自分を見失うくらいに没頭してみろよ、音楽に、この瞬間に。手にしたチャンスを絶対に手放すな | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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中学生のころにワンダーフォーゲル部だった僕は、朝が弱く、いつも遅刻ばかりしていました。

遅刻したら、帰らなければいけないルールなのですが、もしかして追いつくかもしれないと思って、地図を片手に山を縦走していました(一度も追いついたことはありませんが、でも走破はしました。踏破か、どっちだ。日本語難しい)。

 

あるときに、「沢を降りてはいけない」という注意は頭の片隅にあったものの、けもの道のような道なき道を歩くよりは、沢を下るほうが魅力的に観えてしまい、自殺行為と分かっていて、沢を下り始めたことがあります。文字通り自殺行為でした。

沢は急斜面であり、そしてぬかるんでおり、地盤がグズグズです。

足を踏み入れた瞬間に滑り落ち、止まったと思ったら、また滑り落ち、そして滑り落ちて、滑り落ち、そしてひっかかりました。
「え、これ滝?」という急斜面でした。

急流で木の葉が石と石の間に挟まっているようなもので、いつ流れ落ちてもおかしくないような形で知性があると思えない大型哺乳類が沢の途中に引っかかっていました。

足を動かしても、落ちそうですし、体勢を動かしても落ちそうです。

ああ、これは死ぬな〜と思いました。

もちろん沢を落ちたくらいでは、骨折と擦り傷程度でしょう。

でも、歩けなければ、下山できないのです。

当時は携帯電話なるハイテクは存在しません。僕が登山している事実は報告されていません。

もちろん数日帰らなければ、捜索されて助かるかもしれませんが、そこまで落ち着いては考えられません。

そのときの悟りとしては、老子の「芻狗(わらの犬)」です。

大自然とか沢というのは、エンターテイメントでも、アトラクションでも無いのです。

Who caresの世界なのです。

僕が困ろうが、傷つこうが、死のうが、淡々とそれぞれが生きるだけの世界です。

自然は優しくもなければ、無駄に苛烈でもないというのが僕の結論でした。

 

そこからどうやって助かって、下山したのかは記憶がなく、少なくとも二度と沢を降りてはいけない(←当たり前)と誓ったくらいです。

 

 

僕の魂はまだあの沢のところで、木の根っ子とグラグラの岩にかすかに支えられながら、いまだに命の綱渡りをしているような感慨に襲われます。

世界はあなたに優しくも、苛烈でもないのです。

淡々と生命が起こり、消えていくのを眺めているだけです。

それぞれが必死に生きているという現象の相対として、自然界が存在し、自分自身も特権的な位置をもたないただの「わらの犬」の一つなのです。

 

 

だからこそ、Lose yourself(エミネム)です(唐突?!)。

 

直訳すれば、「あなた自身を失え」(←訳しては駄目ー)

 

自分を見失うくらいに音楽に没頭しろ、その瞬間に没頭しろ、とエミネム兄さんは言います。

 

You better lose yourself in the music, the moment
You own it, you better never let it go
You only get one shot, do not miss your chance to blow
This opportunity comes once in a lifetime yo

(自分を見失うくらいに没頭してみろよ、音楽に、この瞬間に
お前はチャンスは手にしている、それを絶対に手放すな
チャンスは一度きり、成功させる機会を逃すな
この機会は人生に一度きりだ)


 

8Mileのこのシーンが好きです。

びっしり書き込まれたメモ
無意識に軽やかに韻を踏めるように繰り返し繰り返しする練習

かっこいいライムは勝手に降りてくるわけではありません

頭を絞って絞って絞り出します

 

    

Daddy's writin' a song, this song ain't gon' write itself
(パパは歌を書いているんだ。この歌はひとりでに生まれてこないんだよ)

 

*遊んでとせがむ娘に対して、ブランコを1回だけ押して上げるから、パパは仕事なんだよ、と叫ぶ様が心を打ちます

 

夏目漱石が「僕もない知恵を絞っているんだ」という気持ちが少しずつ分かるようになってきました。

 

 

 

で、シンプルな話しです。

 

「骨(コツ)がコツ」と学び、骨を骨で触れ方をシン・フェイシャルスクールや、MATLASスクールで掴んだのであれば、それを徹底的に続けるだけです。

楽しんで、没頭する(Lose yourself)だけです。


それが楽しくて仕方ないときに、早朝から始めて、ふと日がとっぷりと暮れたころに、ニーチェを思い出し、ああ、天才について彼が語ったいたことはこういうことだったのかと納得するのです。

「あまり重要でない小さなもの」に没頭することこそが重要なのです。

 

天賦の才能について、持って生まれた資質について話すのはやめてくれ! わずかな才能しか持たなかった偉大な人間はたくさんいる。彼らは偉大さを獲得し、『天才』(いわゆる)になったのだ。実体を知らない人々が褒めそやす資質を欠いていたからこそ。いきなり全体像作りにかかる前に、適切な一部を組み立てることを最初に学ぶ有能な職人のごとき真面目さを、彼ら全員がそなえていた。彼らはそのための時間を取った。なぜなら、華やかな全体像よりも、あまり重要でない小さなものを作ることのほうが楽しかったからだ。
フリードリッヒ・ニーチェ


 

 

 

You only get one shot, do not miss your chance to blow
This opportunity comes once in a lifetime yo