私のポルトガル語の家庭教師Lurdes先生は、
午前中は公立小学校で教師をしている。受け持ちは
1年生。

いよいよ今週から試験が始まったそうで、
試験後の採点に大忙しである。

試験科目は国語(ポルトガル語)、理科(生物)、
算数、社会(歴史/地理)、音楽、工作(粘土)の
6科目である。

先週、真新しい素敵なサンダルと
かばんで登場したLurdes先生。
それ素敵ね、と言うと、生徒の保護者からのいただきものだと言う。

サンダルとかばんの他に現金
500MT(約1,500円)も
もらったと嬉しそうに話す先生。
彼女の給料が約
4,000MT(約12,000円)ほどなので、
決して少なくない贈り物である。
先生曰く、年度末にはままあることだと言う。

ようは成績をお金で買うのだ。
この国では、運転免許など
他にもお金で買えるものが日本よりも多く存在する。


7月生まれの次男、4か月になりました

地元の高校に通うA子は夏休みを利用して、自分の住む町から
車で
3時間ほどの港町にある親戚の家に遊びに来ていた。

買い物に行った先で知らない男性に
「君、ちょっと」と、手招きをされた。

A
子は少し怖かったが、その男性が何度も呼ぶので、
しかたなくその男性の元へと歩いて行った。
その男性は唐突に
「君に一目惚れだ。僕と結婚してくれませんか」と言った。

A
子は突然のことに驚き、咄嗟に「嫌です」と言って、その場を去った。

しかし何度か町で会うようになり、次第にその男性に
惹かれていった
A子はその男性と結婚することを決めた。

運命の出逢いから
2週間後、その男性はA子の自宅に行き
「娘さんと結婚させてください」と
A子の父に言った。

A
子の父は「ダメだ、A子はまだ学生だし、君は歳上過ぎる」と反対した。

29
歳だったその男性は
「学校は自分の住む港町にもありますので、転校させます」
と答えた。

二人の意志は強く、ほどなく二人は結婚し、すぐに子どもも授かった。
A子は運命の出逢いから2か月後には港町の高校に転校し、
卒業と同時にその子どもを出産した。

二人はその後、自分たちの家を持ち、その子どもは来年高校生になる。

私たちの大家さんと奥さんの素敵なナレソメである。
もちろん二人は今も仲がいい。

119は日本や中国、韓国、台湾、インドネシアなどの、
911は北米やカナダ、中米などの、
999はマレーシアやミャンマーのアジア諸国やイギリス、
英語圏のアフリカ諸国などの緊急通報用電話番号である。

緊急通報用電話番号とは
wikipediaによれば
「犯罪事案発生時や災害発生などの緊急時に、
当地の警察や消防などの緊急対応機関に通報するための
電話番号である。その番号は国によって異なるが、
3桁の番号が使われることが多い」とある。
ちなみにヨーロッパではEUが採用している112というのも多い。

世界最初の緊急通報用電話番号は
1937年に
ロンドンで使用された
999であるという。

国によっては、警察・救急・消防以外に迷子(ベルギーや
韓国など)やガス漏れ(エジプトやポーランド、ロシアなど)、
森林火災(ポルトガルなど)や山岳救助(イタリアや
オーストリアなど)、
麻薬対策(ギリシャなど)や
スパイ通報(韓国など)などに個別の
3桁の番号を割り当てている国もある。

日本では警察の
110と救急・消防の119以外に
海上(海上保安庁)での事故・事件の
118
緊急を要しない場合の警察の
#9110がある。

週末にレスキューダイバーのライセンス取得の条件になっている
PADIEFR(日常での緊急時における救急法を身につける
エマージェンシー・ファースト・レスポンス)講習を受けた。


そこでは日常で起こりうる様々な緊急時(車の衝突事故や
家庭での火災など)における一次的ならびに二次的ケア
(激しい出血、ショック状態、脊髄損傷の管理や心肺蘇生法など)を学んだ。


様々な状況を想定したロールプレイングでは
「緊急通報用電話番号に電話をする」という手順が最初にくる。

インストラクター(ヨーロッパの方)がそこで説明を加える。
「僕の国でも、もちろん日本にも緊急通報用電話番号があると
思うけど、実はモザンビークにはまだこのシステムがないんだ。
この
4時間の講習で学ぶ救急法は本当に基本的なことだけれども、
この国の医者はこの基本的な救急法ですら心得ていない人もいるんだ。
だから、ここではこの救急法を心得ておくことはとても大きな意味を持つんだ」

発展途上国で暮らすということ、
先進国では生命の危険を感じなくてもいいことでも
制度や施設、技術が整っていないことで助かる命も
助からないことがあるということを改めて感じた。

医療機関が充分でないこの国の片田舎に暮らすことは、
そういうリスクも負うということを心して、講習を受け、
きちんと身につけておこうと思った。

備えあれば、憂いなし。である。


いよいよ次回から実習開始♪(写真は沖縄)

私たちは大家さんと同じ敷地内に住んでいるので、私は
なんだかんだで大家さんのお手伝いさんと顔を合わせることが多い。

お手伝いさんの朝は早く、朝
6時から夕暮れ時まで掃除、
洗濯(洗濯板で手洗い)、
3度の食事の支度をする。
お休みは基本的に週1日だが、お休みがない週もままある。

だいたいいつも私が夕方、旦那さんを迎えに行く時間に、
大家さんのお手伝いさんが帰る。
金曜日、いつものようにお手伝いさんに挨拶をする。

わたし:「また、明日~」

お手伝いさん:「明日は来ないのよ」
と、何だか嬉しそうに言う。

わたし:「あ、そうなの?」

お手伝いさん:「うん、明後日もその次の日も来ないのよ」
と、すごく嬉しそうに言う。

わたし:「え、そうなの(まさかクビ)!?」

お手伝いさん:「火曜日までお休みなの」

わたし:「あァそう、お休みね、それはよかったね」

お手伝いさん:「そう、遠出するのよ!」
と、満面の笑みで言う。

毎日毎日、家と仕事場の往復で朝から晩まで働き、
家に帰れば
5人の子どものお母さんでもあるお手伝いさんは、
経済的余裕もないようで、旅行も頻繁には(というか、
ほとんど)できない環境にある。

わたし:「どこに行くの?」

お手伝いさん:「
Memba(メンバ)よ」
Membaとは、ナカラの隣の隣の町で、車なら1時間ほどで行ける距離である。

わたし:「
Membaね、何しに行くの?」

お手伝いさん:「セレモニーがあるの」

わたし:「ふーん、何のセレモニー?」

お手伝いさん:「
(満面の笑みのまま)お葬式よ!」

どのくらいの距離の親族が亡くなったのかは分からないが、
そうそうない遠出が心から嬉しいようで、
その言葉と満面の笑みがとてもちぐはぐだった。


毎週金曜日はだいたいカレーの日

海が好きだ。


波乗りも好きだが、潜るのも好きだ。

数年前に始めたダイビング。
日本の沖縄でしか潜っていなかったけど、
とうとうここナカラでレスキューダイバーの
ライセンスを取ることにした。いえーい。

今日は講習1日目。
講習の座学は
Eラーニングで済ませておくことが条件。
時間はあったはずなのに、
なぜか前日になって全然終わっていなかった。
昨夜は試験前の学生さながらの勢いで、
睡魔と闘いながらどうにか終わらせた。


 

娯楽がないこの町では、食にかけるエネルギーが
日本にいた時のそれよりも大きくなった。

もちろんそれは主婦だからということもあるけれども。


50cmほどのカツオを1尾買って、一部は漬け丼で


祝日になると毎回大家さんの奥さんと(が)焼くパウンドケーキ


無性に食べたくなり作った餃子
皮からだけど、うまくできたー


アマルラという南アフリカの果物のリキュール
象がこの実が大好きらしい
カルーアを甘ったるくちょっとフルーティにした感じ



町の一番大きな幹線道路で、バイクに腰を掛け、遠くを見つめる青年。

バイク後方には大きな赤い旗が掲げられ、
どこか日本のやんちゃな人たちが想像された。

けれども旗には「夜露死苦」とか「上等」とかの代わりに
モザンビークの与党
FRELIMOのロゴマークが印刷されていた。

 
候補者と支持者による街宣パレードで、渋滞


その列を追いかける子どもたち

ここナカラでは与党のFRELIMO(モザンビーク解放戦線)の他に、
反政府組織の
RENAMO(モザンビーク民族抵抗運動)、
RENAMOから離脱したメンバーが中心となり設立されたMDM
(モザンビーク民主運動)、PIMO(モザンビーク独立党)などがある。

今回は市議会の議長が
210年の任期を満了し、
後任として
FRELIMOの人が議長として立候補しているが、
現政権が揺らぐことはないだろうと思われる。


右のカードがないと選挙で投票権がない
左はFRELIMO党のメンバーカード

私のポルトガル語の家庭教師のLurdes先生はFRELIMO党の
メンバーである。選挙活動解禁の今日も集会に参加していた。

ちなみに、先生は公立学校に勤務しているが、
公立学校は政府が管轄しているので、現政権である
FRELIMOを支持することになっているという。

学校の教員ですら、そのような決まり(風潮?)なのであるから、
他の公務員や警察官ももちろん現政権を支持することになっているのだろう。
それだけでどのぐらいの票が安泰なのかは分からないが、
とにかくそういうことになっているらしい。


空の哺乳瓶から目が離せないLurdes先生の息子

昨日まで何ら特別なことがなかったここナカラにおいても、
地方選挙まで
2週間となった今日、選挙活動が解禁されたようで、
朝から町中には各政党のポスターがそこかしこに張り巡らされていた。

車にも乱雑ながらポスターが張られ、
バイクは
1mほどの政党の旗をたなびかせて走っている。

広場では朝から警察官の警備のもとに集会がおこなわれ、
町はいつもより活気に満ち、お祭りムードである。


1960
年代、アフリカ諸国が次々と独立を遂げるなか、
ここモザンビークでも反植民地・独立の機運が高まり、
1962年には反植民地主義グループ3派が結束する形で
FRELIMO(モザンビーク解放戦線)が結成され、
その
2年後の1964年には独立闘争が開始された。

その後
10年間にわたる長い闘争の末1975年、
ようやくモザンビークは独立した。
初代大統領には当時のFRELIMO党首であったサモラ・マシェル氏が就任した。


肖像がお札にデザインされているサモラ・マシェル氏
(奥さんはマンデラ氏と再婚している)


1977
年の党大会で同政党は正式に社会主義を採用し、
モザンビークは社会主義国となった。

しかし独立直後の
1976年にはすでに社会主義拡大を恐れた
ポルトガル系白人や、
FRELIMO内の自由主義を求める富裕層などにより
結成された
RENAMO(モザンビーク民族抵抗運動)が、
イアン・スミス白人政権下のローデシア(現ジンバブエ)の支援を受け、
破壊活動が拡大、モザンビークはまたも長い内戦へといざなわれた。

RENAMO
1980年のジンバブエ独立以後もアパルトヘイト政権下の
南アフリカから支援を受け、破壊活動を継続した。
FRELIMOは社会主義を選択したことにより、欧米諸国や
国際機関からの援助を受けられず、さらに
RENAMOによる
破壊活動も相俟って、モザンビークは経済苦境に陥っていった。

1986
年にはサモラ・マシェル初代大統領が飛行機事故死し、
ジョアキン・チサノ氏が第
2代大統領となった。


経済発展のために政策転換を余儀なくされた
FRELIMO政権は、
1989年に正式にマルクス・レーニン主義を放棄した。
冷戦終結を受け、モザンビークでも和平交渉の機運が高まり、
政府は
1990年に新憲法を制定し、複数政党制を導入した。

1992
年、FRELIMORENAMOはイタリアで和平協定に調印した。
RENAMOはゲリラ組織から政党へと改組し、1994年には
モザンビーク初の複製政党制による国政選挙が実施された。

この初回の選挙では
250議席中FRELIMO129議席、
RENAMO112議席と両者ともに高い支持を受けた。
国際社会からは連立政権を要請されたが、
FRELIMOはそれを拒否、単独政権を樹立した。

この後
3回(1999年、2004年、2009年)の選挙が行われたが、
2009年にはFRELIMO191議席、RENAMO51議席、MDM(モザンビーク
民主運動/
RENAMOから離脱したメンバーを中心に2008年に
設立)
8議席と、RENAMOの支持は低下を辿る一方であった。

モザンビークには共和国議会、州議会と市議会の
3つの立法機関により
行政を執り行っているが、これまでの
3回の地方選挙(1998年、
2003年、2009年)においても、共和国議会と同様の流れが起こっており、
2009年の市議会選挙では43市のうち42市でFRELIMOの市長が当選を果たした。

そもそも野党
RENAMOの支持基盤はここナカラも位置する
北部であったが、与党
FRELIMOは北部でも支持を拡大しており、
それは町を見ても一目瞭然で、至るところに張り巡らされた
ポスターはそのほとんどが
FRELIMOのものである。

今月下旬に迫る選挙に向けて、国内でも
RENAMOと政府軍による
対立が火花を散らして銃撃戦などにまで至っているが、
少々の内部分裂こそあれど与党
FRELIMOの圧倒的な支持は、
劇的な変化をもたらすこともないのであろう。

来年
2014年には大統領選挙も待ち構えているが、
経済発展と共に貧困削減に力を入れている現政権が
このまま優位にたつとの見方がされている。


現在2期目の第3代大統領ゲブーザ氏はナンプラ出身

モザンビークがある辺りには、約300万(数字にすると
遥か昔だということがよく分かる、
3,000,000)年前から
人類が居住し生活していた。

紀元前後(約
2,000年前だが、300万年前に比べると
つい最近のことのよう)には、サン人(南部アフリカの
カラハリ砂漠にすむ狩猟採集民族)が居住していたが、
バントゥー系アフリカ人諸部族が広範囲に分布するようになった。

紀元前
1世紀にはギリシャ人やローマ人が沿岸部住民と
交易をするようになり、
8世紀にはアラブ商人が
金や銀を求めて港に現れるようになった。

15
世紀の終わりにヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を越えてこの地に
到達したのをきっかけに、
16世紀の始めからポルトガルによる
植民が始まり、
17世紀半ばにはその植民地支配が確立した。
19世紀に入り、奴隷制度が廃止され、1975年には独立を果たした。

その独立の数年前の
1971年、ポルトガル政府はナカラ地域が持つ
可能性をすでに推測しており、その翌年にはこの地域に港が建設された。

港は自然の状態での水深が深く、大型の船舶の停泊も可能であり、
現在ではその頑丈さと規模はナカラ地域における主要なインフラとなった。

 
港の入口


しかし
70年代のナカラではセメントや麻関連など、
産業は数えるほどしかなかったという。
けれども港がすべての船舶の喫水(船体底面から
水面までの高さ)に対応しつつ、その完全な機能を
果たし始めると同時に変化していった。

加えて現在建設中で
2014年半ばには開港が予定されている
ナカラ国際空港の開港により、今までアジア諸国への
アクセスが
1012時間かかっていたのに対し、
78時間に短縮されることになり、同様のことが
ヨーロッパ諸国にも当てはまることになる。


市街地からビーチに行く途中の軍用地エリアに国際空港ができる


それにより現在多くの投資家が、政府の設置した
ナカラ経済特区への資本投下にと舵を切っているのである。

それにより、町は以前に比べてずっとインフラが整ってきており、

暮らしやすくなっている。
それは私たちがここに来た
1年前と今を比較しても顕著である。

 
近代的なスーパーマーケットもこの1年で2軒できた


例えば、水の供給網のカバー率は
2009年に12%だったが、
現在では
38%にまで上昇している。
未だに多くの問題をかかえる電力に関しても、
主要幹線道路に街灯が設置されたことにより、
同地域で発生していた強盗事件等は確実に減少している。

 

街灯が整備された目抜き通り


また、他の州都も羨む経済成長の可能性を持つ
ナカラ・ポルトの行政は、それらの成長にみあう
町づくりのための資金調達として、
税収基盤の拡大を常に検討してきたという。

ナカラ経済特区の他に行政側では、産業、商業、農業、
観光、農産物加工処理関連、物資およびサービス提供といった
80ものプロジェクトを承認し、約10億米ドル(約980億円)超が
同エリアに投入されている。

さらに市街地の土地使用については、すでに
5,000におよぶ
占有や建設におけるライセンスの発行を行っている。

 
市街地から車で15分ほどのビーチ周辺は
コテージやホテルが建設ラッシュ


新しい建物が建設される中、植民地時代に建造された
古い建物は取り壊しもされず廃墟と化している


それに伴い、市街地の特に上町の大部分の道
(と言ってもうちの前は未舗装)が
5kmにわたって
新たに舗装された。

 

未舗装なうえ、ごみ収集が追いつかず
ごみ置き場から大量にごみが溢れ、
最終的にブルドーザーでごみを寄せている


ちなみにナカラ・ポルトにおける車両登録数は
2009年が
320台だったのに対し、現在は2,142台となっているらしい。

そんなナカラは今年
916日で42周年を迎えました。


ビーチまですぐです


魚介が美味しいです


海がきれいです


ダイビングもできます

※一部いただいた写真お借りしました
※参考:wikipedia「モザンビーク」ページ、現地紙noticias9月17日版

近頃日本でもハロウィンに関係するイベントや関連商品などが
たくさん出てくるようになってきたような気がするが、
もともとは古代ケルト人に起源がある秋の収穫を祝い、
悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事だそう。

ここモザンビークは秋なぞないどころか、
雨季が終わりこれからどんどん暑くなってくる。

私の暮らすナカラはモザンビークでも北部に位置するため、
イスラム教徒の割合が(感覚的には)
7割ほどなので、
特にハロウィンだからどうということもない。

モザンビークの学校教育は、
1月から12月までが
1学期となっており、通常授業はだいたい10月まで。
10月の後半からは期末テストが始まり、
それが終わり次第子どもたちは長期休暇に入る。

例に漏れず、(私立に通う)大家さんの娘(
15歳)も
先週あたりから学校が休みになっており、
いつもはショートカットだった髪をばっさり刈り、
ウェーブがかった長めの付け毛を付けて、
学校がある時はできない派手なお洒落を楽しんだり、
毎日友だちが遊びに来たりと休みを満喫している。

一方で先生たちはこの時期が忙しい時期であり、
テストの準備から実施、それが終わると今度は
採点、成績付けが待っている。
そして1月からまた新しい学年を向かえる。

そんなこんななハロウィンなので、
カボチャのスープでも作ろうかと思います。


夜桜ならぬ夜バオバブ