。
けれどー。今、懐妊が判ったというなら、絶対に王の御子ではあり得ない。ならば、腹の子の父親はー。雪鈴は更に蒼褪めた。
コン以外に考えられない。
雪鈴はその場に両手をつかえ、身を投げ出した。
「申し訳ございません。お許し下さいませ」
王の褥に侍る身で、他の男と通じていた。もっとも、正しくは王がコンと雪鈴の間に割り込み二人を引き裂いたのだ。本来ならば罪には値しないはずだけれど、相手は国王だ。
王の女は〝お清〟つまり処女(おとめ)でなければならないというのが前提である。あまつさえ他の男の種を身籠もった身で王に抱かれたとあれば、不敬罪、大逆罪で罪に問われてもおかしくはない。
大粒の涙が次々と溢れ出し、純白の絹布団に染みを作った。
「申し訳ありません。言い訳もできないのは承知しております。ただ、腹の子に罪はなく、罪があるのは私一人にて、どうか子が生まれるまでは罰を与えるのは先延ばしにして頂けないでしょうか。子が生まれた後は、どんな罪も受けますゆえ」
王が溜息をついた。
「まあ、良いから落ち着きなさい」
雪鈴がおずおずと貌を上げると、王が手で差し招いた。怖々と近づいた雪鈴を抱き上げ膝に乗せ、彼女の髪を王が労りを込めて撫でる。怒っているとは思えない優しい仕草だった。
「懐妊中の身で心を波立たせるのは良くない」
王は呟き、また雪鈴の髪を撫でた。
「可哀想に、どのような仕置きをされるかと怯えたのだな」
王が独り言のように言った。
「朕は気づいていたよ」
え、と、雪鈴が驚きを露わにするのに、王が笑んだ。酷く淋しげな微笑だった。
「むろん、懐妊しているとまでは知らないが。そなたを初めて抱いた夜、未通ではないのはすぐに判った」
雪鈴はまたも蒼褪めた。
「申し訳ー」
謝ろうとして、王が手で制した。
「良いのだ。謝る必要はない。朕がそなたを世子から奪ったのだ。そなたらは将来を誓い合うほどの仲であった。当然、男女の関係があったとしても何の不思議も無い。ゆえに、そなたが未通ではなかったとしても、朕はそこに拘るつもりは毛頭なかったのだ」
王は、どこか遠い瞳で呟いた。
「まさか、そなたが世子の子を身籠もっているとはな。因果応報という言葉があるが、我がなしたことの報いはすべて我に返るという世の習いやもしれぬ」
雪鈴はあまりの罪深さに、いまだ、おののいていた。確かに王の言う通りではある。コンと我が身は夫婦(めおと)となる約束を交わしていた。正式な婚約こそしていなかったけれど、彼は初めて結ばれた直後、帰邸してから
ーこれからのことをゆっくりと話し合おう。
と言った。あのときの彼の言葉からすれば、あの後、求婚するつもりだったのだと察せられる。だが、現実には、二人はその時間を持つことはできなかった。話をする前に、雪鈴は王と出逢い、王がコンから略奪も同然に雪鈴を取り上げたからだ。
思えば既にあの時、雪鈴の胎内にはコンとの間に授かった生命が芽生えていたのだ。
あの時点で気づくのは絶対に無理ではあったとしても、もし彼の子を宿していると判っていれば、生命を賭けてでも王命を拒み通したはずだ。
今となっては、もうすべてが遅い、遅すぎた。我が身は他(あだ)し男の子を宿しながら、何食わぬ顔で王に抱かれていた。表面だけを見れば、雪鈴のなしたことは王を欺く大罪だ。
今のところ、王は怒っているどころか気を悪くしている風さえない。とはいえ、到底安心できる事態ではない。また、このような大事が容易く許されると思うほど、雪鈴も世間知らずではなかった。
今はただ、ひたすら王の慈悲に縋るしかない。何としてでも、腹の子だけは守り通さねば。コンを大きく傷つけてまで選び取ったこの道だ。この上、彼の子を失うようなことになれば、申し訳が立たない。
雪鈴は王の膝から降り、改めて両手をついた。
「いかようなる罰もお受けします。ただ、先ほども申し上げましたように、腹の子だけは助けて頂きますよう、伏してお願い申し上げます」
王がフと笑った。
「だから先刻から申しているではないか。そなたが王宮に参るより以前のことに拘るつもりはないと」
雪鈴はハッと顔を上げた。燭台の灯りも消えた広い室内は森閑として、千尋(ちひろ)の海の底を思わせる。薄い闇だけが満たす中、王の漆黒の瞳は哀しいほど凪いでおり、よく晴れた日の海に似ていた。
それは、何かを諦めた人だけが持つ諦観を秘めたまなざしだ。このときの彼女は、王が何故、そのような眼をするのか知る由もなかった。
王は淡々と言った。
「腹の子の処遇は、これから考えれば良い。朕の子として産んで育てても良いのだ」
雪鈴は瞳を大きく見開いた。
「そんなー」