(つづき)
「過去世の書き換え」です。
15年前にヒプノセラピーで視た、息子との過去世の数々を書き換えていないことに気がついたのです!
灯台下暗しとはこのこと・・・。
で、早速、3つの過去世を書き換えてみたところ、ひとつだけ、不思議なヴィジョンが出てきました・・・
一つ目は、
海のそばの小屋に住む病気の恋人を見舞う過去世です。
いつも大きな白い犬と一緒に行きます。
恋人(20才ぐらいの男性)=今の息子
見舞う女性=私
白い犬=(亡くなった)今の愛犬
書き換えは・・・
恋人は亡くなりますが、白い犬がたくさんの子供を産むのです。
その中のもらわれていった子犬たちもまた、行った先で子供を産み・・・。
賑やかで幸せな光景の中には、いつも彼を感じることができる、
3人の時も楽しかったし、
今こうやってワンちゃんがたくさん増え、新たな楽しみを得ることができた、
それを彼が見守っている・・・
二つ目は、
年配の女性がお城の2階の窓から湖を眺め、亡くなった娘を思い出し、
「なんでもっと娘を愛さなかったんだろう」と悲嘆にくれる過去世です。
娘(19才)=今の息子
女性=私
この過去世を視たときには、
嘆き悲しんでいるときに、突然今の息子が現れ、「また生まれ変わってくるよ」と告げたのです。
当時、私はまだ潜在意識の世界を全く知らず、輪廻転生の知識もなかったので、わけがわからず、
「え? この亡くなった娘が今の息子に生まれ変わっているってこと?」とパニックになったのです。
そうか、あれが原点だったんだ。
これこそが私のやりたかったこと、
そして、みんなにこのしくみを伝えたいという人生の目的でもあったのです・・・
実際、この過去世を視てから5年後に、ふとしたきっかけでヒプノを学び、見えない糸にたぐり寄せられるように、この道の探求を始めるのですから。
考えてみれば、「見えない糸」とは、自分があらかじめ決めてきた「シナリオ」のことですね。笑
書き換えは新たなストーリーを視るのではなく、この「気づき」に涙することで完了しました。
そして、最後の三つ目。
実業家の父親が書斎で、5才で亡くなった息子を思い出しながら、「なんでもっと愛さなかったんだろう」と悲嘆にくれる過去世です。
書斎に入ってはいけないと叱っても叱っても、息子はパパのそばにいたいとやってきてはソファに座るのです。
その隣にはいつも茶色のミニチュアダックスフンドが寄り添っています。
父親は仕事が忙しく、子供にかまっている暇はないので、「ここは仕事場だから出て行きなさい」と叱るのですが、息子はにこにこと笑っています。
あるとき、息子は庭で犬とボール遊びをしていました。
池に落ちたボールを拾おうと、池の縁に膝をつき、木の枝でボールを引き寄せようとするのですが、バランスをくずして落ちてしまいます。
池は浅かったのですが、落ちた瞬間、水を飲み溺れてしまうのです。
本当に悲しい事故でした。
あどけない笑顔が何度も何度も蘇ります。
「なんであんなに叱ってしまったのだろう、なんでもっといい父親になれなかったんだろう」
あんなに自分を愛してくれたのに。
父親は後悔と自責の念で立ち直ることができません。
亡くなった息子=今の息子
父親=私
茶色の犬=(亡くなった)今の愛犬
さて、これを書き換えると、不思議なヴィジョンが出てきたのです。
突然、(亡くなった)子供の意識が入ってきました・・・。
水を飲んで、息ができない、苦しい・・・
・・・・・・・
・・・・・・・あれ?
次の瞬間、池の底に光が見えます。
・・・・・・もう苦しくない。
たくさんの子供たちがいる広場のような所に出ました。
明るくて光に満ちていて、子供たちが楽しそうに遊んでいます。
あー、な~んだ、
池に落ちたんじゃなかったんだ、
ここに来ただけなんだ。
他の子供たちが男の子を見つけ、ニコニコしながら近寄ってきて、
「おかえり! 意外と早く帰ってきたね!」と言います。
「うん、ただいま!」と言いながら、皆と楽しく遊びます。
しばらくして、
「そうだ、パパとママ、どうしたかな?」と思います。
その場所から自分の家を見ることができます。
「あ、パパとママが泣いてる! 悲しんでる・・・・」
そうか、僕はもうここに来ちゃったから、あそこにいないんだ。
パパとママは、「自分たちのせい」だと思っている。
「目を離したから」って。
そうではないのに。
僕はここに戻ってきただけなのに。
でも、もうあの肉体がないから、あっちに行ってパパたちに姿を見せることができない。
「パパ、ママ、泣かないで!
僕はここにいるよ!
ここに戻ってきただけなんだよ!
ほら、意識がつながっているから一緒にいるでしょう?」
でも、パパとママからはこっちが見えないみたい・・・。
どうしたらいいのかなあ・・・?
泣かないで!
パパとママにも幸せに暮らしてほしいのに。
男の子は、夜、両親が寝ている時に会いに行きます。
夢の中では周波数が合うので、姿を視せることができるのです。
(注:夢の中=潜在意識の世界)
パパ、僕だよ! ママ、僕だよ!
心配しなくて大丈夫だよ、泣かないで!
ほら、ここにいて、いつも一緒なんだよ!
僕からはいつもパパとママが見えているんだよ!
ところが、翌日。
パパとママは目が覚めると、息子の夢を見たと、さめざめと泣くのです。
息子はがっかりします。
夢の中だったら会えると思って行ったのに、会いに行くと、こうやってまた悲しませることになるのか…
ここまでのヴィジョンを視ながら、
「あれ? この過去世では、私は父親ではなく、息子の方だったのかしら?」と、一瞬思いましたが、やっぱり父親だという気がします。
これはきっと、亡くなった後を見せてくれているのでしょう。
人でも、ペットでも、亡くなったときに悲しいのは、残された遺族であって、
光に帰っていく方は、別に何とも思っていないんだな、
魂の世界に戻るってこういう感じなんだなと思いました。
結局、「感情」という色をつけているのは自分なのです。
肉体があるから、「感情」が残るのです。
逆にいえば、この残った「感情」を手放してしまえば、心はどんどん軽くなってゆくのです。
潜在意識の断捨離のようなものです。
そして、
辻麻里子さんの本、『6と7の架け橋』に記されている、氷の柱の表面に刻まれた線やさまざまな図形(=凍りついた記憶)こそが、これら「過去の感情」なのです。
(つづく)
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