モザンビークがある辺りには、約300万(数字にすると
遥か昔だということがよく分かる、3,000,000)年前から
人類が居住し生活していた。
紀元前後(約2,000年前だが、300万年前に比べると
つい最近のことのよう)には、サン人(南部アフリカの
カラハリ砂漠にすむ狩猟採集民族)が居住していたが、
バントゥー系アフリカ人諸部族が広範囲に分布するようになった。
紀元前1世紀にはギリシャ人やローマ人が沿岸部住民と
交易をするようになり、8世紀にはアラブ商人が
金や銀を求めて港に現れるようになった。
15世紀の終わりにヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を越えてこの地に
到達したのをきっかけに、16世紀の始めからポルトガルによる
植民が始まり、17世紀半ばにはその植民地支配が確立した。
19世紀に入り、奴隷制度が廃止され、1975年には独立を果たした。
その独立の数年前の1971年、ポルトガル政府はナカラ地域が持つ
可能性をすでに推測しており、その翌年にはこの地域に港が建設された。
港は自然の状態での水深が深く、大型の船舶の停泊も可能であり、
現在ではその頑丈さと規模はナカラ地域における主要なインフラとなった。

港の入口
しかし70年代のナカラではセメントや麻関連など、
産業は数えるほどしかなかったという。
けれども港がすべての船舶の喫水(船体底面から
水面までの高さ)に対応しつつ、その完全な機能を
果たし始めると同時に変化していった。
加えて現在建設中で2014年半ばには開港が予定されている
ナカラ国際空港の開港により、今までアジア諸国への
アクセスが10~12時間かかっていたのに対し、
7~8時間に短縮されることになり、同様のことが
ヨーロッパ諸国にも当てはまることになる。

市街地からビーチに行く途中の軍用地エリアに国際空港ができる
それにより現在多くの投資家が、政府の設置した
ナカラ経済特区への資本投下にと舵を切っているのである。
それにより、町は以前に比べてずっとインフラが整ってきており、
暮らしやすくなっている。
それは私たちがここに来た1年前と今を比較しても顕著である。

近代的なスーパーマーケットもこの1年で2軒できた
例えば、水の供給網のカバー率は2009年に12%だったが、
現在では38%にまで上昇している。
未だに多くの問題をかかえる電力に関しても、
主要幹線道路に街灯が設置されたことにより、
同地域で発生していた強盗事件等は確実に減少している。

街灯が整備された目抜き通り
また、他の州都も羨む経済成長の可能性を持つ
ナカラ・ポルトの行政は、それらの成長にみあう
町づくりのための資金調達として、
税収基盤の拡大を常に検討してきたという。
ナカラ経済特区の他に行政側では、産業、商業、農業、
観光、農産物加工処理関連、物資およびサービス提供といった
80ものプロジェクトを承認し、約10億米ドル(約980億円)超が
同エリアに投入されている。
さらに市街地の土地使用については、すでに5,000におよぶ
占有や建設におけるライセンスの発行を行っている。

市街地から車で15分ほどのビーチ周辺は
コテージやホテルが建設ラッシュ

新しい建物が建設される中、植民地時代に建造された
古い建物は取り壊しもされず廃墟と化している
それに伴い、市街地の特に上町の大部分の道
(と言ってもうちの前は未舗装)が5kmにわたって
新たに舗装された。

未舗装なうえ、ごみ収集が追いつかず
ごみ置き場から大量にごみが溢れ、
最終的にブルドーザーでごみを寄せている
ちなみにナカラ・ポルトにおける車両登録数は2009年が
320台だったのに対し、現在は2,142台となっているらしい。
そんなナカラは今年9月16日で42周年を迎えました。

ビーチまですぐです

魚介が美味しいです

海がきれいです

ダイビングもできます
※一部いただいた写真お借りしました
※参考:wikipedia「モザンビーク」ページ、現地紙noticias9月17日版