近藤 智 Blog
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最近の所感とゼレンスキー大統領様へ届いて?

①まず以前「たった一つの花」理論が私の特異点論とほぼ同じ結論のような内容を述べましたが、ここで敢えて修正するなら、その「たった一つの花」理論でさえその曲歌詞を作った人のその人自身の培った早熟な特異点の解消の結果出てきたそのような価値観は私はあくまで対抗的ではなく相対的な価値観としてその人はおそらく家族単位のレベルでそれぞれの家族はその家庭内でその花を咲かせればいいのだろうというレベルの確かに一般性のあるよくハイレベルの官僚の人や芸術館の人が所謂「国民の現実的不平等の解消としての平準化を法的経済的歌魂的に説得しようとする且つ実行しようとする一群の人達の価値観に元ずく発言の表れであろうと感じます、彼らはあくまでハイレベルなので未熟な一般人に「あなた方は平等ですよと」説得する見下ろす立場にいるとも言えますが、悪い意味ではないのです、確かに昭和の政治家の一人である古賀政男一つの花」理論が私の特異点論とほぼ同じ結論のような内容を述べましたが、ここで敢えて修正するなら、その「たった一つの花」理論でさえその曲歌詞を作った人のその人自身の培った早熟な特異点の解消の結果出てきたそのような価値観は私はあくまで対抗的ではなく相対的な価値観としてその人はおそらく家族単位のレベルでそれぞれの家族はその家庭内でその花を咲かせればいいのだろうというレベルの確かに一般性のあるよくハイレベルの官僚の人や芸術館の人が所謂「国民の現実的不平等の解消としての平準化を法的経済的歌魂的に説得しようとする且つ実行しようとする一群の人達の価値観に元ずく発言の表れであろうと感じます、彼らはあくまでハイレベルなので未熟な一般人に「あなた方は平等ですよと」説得する見下ろす立場にいるとも言えますが、悪い意味ではないのです、確かに昭和の政治家の一人である古賀誠議員さんが「ようやく70年代中旬から国民一人一人が食べていけるようになったでしょ!」と発言した内容が私には世界的ではないにしろこの貴重な一言がまさに日本の名もないわけではないにしろ少なくともいや最近では一人一人稼げるだけでなく稼ぎながら更に余暇も思う存分楽しめる日本的民主主義の進化を見れますね。外国の政治家さん達はあまり日本人の政治家さんの一言など目にも留めないでしょう、でも私には少なくとも古賀誠議員さんの一言はこれこそ民主主義を真顔に実行した実力者の一人だと強調したいです。

②西洋人の人にはあまりわからない思想でしょうですけど、ゼレンスキー大統領の行動を最近見ていると「仕掛けられた戦争には如何なる大国であろうとも勝つことがウクライナの国民にとっては或いは西洋世界では勝つことが国民の血が流れてもまず第一にそれが条件である」というようなイメージであります、森喜朗議員が「大国ロシアに諸国小国ウクライナに勝てるわけがない」といった発言は私は初めは反対でしたが、最近の泥沼を見てもし初めからウクライナが譲歩すればそれこそ死者や戦争もなく各国の政治家がその時に戦争が始まる前にロシアを説得にかかれば犠牲も破壊も無かったかもしれないでしょね、日本には「柔」という思想があります「仁」という思想もあります、そのうち今回は「柔の思想=勝つと思うな思えば負ける・・・」等の思想は西洋世界の「二階堂議員のいう力の政治」にはとても受け入れられないような思想ですが、ゼレンスキーさんがあくまで勝つまで戦うならばもしやかつての日懸念もあります、勿論勝てばそれに越したことはありませんが、どうも西洋の力の政治では軍事的ウエポンでしか解決の手段を見出せないのでしょうか、いくら国際連合がコメントしてもプーチン大統領は当然アメリカのやり方でも受け入れないのだからましてや国際連合の発言はプーチン大統領さんにとっては大国であるがゆえにそんな発言は無視されるでしょうな、平和交渉などくそ位でしょうね。力を力で制すが西洋世界なら島国の日本の「柔」の思想など昔のキリストのように右のほほを殴られたら左のほほを差し出すようなイメージですね。ウクライナ国民の人の意見がもし本当の和平を望むなら悔しくても領土問題はある意味で西洋諸国の政治家さんに任せて、停戦合意等がもしかして望まれますかね、それとも勝つまで戦いますかね?古賀議員さんと森喜朗銀さんは私にとっては何故か輝いているような気がしてなりません。

③①で述べたように「たった一つの花」と言い切れるのはある意味で高い次元の特異点の解消を持った人々選ばれし者たちの口癖で批判的ではないにしろ、一般人は私も含めてむしろ「比べたがる」というのが歌詞にもあるように「それでも人は比べたがる」がむしろ本音でもありえますね、つまり平和的弱肉強食的社会でもあると言っても現実的にはそう言えるかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

・・・もしテレビ局がオッペンハイマーを責めるなら日本人も政略結婚を良美ましょう・・・

あまり過激的な事は言いません、ただ最近あるテレビ局であまりにもアメリカのオッペンハイマーを攻める過去の出来事を更に謝罪させようとする動きがあるので私はそれなら日本の天皇の政略結婚はどうなのですかと言いたいです、かつて私の友人が今の上皇の結婚は心にそう結婚ではなかったと言いました、私も同感です、更に今の天皇皇后両陛下の結婚も、もし芸能界がドラマで魅せる「本当の心の通った結婚」をアピールするのならば、日の丸を背負った彼らはある意味で矛盾であるかそれ、とも使い分けであるかとは思います、間違いとかそうではないのですが、例えば佳子様真子様の様により自由に当人の自由意思に任せて結婚をするのでなければいくら天皇制がどうのこうのでも矛盾を感じざるを得ません、天皇様たちは政略的で一般人は自由でいいのでは芸能界の「本当の意味での結婚」とは何の意味なのですか?もし私の単純なこの言動が間違っていればそてなりに私にも反省すべきところがあるのでしょう、ただせめて芸能界が発信するドラマが「愛とは結婚とはこういうものだ」といようなものを発信するんぉであるば、もはや民主主義・自由主義がこれ程までに戦後発展した発展した社会であると仮定できるのならば「自分の心を殺してまで好きでない人と結婚する」というケースはいかがなものですか?一般人はそれでいいのですか、或いは上の人は違うのだと言いたいのならそれなりのドラマを納得のいくように構築していただきたいとちょっと萌えました、「結婚」について最近少し思うことを述べた次第です、おそらく私は天皇制=立憲君主制そのものを否定するものではありません、ただドラマと秋篠宮様の動きが変な動きがギャップがあるのでここに書いた次第です。過去の事は仕方ありませんがせめて近未来はせめて「結婚」という重大な人生のテーマならやはりドラマが提示するように「こころ」に沿ったものが要求するかしないかです。松田聖子さんの歌に「夏服のイヴ」という曲があります、その中の台詞に「・・・選んだから悔やまないわもし不幸になっても・・・」という非常に貴重な台詞があります、もし不幸になっても確かに現実的には難しいテーマですね、不幸になるくらいなら地位とか名誉とかお金があった方がいいですね、でもテレビドラマは何故かそんな現実とはちょっとかけ離れたような彼らにとっては「やはり心の通うめぐり逢い」のような作品を出し続けていますね。私はどうであっても結婚はどうやら法的には当人同士の「同意契約」である以上は何も言えませんよ。

・・・雑談その1・・・雇い主側から見た平社員とは?・・・英会話上達法幻のスモーキン時代竹中尚人様

色々と何故かある意味で会社で言えば雇用者側の視線で或いは一般的には弱者視線で「世界でたった一つの花」論を今まで書いてきたようですので、今回は雇い主目線から見た我々平の一般的にはサラリーマンはどうか?私は思うのに、最も特徴的で極めて大事なことを書き忘れていたとここで思います、それは私が大学生時代に知人であった人が人を雇うこととは?と問いかけてその答えは「せっかくお金になるシステムを苦労してまずは1代目の社長が築き上げてきてそこにある意味で変な分子というか、例えば(私のような)人間が就職戦線で万が一どこでもいいから規模を問わず就職できたとしても、その人がいるために会社をめちゃくちゃにされたら困るなら雇わないの道理でしょ!!そう思わない?」と言われました、やはり雇用創出が雇用喪失になったらいけないから、そこで雇う側も苦労してお金になるシステムに入れたのだから、少なくとも組織・企業文化が暗黙知でも形式知でもいずれにせよ、その彼らのやり方がありメンバーシップ型でもジョブ型でもあまり従わなければやはりその特徴的な企業の存続にかかわるのでやはり要る人要らない人の区別はいるかは決定されてしまうのかもしれませんね。とにかくまず財団とか社団とかあっても人間がある意味で主体の現代では、スマホという破壊的イノベーションがフィンテックという既存銀行に対する脅威の新しい出現は確かにそれは技術の超発展のせいであって人間同士の関係はやはり何らかの軋轢というか関係性の個性的ぶつかり合いみたいな現象は未だにあるかとは想像できます、それが嫌な人はというかある人は個人事業を開業したり、スマホやパソコンでアフィリエイト等でまた株やFXで食べていくひともいることでしょう。ここで株や英会話等の話が出たのでようやく竹中尚人氏のチャーさんの英語の上達法はどうかといえば、私も現在その方法で何とか上手くなりたいと思っているし使えなくては食っていけないとは言わないけど使えた方がスムーズなので、つまり外国人の友達をつくりそしてその人たちと初めは片言ででも話し込んでいるうちにどうやらチャーさんはネイティブになったそうです、羨ましいです、チャーさんはでも初めから色々と小学生から先生に才能を認められたそうです、私はよくパソコンやスマホで株取引FX、不動産取引、英会話、アフィリエイト、アマゾン等のサブスクで「私はこのやり方で上手くいって今では大金持ちで、この方法を実践すれば・・・」という宣伝を見るに、おそらく「たった一つの花」理論でいくと人間の数だけ稼ぐ方法がありまた英会話の上手くなり方があるように思えます、因みに私は気づけばチャーさんみたいに英会話を初めのうちは名詞と副詞をつけてなるべく文法を気にしないでまた学びなおさずに、今の過去に習った英語を基にとにかく会話を機会あるごとに英単語の羅列から次第に通じると次の先の名刺+副詞、更に動詞もつけてとやっていきました、まだほんの少し通じるのですがそれが嬉しいのです、「あ!1こう言えば意外に文法を気にせずに通じるのだ」とそれの繰り返しです。例えばロックギタリストアコーステックもピアノ等もほぼすべて弾けるチャーさんは歌「SMORKY」という曲で「タバコが嫌い」と「お金は(時として)人生を狂わす」みたいな内容を[Smorky is not my sky][Money is all your lies]のようにここの表現ではまるで難しい表現が出てこなくて上記のように彼は表現しているし、言われてみれば確かにそう訳しても通じる発想ですよね、こんな発想で行けばいいのだとそれがまた生の外国人に通じればそれこそが生きた英語かもしれません。

①私は90年代に松沢病院のデイケアの就労セミナーで、誰もが当たり前で簡単と思う「鉛筆の数と消しゴムの数とノートの数を数えさせ渡された既に入力済みの本数が書かれたシートと比べて所謂在庫チェックを遣らされましたがこの一見小学生や幼稚園生でも出来そうな当たり前のチェックこそが所謂「正確さ」を職員は就職すれば数があっているかあっていないかの仕事の一部にあるのだがその正確さを極めて下さいと言いたかったのだろうとは思います、会社とは結局事務にしろ労働にしろとにかく就労のための訓練はたったそれだけでした。

②私は80年代に少しだけ外国の大学の日本校で卒業後図書館で一応バイトのようなものをしていましたが、結局日本と外国(私の場合はアメリカ)共に働けば解かりますがある種の、もしあまり仕事が出来なければまた好感されなければ結局「弱肉強食」で後から入ってきたメンバーからのいじめ等を受けて辞めてしまいました、それが私の唯一のディスクワークでした、のちはブルーワーカーになりましたが。

③昔の就職における標語は①正確②丁寧③早くでした、今は①信頼②誠意③もうひとつはおそらく?忘れた。

 

 

 

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