昨日まで何ら特別なことがなかったここナカラにおいても、
地方選挙まで
2週間となった今日、選挙活動が解禁されたようで、
朝から町中には各政党のポスターがそこかしこに張り巡らされていた。

車にも乱雑ながらポスターが張られ、
バイクは
1mほどの政党の旗をたなびかせて走っている。

広場では朝から警察官の警備のもとに集会がおこなわれ、
町はいつもより活気に満ち、お祭りムードである。


1960
年代、アフリカ諸国が次々と独立を遂げるなか、
ここモザンビークでも反植民地・独立の機運が高まり、
1962年には反植民地主義グループ3派が結束する形で
FRELIMO(モザンビーク解放戦線)が結成され、
その
2年後の1964年には独立闘争が開始された。

その後
10年間にわたる長い闘争の末1975年、
ようやくモザンビークは独立した。
初代大統領には当時のFRELIMO党首であったサモラ・マシェル氏が就任した。


肖像がお札にデザインされているサモラ・マシェル氏
(奥さんはマンデラ氏と再婚している)


1977
年の党大会で同政党は正式に社会主義を採用し、
モザンビークは社会主義国となった。

しかし独立直後の
1976年にはすでに社会主義拡大を恐れた
ポルトガル系白人や、
FRELIMO内の自由主義を求める富裕層などにより
結成された
RENAMO(モザンビーク民族抵抗運動)が、
イアン・スミス白人政権下のローデシア(現ジンバブエ)の支援を受け、
破壊活動が拡大、モザンビークはまたも長い内戦へといざなわれた。

RENAMO
1980年のジンバブエ独立以後もアパルトヘイト政権下の
南アフリカから支援を受け、破壊活動を継続した。
FRELIMOは社会主義を選択したことにより、欧米諸国や
国際機関からの援助を受けられず、さらに
RENAMOによる
破壊活動も相俟って、モザンビークは経済苦境に陥っていった。

1986
年にはサモラ・マシェル初代大統領が飛行機事故死し、
ジョアキン・チサノ氏が第
2代大統領となった。


経済発展のために政策転換を余儀なくされた
FRELIMO政権は、
1989年に正式にマルクス・レーニン主義を放棄した。
冷戦終結を受け、モザンビークでも和平交渉の機運が高まり、
政府は
1990年に新憲法を制定し、複数政党制を導入した。

1992
年、FRELIMORENAMOはイタリアで和平協定に調印した。
RENAMOはゲリラ組織から政党へと改組し、1994年には
モザンビーク初の複製政党制による国政選挙が実施された。

この初回の選挙では
250議席中FRELIMO129議席、
RENAMO112議席と両者ともに高い支持を受けた。
国際社会からは連立政権を要請されたが、
FRELIMOはそれを拒否、単独政権を樹立した。

この後
3回(1999年、2004年、2009年)の選挙が行われたが、
2009年にはFRELIMO191議席、RENAMO51議席、MDM(モザンビーク
民主運動/
RENAMOから離脱したメンバーを中心に2008年に
設立)
8議席と、RENAMOの支持は低下を辿る一方であった。

モザンビークには共和国議会、州議会と市議会の
3つの立法機関により
行政を執り行っているが、これまでの
3回の地方選挙(1998年、
2003年、2009年)においても、共和国議会と同様の流れが起こっており、
2009年の市議会選挙では43市のうち42市でFRELIMOの市長が当選を果たした。

そもそも野党
RENAMOの支持基盤はここナカラも位置する
北部であったが、与党
FRELIMOは北部でも支持を拡大しており、
それは町を見ても一目瞭然で、至るところに張り巡らされた
ポスターはそのほとんどが
FRELIMOのものである。

今月下旬に迫る選挙に向けて、国内でも
RENAMOと政府軍による
対立が火花を散らして銃撃戦などにまで至っているが、
少々の内部分裂こそあれど与党
FRELIMOの圧倒的な支持は、
劇的な変化をもたらすこともないのであろう。

来年
2014年には大統領選挙も待ち構えているが、
経済発展と共に貧困削減に力を入れている現政権が
このまま優位にたつとの見方がされている。


現在2期目の第3代大統領ゲブーザ氏はナンプラ出身