松田まなぶの論点 間違いだらけの消費増税反対論② | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

<その2>  金融社会主義を打破するためにも消費増税は必要

2.金融社会主義を打破するためにも消費増税は必要

 日本維新の会は、民間のチャレンジを大切にしています。それを妨げているのが、実は、日本の資金循環の構造です。
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[図1]

 [図1]をご覧ください。日本の個人金融資産は1,500兆円以上ありますが、法人が保有している金融資産も800兆円ぐらいあります。大事なのは、莫大な金融資産の運用先なのです。いわゆるポートフォリオ(資産選択の構成)ですが、その質が良くないというのが日本経済の停滞の最大の原因だと私は考えています。
 どういうことかと言うと、例えば、日本の個人金融資産の大半は銀行への預金ですが、銀行はその多くを民間への貸付よりも、国債の購入に回しています。日本の資金の流れのメインルートは、個人からの預金→銀行→国債→政府、となっています。
 これは、本来あるべき健全な経済の姿ではありません。近年、銀行預金は増えてきましたが、銀行の信用創造、すなわち融資は増えず、国債への運用ばかりが増えてきました。結果として、預貸率(貸出/預金)はかつてに比べて大幅に低下してきました。
 資本主義経済のもとでは、金融機関の役割は、個人などから預かったおカネを、生産性の高い(収益性のある)分野に供給することです。
 しかし、市場に国債という、政府が元本保証している金融商品がふんだんに供給されていて、しかも、それが日銀の金融緩和策による超低金利状態で価値保証までされているとなると、銀行はどういう行動をするでしょうか。民間の事業や会社や個人に対して、リスクをとって融資するよりも、国債に運用するほうが、銀行にとってはラクだし、魅力的ということになります。融資をして貸し倒れになれば、融資担当者は責任をとらねばなりませんが、「良い融資先がなかったから国債に運用した」といえば、責任は回避できます。
 結果として、資金の流れは「民から官へ」となり、生産性を高めて未来の富を生む分野への資金の流れは細ります。しかも、問題は、その国債の大半が赤字国債になっているということです。近年の財政赤字の拡大の主たる要因は何でしょうか。それはズバリ、社会の高齢化に伴う社会保障費の増大に対して、財源面での手当て、すなわち、消費税率の引き上げがなされてこなかったことにあります。
 考えてもみてください。日本と同じく高齢化が進んできた欧州諸国の消費税(付加価値税)の税率は概ね20%前後ですが、日本は欧州よりももっと高齢者の人口比率が高くなりつつある国です。5%の消費税率でそのような社会を運営するというのは、国際常識からみても、あり得ないことです。ですから、日本は「世界一の超高齢化社会なのに、その準備ができていない、課題に向き合うことに失敗している国だ」とみている海外の人が増えています。
 さて、赤字国債の問題は、将来にツケだけを残すということです。この点が、日本の財政法で許されている建設国債との違いです。建設国債は、公共事業や出資金、貸付金といった資産を形成するための政府の借金です。なので、例えばインフラは将来世代に資産として残りますから、その財源となる建設国債の償還は60年かけて行うという「60年償還ルール」が日本では営まれています。概ね、3世代にわたって便益をもたらす資産とみなせば、3世代にわたって少しずつ負担を分かち合って元利返済の税負担をしていくという考え方は合理的です。
 しかし、問題は、本来は財政法で禁じられていることの特例として発行されている赤字国債までが、60年償還ルールに入れられていることです。満期10年の国債も、10年ごとに1/6ずつしか税金では償還されず、借換債という国債の発行でつないでいって、60年かけてゼロにするという方式です。これがいかにもおかしいのです。
 結果として、高齢化とともに、日本の国債発行残高に占める赤字国債とその借換債のウェイトがどんどんと上がってきました。これは何を意味するのでしょうか。
 私たちの貴重な貯蓄によって形成されている金融資産の中身において、非生産的な運用に回る部分がどんどん拡大しているということです。同じ国債への運用でも、それが公的インフラの整備で経済全体の生産性を高めて将来の富の形成につながるような建設国債であれば許されるでしょう。しかし、赤字国債は、将来の富を削って返済がなされるものなのですから、将来の富を先食いするために貴重な貯蓄を運用していることになります。
 まさに、日本の金融資産のポートフォリオの質を劣化させ、富の形成を阻害しているのが赤字国債であり、これが高齢化に伴う社会保障給付の増大によって増え続けているなら、消費増税によって少しでも歯止めをかけなければなりません。こうして、金融資産の質をより生産的なものに改善し、銀行の融資を「官から民へ」の方向に促していくべきです。
 アベノミクスの第1の矢「異次元の金融緩和」は、日銀が銀行から大量に国債を買うことで、銀行の資産内容を改善する可能性があります。しかし、現状では、日銀が銀行から国債を買ったおカネは、銀行が日銀に当座預金の形で預けているだけで、日銀の資産と負債が、国債と当座預金が膨らむ形でバランスする姿になっています。つまり、銀行の資産運用が国債から日銀当座預金に代わっただけで、それが日銀を通して国債に向かっているのですから、本質的には「民から官へ」の資金の流れは変わっていません。
 やはり、銀行が日銀に預けた当座預金をとり崩して、民間への融資を増やすことをしなければなりませんし、マネーはそれによって初めて増えることになります。その基本は、赤字国債の発行そのものを減らして、官が資金を吸い上げる程度を減じていくことです。
 かつて、財政投融資が郵貯などを通じて公共部門に資金を配分している姿が「民から官へ」の金融社会主義だと批判されました。財投改革でその状況は緩和されたと思いきや、今度は、社会資本整備や事業者への貸付をしていた財政投融資よりももっと非生産的な赤字国債に資金吸収先が代わっただけで、金融社会主義はよりひどくなっています。
 消費増税が社会主義を打破するというのは意外に思えるかもしれません。しかし、このような本質的側面があることも考えねばならないと思います。

(続く)