☆京都大学の顕微授精マウスの研究 | 松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

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生殖医療に関する正しい知識を提供します。主に英語の論文をわかりやすく日本語で紹介します。

2024.1.7「Q&A3899 東北大学の自閉症研究について」の質問の回答として、2024.1.7「☆自閉症と不妊治療」で論文を2つご紹介しました。しかし、本当にお望みの研究は京都大学の顕微授精マウスでの研究でしたので、論文をご紹介します。(いつもはこのような紹介の仕方をしませんが)非常に複雑な論文ですので、誤解を招かないように、可能な限り原文に忠実に要約しています(方法、結果、考察、抄録)。

 

JCI 2023; 133(22): e170140(京都大学)https://doi.org/10.1172/JCI170140

<実験方法>

F1世代

♂ Egfp遺伝子を遍在的に発現するグリーンマウスを使用して生殖系列幹細胞(GS細胞)を誘導し、精原幹細胞(SSC)を作成→生後4~6週目の先天性不妊のWマウスの精細管にSSC細胞を移植→顕微授精(ICSI)

♂ 未処理のグリーンマウスの精巣精子を採取→顕微授精(ICSI)

♂ 自然交配

♀ C57BL/6Nマウスから採卵

レシピエントはWマウス、胚は24時間培養し、精管切除した雄との無菌交配後、1日目の偽妊娠母親の卵管に移植→レシピエントに妊娠18日目と19日目の夕方に2mgのプロゲステロンを皮下注射→20日目に帝王切開によりレシピエント雌マウスの胎児を確認

F2世代、F3世代は体外受精

 

<マウス行動解析方法>

F1世代:13~15頭

F2世代:14~18頭

1)神経学的スクリーニング:握力、ワイヤーハングテスト

2)明暗遷移テスト:隣り合った明るい部屋と暗い部屋で10分間記録

3)オープンフィールドテスト:オープンフィールド装置内で運動活動を120分間記録

4)高架式十字迷路テスト:迷路の中心に置いた状態から10分間行動を記録←不安様行動を反映

5)ホットプレートテスト:55℃のホットプレートに置いた状態から逃れるまでの時間を最大15秒記録

6)新しい環境での社会的インタラクション テスト:異なるケージで飼育された同じグループのマウス2匹を野外に一緒に置き10分間行動を記録

7)3室ソーシャルアプローチテスト:透明なプレートによる3室の中央にマウスを置き10分間馴らせた後に、見知らぬマウス1匹を隣の部屋に入れ観察、見知らぬマウス2を反対側の部屋に入れ観察し記録

8)驚愕反応/プレパルス抑制(PPI)テスト:消音ボックスに置き10分間静置後、2つの驚愕刺激(110、120dB)と4種類のPPI(74-110、78-110、74-120、78-120dB)刺激を行い記録

9)ポルソル強制水泳テスト:水で満たされたガラス製シリンダー内に置き10分間記録

10)T字迷路テスト:6つのエリアに区切られたT字迷路を10回実施(強制実行とフリー実行)←作業記憶を検査

11)バーンズ迷路テスト:装置中央を800ルクス以上で照明した部屋に12個穴があり、そのうち1つに入れば正解。トレーニングでは2週間で16回の実施し、最後のトレーニングの1日後または1か月後に本番のテストを実施←抑うつ行動のテスト、空間学習と記憶の評価

12)尾懸垂テスト:尾の付け根から1cmの粘着テープによって床から30cm上に吊るし10分間記録←抑うつ行動のテスト

13)恐怖条件付けテスト:条件付けセッションでは、条件付けされた音響刺激(CS、55dB)を30秒間3回提示し、終了時に軽い電気足ショックを与える。1日後または1か月後に、同じ恐怖を5分間記録

14)ホームケージ内での社会的相互作用テスト:慣れた条件下で運動活動と社会的相互作用を24時間モニタリングし、別々に飼育されていた同じグループの2匹のマウスを1週間一緒に飼育

 

<実験結果>

F1世代

産仔数:精巣精子使用ICSI>SSC細胞移植精子使用ICSI

胎児重量:精巣精子使用ICSI<SSC細胞移植精子使用ICSI

胎盤重量:精巣精子使用ICSI<SSC細胞移植精子使用ICSI

*H19、Meg3 IG、Igf2r、SnrpnのDNAメチル化レベルに異常なし

握力、ワイヤーハングテスト:自然交配=精巣精子使用ICSI=SSC細胞移植精子使用ICSI

ホットプレートテスト:自然交配=精巣精子使用ICSI=SSC細胞移植精子使用ICSI

明暗遷移テストの暗い場所での移動距離:自然交配>SSC細胞移植精子使用ICSI

オープンフィールドテスト:自然交配>SSC細胞移植精子使用ICSI

驚愕反応:自然交配>SSC細胞移植精子使用ICSI

驚愕反応プレパルス抑制:自然交配<SSC細胞移植精子使用ICSI

尾懸垂テスト:自然交配>SSC細胞移植精子使用ICSI

ポルソルト強制水泳テスト:自然交配=精巣精子使用ICSI>SSC細胞移植精子使用ICSI 

3室ソーシャルアプローチテスト(社交性、移動距離):自然交配>精巣精子使用ICSI=SSC細胞移植精子使用ICSI

社会的相互作用テスト:自然交配>SSC細胞移植精子使用ICSI

高架十字迷路試験(オープンアームに入る頻度):自然交配>精巣精子使用ICSI=SSC細胞移植精子使用ICSI

T 迷路テスト:自然交配=精巣精子使用ICSI=SSC細胞移植精子使用ICSI

バーンズ迷路テスト(1か月後):自然交配>精巣精子使用ICSI

恐怖条件付けテスト(保持テスト):自然交配>SSC細胞移植精子使用ICSI

 

F2世代

胎児重量:自然交配<SSC細胞移植精子使用ICSI

着床率:自然交配>精巣精子使用ICSI

胎盤のみ:精巣精子使用ICSI<SSC細胞移植精子使用ICSI

*精巣精子使用ICSI後、高齢精子の体外受精でのF2世代:死産/胎盤のみ(17.6%)、先天奇形(11.2%)、無眼球症(2.6%)、水頭症(1.7%)、小さな目(3.4%)、頭蓋骨欠損(0.9%)、臍ヘルニア(0.9%)

*自然交配後、高齢精子の体外受精でのF2世代:死産/胎盤のみ(3.6%)、先天奇形(15.4%)、無眼球症(3.8%)、水頭症(3.8%)、小さな目(3.8%)、日焼けした肌(7.7%)

*H19、Meg3 IG、Igf2r、SnrpnのDNAメチル化レベルに異常なし

握力、ワイヤーハングテスト:自然交配=精巣精子使用ICSI=SSC細胞移植精子使用ICSI

ホットプレートテスト:自然交配>SSC細胞移植精子使用ICSI(SSCマウスの方が熱に敏感)

明暗遷移テストの暗い場所での移動距離:自然交配>精巣精子使用ICSI=SSC細胞移植精子使用ICSI

オープンフィールドテスト:自然交配=精巣精子使用ICSI>SSC細胞移植精子使用ICSI

驚愕反応:自然交配>SSC細胞移植精子使用ICSI

驚愕反応プレパルス抑制:自然交配<SSC細胞移植精子使用ICSI

尾懸垂テスト:自然交配=精巣精子使用ICSI=SSC細胞移植精子使用ICSI

ポルソルト強制水泳テスト:自然交配=精巣精子使用ICSI>SSC細胞移植精子使用ICSI 

3室ソーシャルアプローチテスト(社交性、移動距離):自然交配=精巣精子使用ICSI>SSC細胞移植精子使用ICSI

高架十字迷路試験(オープンアームに入る頻度):自然交配=精巣精子使用ICSI>SSC細胞移植精子使用ICSI

T 迷路テスト:自然交配<SSC細胞移植精子使用ICSI(SSCマウスの方が優れた反応)

バーンズ迷路テスト(1か月後):自然交配>SSC細胞移植精子使用ICSI(SSCマウスの方が優れた反応)

→SSC細胞移植精子使用ICSIの次世代では記憶力が大幅に改善

恐怖条件付けテスト(保持テスト):自然交配>精巣精子使用ICSI=SSC細胞移植精子使用ICSI

 

F3世代

胎児重量:自然交配<SSC細胞移植精子使用ICSI

*SSC細胞移植精子使用ICSI、体外受精でのF3世代:頭部欠損+四肢欠損あり

*精巣精子使用ICSI後、体外受精でのF3世代:無眼球症(1.8%)、水頭症(1.8%)、頭部欠損+四肢欠損あり

*精巣精子使用ICSI後、自然交配でのF3世代:小眼球症と水頭症1匹ずつ

*自然交配後、体外受精でのF3世代:無眼球症あり

*H19、Meg3 IG、Igf2r、SnrpnのDNAメチル化レベルに異常なし

 

F1世代マウスの精子形成:精巣の免疫染色(H3K4me2、H3K9me2、H3K27me2、H3K27me3、H3K36me2、H3K79me2)に明らかな違いなし

 

自然交配と精巣精子使用ICSIのF1世代マウスから、抗CD9抗体の磁気セルソーティングによって精原幹細胞(SSC)を抽出→形態、増殖特性、DNA メチル化パターンは全て同じ。ゲノム全体のメチル化を検証したところ、237,680のCpGのうち、自然交配と比べ精巣精子使用ICSIのF1世代マウスで、高メチル化部位143箇所(0.06%)と低メチル化部位19箇所(0.008%)を特定。ただし、遺伝子オントロジー分析では、特定の生物学的機能との有意な関連性を検出できず。RNA-Seqでは、遺伝子発現プロファイルに発現差のある遺伝子は存在せず。リアルタイムPCRでは、インプリント遺伝子発現は同じ。

 

<考察>

臨床応用前のICSIにより生まれた動物はわずか4頭(ウサギ2頭、子牛2頭)のみであったため、ICSIのリスクについては長年議論されてきました。しかし、ヒトでは、主要な先天異常との関連性は見出されず、大規模な疫学研究で、低出生体重、軽微な異常、インプリンティング異常のリスクが示されました。一方、認知発達障害、神経発達障害、代謝異常のリスクについては結論が出ていません。ヒトの生殖周期は長いため、ICSIが後の世代に及ぼす影響については明らかにされていません。近年、精原幹細胞(SSC)移植が登場し、がん治療を受けている男児の生殖能力の回復が期待されています。がん治療によりSSCが失われた場合に、がん治療後にSSCを導入することで不妊症を予防できる可能性があるとされています。生殖細胞の操作が子孫の健康に影響を与える可能性があるため、子孫に対するICSIの影響を検討しました。また、初めてSSC移植の影響も同時に検討しました。子孫の分析(F1、F2、F3世代)により、生殖細胞の操作が次の世代に欠陥を引き起こすことが明らかになりました。

 

<抄録>

ART治療(体外受精と顕微授精)は不妊治療に広く行われています。最近、精原幹細胞(SSC)移植が、若いがん患者のがん治療後の生殖能力を回復するための新しい治療として登場しました。子孫の行動に対する生殖細胞操作の影響を調べるために、SSC移植とICSIの組み合わせによりF1世代を作りました。新鮮精子を使用したICSIによってできたF1世代と比較した場合、SSC移植+ICSIマウスだけでなく、ICSIのみのマウスも行動異常を示し、それはF2世代まで持続しました。これらのF1世代は正常に見えましたが、F1精子と正常卵子を使用した体外受精によってできたF2世代は、無眼球症、水頭症、四肢欠損などのさまざまな種類の先天異常を示しました。したがって、ART治療はマウスに形態学的および機能的欠陥を誘発する可能性があり、一部は次の世代になって初めて明らかになります。

 

解説:皆様原文に忠実な要約をお読みいただきどのように思われたでしょうか。抄録だけ読むと、顕微授精はとても恐ろしいことだと感じますが、動物実験ではそう簡単に答えは出ません(特に行動異常の部分)。また、普通の顕微授精と精原幹細胞(SSC)移植の顕微授精を同列に論じていますが、両者には大きな隔たりがあることに気づいていただけましたでしょうか。有意差が出ているのはほとんどが精原幹細胞(SSC)移植の顕微授精であり、普通の顕微授精ではありません。しかし、論文のタイトルは「マウスの顕微授精は世代間異常を誘発する」となっており、とても挑発的です。自然交配後も顕微授精後も体外受精によるF2世代やF3世代で異常が生じていますが、その部分はさらっと流しています。そもそも動物実験では顕微授精の成績は思わしくありませんでしたので、動物とヒトを同列に扱うのは適切ではないと思います。各群たかだか15例ほどの動物実験で物を言うこと自体が間違いであり、断定的な言い方はいかがなものかと思います。東北大学のプレスリリースは、抄録部分だけを紹介しているようなので、どうしても誤解を招いてしまいます。医学の世界は、賛成派と反対派が論文を出し合い(出し合っている間は結論は出ません)、徐々に考えがまとまっていくことで、最終的に真実にたどり着きます。今回の論文に反対する論文も当然出てくると思いますので、現段階では結論を焦ってはいけないと思います。