文章を書くペースは、人それぞれだと常々思います。
執筆中の論文もそうですが、ブログという速効な交流の場もそうなんです。
論文の進み具合があまりに遅くて、残り一ヶ月もない時間配分はとても大事になってきました。
書くべきものがいっぱいだが、先月の約束どおり、小堀遠州流の茶室に行って、まだ感動が自分の中に響いています。
国際茶会 で知り合ったA先生の宅へ、先週の平日に、最初はLちゃんと伺いました。
掛け軸は、小堀遠州辞世の句だとA先生が教えてくださいました。
席につき、茶道のイロハを話していただいた後、鼠志野茶碗で、薄茶をいただく体験もしました。
また思わず美味しい!と感動し、その後の話に涙を誘われました。
どんな話か?と帰りの途中に考えても考えても、思い出せなかったんです。
ただ自分の気持ちを辿ると、こういう答えが出ました。
今まで主催してきた茶のイベントに、物足りない気持ちを覚えたことがあって、それと重ねあった上に、気持ちを呼び起こしたのだという経緯でしょう。
そのイベントを経て、あるお客さんから、これからは私にとって、「堅苦しい日本の茶から、転換していく時代だ」と教えていただきました。
元の言葉を誤解していたのかもしれないが、あの時から、日本の茶をもっと触れてみたら、自分の茶に何かわかるはずだと感じました。
数ヶ月の間に、その考えを抱えつつ、ご縁に導かれた先に、このA先生に辿り着きました。
涙で目がもやもやしていた後に、自分が持っていった台湾茶一式のセットを運び出し、台湾茶席を設けていました。
Lちゃんの友達で、A先生もよくご存知のSさんもちょうどいらした。
梨山の紅香茶を淹れてみました。
(A先生撮)
最初の炭が少なめで、ぬるいお湯で淹れたのだったが、確かに最近は薄く、淑やかに茶を淹れようとする意図も、Lちゃんにばれたようですw
炭を足していただき、また同じお茶を自分では面白くないと思って、Sさんにお願いして、淹れてもらいました。
Sさんの手厚い茶風は自分と対照できて、とても有意義な試みでした。
何より、茶室の炭と鉄の釜で沸かしたお湯で、普段慣れている梨山茶を淹れれば、炭の浸透力を感じたり、特に一種の明るい塊のあるお茶に感じてしまいました。
A先生のお話を聞くと、追求していらっしゃる茶は美味しいという共通の目標もあり、その上に、自然と客を歓迎する心遣いも大事のようです。
帰ったら小堀遠州の辞世の句について調べてみました。「昨日といひけふとくらしてなすことも なき身の夢のさむるあけぼの」と。
毎日のようにそのあけぼのを経験するが、毎日と違ってそれが最後だ、という心境ですか。
さめる先に未来があるんでしょうか。
執筆中の論文もそうですが、ブログという速効な交流の場もそうなんです。
論文の進み具合があまりに遅くて、残り一ヶ月もない時間配分はとても大事になってきました。
書くべきものがいっぱいだが、先月の約束どおり、小堀遠州流の茶室に行って、まだ感動が自分の中に響いています。
国際茶会 で知り合ったA先生の宅へ、先週の平日に、最初はLちゃんと伺いました。

掛け軸は、小堀遠州辞世の句だとA先生が教えてくださいました。
席につき、茶道のイロハを話していただいた後、鼠志野茶碗で、薄茶をいただく体験もしました。
また思わず美味しい!と感動し、その後の話に涙を誘われました。
どんな話か?と帰りの途中に考えても考えても、思い出せなかったんです。
ただ自分の気持ちを辿ると、こういう答えが出ました。
今まで主催してきた茶のイベントに、物足りない気持ちを覚えたことがあって、それと重ねあった上に、気持ちを呼び起こしたのだという経緯でしょう。
そのイベントを経て、あるお客さんから、これからは私にとって、「堅苦しい日本の茶から、転換していく時代だ」と教えていただきました。
元の言葉を誤解していたのかもしれないが、あの時から、日本の茶をもっと触れてみたら、自分の茶に何かわかるはずだと感じました。
数ヶ月の間に、その考えを抱えつつ、ご縁に導かれた先に、このA先生に辿り着きました。
涙で目がもやもやしていた後に、自分が持っていった台湾茶一式のセットを運び出し、台湾茶席を設けていました。
Lちゃんの友達で、A先生もよくご存知のSさんもちょうどいらした。
梨山の紅香茶を淹れてみました。
(A先生撮)
最初の炭が少なめで、ぬるいお湯で淹れたのだったが、確かに最近は薄く、淑やかに茶を淹れようとする意図も、Lちゃんにばれたようですw
炭を足していただき、また同じお茶を自分では面白くないと思って、Sさんにお願いして、淹れてもらいました。
Sさんの手厚い茶風は自分と対照できて、とても有意義な試みでした。
何より、茶室の炭と鉄の釜で沸かしたお湯で、普段慣れている梨山茶を淹れれば、炭の浸透力を感じたり、特に一種の明るい塊のあるお茶に感じてしまいました。
A先生のお話を聞くと、追求していらっしゃる茶は美味しいという共通の目標もあり、その上に、自然と客を歓迎する心遣いも大事のようです。
帰ったら小堀遠州の辞世の句について調べてみました。「昨日といひけふとくらしてなすことも なき身の夢のさむるあけぼの」と。
毎日のようにそのあけぼのを経験するが、毎日と違ってそれが最後だ、という心境ですか。
さめる先に未来があるんでしょうか。
茶道を始めても、自分にある境界線を画すべきだと思いました。
一人の人間に、限界があることを自分に注意するのです。
でないと、忘れてしまう時があります。
そして不思議なことに、A先生と会ってから、論文を仕上げる意欲がますます高まってきました!
時間的にもそうでしょうね。ここまで来て、体が自然に論文の仕上げモードになっていくと感じています。
年末年始は、体調管理もしっかりしつつ、論文を書いていきますー。

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