第一話 後編 韓流時代小説 後宮に蝶は舞いて～Everlasting love～【朝鮮烈女伝異聞】
嫁いで四日目に夫を失った少女孫雪鈴（ソン・ソリョン）。夫の死の悲しみも冷めやらぬある日、舅と姑から夫に殉死するように迫られー。
朝鮮王朝時代、夫に先立たれた未亡人は、しばしば婚家から不当に自害を強いられることがあった。いわゆる「烈女」制度が引き起こす悲劇だ。寡婦となった妻は亡き夫に操を立て見事に生命を絶つことが何よりの名誉とされる思想があり、婚家の義両親は、その栄誉を受けたいがために嫁に死を迫ったのだ。
朝鮮王朝中興の祖と民から愛された王、直祖と王を支え続けた賢后・孝慧王后の出逢いから、数々の苦難を経て成婚に至るまでを描く。
ローダンセ 花言葉ー変わらぬ愛
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コンの口調は、どこか淋しげでさえあった。
「大人になって初めて、父の気持ちが理解できた」
この場合、はきとは言わないけれど、彼の父があまたの女人と関係を持ったということを指しているのは理解できた。
「雪鈴の前で言うべきことではないかもしれないが、父は女人と過ごす時間で憂さ晴らしをしていたのだろう」
つまり、女体に鬱憤のはけ口を求めていたということだ。
コンが自嘲気味に言う。
「都にいた頃の俺は、本当に見下げ果てた男だった。あれほど嫌い抜いた父と同じふるまいをし、気がつけば、文陽君といえば女好きの救いようのない放蕩者だと烙印を押されていた。朝廷で俺の名を知る者はおらずとも、遊び人たちの間では有名人だ。まったくもって、不名誉な話さ。ある日、何もかもが嫌になり、俺は逃げるように都落ちした」
雪鈴は静かに言った。
「それで、セサリ町に来られたのですね」
そうだ、と、彼は頷く。
「都にいるときの俺は、大抵、悪友どもと一緒だった。何ということはない、ただつるんで、遊び回るだけの悪友さ。心の繋がりだとか信頼関係なぞ、これっぽっちもありはしない。そんなヤツらは、俺が北方の田舎町に引っ越すと聞いて、皆せせら笑った。派手好きで、遊び好き女好き三拍子揃った文陽君が寒い片田舎ではひと月も我慢はできないと笑っていたよ」
「お友達の予想は物の見事に外れましたね？」
雪鈴の指摘に、コンは愉快そうに笑った。
「そうだな。外れた。実のところ、俺自身も悪友どもと同じ見解だったからな。いつまでも保つか知れたものではないと思っていた」
雪鈴は思いきって訊ねてみた。
「何故、ご自身の予想は外れたのでしょう？」
コンが笑って空を振り仰ぐ。つられて見上げた五月の空は抜けるように蒼く澄み渡り、遠くに真綿をちぎったかのような筋雲が幾つか浮かんでいる。正午が近いこの時刻、太陽の光ははや夏を感じさせた。
「さあ、何故なのか。おかしな話だが、自分でも判らない。強いて言うなら、セサリ町は都とすべてが違った」
彼は相変わらず空を見上げている。
「まず空気が美味しい。都のような騒がしさがない。もっとも、これは我が家が町中から外れているからかもしれんが。後は少し足を伸ばせば河も近い」
雪鈴がポツリと言った。
「私が流れ着いていたという河原ですね」
コンは自然な様子で同意した。憐れみも同情も感じさせない態度は、かえって雪鈴には救いでもあった。
「そうだな」
コンはさらりと言い、また話し出す。
「ここでは時間の流れがとてもゆっくりしている。加えて、煩わしさがない。自分が王族であるとか考えなくて済むし、何かをすべきなのに、どうするすべもないと自己嫌悪に陥ることもない」
雪鈴は問うた。
「コンさまは何か、お志があるのですか？」
しばらく、コンからいらえはなかった。踏み込みすぎた質問かと思った頃、彼が重い口を開いた。
「判らないと言ったら、そなたは笑うだろうな」
彼は淡々と言った。
「いや、判らないというのとも違うな。民のために、何かしたい。一部の連中だけが特権を貪るのはおかしい。飢えで亡くなる幼い子を無くし、民たちが安心して暮らせる国を作りたい」
雪鈴は眼を見開き、彼を見つめた。彼が照れたように笑う。
「おかしいだろう？ 任官すらしていない俺が政治について語り、その上、民が安心して暮らせる国を作りたいだなんて。理想論すぎるよな。まさに絵に描いた餅だ。何の意味もありはしない」
雪鈴は意気込んで言った。
「いいえ、そんなことはないと思います！ 私は素敵だと思いますよ」
あまりの力の入れように、今度はコンが愕いているようで、雪鈴はムキになりすぎた自分が恥ずかしくなった。
上昇する頬の熱を自覚しながら、雪鈴はゆっくりと自分なりの考えを述べてみる。
「理想を持つのは大切なことだと思います。夢がなければ、人は頑張れません。まずは何でも良いから理想を掲げて、自分にできることから少しずつやってゆけば良いのではありませんか。コンさまには、今のお立場で出来ることがおありになるはずです。少しずつでも前に向いて進んでゆけば、時間はかかっても目的地に辿り着けますもの」
コンがゆっくり息を吐き出した。
「愕いたな。雪鈴がそんなことを考えているなんて考えてもみなかった」
コンは大きな手のひらで雪鈴の艶やかな髪を撫でた。
「こんなに可愛い貌をして、頭には男並みの考えが詰まっているんだな」
直截に褒められ、雪鈴はうつむいて首を振った。頬の熱は最早、自分でも判るくらい高まっている。コンに見られるのは恥ずかしすぎる。
コンの声は先刻までより明るかった。
「雪鈴にできると言われたら、本当に微力な俺でも何とかできるのではないかと思えてくる。そうだな、そなたの言う通りだ。俺は幸いにもこの町の郡守にも意見できる政治顧問という肩書きを与えられている。その気になれば、町の人たちのためにもっとできることがあるかもしれない。自分なりにもっと真剣に考えてみるよ」
雪鈴も笑顔で頷いた。
「はい」
そのときだ、清明の声が風に乗って聞こえてきた。
「お二人さん～、二人だけの世界に入っていないで、そろそろお昼にしましょうよ。お腹が空きすぎて眼が回りそうよ」
コンが綺麗な顔に苦笑を立ち上らせる。
「まったく、自分勝手な妹だ。自分は着くなり俺たちのことは放り出して、一人で絵描きに夢中になっていた癖に」
雪鈴が微笑んだ。
「清明さまのおっしゃる通りです。赤ちゃんが生まれたら、しばらくは母君は大忙しですもの。今の中に羽を伸ばしておきたいと思うのは当たり前ですよ」
清明の嫁ぎ先の金家はこの地方一帯でも有数の名家である。元は建国一等功臣を開祖とする上流両班家であり、数代前の当主が現役を引退後、この地に隠棲したのが土豪化したきっかけだ。
実は清明と彼女の夫君はこの時代には珍しい熱烈な恋愛結婚だった。さもなければ、いくら名家とはいえ、仮にも王族の姫君が僻地の地方両班家に入輿することはなかったはずだ。
たまたま夫君が都に上り、成均館で学んでいた時代に二人は出逢った。その日、王宮で内輪の催し物があった。宴の会場へ向かう清明が愛用の扇を王宮内の水路に落として難儀していたところ、参内中の夫君が通りかかって拾ったのが縁(えにし)の始まりだという。
二人ともひとめ惚れであったらしい。大胆にも清明は初対面で夫君に逢瀬の約束を取り付け、以来、二人だけでしばしば町中で密会を重ねた。
人の口に戸は立てられず、いつしか二人の仲が口の端に登るようになった頃、王族の姫が外聞も悪いということで、早々に国王の仲裁で縁談が纏まった。簡素な結婚式を挙げてから、夫君が成均館で学業を終えて帰郷するのに合わせ、清明も夫君と共に婚家へ向かったというわけだ。
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