鈴の音 -2ページ目

鬼は外

連投ブログでございます。

内容的には時間は経過していますが、様々起こっている事が落ち着いて、私の心の整理がある程度できるか、パッションが漏れ出している時でないとブログは書けません。ちょっと、落ち着いたのでまとめて書いています。

 

前回のブログで書きました、「反省のしかたがわからない」と言われてから、どうやって自分の行いを省みることが出来るのかをもんもんと考えていました。YouTubeや検索をして得た知識を元に考え、小さなアプーローチを日々行っていました。自分で考えて行動する。失敗したときは、何故それがいけなかったのか、次はどうしたらいいのかをヒントを交えながら考えて貰うように努めました。日々試行錯誤です。

 

そして、節分の日。

日々そんなことを考えていたので、豆まきをする時に、「自分の中にいる鬼を追い出そう」と言いました。自分で直したいところを言って豆を投げて貰いました。

「嘘つき鬼でてけー」

「怒りんぼ鬼」

「泣き虫鬼~」

「なまけ鬼!!」

「肥満鬼出ていけー」これは私やニヤニヤ1番ふざけてる

 

色んな鬼が飛び出しました。上手く思いつかない人もいましたが、自分の直したいところを考えてくれました。まず、そこがわからないと改善できません。人に言われた自分の悪いところではなく、自分自身が改善したいと思っているという事が大切です。

 

この節分がこの前まで荒れていた方にフィットしたようで、次の日も上手く行かなかったことがあると、豆をなげていけないところを認識していました。つまり反省してるんです。まずは、何がダメかを認識することが大事で、それを改善するために何が必要に繋がっていくと思うのです。そして、ピタッと泣き叫ぶことが収まりましたデレデレ

 

犬の散歩などおろそかにしていて私に注意を受けた時も、怒るのを我慢して耳を傾けるようになりました。言い訳をしますが、ひとつひとつ論破していきます笑

一度、あまりに仕事をおろそかにしたので、ちゃんと出来ないならばホームでスマホ禁止にすると圧力をかけてしまいました。時間がなくて出来ないと言い訳をしたのですが、スマホでゲームする時間はあるのです。仕事をおろそかにしてまでやるのはおかしいことを伝えたかったのですが、スマホを取り上げられる恐怖から考えるのを止めてしまって、伝えたいことが伝わらなくなってしまいました驚き

 

落ち着いてから、スマホをやってはいけないのではなく、スマホがあるとすべきことが出来ないのであれば、こちらで管理するしかないです。やることをやっているのならば、スマホのゲームや漫画を見てもいい。スマホやゲーム、漫画が悪いとは言ってない事を伝えました。自分が好きなものを悪く言われるのは、よりどころを無くすようなものだと思う。そこは肯定してあげたいと思うのです。脅しは即効性があるので、やってしまいがちな手段ですが、長期的にみるとマイナスだと思います。信頼も損ないます。

 

私も彼らも短気を起こさず、コミュニケーションをとっていきました。彼らは自分の失敗や出来ないことをとても気にします。そこを怒られるとやる気をなくします。どこをどう改善すればいいのかわからないため、努力の仕方がわからないんです。最近は、「失敗は誰でもする。失敗しない人はいない。でも、つぎは失敗しないように考えて、努力するんだよ。」と伝えています。具体的に改善すべき点も一緒に考えます。

 

そんな時です。

 

グループホームの愛犬サラさんの洋服を破いたのを黙っていたのを指摘しました。失敗したことは仕方ないけれど、黙って隠すことは良くない。これは私がサラさんの為に買った服です。これがないとサラさんは寒いです。私もせっかく買った服が使えないのは悲しいです。ここまで言って初めて、怒られるから謝るではなく、悪いことをしたと理解してくれます。必ずどう思うかを聞くようにしています。そして、「どうすればいいかな?」と聞くと「私が縫って直します」と予想外な言葉が返ってきました。彼女が考えて出した謝罪の行動です。素晴らしいですよね飛び出すハート

まぁー、取り掛かるのも時間がかかったり、出来てきた縫い目はぐちゃぐちゃでしたが、大きな一歩だと感じました。

 

会社でウソをついたと過ちを告白してくれた時も、ひとつひとつ聞いていきます。

「どんなウソをついたのか?」

会社に提出すべきものを家に届いているのに届いてないと嘘をついた。

「何故そんなウソをついたのか?」

言い間違えました!言い間違え?なんだそれ?ニヒヒ

 

寮母さんは名探偵ばりに謎を解きます。

「違うよね。持ってくるのを忘れたから、怒られると思って届いてないって嘘をついたんでしょ?」

別のところから「そりゃ、あかんわ」とグループホームの住人が叫ぶ。あんたも今わかったんかーい!真顔

 

もしかすると言った本人も自分の思考をすべては整理出来てないのかもしれません。

ここでは謎解きは日常です。

 

節分をきっかけにちょっとづつですが、変化の兆しを感じます。油断していると大暴れなんてこともあるかもしれませんが、失敗は終わりではなく過程なのだと思い、私も彼らと一緒に努力してみたいと思います。時々やさぐれるとは思います。

 

 

ブログを書く時間があるのであれば、確定申告をやるべきな二足の草鞋の寮母さんヨガインストラクター。私も彼らと同じく優先順位が間違っています凝視でも、私にとって、心の成長こそが生きている糧なのです。と、もっともらしいことを言って〆るのでした。

 




反省の仕方がわかりません

皆さん、ご無沙汰ブログでございます。知的障害を抱えたユニークな住人達と暮らしながら、ヨガインストラクターをしている麻矢です。

 

私は元気でやっております。会社の健康診断に引っかかり、病院で再検査をしました。病への不安もあり、お酒を辞めて食生活の見直しをして過ごしておりましたが、「問題なし」の結果に大喜びし飲み食いしたら太ってしまいました。残念な中年でございます真顔

 

 

ホームの方で少し精神面で乱れ気味だった方がおりました。感情のコントロールが上手く行きません。前回のブログでもネガティブな発言が多くあり、叱りました。お仕事中に感情が爆発して、作業中断が増えてきたため、会社に呼び出されて注意を受けて帰ってきました。反省文書かされたらしい真顔

 

私がホームに帰ると怒られて帰ってきたはずの方が楽しそうにリビングでゲームしていました真顔なにしてんのや

注意を受けた事も知っていたけど、本人の口からも聞きました。「反省しています。」「すみませんでした。」という言葉は出てきますが、どうも怪しいです。「次から気をつけまーす」って言うんですが、つっこんで聞いてみました。

『何を気をつけるの?』

「怒らないようにする?みんなに迷惑かけないように?」←注意されたことのオウム返し

『それにはどうしたらいいの?』

「わかりません」真顔真顔真顔

 

そう、わかってないんです。

 

『本当にいけないと思って反省していたら、ゲームなんてできないんじゃないの?もっとその前に考える事があるんじゃないの?』と言ってしまう。

ここで、ゲームが出来ないと思って、ヘラヘラが消えて焦る。

「えっ、あと何分反省したらゲームできますか?」チーンチーンチーンウソだろ・・・

時間じゃねーしニヤニヤ

時間じゃなくてどうしたら良くなるか自分で考えないと、と説明を試みるもなかなか伝わらない。

結局でた言葉が「どーやって反省するのかがわからなくて~」

 

愕然とするし、途方に暮れた。でも、そうなんだろうと思う。どうやってそこを伝えたらいいのだろう。反省の言葉は、相手が望む言葉を選んで言っているだけで、理解はしていない。これは時間がかかる作業です。

 

知的障害がある方々は、目の前にあることと自分が中心、第三者が欠落した思考、さらに未来の予測が出来ず今しか見えていない状態。それをやった、言ったことに対して起こる結果の予測が出来ない方が多い。だから、その時の自分の快楽や防御の為の行動や言動をしてしまう。そこを説明する必要がある。失敗をした時に怒るのではなく、これをしたらどういう結果になるのか、それをしたことにより他者がどう感じるかを伝える事が大切ではないかと思う。

 

とっさには上手に伝えられない自分がいる。知識がなさすぎる。そして、経験不足。どうしてあげたらいいんだろうという思い…プラスムキーキー―――――――となる気持ちが混在して、自室に籠りYouTubeを検索して、調べまくって、酒を飲む・・・チクショー泣くうさぎ何に対してのチクショーだろうか、相手に対して悪態をつく気持ちと自分の不甲斐なさと、虚無感に襲われる。一通り調べまくって答えが出ず、考えることを拒否し始めるとアニメを見る。もう難しいことは嫌チーンくだらないことしかやりたくねぇ。

 

一歩進んで絶壁から突き落とされることが多いですが、アシュタンガヨガで培ってきたコツコツ努力とド根性は健在です。

本職であるヨガのクラスで息抜きをし、愚痴をこぼしながら復活を遂げています。

 

私がいて成り立つ平穏ではなく、彼らが少しでも自分自身を幸せにするすべを学んで欲しいと思うのです。ちゃんと自分で理解していかないと繰り返してしまい、その度に怒られて傷ついてしまう。すべては難しくても少しでも理解して成長して欲しいと願います。それこそが生きる喜びとなるから。

 

 

 

 

 

 

不幸の上に胡坐をかくな

以前のブログのその後です。

 

「ホームベーカリー事件」の日に情緒不安定のまま仕事に出かけ、予想はしていましたが仕事中に泣き、お仕事を一時離脱。そんな日は、帰って来るなり離れずに話続けます。朝の朝食の時間と、この夕方の時間は私の修行タイム笑

 

忙しい時に女性二人が同時に全く違う話を話し始める。

言葉も聞き取りずらいですし、内容も聞き返さないと何の話をしてるかもわかりません。それが同時。まず、無理~~~~~~ニヒヒ話を聞いてあげることも必要だとは思うし、話を聞かなかったらないがしろにされたと感じるかもしれません。大切な事はわかります。

 

そんな時は、「荷物置いてきて」「血圧を測ろう」とか次にやるべきことを言って、指示を出して人の交通整理をします。

それでもダメな時は一旦自室に戻り、私の気持ちを整えます。←これ大事な

 

その日は帰って早々、ネガティブな発言が止まりません。

「みんながヒドイこと言う!」

「ストレスが溜まります!」

「私は失敗ばかりするから必要のない人間です!!」

「消えてなくなりたい!!!」など、話してて自分の言葉でさらに感情的になり、エスカレートしていきます。

そんな時は話をすり替えて、気持ちを違う方へ向けるようにしたりするのですが、それでも止まらない時もあったり、ちゃんと話さなければならないような内容の場合もあります。

 

その時は。。。

『ヒドイ事言う人もいるかもね。気にしてたらきりないよ。』

『私もストレス溜まるわ。』

『失敗しない人なんていません。その度に消えてなくなってたら、地球に人おらんわ!!』

『大変なことは誰でもあるの。それでも嫌な事や大変な事も乗り越えるように努力してます。笑って楽しそうにしている人でも、大変なことがない訳じゃないです。』ときっぱりと伝えました真顔

 

そうやって伝えた後はいつも自室で様々な思いを巡らせています。

障害ってなんだろうか?

何を持って障害なんだろうか?

生活する上でサポートが必要な人?

そんなこと言ったら、生きてる人みんなじゃない?山で自給自足して人に合わないような生活してたら別だけど、ほぼいないでしょ。

みんな誰かに助けられながら生きてる。

 

では、身体能力や知的能力、身体的特徴、容姿なのか??

スペックが高ければ、悩みや苦労がないのか。そういう人は幸せなのか?一見良さそうだけど、それぞれの立場の苦悩はあるはず。

 

私が長年行ってきたヨガの練習と重なり腑に落ちた。

 

ヨガのポーズの練習でどのポーズを練習しているかはさほど重要ではないと思っている。難しいポーズを練習している人がヨガが深いとも言えない。長年やっていたからポーズが進んだり、もともと身体能力が高かったりしたから先のポーズへ進み練習しているんです。ですが、先に行ったからといってやっていることはさほど変わりません。その人にとって困難な状況の中でどう向き合うかという練習だと思っています。先のポーズへ進んでも周りと自分を比較したり、過去の自分と競ったり未来の自分への期待というプレッシャーをかけたり、自分で苦しみを生み出したり助長したりしています。それでは苦しみを断ち切ることは出来ません。

それぞれが今在る自分を受け入れて、何を為すべきか?ただそれだけです。

与えられた課題に気づき全うするだけです。

 

自分自身を活かして生きる。


それぞれ幸福の捉え方は違うけれど、少なくとも、今の私が見出した答えは、人の能力値が高い低いは関係なく、喜びも悲しみも苦しみも左右するのは環境でも能力でもなく、自分の心の在り方だと思う。

 

何を持って障害なのかの答えは出ないけれども、どんな人でも自分の事を不幸と嘆いている人には、幸福感は得られないでしょう。

 

だから、彼らに必要なサポートはしますが、自分を蔑んだり貶めたりする言動や行動はここに私がいる限りは本気で怒ります。

私が彼らの事を可哀そうって思うのは、自分が彼らよりも優れているというエゴの現れだったと気がついたから


みんな一緒だ!

 

ヨガの練習と一緒だ。

貴方がポーズが進むことに囚われているのだとしたら、そこに幸福へのヒントがあるだろう。先へ進むという執着が苦しみを呼びエゴを助長する。ヨガの本質から遠ざかっていく。ただ、それすらも真理へと近づく為の学びなのかもしれない。

 

マットの上よりもキッチンでの学びが増えてきた私ですがデレデレ今ここに在る環境に感謝してヨガを深めていきたいと思っています。


ナマステ愛飛び出すハート



前回ブログの付けたし

前回のブログでホームベーカリーより市販のパンがいいと言われた「ホームベーカリー事件」の話を書きました。

そのブログを読んだ方から市販のパンの方を選んだのは、「手作りパンを食べたい他の方への配慮ではないか」というとても優しい受け取り方のご意見を頂きました。

 

私もここへ来た当時は私もそう思っていましたよ。しかし、なかなか難しいって事に気づかされました。自分の状況でさえも理解するのが難しかったり時間がかかったりします。その中で、人の気持ちや状況までもを判断するのは難しい事なのです。まず、自分の欲求や自分に不利益な事(怒られたり不快なこと)は瞬時に理解します。でも、その他のことは理解に時間がかかったり説明が必要だったりします。

「今、それを自分が取ったら貰えない人出てくる。」

「他の人も食べたいかもしれない」という事に気が付きにくいのです。

 

ここへ来た当時は、奪うように自分の分をもぎ取るような光景を目の当たりにして途方にくれたのを覚えています。だからと言って優しさがないとは思わないで下さい状況が理解していないんです。その行為で怒られたことはあるかもしれませんが、なぜその行いがいけないのか理解していない可能性があります。それをすることにより、どういうことが起こるかまで考えが及ばないんです。

「他にも食べたい人がいるよ。」

「食べてもいいか聞いた方がいいよね。」と、声掛けをすることで他の人の状況を理解して、行動ができます。

 

それでも、自分の欲求を通したがる人もいますが、それは人間性でしょうな(笑)ニヤニヤそれに対しても、では「他の人にお願いしないとね。」と声をかけます。面倒でも、そこから始めないと心が育ちません。ルールとしては理解するのでしょうが、善悪の判断というか、道徳心を深められません。そこをすっ飛ばして生きてきたようにも感じます。自然に読み取りながら成長することが、難しい環境にあったのかもしれません。想像することしかできませんし、今更過去を変えることはできないので、言っても仕方ありません。

私はなるべくその状況を説明するように心がけています。今は譲り合うことも出来るよようになってきました。前回のパンの下りは私は、譲って言ってるようには聞こえなかったんですよニヒヒ

 

とは言え、ずっとここに居ると疑ってしまったり、決めつけたりしてしまいがちになりますし、皆さんからの感想は自分をかえりみる機会にもなりますし、今一度冷静に考える時間にもなりました。まったく、障害に関して知識のない私がここで感じたことを主観で綴っています。ブログってそういうものでしょうけど。ブログは私の心の整理の時間でもありますちゅー


1年前に突然グループホームの寮母さんになった私の率直な思いを綴っています。どうぞ、私の成長日記と思い、読んで頂けたらと思います。

 

まごごろは木っ端微塵

東京でヨガインストラクターをしていた私が、

知的な障害を抱えた方々のグループホームの住込みの寮母さんとなって、1年が過ぎました。


1年続けられましたよ〜デレデレ

本当に途方に暮れて、もう無理かもしれないと何度も思いましたが、愛犬のサラさんに支えられて何とか荒波を日々溺れながらも、乗り越えて来ました。SNSからの皆さんからの励ましのコメントも大きな支えとなりました。ありがとうございます。


さてさて、私もそれなりに慣れて来たこちらの生活。ホームのみんなとの信頼関係も深まりました。ちょっぴりウソが減ったり、積極的にお手伝いをしてくれたり、良い変化をして来ていると思います。それでも平穏な日々ばかりではないのです。


先日、ホームベーカリーでパンを作りました🍞みんな「良い匂いがする」って喜んでくれたんです。ところがですよ!!翌日の朝、余った手作りパンだけでは足りないので、市販のパンも使わなければならなかったんです。

M「みんなで誰がどっち食べるか決めてね」

私が声をかけました。

『市販のがいい』『私も買ったパンがいい』

ウソでしょ?!

私も食べてみましたが、手作りパン美味しかったんですよ。


ショックですよチーン

M「えーーーーーー、買ったパンが良いならもう作らんわ。」


何故、買った方が良いと言ったのかわからないのですが、形悪いとかパンのミミが嫌、又は他の子が言ってたからそれに乗っかった。そんなとこかな。


まぁ、やる気も削がれましたし、イラついたんですが、仕方がない事です。と自分を納得させようとしていたら、私の部屋の前で興奮して捲し立てて喋っています。

どうしたのかと扉を開けると、興奮状態で支離滅裂な事を言っていて、なんの話をしているのかさっぱりわからない。ゆっくりと何がどうしたかを聞く。

『マヤさんがもうパン作らないって言うぅぅぅ〜』とメソメソしだす。

チョイ待てぇーい!自分が市販のパンが良いって言ったんだろ!!!どう言うこっちゃゲロー


「パンを作るのは手間がかかります。みんなが買ったパンが良いなら、作るの必要ないでしょ?みんなが美味しい、食べたいって言うなら作るよ」と何度も説明しました。


すると突然、『なーんだそっか』と笑いだす滝汗

                   まるでホラー


私はまた1人謎解きバラエティーです真顔


おそらくですが、私が怒ったのを感じ取ってパニックを起こしたんだと思います。少なくとも私は嫌われたくない人なんだと思います笑それもあり、グループホームで泣き叫ぶような激しい事は起こらなくなりました。でも、会社で叫ぶ頻度が上がっているように思います。


良い子じゃないと嫌われる。

失敗したら怒られる。


応えられないことへの恐怖。

愛への渇望。

自己否定。


自己肯定感が低いからこそ依存や執着を生み、逃避する事で自己破壊を防いで来たのかもしれない。でも、誤魔化しても渇きは潤わない。満たせるのは自分しかないのだから。


私に対して攻撃性が向かなくなったとしても、他へ移行しただけだとしたら、解決にはなりません。


今は怒った時にはアンガーログを書いて貰うようにしています。いつ、どこで、何に怒りを感じたか、少しでも客観視して欲しくて。すると、感情が治ると自分が怒った事すら忘れていたのが、怒ってしまっている自分に気がつき出しました。書くことにより思い出すからです。日々怒っている自分に気がつき自己嫌悪襲われるようになりました。まずはそこを受け入れてどうしていくかだと思うんですよ。


最近、私は彼女が感情的になって怒って叫んだ時は、叱るのではなくて、「辛かったね」って声を掛けるようにしています。でも、「周りのみんなも大変なんだよ」と伝えます。そして、「どうしたらいいか一緒に考えていこう。少しずつ練習していこう」と伝えます。根気よく前向きに取り組ませる事が大切だからです。


ホームベーカリー事件で本当に心打ち砕かれた感じがして、しばらくパンは作る気が起きないんですけどニヒヒまぁ〜仕方ない。また、やる気パワーが溜まるまで待とうと思います花今はヤサグレてます。


そこで、終わったと思いきや。。。予想はしてたが会社で泣き叫び、帰ってくるなりネガティブな愚痴が始まったチーン


続く。。。