松田まなぶの論点 間違いだらけの消費増税反対論① | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

<その1> 維新の立場と消費税:消費増税は独立自尊と自立の精神にかなうもの。

 本年4-6月期のGDP速報で実質成長率が年率で2.6%という数字が発表されました。来年4月から予定通り消費税率を引き上げるかどうかは、経済状況を見極めて最終決定することになっている中で、このところ、消費増税を巡る議論が活発化しています。しかし、世の賛成論反対論のいずれも、少しピントがずれているように思います。少し、整理してみたいと思います。
 まず、経済状況を見極めてと言っても、消費税率が実際に引き上げられる来年4月頃の経済状況を現時点で確実に見通せるわけではありません。ですから、2.6%という、消費増税の1年前の数字が良いか悪いかを議論しても、大きな意味はありません。それは、足元で例えばリーマンショックのような急激な経済の落ち込みがあって、来年4月の経済低迷がかなりの確度で予想されるといった、相当ネガティブな状況でもない限り、予定通り引き上げるという趣旨だと考えるべきでしょう。
 そもそも、予定通りの消費増税を主張する論拠として、財政再建だとか、国際公約だからだとかいった理屈を持ち出すことは適当ではありません。ましてや、「財務省に言いくるめられている」などという批判は論評にも値しません。消費増税は財政のためというよりも前に、国民のために実施しなければならないものであり、それは私たち世代が果たさねばならない責任であって、極論すれば、たとえ一時的に景気が悪くなっても、皆で乗り越えねばならない国民的な課題です。しかも、消費増税はデフレ克服にマイナスではなく、むしろ、予定通り増税しないほうがデフレを深刻化させるリスクが大きくなります。
 色々な論点があるので、まず、日本維新の会が拠って立つはずの政策的立場から、整理してみます。それは、第一に、消費増税は維新が主張する「独立自尊と自立の精神」にかなうものだということです。第二に、消費増税は赤字国債を減らして「金融社会主義」を打破し、民間のチャレンジを促進することにつながるということです。第三に、これまでの人気取り政治から決別し、国民に「不都合な真実」を勇気をもって語る政治へと変革しようとするのが日本維新の会の立場だということです。



1.消費増税は独立自尊と自立の精神にかなうもの。

 今、国に入る消費税収の全額が高齢者の年金、医療、介護に充てられており、増税後は、地方に回る分も含めて、消費税は社会保障目的税としての性格をより明確化することになります。社会保障給付に充てられる目的税とは、国民から国民へのおカネの移転という性格のものになります。本質的に政府の懐に入るものではありません。こと消費税については、政府は国民の間のおカネの移転を仲介する役割をしているものです。
 よく、消費税は逆進的で格差を拡大すると言われていますが、税収が社会保障の給付に回るのですから、決して逆進的ではありません。むしろ、今、日本で生じている最大の格差とは何かといえば、それは世代間格差です。目に見えているものは、若年世代の負担の増大であり、まだ目に見えていないものは、将来世代の負担増大です。
 国民を、高齢世代、現役世代、将来世代に分けて考えると、国民から国民へのおカネの移転である消費税は、増税しても、世代間の負担の配分を変えるだけで、全体としての国民負担は一定です。増税しなければ、赤字国債に依存する分が多くなり、金利負担が増えますから、むしろ、全体としての国民負担は増大します。
 そして、いま、社会保障の公費負担(社会保険料以外の公的負担)の1/3しか賄っていない消費税の税率をこのままにしておくと、何が起こるでしょうか。仮に高齢世代の負担を一定(現在程度の社会保障水準を維持)とすると、現役世代の社会保険料負担の増大と、赤字国債の累増による将来世代の負担の増大が起こります。
 こうした世代間格差の拡大を防ぐためには、いくつかの選択肢があります。
 一つは、高齢世代の負担を増やすことです。年金と老人医療と介護の給付をバッサリと切ることです。しかし、必要経費の1/3しか税金で賄われていない状況では、これでも足りないでしょう。
 もう一つは、消費増税によって、人口の増える高齢世代にも、もう少し、社会保障の負担をしてもらう(高齢者も消費の際に消費税を負担する)ことで、現役世代と将来世代の負担を軽減することです。
 日本では、大変奇妙な現象が起こっています。通常、政府が介入すれば、所得格差は軽減され、貧困率(社会の中で貧困ライン以下の所得の人々が占める比率)は低下するはずです。しかし、日本では、高齢世代については政府介入後の貧困率は低下しているのに対し(社会保障による所得分配が機能している)、若年世代については、政府介入で逆に、貧困率は上昇しています。これは、日本の負担のあり方が異常にいびつなものになっていることを示しており、これこそが、深刻な格差拡大です。
 このことを少しでも改善しようとしないようでは、社会正義に反するのではないか、いま生きている私たち世代の責任放棄ではないか、と考えます。
 社会保障負担を次の世代におんぶに抱っこの今の高齢世代も、独立自尊の精神に反していることになります。日本の個人金融資産の大半を有する世代なのですから、資産を「持てる高齢者」が資産を持たない高齢者を助ける「世代内共助」を促進することで、子や孫の世代への依存を減らして、少しでも「世代としての自立」を図る必要があります。
 その方法としては色々な手段が考えられますが、税制面では、資産を持つ高齢世代の方がおカネを使えば、その一定部分が自動的に社会保障給付に回る消費税のウェイトを高めることが、一つの有力な手段となるわけです。
 税制上のもう一つの手段は資産課税の強化で、日本維新の会も、薄く広く課税する相続付加税の導入を提言しています。先の通常国会で「マイナンバー法」が成立しましたが、いずれ国民番号制度を資産にまで拡張して、資産の捕捉を高めることが重要です。
 日本維新の会は、そもそも消費税を地方税化することを主張しています。そして、その一部を地方共有税とすることで地方の中央への依存を招いてきた地方交付税を廃止することを提案しています。ただ、私の個人的見解では、各地方ごとに消費税率が異なると、現在の47都道府県体制のもとでは仕入税額控除が煩雑化するという実務上の困難があるため、それは将来の道州制の移行に合わせて実施すべきものと思っております。それまでは事実上の社会保障目的税との位置づけが続くわけですから、上記の考え方が成り立ちます。
 まずは経済成長を実現して、増税によって実際に税収増が起こる状態をつくってから消費増税をすべきだという意見もあります。確かに、名目経済成長率4%以上の状態を長期継続できれば、10年後ぐらいには、成長率のアップで金利が上昇することで生じる利払い費の増大を打ち消すまで税収が増えますから、消費増税は必要ない、という言い方が可能かもしれません。実は、その議論も必ずしも適当ではないのですが、もし、それが可能だとしても、そもそも消費増税は財政のためにやるのではなく、上記のような社会的正義や公正のためにやるものだと私は考えています。
 それは国民としての責任意識の問題であり、日本人が真に自立できる精神構造を取り戻せるかどうかの試金石であるとすら考えています。

(続く)