嵐と共に吹き荒れたグループホーム 前半
絶不調のグループホームの寮母さん&ヨガインストラクターのマヤです。
あ、自然に寮母を先に書いてしまった💦正直、今はヨガインストラクターの活動より寮母の仕事の方に比重が傾いている。それは、明らかにコロナの影響で、決してヨガを伝える事を辞めたい訳ではなく、それが難しい状況というだけ。
ヨガの練習ものんびりとやっていたにもかかわらず背中と首を痛めてしまい、ちょっとした動きで針で刺されたような痛みがあり、集中も難しいし気持ちよく動けず、ヨガの練習が出来ずに私の小さなストレスが溜まって来ていた。
そんな最中に嵐はやって来るのです。
前回のブログで愛犬サラさんの散歩のローテーションを変えたお話を少し書きました。しかし、体を痛めた私は散歩に行くのが厳しくて、お任せしていました。
それぞれの反応がまた面白い。
1、無関心
本当に関心がないのかは不明だけれども、表現しない、出来ない。でも、頼むとやってくれるし「ごめんね」と言うと「別に大丈夫」と淡々とこなしてくれる。
2、親身になる
とても心配してくれる。部屋まで来て「大丈夫?ゆっくり休んでね」と声をかけてくれる。頼むと張り切って「ええよ。早く良くなって」といつもサボろうとするのによく手伝ってくれる。
3、褒められたい
やると自分から言ってはくれるけど、私を労ってと言うよりは、褒められたい、認められたい思いが強い。でも。本心はすごくやりたくない。なので、「マヤさんの怪我はいつ治るんですか?」と聞いて来る。残念だが私の心配ではない![]()
頭脳の問題よりも厄介な心の欠乏に思える。
そんな中、連休がありお買い物に連れてって貰い、大興奮でホームに帰って来た夜。1人は家に帰ったので、残ったのは私とホームに残った2人。頂いて来たチョコレートケーキを食べようと出して来ました。
私「美味しそうだね。どれくらい食べる?」
A『半分!!』
3人いるんですよ
それなのに半分ってどう言う事?
私「他にもいるのに1人で半分食べるの?」
A『あ、そっか〜。でも、食べたいしなー』
強欲かっ!?
説教したくなる気持ちを飲み込んだ。せっかく楽しい気持ちで帰って来たのに台無しにしたくなかったから。
私「じゃー、私も少し味見するから、ちょっと頂戴ね」
本当に1センチもないくらい一口分切った。
A『いいですよ。』←。。。![]()
その後、庭で花火を一緒にして夏の思い出を作った。少しでもお休みの思い出が出来るようにと用意をした。
楽しく終えた筈だった次の日の朝嵐はやって来た。
続く
我慢はダメ
ヨガインストラクターをしながら、知的障害者のグループホームで寮母をしています。
知的障害者と言っても結局は、みんな同じだって事に日々気付かされる。こうして暮らす中でみんなに教えられる。そんな気づきをここに綴る。
「我慢すればいいんですね!」
そんな言葉が繰り返され、毎回違和感を感じていた。
「ワガママはダメですね」と続く。。。???
そもそもワガママって何??そんな風に言われ続けて来たのだろうか。。。
彼らは言うべき事が言えない。そして爆発したり、硬く口を閉じて理不尽に困惑する。何故かと言えば、言ったら怒られるから。なんでもかんでも怒られる訳ではないけど、言ったら怒られたという記憶が残るので、言えなくなるのだ。そして、そこの判断が出来ない。
自分の心の悲鳴や苦痛、または疑問すらも声に出せない。だからこそ、限界が超えた時に感情が爆発する。または感情を無くす。または空想に逃げる。
ファンタジー
その事を少しづつ理解し始めた頃、私は言った。
「我慢しなくていいよ。」
「トイレに行きたい」
「わからないのに聞き返せない」
「仕事が限界」etc
それを我慢した事による大惨事。。。どう考えても、その前に伝えたら惨事にならずにすんだ事ばかり。一つ一つその度に伝えた。その結果起こる惨事を怒ってもしょうがない。注意をして反省を促し、次は未然に防げるようにする事が大切。
「トイレ我慢して漏らした方が大変なんだよ。」
「わからないままやったら余計に時間かかるよ。」
「限界まで我慢して泣き叫んで仕事出来なくなったら、もっと大変だよ。」
少しづつその度に伝えた。「もし、言えなかったり、どう言えばわからなかった時は私に言ってくれたら、どう伝えればいいか教えるし、それも難しい時は私が伝えます」って言った。
伝えやすい環境を作ることが大切だと思う。私達だって普通に言いにくい事でしょ?!だからこそ道筋をたてて、思考の動線を作る。
ある日、「犬の散歩に行きたくない」と言って来た。
。そのキッカケを与えたのは私。
散歩の仕方についての指導をした。いつもと違う事を受け入れて貰うのには、摩擦はつきものです。
「私はストレスです!!」と言って来ました。
私がキッチンでご飯の準備をしている最中の出来事です。
『えーーー今この瞬間、私もストレスなんですけどぉ〜』と心で思いながら、話を聞く。
「やりたくてやってる訳じゃない」と言われ、うちのサラさんになんて事をと犬を溺愛する私はムッとしたのですが、興奮して捲し立てるので話ができる状態ではないと思い、切り替える。
「今はお仕事して疲れてるでしょ〜、疲れてる時は良い考え出来なくなるから、ご飯食べよ!」また後で話し合いましょうって事にした。
すると、「あとで考えてみます。」と言ってくれた。気持ちの切り替え成功
私も冷静に考えました。
暑いし、繁盛期なので仕事も忙しい、さらに私に散歩の仕方を指摘され、限界突破
わかりますよ。
そして、他の人に割り当てられないかを考え、会社に報告。割り振っても構わないかを確認。他の人に出来るか確認をし、やってくれるかをお願いした。そして、ローテーションを作る。私の散歩が増えるが、指示をする者が働いてなかったら、納得されないだろうから、自分も譲歩する。
そして、「出来ない」って事を伝えてくれてありがとうと伝えた。←絞り出した言葉 ![]()
気持ち的には、正直「勘弁してくれよ〜」って思ったよ。だけど、それはこちらの都合。私は伝えてくれた事への感謝を述べた。それは私の大きな成長です。だって、仕事を出来ないって言われたら、責めたくなるじゃん。「はぁっ?!」って思わない?
でも、それはこちらの都合なんです!!そこに気づけた!!偉い!私!!(笑)
不満や不平を口に出せないのは、後回しにしているだけで、解決ではない。だからこそ言える環境を作る事が大切。でも、それを作るにはすごく大変だし、仕事が出来たり周りが見える人ほど、出来ない事や人に理不尽さを感じる。自分ばかり仕事をしていて、周りが怠けて見える。でも、それぞれのキャパは違うし、仕事に関する認識も情熱も違うんだ。そこを認めることから始めないと。。。書いてても心からではなく、まだ頭で理解してる段階で心に落とし込んでる。私の中でもイラつきやストレスを感じる。
でも、この行動による結果を味わい心が学ぶと思う。みんなで話し合って納得して決めた散歩のスケジュール。「また辛くなった時は話し合って決めましょう」って伝えたら、ちゃんと散歩に行ってくれる。そういった事を経験する事で私は心からそう思え行動出来る人になれると思う。
大切なのは自分の辛さを理解してくれたという信頼と安堵ではないかと思う。みんなお仕事が嫌な訳じゃない。誰かの役にたった時嬉しそうに誇らしそうにしている。逆にそれに応えられなかった時に、傷つくし誰よりも自分にがっりする。それをうまく表現する事が出来なくて、叫んだり怒ったりしちゃうのかな。
やっぱり我慢はダメ。
自分の苦しさ、悲しさ、怒りを伝えられたら、きっと誰かがサポートしてくれる。少なくともその為に私はここにいる。まずは我慢させないように声をかけて、心を表現出来る様にしよう。
みんなも我慢はダメよ😊
日々、言ってる事が意味不明過ぎて白目剥くけど
根気よくいくぜ!
コツコツと
淡々と
積み重ねて
学び歩む
それこそがヨガの道🧘♀️
マットの上で学んだ事
手術をして4年が過ぎました。早かったのか長かったのか。
病気により多くの事を学び、多くを手放しました。思えば自分への許しの連続だったようにも思います。もう必要のない事に気づき手放す事だったのだと今では思います。
大阪に移り住んで半年が経ちました。マットの上でのアーサナの練習はあまりしていません。でも、私は自分のヨガがまた違うフェーズに入ったように感じているんです。
ここに来た時はまたコツコツとアーサナの練習しようと思っていました。でも、グループホームでの寮母の仕事、ここでの環境への順応、悩みは尽きませんでした。アーサナの練習どころじゃなかったというのが本音です。
それでも東京での生活を手放し、ここへ来た意味を自分なりに模索し、少しづつ足場を固めて行きました。在るが儘ここにいるだけで価値があると思えればいいけど、そうはなかなか思えない自分がいて、、、だからこそ自分の価値を自分自身が信じれるように、貢献し何かの役にたつ事で、自分の意味を知りたかった。そして、貢献する事で私自身を救済してる事に気がつきました。文句ブーブー言いながらも、ホームの住人や動物達に尽くす事で私の傷を癒しているんだと思うのです。
彼らの存在を感じ考える事で、関わりの中で自分を知り学んでいる。私は何故ここに在るのか。それこそヨガだとハッキリと感じます。
ここに来た当初、アーサナの練習が出来ず、ヨガのクラスも出来ず、自分がヨガから遠ざかっているように思い苦しくなったのですが、違う!本当のヨガが始まったんだって今は思う。
そうはっきりと感じれるようになったのは、友人達からの励ましのコメントやメッセージ。そして、zoomで始めた嶋田有希先生の哲学のクラスのお陰だと思います。哲学のクラスでドアラン「アーサナの練習はヨガへの扉を開く」って言葉を聞いた時にすごく腑に落ちた。「マットの上での練習はヨガを学ぶ上での学び方を学ぶ(ヨガの深め方)」ってお話をしてくれて、この時に私はヨガから遠ざかったのではなく、真っ只中だったんだって思えたんです。
今年でアシュタンガヨガを始めて22年になりますが、マットの上で学んだ事が今私の人生を支えてくれてます。全ての生きて起こる現象の中にヨガを見出してる。マットとの境界が消えた。そう感じた時に、自分を褒めたくなった。
旅行中にタイで出会ったMaiko Sahai先生からも「アーサナ=生きる姿勢だよ」と言ってくれて、心底励まされました。色々な人が弱気になったり、やさぐれそうになる私の背中を支えてくれてる。アーサナの練習してないなという私の自分への批判を打ち砕いてくれた。
アーサナの練習があったからこそ今の自分はここに立ってる。アーサナ練習はとても大切です。まずは自分を律して生活を正す事で見えてくるものがあります。しかし、ルールに縛られてルーティーンをこなす事での安心感や人よりも出来るという優越感、又は自分が困難に打ち勝つ事での自信などなど、、、、を得るためのものではなく、これらを手放す為のものだったのだと思う。手放し方を学ぶ為にアーサナがあるのではないかとすら思う。自分を律して闘い欲望に抗うそんな練習して来ましたが、私は抗うよりも認めて許していく生き方を選択したいと思うようになりました。その方が私が私らしく自然に呼吸が出来幸せに近づけるように思えるからです。
まだまだ私のヨガ道は始まったばかりです。許せない事もたくさん抱えています。今はそれすらも認めてあげようと思います❤️
コーヒー事件
朝はどの家庭でもバタバタですよね。
我がグループホームも同じです。
ここに住み毎朝朝食を作るようになり、ますます世の中の主婦を尊敬しています。私の友達も仕事をしながら、子供のお弁当を作って、それがキャラ弁だったり。。。いつ寝てるんだろうって感心します。
最近はだいぶ慣れて朝食の支度も順調です。それでも、めっちゃバタバタはしてます
そんな忙しさMAXの時に私のフィルターコーヒーをぶち撒けやがった
キッチン粉だらけやん。
「あ、あ、ごめん。やってもうた。」
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ウソだろ!
今かっ!
『何してるのぉ〜
片付けて💦』
発狂しそうなのを抑えて、料理に集中!!
「ごめん。次から気つけるわ。」
『うん。気をつけてね。なおして食事の準備するよ〜』
なんとか気持ちを落ち着かせ思う、きっと私のフィルターコーヒーにお湯を入れてくれようとして倒したんだろう。失敗を責めたらダメだと思い、気持ちを立て直す。
さあ、料理も出来た!大丈夫!と思った矢先。
「あぁ〜」 again
見ると今度は自分のインスタントコーヒーをこぼした
粉の次は液体キタァーーーーーー
コント?
コントなの?!
すでに怒りは過ぎ去っていたので、怒る気力もない。『はい。拭いてご飯にするよ〜』渇いた笑いが出る。
失敗を他の子も責め立てる。
『いいから自分のことして〜ご飯にするよ〜!』
軽く私の予測を超えていきやがる。
忙しい時の失敗は本当にイラっとくる。でも、こういう時に感情をぶつけてもダメ。1回目はお手伝いしようとしての失敗。2回目はその事に動揺しての失敗。少なくとも1回目は良い動機の行い。これを怒っちゃうと、「もう余計な事はせんとこう」って事になりかねない。(ここ本当に大事)失敗の動揺からの失敗。これも怒っちゃダメ。フォローする場面。
落ち着いてから次が起きない為の対策の提案をしてあげる方がいいだろう。でも、私も人間だから対応間違っちゃう事もある。だから、こうして反復して考察する。
そうやって失敗しても手伝おうとした事を認められたら、また自主的に動こうとしてくれる。だって、失敗して1番ガッカリなのはきっと本人だから。そう感じていないなら、叱る事も大切。だけど、怒りをぶつけるのはあまり良い結果を生まない。ただ、そこに相手を想う気持ちがあればまた違った結果になるかもしれない、、、、結局は相手に伝わればどんな表現でもいいだと思う。
次の日、慌てた私はコーヒーをこぼした![]()
「今日はマヤさんやったなぁ〜」と言われてニヤリと笑われた。ムカっと来たけど、みんな失敗あるよね。責めたりするより、お互い許して助け合っていった方が楽しいよね。
また別の日、犬の散歩をすぐ帰って来た時も叱った事がある。
私は彼女がテレビを見ていて、行く時間が減ったのだと思い指摘したけど、話を聞くと洗い物に時間がかったとの事。おそらくテレビ見ながらやってたからだと思うケド。
私は『そっか、ちゃんと話聞かなくてごめんなさい。』と言いました。
彼女は「いえ、私が悪いです。気をつけます。」と言い訳から一変した。
私は『ううん。私の言い方も悪かったね。ごめんね。次からはお願いね。』
私は決して、相手を従わせようと言葉を選んでいる訳ではないけど、言葉の表現は選択して、感情はコントロールする努力をしている。今までの私に足りなかった事だと思うから。真剣に相手と向き合う事で私は多くの学びを得ている![]()





