マットの上で学んだ事
手術をして4年が過ぎました。早かったのか長かったのか。
病気により多くの事を学び、多くを手放しました。思えば自分への許しの連続だったようにも思います。もう必要のない事に気づき手放す事だったのだと今では思います。
大阪に移り住んで半年が経ちました。マットの上でのアーサナの練習はあまりしていません。でも、私は自分のヨガがまた違うフェーズに入ったように感じているんです。
ここに来た時はまたコツコツとアーサナの練習しようと思っていました。でも、グループホームでの寮母の仕事、ここでの環境への順応、悩みは尽きませんでした。アーサナの練習どころじゃなかったというのが本音です。
それでも東京での生活を手放し、ここへ来た意味を自分なりに模索し、少しづつ足場を固めて行きました。在るが儘ここにいるだけで価値があると思えればいいけど、そうはなかなか思えない自分がいて、、、だからこそ自分の価値を自分自身が信じれるように、貢献し何かの役にたつ事で、自分の意味を知りたかった。そして、貢献する事で私自身を救済してる事に気がつきました。文句ブーブー言いながらも、ホームの住人や動物達に尽くす事で私の傷を癒しているんだと思うのです。
彼らの存在を感じ考える事で、関わりの中で自分を知り学んでいる。私は何故ここに在るのか。それこそヨガだとハッキリと感じます。
ここに来た当初、アーサナの練習が出来ず、ヨガのクラスも出来ず、自分がヨガから遠ざかっているように思い苦しくなったのですが、違う!本当のヨガが始まったんだって今は思う。
そうはっきりと感じれるようになったのは、友人達からの励ましのコメントやメッセージ。そして、zoomで始めた嶋田有希先生の哲学のクラスのお陰だと思います。哲学のクラスでドアラン「アーサナの練習はヨガへの扉を開く」って言葉を聞いた時にすごく腑に落ちた。「マットの上での練習はヨガを学ぶ上での学び方を学ぶ(ヨガの深め方)」ってお話をしてくれて、この時に私はヨガから遠ざかったのではなく、真っ只中だったんだって思えたんです。
今年でアシュタンガヨガを始めて22年になりますが、マットの上で学んだ事が今私の人生を支えてくれてます。全ての生きて起こる現象の中にヨガを見出してる。マットとの境界が消えた。そう感じた時に、自分を褒めたくなった。
旅行中にタイで出会ったMaiko Sahai先生からも「アーサナ=生きる姿勢だよ」と言ってくれて、心底励まされました。色々な人が弱気になったり、やさぐれそうになる私の背中を支えてくれてる。アーサナの練習してないなという私の自分への批判を打ち砕いてくれた。
アーサナの練習があったからこそ今の自分はここに立ってる。アーサナ練習はとても大切です。まずは自分を律して生活を正す事で見えてくるものがあります。しかし、ルールに縛られてルーティーンをこなす事での安心感や人よりも出来るという優越感、又は自分が困難に打ち勝つ事での自信などなど、、、、を得るためのものではなく、これらを手放す為のものだったのだと思う。手放し方を学ぶ為にアーサナがあるのではないかとすら思う。自分を律して闘い欲望に抗うそんな練習して来ましたが、私は抗うよりも認めて許していく生き方を選択したいと思うようになりました。その方が私が私らしく自然に呼吸が出来幸せに近づけるように思えるからです。
まだまだ私のヨガ道は始まったばかりです。許せない事もたくさん抱えています。今はそれすらも認めてあげようと思います❤️

