鈴の音 -3ページ目

自由とは

あっという間に2022年!!!

あぁ〜もう無理って何度も思ったけど、大阪に移り住み知的障害者のグループホームの寮母になり間もなく1年になろうとしている。


コロナでヨガクラスの開催も厳しくなってきた中での決断だった。人生初の就職でした笑


10代でバブル期を味わい、バブル弾けて一家離散チーン母は出て行き、両親離婚。バブルで狂った家庭。心の拠り所はダンスだけだった。姉も出て行き、20歳の時に父に、もう大人だからと家を出されて1人暮らし。その後、精神が壊れて母と暮らすも、さらに悪化チーンダンスでも上手くいかず、人生はどん底。

そんな時にアシュタンガヨガと出逢い、ヨガの師匠(ケン・ハラクマ師)に斡旋されたシャアハウスに移り住み、ガチンコなヨガ三昧な修行の日々に入る。1999年からヨガと出会い、ヨガインストラクターとして、生活して来た。


そんな私がコロナでクラスの開催が難しくなり、大阪で住み込みでグループホームの寮母になった。46歳にして初就職。真顔コロナのお陰やないかーい笑


ずっとフリーランスでやって来て、スタジオの経営までやってみた。自分でやりたいことをやってきたから後悔はない。周りからもたくさん応援して貰った。でも、いつも「好きな事やってて良いよね〜」って言われた。まるで、私が面白おかしく生きてるかのように。友人から会社や家庭の愚痴を聞いた時も、それについて意見を言っても、受け流されて、「あなたにはわからないよ」「好きな事出来てていいなー」と言われた。正直、その言葉に傷ついていた事もあった。でも、開きなおった!「うん、良いでしょ!好きな事やってて楽しい!」って。大変な事たくさんあるよ。好きだからこそ、曲げられないから衝突する。妥協出来ない。理想と現実のギャップ。経済とのバランス。好きな事だから嫌いになりたくない。好きな事をするために、得意じゃない事もしなきゃ行けない。面白おかしく、楽しい事だけやって来た訳じゃない。

それでも開き直った時、手放しに喜んでくれ応援してくれた友がいた愛



周りからは会社ではやっていけない自由人な扱いを受けてた私だけど、会社員になっちゃました真顔

自分が社会常識に疎いのもわかってる。それも理解し雇って貰った。今感じるのは会社の恩恵。何かわからない事があってもめちゃくちゃ親切に無償で教えてくれる。←これわかる?すごい事よ! 失敗しても会社がサポートしてくれる。福利厚生も充実している会社で、個人の活動にも寛容。ずっとフリーランスでいただけに、安心感が半端ないデレデレ


だけど、会社の看板も背負ってる訳で、組織としての責任もあるんです。


コロナの影響もあり、福祉従事者なので公共機関も使えず、ヨガの練習もクラスも出来ずで、本当に辛かった。グループホームで缶詰状態。だけど、組織の恩恵を受けているのであれば、それは守るべき事です。

それはフリーランスであっても、スタジオで教えるのであれば、そのスタジオの方針に沿った形でクラスを行います。それが嫌なら、自分でやるしかないんです。私は自分でやる大変さ厳しさを十分味わって、もう無理ってところからここへ来たので、その面倒なところを守ってくれる組織の有り難さをすごく感じます。それでも、私はいずれヨガ中心の生活に戻りたいって思っています。それを会社が応援し、送り出してくれるのであれば、それは相当懐が深い会社です。だって、色々と教育してくれたのに、会社に貢献ではなく巣立って行くんです。それは健全ですが、当たり前ではないと思います。


最初から守られている人にはわからないのかもしれません。ただただ面倒なルールに縛られてるって感じるのかもしれません。当たり前だから。私からするとすごい事なんです!


全部、自分のやりたいようにポリシーを通すのであれあれば、全ての事に責任を負うべきです!自由とは好き勝手に振る舞う事ではなく、必ずその行いの責任を取れる覚悟があるという事だと思います。私が知っている経営者は少なくとも覚悟を持った人です。


己を通すには責任が伴い、自由とは無責任では得られないものなんです。無責任な人は文句も多く、努力した人へ弱者という武器で攻撃します。


夢ばかりで行動を起こさない人は怠惰です。

それなのに他者を批判します。他者を貶めて自分を上げようとします。

私たちは喜びや幸せを求めています。

しかし、私たちの喜びは快楽や自分の弱さを隠す事ではありません。


神の名を語り自分を正当化する事は、成長しません。


不完全な自分を愛しましょうちゅー


自分を正当化する為に他者を攻撃するのではなく、ただ貴方らしく在りましょう。


これは私へ戒めで在りの癒しの言葉。


ヨガ人は自由を心の解放として、欲望を解放する人がいる。ヨガで言う自由モークシャとは、心が何者にも囚われない事。つまり、悟りってことだよ。心のままに振る舞う事ではないと私は思うよ。


貴方の行動や言動は貴方を幸せにしている?

貴方の行動や言動は周りを幸せにしている?

そうでないのならば、それは貴方のエゴなのかもしれない。貴方が向き合うべき事から目を逸らしているからかもしれない。


自由には責任がある。


ダールマ(法)無くしてモークシャ(自由)はない。


全ては貴方の選択です。


貴方が貴方らしくある為にすべき事はする。好きな事は誰でも楽しく出来ます。そうでない、最低限の義務をも楽しく出来る努力をしたいと私は思う。



新年に溢れた思いをここに記す。


朝ごはんの定番は目玉焼きです

朝食は寮母さんの大事なお仕事です。


しかしながら、ヨガばかりして来た私は家事は全くダメで、お料理も嫌いではないですが、作るといえばインドカレーやサラダ🥗、麺料理。自分の為に作るご飯は切るだけ、茹でるだけ、炒めるだけの簡単料理。朝ごはんはヨガがあるからそもそも食べていなかったし〜ニヒヒ


そんなポンコツな私が寮母さんとなり、日々朝ごはんを人様に提供しているのです。最初は朝食を作るのに1時間もかかったり、何を作るか、、、イヤ、作れるか悩んだりしていました。それでも毎日毎日美味しく食べて貰いたいと思い、新しいレシピを作ったり、少しでも喜んで欲しいと思って奮闘していました。


ちょっと張り切り過ぎていた私は、少し疲れてしまっていました。そして、私は手抜きをする事を許しましたちゅー朝食も半分の時間で用意出来るようになりました。


東京行きで疲れ果ててしまっていた時、たまたま日々目玉焼き続いていました。私は割と毎日同じメニューでも良いので、みんなも大丈夫だろうと、正直気にも留めていませんでした。



『また目玉焼きかぁ〜』
「ん?目玉焼きやだ?」
『ん〜最近いつも目玉焼きだからな〜飽きた』
むかっムキー
イラってきたけど、、、、
「そっか、明日は違うのにしよっか」

そして、これを皮切りに『卵料理が甘いのはおかしい』『目玉焼きが半熟だ食べにくい』『醤油味がいい』などと。。。
チーンチーンチーン

でも、私も負けずに言い返す「甘い卵料理もあるんだよ」「目玉焼きは簡単で卵1つだけで作れるの」「私は半熟が好きだけど、次からしっかりと焼くわ」

それから「教えてくれてありがとう。お互い話せて良かったね。みんなの好みがわかって良かったよ」と絞り出した伝えた。

私も良い気分はしなかったけど、お互い言い合って、知り歩み寄る方が今後の時間を快適に出来る。その場限りだったらやり過ごせば良いけど、面倒でもこういう時間は大切だ。
障害あるからと頭ごなしに否定される事が多かったと思う。自分の気持ちを上手く表現出来ずに、理解されなかった事もあるだろう。だからこそ、自分のしたい事や好きな事を伝えるのにも勇気がいることだろうと思う。それを伝えてくれるようになったという事は、私を信頼してくれているからそこじゃないかって思う。そう思えたら、スーっと怒る気持ちも消えていった。

私は必ず押し付けず、彼らの意見を聞く。
私は彼らを従わせる為にここにいるのではなく、彼らをサポートする為にいる。
彼らの心までも不自由にならないように。

コノヤローと心で叫び文句ブーブー言うけど、彼らと対等な立場から同じ人として接していきたいと思う。当たり前の事だけど、当たり前のことって割と難しいよね。




初めての社員旅行

日々ブログに書くネタは盛りだくさんですが、なかなか落ち着いて文章化する事が出来ずにいます。私もだいぶ環境に慣れてタフになったと思います。


大阪に来て10ヶ月、ヨガインストラクターとグループホームの寮母の二足の草鞋で、日々奮闘しています。




10月の私の誕生日の日に慰安旅行&保育園のお泊まり会が合同で行われました。私は引率として1日目だけ、同行しました。

私は旅行気分で浮かれていました。楽しそう〜デレデレ




しかし、すぐに気づかされます。知的障害と園児達の安全をしっかりと守らないと行けないんだ!浮かれ気分な自分を反省し、仕事モードへと即変換。私がここにいるのは、自分が楽しむ為ではなく、皆さんに楽しんで貰う為にいるんだ!自分の役割を認識した。


可愛い子供たちの喜ぶ姿は微笑ましく、愛らしい❤️気を抜かないようにしつつ、楽しみました。



会社が美味しい食事や様々なアクティビティを用意して下さって、贅沢な旅行です。ハロウィンも近かった事もあり、京都の映画村で時代劇コスプレをした大人の皆さん。彼らがスムーズに楽しめるようにとサポートするけど、着替えに時間がかかる。ゆっくりと周る事が出来ませんアセアセアトラクションも入れず、ただ練り歩くしか出来ない。せっかく楽しめるようにと組んでくれた旅行。。。せめてグループホームのみんなだけでもケアしたい。

私は彼らが楽しめるように、写真を撮ったり声をかけたりしていました。せっかくコスプレしているのだから、写真に収めたい!みんなを喜ばせたい!私の目的は明確だった。そして自分が楽しむ事も心がけた。

 だけど、団体行動だし自由に歩かせれば収集がつかない。だから、せっかくの衣装だったけど、あっという間に時間は終わってしまった笑い泣き


うちのホームの子が大好きな仮面ライダーの展示をしていてそれを楽しみにしていたのに、団体行動でそこにも行けなさそうだった。なんとか隙をみて、見たい人を連れ出して仮面ライダーのところへ向かい、それぞれの写真を撮った。やっと嬉しそうな笑顔が見れてホッとした。集合にちょっと遅れてしまったけど汗せっかく来たのだからやりたい事をやらせてあげたい。


その後は八つ橋作り体験。楽しそうに作る園児達の横で大人達は上手く行きません。せっかく作るのだったら食べれる状態にしてあげたいと思い、お手伝いにまわってました。作る事が難しくストレスになりそうな人は作ってあげたり、ちょっと違うものが出来そうになっていても、本人が楽しんでいそうであれば「大丈夫!食べれば一緒だよ」と言ってあげた。仕事じゃないので出来なくても誰の迷惑にもならない事で、怒られたり貶されたりするのはおかしい。


無事に滞りなく旅行を遂行する事は大事。でも、何の為の旅行かと言うと彼らに楽しんで貰う事。責任感や遂行する事、自分の事だけ考えると目的が見えなくなる事がある。必死になり過ぎると大切な事を忘れちゃう


夜はホテルでみんなでディナーでしたが、ホームの子が泣き叫んじゃいましたゲッソリ少し前から危ない感じはしていて、席に着く時も座るところが気に入らなかったらしく、危険を察知して飛んでいった。違う席に着いて大丈夫だろうと思っていたら、突然の爆発💥あぁ〜ダメだったかゲロー

他の人の楽しい気分を壊したくなくて、連れ出そうとしたけど、園長先生の体当たり指導で治まった。気持ちが抑えられなくなっちゃうの。だからって隔離して過ごさせる訳にはいかない。生きづらい彼らをサポートし、社会と関わらせる環境を作る事が大切だと思う。隠したり見えなくしても問題は無くならない。曝け出すからこそ!未来が開ける!それでも体当たりは心も体も削られる。


食事の終わる頃に私の誕生日ケーキ用意されて🎂皆さんにお祝いして頂きました。暖かい会社です。

私を色々削った泣き叫んだ子はすっかり元気で笑顔になっていますチーン正直、良かったと思う反面、私の心はまだ土砂降りでっせ!と思います。

みんなで写真を撮って、結局はみんなが楽しそうで良かったと感じましたハート


そんな私の誕生日は色々ここにいる意味や自分が貢献している事を感じ、良い誕生日でした🎂私の喜びや幸せを感じる事は広がっているように思います。ワイワイ友達と一緒に騒いで愉快な事をするのももちろんすごく楽しいですが、じんわりと温まる幸せを噛みしめましたちゅー



秋の夜花火

お久しぶりのブログとなってしまいました。

ヨガインストラクター兼グループホームの寮母さんをしていますマヤです。


お休みを頂き東京帰省から戻り燃え尽き症候群で、日々をこなすことで精一杯になっていました。でも、日々色々ドラマティックな学びは続いています。ふふふデレデレ



夏に全員揃って出来なかった花火がずっとリビングの片隅に置いてありました。早く帰って来て次の日遅い出勤の日じゃないと出来ず、タイミングが合わずにいました。もう秋ですが、今日ならいける!と思った私は『花火やるよ〜』と突然に言い出しました。


みんな喜ぶだろうと思ったら、1人が「えーーーーーー花火??」と????


私『ん?やるよ?イヤ?』

⭐︎「ん〜、ちょっとイラっとしたけどぉ〜」

なんでやニヒヒ

私『やりたくない?』

⭐︎「そうじゃないけど〜、急だったし〜ちょっとムカついた?」

私『無理に参加しなくてもいいよ。何かやりたい事あった?』

⭐︎「イヤイヤイヤイヤそーじゃなくて、やります。」

ん?どーいう事なの?

突っ込むべき??迷ったけど、突っ込んで聞いてみた。

私『何がムカついた?イラッとしたの??」

⭐︎「ん〜、もう夏終わってるし〜もう秋だからいいのか〜、それに突然だったから」

私『やりたくない訳じゃないのね?』

⭐︎「ハイ!!」


えーーーーーーーーーーー滝汗

どういう事よ?

「イラッと」とか「ムカつく」って言われたら、驚くし、良かれと思いやったことなのに、そんなネガティブな言葉聞いたら、傷つくんですよ。思わず反応しちゃいそうになる。人の好意を蔑ろにする言動にキツイ言葉を言いそうになる。でも、だいぶなれたんですよ(笑)だから、一呼吸おいてどういう事か質問出来た。すると、怒っている訳でも、不快に思っている風でもなかった。


言葉の使い方が間違ってるよね。又はボキャブラリーが乏しい。「イラッと」「ムカつく」という言葉の中に「驚いた」「おかしい」「やっても大丈夫か」などの気持ちなのではないだろうか??気持ちが整理出来ない状態を表しているのかな?


これは丁寧にコミュニケーションを取らなければ理解出来ないし、言われた方も感情的になりトラブルになってもおかしくない。これは理解がなければ、非常に厳しい。

言われた方もだが、言った本人も悪い事を言った認識がないのに、怒られたり酷い扱いを受けたりし、傷つく事になる。


理解が必要。


ケアする側からすれば、こんな事言われたらストレスになる。だからこそ、知識と理解が必要。言語能力の欠如。言葉の直接の意味ではなく、しっかりと話し解釈する事が大切だって事を学んだ。


そうはいっても、言葉の意味を理解しているからこそ、衝撃を受けてしまう。見た目も普通で一見障害があるとはわからなければ、余計トラブルが起こる。悲しいねショボーン自分の心を上手く表現出来ずに誤解される。本人からすればパニックですし、もどかしいでしょう。それを知る事で理解を深めて行く事が出来た。



花火は本当にみんな楽しそうで、私も嬉しかった。



理解を深めるという事は、私自身も無意味に傷つく事をせず、守ることにも繋がる。心を理解できるように丁寧なコミュニケーションが大切です。叱り押さえつけ教育するよりも、まず私が歩み寄り理解する事が必要なんだろうと思う。言葉で言うのは簡単だけど、なかなか難しいね。


だけど、彼らも伝わらなくてもどかしかったり、気持ちが上手く表現出来ずに誤解されて怒られたりし、恐ろしい思いをしたり、混乱して発言しづらい状況で生きて来たのだろう


相手の立場に立ち寄り添うことが、私たちの関係性を良くすると思う。


私の時間軸で。

私の正しさで。

私の常識で。

私が理解する言葉で。

私の理想で。

全ては判断出来ない。それが争いの元になる。



貴方たちと出会わなければこんな風に思えなかった。私にとても大切な事を教えてくれる。耳で聞く言葉ではなく、心の言葉こそが大切な事だと言うことを伝えてくれた。


ありがとう。

新米寮母さんは日々成長しています♪



東京帰省 〜離れたからこそ気づく事〜

約3ヶ月ぶりにホームの外に出た。長かった。。。。緊急事態宣言もあり、ホームに缶詰となり、なかなかの修行期間となりました(笑)


そしてそして〜やっと東京に帰れました笑い泣き

興奮気味に東京でのスケジュールを組み立てていく。最初に決めて押さえたのが、ヨガクラスをする為のスタジオ。のんびりと友達と会って身体と心を休めようと思っていたはずだった。それなのにサクサク決断し決めるのはヨガクラス(笑)結果、仕事の旅〜ニヒヒ


アレアレ〜おかしいぞー!

薄々気がついていたが、もう目的が変わってね?

自分めっちゃ働くやん!!


ホテルよりも新幹線よりも先にスタジオを押さえて、ヨガクラスのスケジュールを立てていく。もちろん、待っていてくれる生徒さんの為にもクラスは開催する予定ではいた。でも、明らかに配分がおかしい。でも、遊びに行ったりのんびりとする予定は立たず、埋まって行くのはヨガクラスと人に会う予定。人に会う予定すらヨガクラス中心だ。


あぁ〜、私ヨガクラスしたかったんだな。

ヨガを伝える事が楽しくて大好きなんだって、感じたしどんなに忙しくても苦に感じなかった。もちろんそれが日常になったら、色々出て来るだろうけど、根本変わらない。




経済的な安定を確保し、自分の精神の自由を守る為にここに来た。でも、本当に求めていたしたい事から離れてしまった。ここでも出来ると思っていたけど、難しい状況が続いていた。それでもここで出来る事を見出しながら、多くの事を学んだ。まったく後悔はない。


自分自身がやりたいと願った事とは違うことをやりながらも、その中で自分の価値を見出し、喜びを感じた。そして、それは自分がしたい事では得られなかった気づきをもたらしてくれた。

「したい事」をしていた時よりも「求められている」仕事をした時、今までと違う視点で見る事が出来た。困難な中で自分がここに在る意味を探求した。


それでも慣れない事の連続で、心身疲れは蓄積されていっていた。だからこそ心身共に休息の旅のはずだった。だけど、どー言う事(笑)めっちゃ忙しいやん!


久しぶりのヨガクラス、不安よりもワクワクが優っていた。ブランクがあったけど、なんの不安もなくアジャストに入れた。楽しい!!そして、来てくれた方もとても喜んでくれた。したい事と求められている事が一致している。楽しいちゅー


私が私の能力を遺憾なく発揮できる事が嬉しい。誰にでも出来ることではなく、唯一無二と感じる力を惜しみなく出せる。それは喜びです。それを喜んでくれる人がいる。


ヨガクラスでは何の苦もなく自然に手が動き言葉が出る。


楽(笑)



オンラインでヨガを伝えているけど、最近気づいた事がある。東京で「なんでアーカイブやっないんですか?」って聞かれた。ドキリとしてアワアワと言い訳じみた事を答えてしまい、帰り道どんよりして、心がザワザワした。


お金が安いとか自分でもやっているから差別化とか、もっともらしい言い訳を並べた。それも嘘じゃない。だけど、大きな理由に気がついてしまった。

『顔の見えない誰かへ伝えたくない』って言葉が湧き出た。

これは画面をオフにしてるっていう意味ではない。少なくとも私のクラスに参加したいという意志と意欲を持っているという事。スタジオクラスでは、少なくとも私のクラスを選択してくれ、目の前にいる方へ伝えている。オンラインでも、その時間に受けようとオンタイムでログインしている。しかし、受け放題のアーカイブはどこの誰だかわからない。


私は自分が長年培って来たヨガの叡智、自分の修練からの大切な学びをばら撒きたくない。もっと大切に伝えていきたい。そこを強く感じていたのだった。

パランパラン。。。口伝で伝えて来たヨガの教えは、全ての人に扉は開かれているけれども、ばら撒くものではない。強く求め教えをこう姿勢を重視している。

あぁ。。。ここだったんだ。



大好きだったからこそ傷ついて、信頼する事も怖くなり、ここへ辿り着いた。

マットから降りた学びがここには溢れている。

でも、私はまたヨガ界に戻ろうと思う。

今回の東京で自分の道が見えた。

今すぐという事ではないけども、いずれまたヨガの指導を中心とした生活へ戻ろうと思う。


無理矢理ではなく、流れのままにチャンスが来たら選択していこうと思う。