こうして我々の虚栄心、我々のうぬぼれが、天才崇拝を助長する(ニーチェ) | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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パクられた側が、パクられたことを訴えないことがあるのはなぜなのでしょう?

(いや、余談ながら、もし上手に"地上の神”を騙すことができなければ、某健康医療系サイトのパクリ記事集も問題にならなかったのではないかと思います。情報が拡散するのは、エントロピーと同じで必然的です。それを止めるのは流れに棹さすだけのこと。そもそも劣化すぎるコピーで社会に機能を果たせるはずがないのです。

だから問題の本質は検索サイトの脆弱性のように感じます。もちろんコピペを量産したものも、させたものも悪いと言えば悪いのですが、そもそも神の目を盗んで悪事を働こうとする輩はいつでもいるものなので。それがビジネスとして成立させてしまったインフラの不備は批判されるべきでしょう)


以前も言及しましたが、ピカソのパリの画商が、ピカソにあるアドバイスをします(この画商についてもいろいろと面白い話しがあるのですが、またいつかの機会に。
画家と画商は糾える縄のごとしです。お互いがお互いに影響しあい、そして伝説を創るのだな〜と思います。ゴッホは弟のテオが事実上の画商だったゆえに売れなかったと言えるかもしれませんし、全うできたと言えるかもしれません)。

ピカソの名前で出回っている贋作の件で裁判に訴えるようにと忠告します。

しかし、それに対してピカソは応じるどころか、意外な返答をします。

有り体に言えばピカソはNoと言うのです。

どうしてそんなことを? 私にはできない。どういうことになるかわかりきっている。私が予備裁判に行ったら、犯人が手錠をはめられて入ってくるだろうが、それは私の友人のひとりだろう」(pp.158-159)


裁判所に雇われた美術専門家ジル・ペローが、ピカソの贋作家でもあった被告のギィリブを「もしピカソが生きていたら、彼を雇ったことだろう」(p.229)と高く評価した意味がよく分かります(その意味でジルペローも、違法ということはさておき、贋作を問題としていないことが良くわかります。むしろその芸術性を積極的に評価しています)。ピカソがギィリブを知ったら、きっと本当に雇ったのだと思います。

そもそもアートというのはチームプレイなのです。


*アートがチームプレイなのが良くわかります。

いや、いわゆる天才の技とされているものはすべてチームプレイなのです。

天才ということが個人に還元されすぎているのが、現代の病の一つだと思います(もしくは個人主義なり、個性なり、オリジナリティ幻想のゆえんでしょう)。

個々人の問題はもちろん大きいのですが、たとえばラマヌジャンにハーディーがいなかったら、ホーキングにDennis W. Sciamaがいなかったら、ニュートンにアイザック・バローがいなかったらと思うと、、、(ハイゼンベルクにアインシュタインがいなかったら、アインシュタインにプランクがいなければ、、、とこのつながりは連綿と続きます。当時、物理学会の重鎮であるプランクの後押しがあってアインシュタインは評価されるようになりますし、ハイゼンベルクはアインシュタインのアドバイスによって不確定性原理を発見します。ここに量子論と相対論という犬猿の仲のような2大理論が糾える縄のように絡み合っています)。


*ハイゼンベルク


チームプレイというと安い感じがしますが、逆に個人プレイだと考えると事の本質を見逃します。

チームプレイのためには、まずそのチームに入らなくてはいけません。


その良いチームに入るのはどんな人かと言えば、エリートです。エリートとはどういう人かと言えば、自分の好きなことを深く掘っていった人かと思います。そしてそのチームの中でより一層、磨かれて次の上位チームへ行くべく準備します。

どういう人がチームに入るのでしょう。ニーチェの言い方を使うならば、「いきなり全体像作りにかかる前に、適切な一部を組み立てることを最初に学ぶ有能な職人のごとき真面目さを」備えている人です。

(引用開始)彼らはそのための時間を取った。なぜなら、華やかな全体像よりも、あまり重要でない小さなものを作ることのほうが楽しかったからだ(ニーチェ)(引用終了)

わかりやすく言えば「オタク」です。

好きなことにいつまでもどこまでもまっすぐに関心を持続させ、やり続けることができるオタクです。Nerdですね。

余談ながら、Nerdについてはいろいろと面白い話しがあります。現代の億万長者は資本家ではなく、Nerdです。そしてその特異な才能で一代で財を成します。ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、マーク・ザッカーバーグ、ピーター・ティール、イーロン・マスク、、、、現代のお金持ちはNerdが多いのです。NerdはNerd同士でくっつくことが多く、その子供もまたその気質を、もしくは遺伝子を色濃く引き継ぎます。彼らは少々コミュ障で、だからこそ現代の金持ちたちは積極的にゲーテッドコミュニティを文字通り作るという議論です。これは風が吹けば桶屋が儲かるみたいに見えますが、真面目に議論されているようです。


*ティールと言えば、大統領選直前のこちらのスピーチが感動的でした。





この良い意味のNerdの道をきわめる方法がMastery(マスタリー)と言えます。

再びニーチェを引きます。お馴染みですが、Masteryからの孫引きです。

(引用開始)
天賦の才能について、持って生まれた資質について話すのはやめてくれ! わずかな才能しか持たなかった偉大な人間はたくさんいる。彼らは偉大さを獲得し、『天才』(いわゆる)になったのだ。実体を知らない人々が褒めそやす資質を欠いていたからこそ。いきなり全体像作りにかかる前に、適切な一部を組み立てることを最初に学ぶ有能な職人のごとき真面目さを、彼ら全員がそなえていた。彼らはそのための時間を取った。なぜなら、華やかな全体像よりも、あまり重要でない小さなものを作ることのほうが楽しかったからだ。(引用終了)
フリードリッヒ・ニーチェ




華やかな全体像よりも、あまり重要でない小さなものを作ることのほうが楽しかったから」という点にwant toが集約されているように思います。

「好きことで生きていく」とは無邪気に言うのは難しいのですが、しかし本質的には好きなことでしか生きていけないとも思います。


*ただ好きなことを貫く過程で、最も大事な人々から謗(そし)られ、離れられ、自分自身も深く悩む時期が訪れるということは知っておいて良いように思います。いわばスピリチュアルで言う「魂の闇夜」です。
*この地獄を通過しなくてはいけません。たとえ十分に応援されながら、順風満帆に華やかに成功しているように見える人ですら同じです。
*その永遠に続くかのように思える闇夜にあっても、「明けない夜はない」と思うしかありません。
(ただマクベスの締めの言葉は「The night is long that never finds the day.」明けぬ夜はないというよりは、夜は永遠に明けないというニュアンスかと思いますがw)


まあ、話を戻してチームプレイです。

我々はひとりの天才をクローズアップしすぎですが、そのコミュニティーとチームの存在を忘れがちです。というか、天才の偉業ということにしておけば、自身の努力不足を直視しなくて済むのです。

またまたニーチェを引きますが、その点についてかなり辛辣に明確に書きます。

(引用開始)我々は、自分自身を高く評価しているにもかかわらず、自分にはラファエロのような絵を描く才能も、シェイクスピアのような劇的な戯曲を生み出す才能もあるとは思わないので、彼らの才能は並はずれてすばらしいとか、めったにない出来事だとか、いまだ神を信じているなら、天上からの恵みだと思いこむ。こうして我々の虚栄心、我々のうぬぼれが、天才崇拝を助長する。彼らは我々とはまったくかけ離れた存在である、奇跡であると考えれば、彼らは我々を傷つけはしない(引用終了)


しかしラファエロの作品を丁寧に見直すと、そこには天才の技よりも影響の受け方の大きさ、画風を自在に変えるカメレオンのごとき姿を見ることができます。僕はラファエロは漫画だと思っているのですが、漫画的な説明的な描き方を洗練させつつ、大胆に影響を受けて、自分を変えていく姿が見て取れます。たとえばダ・ヴィンチの影響を受けたときなど、完全にダ・ヴィンチに憑依しているかのような作風です。シェイクスピアにせよ、モーツアルトにせよ、当時の作品から大きく影響を受けています(いまであれば著作権法違反と言われるレベルで)。

ピカソはご承知のとおり、他人の作品をひたすら模倣します(剽窃と言う方が適切かもしれません)。「私は自分の真似をしない、ただ他人の真似をする」と豪語します(「セザンヌがリンゴを書くように、私は他人の作品を描く」ともw、面白すぎます!)

下世話な言い方をすれば、パクられた側がパクった者を批判もしなければ、訴えない理由はそこに創造力の源泉が(本当は)存在し、そして自身もそうやってオリジナリティを獲得してきたからかと思います。

「画家とは結局なんですか?」という質問に、ピカソはこう答えた。「それは、自分が好きな他人の絵を描きながら、コレクションを続けたいと願うコレクターのことだ。私はそうやって始め、するとそれが別物になっていく」。そして彼はつけ加えた。「巨匠をうまく模倣できないから、オリジナルなものを作ることになる。(p.234)

ピカソは明確に「自分が好きな他人の絵を描きながら」と言っています。
そして、結果として「巨匠をうまく模倣できないから、オリジナルなものを作ることになる」と。
巨匠をうまく模倣できたギィリブはなかなかオリジナルに行けませんでしたが、捕まったときに「オリジナルなものを作ることになる」道を歩きはじめます。


繰り返しになりますが、、、「人の行く裏に道あり花の山」という言葉がありますが、実際は我々が見ている世界こそがあべこべなのではないかと思わされます(ちなみに一番あべこべなのが世界と我々の心を牛耳っているプラトン主義なのかもしれません)。



*これまた繰り返しになりますが、、、ピカソはある時期、署名を作品の上ではなく、裏側にします。しかし、これはコレクターには不人気きわまりなく、画商は古い絵を引き取って、表にもサインをするようにピカソに頼みます(pp.161-162)。
*僕はこの話にクリプキの「Naming & necessity(名指しと必然性)」を思い出します。そしてそこから深く入れば、"Good artist copy, Great Aritsi steal."のCopyとStealの違いもまた明瞭になってくるように思います。
*書きたいと思ったことのすべてを書けないのは重々承知とは言え、時間が経つとそのアイデアは速やかに揮発してしまい、書けなくなります。人生にもっと余白が必要だと痛感します。



【書籍紹介】
最近読んでかなり面白かったのが、「キッパリ」や「スッキリ」のトメさんと東大の池谷教授によるこちらの「のうだま」シリーズ2作です。
淡蒼球について、非常にわかりやすく解説されています。
淡蒼球とは簡単に言えば、やる気スイッチですね。
ただそのスイッチを直接押すことはできません。ただ間接的には押すことができます。

その秘訣は、、、、、本書を読んでみてくださいw


のうだま1 やる気の秘密 (幻冬舎文庫)/幻冬舎

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のうだま2 記憶力が年齢とともに衰えるなんてウソ! (幻冬舎文庫)/幻冬舎

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とは言え、ポイントを一言で言えば「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」というアランの言葉に尽きるような気がします。

アランを読みましょう!!

幸福論 (岩波文庫)/岩波書店

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淡蒼球の研究もそうですし、行動経済学の知見と重ねてもアランは非常に面白いです。
経験的に知られているコツと、神経科学、行動経済学が一致する点あたりに人生の秘訣はありそうです。そしてそれが意外と意外なものだったりします。まさに「人の行く裏に道あり花の山」ですw


そして池谷先生のこちらも非常に面白いです。

連載をまとめたもので、読み切りサイズがたくさんで読みやすいです。

そして最新科学の紹介なので、楽しいです。

脳はなにげに不公平 パテカトルの万脳薬/朝日新聞出版

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ピカソになりきった男/キノブックス

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ピカソ 剽窃の論理 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房

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*若い頃にこの本に出会えたことが、僕にとっては大きかったです。繰り返し読みました。
その意味ではこの本を含め、比較的多くの蔵書を所有していた両親に感謝です。


そして、ついでに風水師養成スクールということもあるので、風水がらみで2冊紹介します!!
風水先生―地相占術の驚異 (集英社文庫―荒俣宏コレクション)/集英社

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*博覧強記の荒俣先生の良い本です。最近の風水ブームの火付け役のひとつでしょう。ブーム前に書かれた良本です。
*ブログではずいぶんと昔に紹介しました(当時はセミナーで風水を扱ったことがあります)。

風水講義 (文春新書)/文藝春秋

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*風水の歴史と実際を概観したいのであれば、きちんとした研究書であるこちらを是非!!
*面白いです!!




マスタリー: 仕事と人生を成功に導く不思議な力/新潮社

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