韓流時代小説 秘苑の蝶〜コンの願いー彼女が俺の子の母親となったところを見てみたい。雪鈴、愛してる | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
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第一話 後編 韓流時代小説 後宮に蝶は舞いて~Everlasting love~【朝鮮烈女伝異聞】

嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴(ソン・ソリョン)。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。

朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。

朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く。


  ローダンセ 花言葉ー変わらぬ愛

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 感極まったのか、コンは涙ぐんでいる。精悍な彼の横顔には涙の跡が見えた。
「本当に良かった」
 お産は女の〝大役〟でもあり〝大厄〟だ。医療技術の未発達であった時代、出産は生命賭けであり、生命を落とす産婦や赤児も少なくはなかったのである。
 コンはまだ何か清明に囁きかけ、髪を撫でている。彼は妹を連れ出した責任を感じていたから、彼のためにもお産が無事に終わって良かった。
 雪鈴は兄妹を小屋に残し、一人、外に出た。
 初めての大仕事に身体も心も疲れ果てていたけれど、意識の芯は逆に冴えていた。とりあえず、出産は終わった。役目を何とか果たすことができたのだ。疲れているとはいっても、心地良い疲れだ。
 雪鈴はひと度、小屋に戻りコンに告げた。
「姫乃原まで行って、馬を連れてきますね」
 コンが立ち上がった。
「俺もゆこう」
 雪鈴は清明を見た。出産を終えたばかりの産婦を一人きりにするのは心許ない。しかし、清明は赤児共々、ぐっすりと眠っているようだ。この様子なら、少しくらいなら側を離れても心配はなさそうである。
 雪鈴は彼と並んで、ゆっくりと歩いた。姫乃原まで、道々、二人とも言葉はなかったけれど、共に大きな試練を乗り越えた者同士、連帯感のようなものが自然に芽生えていた。
 これまでより、彼という存在をいっそう身近に感じられる気がする。小屋から姫乃原までは考えていたほどの距離はなかった。状況が状況だけに、かなり遠方だと思い込んでいたようだ。
 二人はどちらからともなく草原に座り込み、空を見上げた。下草はまだしっとりと雨露を帯びている。しかし、二人ともに多少濡れるのは厭わなかった。雨は既にすっかり止み、澄み渡った夜空が真上に涯(はて)なくひろがっている。降るような満天の星明かりが美しい。
 満月が手を伸ばせば届くほど迫って見えた。青灰色の月の面に刻み込まれた複雑な文様の一つ一つまで見晴るかせそうだ。今夜の月は実家の母が宝物のように大切していた清国渡りだという銀器に似ている。
 雪鈴は、ごく自然に母のことを思い出していた。母も自分を産むときは、清明のように陣痛に耐えて苦しんだのだろうか。
 新しい生命を送り出すという自然の奇跡を目の当たりにしたせいか、心の底に重く淀んでいた様々な感情はあらかた無くなっていた。そのことに、雪鈴自身が愕いていた。
 今なら、実家の父と母の想いも少しは理解できるような気がしていた。両親は自分を見捨てたのでも、切り捨てたのでもない。自分を生かしたいからこそ、その手を放したのだ。
 仮に助けを求めて雪鈴が実家に逃げ込んだ時、娘を匿ったとしても、到底庇いきれるものではなかった。何故なら、崔家の義両親の主張は世間的に何一つ間違ってはおらず、むしろ正しいからだ。
 両班の世界では、先だった良人に殉死するのはむしろ美徳とされる。あの場で娘を匿ったとしても、それは一時、いずれは婚家に引き渡さざるを得なくなる。だからこそ、父は娘に背を向け、母は見て見ないふりをした。
ー崔家のご両親の命に従うように。
 口では言いながらも、恐らく父も母も一人娘が無事に逃げおおせることを心では願っていた。
 あの状況では、両親が見て見ないふりをするしかないのは理解はしているつもりだったけれど、心では何という冷たい両親かと恨んでいた。生まれてくる赤児のことしか頭になく、嫁がせた雪鈴はもういないかのように振る舞おうとする母を憎みさえしたのだ。
 だが、両親の心の真実は、多分、別のところにあった。親が子に死んでも良いだなんて、思うはずはないのだ。清明が生命賭けで出産に挑む一部始終を見て、雪鈴の想いは大きく変化していた。
 何より、母があの壮絶な痛みを乗り越え、我が身をこの世に送り出してくれたと考えるだけで、たとえ父と母の心がどうあったとしても、すべてを許せるーいや、受け容れることができると思った。
 もしかしたら、今夜、清明の出産に立ち会うことになったのも、何か大きな天の意思が働いていたのかもしれない。
 雪鈴が新たに辿り着いた想いに浸っていると、コンの声が耳を打った。
「そなたのお陰で母子ともに助かった。心から礼を言う。雪鈴は清明と俺の甥の生命の恩人だ」
 雪鈴は微笑んだ。
「大袈裟です」
 彼女はなおも視線は天上の星に向けたまま続けた。
「私は何もしていませんよ。ただ運が良かっただけです。清明さまはお身体がお丈夫で、安産でした。私たちは天地神明に助けて頂いたのです」
 運が良かったのは確かだ。清明が本格的な陣痛を訴えたのが黄昏刻、赤ン坊が生まれたのが夜更けだとすると、およそ九時間かかった出産だ。経産婦なら平均的な時間かもしれないけれど、初めてのお産であれば早い方ではないか。特に大きな問題もなく進み、雪鈴は側で清明を励ましただけだ。実際にやったのは赤児が生まれた時、取り上げ、その後の処置だけである。
 あらかたは自然の摂理通りに進み、無事終えたお産だった。
 だが、コンは得心がゆかないらしい。真顔で言い募った。
「いや、そなたがおらず、俺一人では、赤児を取り上げることはできなかった。ただ、右往左往していただけだったろうよ」
 コンは少し躊躇う素振りを見せ、意を決したようにひと息で言った。
「そなたが生まれた赤児を抱いているのを見た時、ふと考えてみた」
 雪鈴がコンを見つめるのに、彼は照れたように笑った。
「雪鈴が子どもを産んだら、こんな感じなのかなと思った」
 実際、雪鈴が産湯を使わせ敷き布にくるんだ赤児を抱いた時、コンは初めてとは思えないしっかりとした抱き方に眼を瞠り、微笑ましく眺めたのだ。更に雪鈴が彼の妻となり、二人の間に新しい生命を授かったときのことまで想像した。
 もちろん、そのときの彼の心境を雪鈴が知る由もないけれど。
 コンの予期せぬ言葉は、雪鈴の心の襞を烈しく揺さぶった。心に降り積もった想いをせき止めていた堰がほころび、これまで堪えに堪えていたものが一挙に溢れ出す。
 雪鈴の眼に透明な涙が溢れた。一旦わき出た涙は次々に溢れ出て、とどまることを知らない。
 コンが眼を見開いている。
「どうした、何故、泣く?」 
 彼が弱り切ったように言葉を重ねた。
「俺の言葉が何かいけなかったか。頼むから、泣き止んでくれ。そなたが泣くと、俺はどうして良いか判らなくなる」
 雪鈴はうつむいた。止めようと思っても、涙は止まらなかった。
「私も清明さまのように母となってみたかったです」
 コンが優しく言った。
「そなたはまだ若い。清明より六つも下だ。まだまだこれからではないか。いずれ子を産むときもあろう」
 願わくば、彼女が産む子の父親は自分でありたいと、コンは思った。しかし、こんなにも哀しげに泣いている少女に言えるはずもなかった。