人間はお互いが違うから戦うのではなく、同じだから戦う。敵同士の双子となり、互いに暴力を振るう | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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キリスト教における最大の教父とされるアウグスティヌスはその回心の契機となったのは、隣家の子供の他愛もない歌のような言葉でした。

 

    

すると、どうであろう、隣の家から、男の子か女の子かは知らないが、子供の声が聞こえた。そして歌うように、「取って読め、取って読め」と何度も繰り返していた。わたしはすぐに顔色をかえて、子供が何かの遊戯に、このようなことを歌うのだろうかと一生懸命に考えてみた。しかしそのような歌はどこでも聞いた覚えはなかった。それでわたしは溢れ出る涙を抑えて立ち上がり、わたしの聖書を開いて最初に目にとまった章を読めという神の命令に他ならないと解釈した。

この盛り上がりポイントはその前を読んでいないと一緒に盛り上がれません。是非、その直前だけでも読んでみてください。

c.f.「下劣な情欲をみたそうともえあがり、さまざまなうす暗い情事にふけっていた」アウグスティヌス 2014年11月15日(ここに素晴らしいダイジェストがあるので、それだけでも是非)

 

「もう反省したらから許してください!!」と神様に何度も乞い願います。

 

「主よ、あなたはいつまでなのか。主よ、いつまでなのか、あなたはいつまで怒っているのか。わたしたちの犯した古い不義のことを思い出さないでください」(アウグスティヌス「告白」岩波文庫 上巻p.280)

 

「過去は関係ないでしょ」「もう忘れてくださいよ、神様」ということですね。

 

彼は号泣しながら、声を張り上げて言います。

「もうどれほどでしょうか。もうどれほどでしょうか。あすでしょうか。そしてあすでしょうか。なぜいまでないのですか。なぜいまがわたしの汚辱の終わりではないのですか」。(同p.280)
 

「明日でしょうか」と質問しておいて、「今ではないのですか」と畳み掛けるのは、上手な営業手法。神様相手に内省言語の書き換えを試みようとするのはなかなか蛮勇です。

 

『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある(マタイ4章)

 

いや、試したのではなく、リアルに書き換えにいったのでしょう。

 

そしてその勇気に敬意を表して、神様は(いつもながらわかりにくい方法で←失礼)返答します(←ここ重要。分かる人にしか分からない方法で、しかし明確に答えるのです)。ちなみに分かりにくい神様の言葉を翻訳する人を預言者と言います(そうなのか?いや、機能としてはそうです)。予言者ではなく預言者。神の言葉を預かる人です。

 

そこでこんな風に神様は答えます。

    

すると、どうであろう、隣の家から、男の子か女の子かは知らないが、子供の声が聞こえた。そして歌うように、「取って読め、取って読め」と何度も繰り返していた。わたしはすぐに顔色をかえて、子供が何かの遊戯に、このようなことを歌うのだろうかと一生懸命に考えてみた。しかしそのような歌はどこでも聞いた覚えはなかった。それでわたしは溢れ出る涙を抑えて立ち上がり、わたしの聖書を開いて最初に目にとまった章を読めという神の命令に他ならないと解釈した。

分かります?

 

神様のされることは分かりにくいですよね。

 

まず、隣の家の子供(男の子か女の子かは知らないが)を用いて、メッセージを贈ります。

ただし、自分のことで頭がいっぱいなアウグスティヌスを慮(おもんばか)って、ここは繰り返し贈ってくれます(神様、分かっている)

 

「取って読め、取って読め」と何度も繰り返していた。

 

そして、それだけでは自分のことで(自分の古い不義と昔の肉欲で)頭がいっぱいなアウグスティヌスの心を動かせません。

 

神様は何度も繰り返したあげくに、アウグスティヌスの心に疑念を蒔きます。

「あれ?こんな歌あったけ?紅白でも聞いてないぜ?」と。

 

そして歌うように、「取って読め、取って読め」と何度も繰り返していた。わたしはすぐに顔色をかえて、子供が何かの遊戯に、このようなことを歌うのだろうかと一生懸命に考えてみた。しかしそのような歌はどこでも聞いた覚えはなかった。

まず論理的な思考を経ないと、直観に至れないのがアウグスティヌスくんの悪い癖。

 

「取って読め」と言われたら、すぐに「取って嫁」ば良い(原文ママ)

 

「Tolle, lege(とって読め)」

 

でも、アウグスティヌスくんは論理的な思考回路を使わないとどうしても真理に至れません。というか、神様からのお手紙を開封できないみたい。

 

そこで無駄な回り道をします(いや、結果的には無駄ではないけど。遠回り)

 

わたしはすぐに顔色をかえて、子供が何かの遊戯に、このようなことを歌うのだろうかと一生懸命に考えてみた。しかしそのような歌はどこでも聞いた覚えはなかった。

そのような歌をアウグスティヌスくんがどこでも聞いたことがないことと、そのような歌を子供が遊戯の際に歌わないかは別問題だけど、そこには気付かない浅はかさが彼の持ち味。

 

そして、そのような歌はどこでも聞いた覚えはないから、これは神の言葉だと論理が跳躍してしまいます。

 

そして泣きながら、神の命令に従い、聖書を開いたのがロマ書。

 

それでわたしは溢れ出る涙を抑えて立ち上がり、わたしの聖書を開いて最初に目にとまった章を読めという神の命令に他ならないと解釈した。


*これは上智大学に収蔵されているルター聖書(アウグスティヌスが読んでいたのは手で書き写されていた時代のもの。もっと格調は高そう)

 

 

で、結局、まわりくどかったですが、神様はアウグスティヌスくんにロマ書を取って読めと言ったらしい。そこに書かれていたのが、、、こちら!

 

そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。
あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。(ロマ書)

前半が自分の半生であり(その反省でもあり)、そして後半がこれからの指針(とアウグスティヌスには読めた)。

 

御年32歳か33歳くらい。イエスが磔刑にあったくらいの歳ですね〜

(354年生まれ、回心は386年)「Tolle, lege(とって読め)」の場所はミラノの自宅

Wikipediaによれば、回心はお母様とミラノ司教のおかげ。お母様は回心の翌年にゴール達成のためか、死去)(本人には本人の物語があり、周りには周りの物語があります)。

 

 

いや、この話しは2行くらいで終わらせて、ジラールの話しをしたかったのですが、相変わらずの回り道で回りくどい。アウグスティヌスの回心の話しはあまりに繰り返して耳タコだと思うのですが、、、でも、大事ですよね。今の視点で読むと寓話からドキュメンタリーになってくるかも。

c.f.「下劣な情欲をみたそうともえあがり、さまざまなうす暗い情事にふけっていた」アウグスティヌス 2014年11月15日(再掲)

 

 

本当はジラールの話しをしたかったのです。

 

ジラールは天才です。

 

誰も知らないけど(←言い過ぎ)、後世の人はこの時代を代表する思想家と言いそうな人ベスト100です。

 

有名なところではお弟子さんにピーター・ティールというこれまた誰も知らない人がいます(知っている人多いから)

かつてライバルであり、今は仲間であるPayPal創業のもう片割れの「X」の中の人のほうがはるかに有名です。

*火星人です(違うから)

 

*2人とも若い😭

*手でハートマークを作っていますね(だから違うって)

 

ティールはZero to Oneの人。

そしてその元ネタがフランス人哲学者のルネ・ジラール先生。

 

c.f.久々に開業セミナーを開催!!! 〜隠れた真実の周辺に築くコミニティ〜 2015年06月16日

 

*ピーター・ティール御本人がインタビューに答える形で著作の内容を語っている貴重な映像!(上記のブログで紹介しました)

 

難解なのが、ジラール先生のミメーシスをめぐる議論です。

(邦訳されたジラール先生の著作は全部持っていますが、御本を開く前に睡魔が意識を飛ばします)

 

その難解な理論をなるべく分かりやすく地上に降りてきて解説したのが、シリコンバレーの起業家でもあったこちらの著者。

 

 

 

帯にはピーター・ティール様のお言葉も!!

 

「本書はルネ・ジラールについて書かれた最もわかりやすい入門書である」

 

なのに!!

 

これは、、、、

 

*リアル本の表紙はまだかっこいいのに、Kindle版、、、、どうした、これ。あえて誰にも買わせない作戦か?

 

ジャケット大事!!

 

 

ブログの余白がなくなってきたので、ルネ・ジラール先生に背中を押されたと思って、蛮勇にもまとめます。

    

いずれにしても、やがてほかの人たちが、われわれがいま論じていることを、より巧みに論ずるようになるでしょう。そして事態はさらに先へ進むことになるでしょう。(ルネ・ジラール『世の初めから隠されていること』)

 

一つだけツッコミというか、そういうものを。

この『世の初めから隠されていること』というタイトルにピンと来た人は幸い。

そう、ピーター・ティールのお言葉を連想させます。

 

「賛成する人がほとんどいない。大切な真実はなんだろう」

*これをピーター・ティールから採用面接で聞かれるのはビビります。

若きエリフの内容もまっとうです。ただ一つの「隠された真実」を分かっていないということをのぞけば完璧です(「隠された真実」とはピーター・ティールが必ず採用面接で質問するという「賛成する人がほとんどいない。大切な真実はなんだろう」における「真実」のことです。昨日の集中講座のテーマでしたね。そしてアルケミアのテーマの1つです)。

c.f.見よ、わたしはまことに卑しい者です、なんとあなたに答えましょうか。ただ手を口に当てるのみです。 2015年01月13日(←義人ヨブが神に対して沈黙する瞬間)

c.f.【本日開校!】Yogiが実践している瞑想身体鍛錬法(ヨギトレ)の極意に迫る!! 2015年05月24日(←ティールの「隠れた真実」について少しだけ触れてあります)

 

感官の確かな制御がヨーガである (『カタ・ウパニシャッド』6-11)

*Cold shower(Cold Exposure)を含む「システム」と重ねて考えるとこのヨーガに関する引用は感慨深い。

 

 

 

 

巧みに論じられるかはともかくとして、事態を良い方向に先へ進める自信は(いや、ビジョンは)少しあります!

 

ただ余白がない。

(ニーズもなかったりして😭)

 

ルネ・ジラールはこんな風に講義をはじめたそうです。

初回の講義の最初です。

人間はお互いが違うから戦うのではなく、同じだから戦うのだ。互いを区別しようとするから、敵同士の双子となり、互いに暴力を振るう分身同士となる。(ルネ・ジラール)

かっこよすぎる。

出落ちで結論を言ってしまっている(しかし誰も分からなそう)

 

ちょっと復習です。

ティールはこれをもう少し噛み砕きます。

 

巧みに語っているように僕には見えます。

 

以下は過去記事からの引用↓

c.f.失業に向かってまっしぐらに進み、地球上でもっとも高い教養でもっとも低い収入を得る方法 2018年06月10日

ピーター・ティール 世界を手にした「反逆の起業家」の野望」から引用しながら、そのルネ・ジラールの思想を紹介します!

 

ジラール思想の中心は模倣(ミメーシス)理論と競争だそうです。

人の行動は模倣に基づいている。

誰かが何かを欲しがると、それを模倣して、他人が欲しがるものを欲しがるようになる。

他人が欲しがるものを欲しがる傾向が連鎖反応を起こせば、そこに競争が必然的に生まれます。

そしてその競争がまた模倣を生みます。

 

ティールはこう言います。

 

模倣こそ、僕らが同じ学校、同じ仕事、同じ市場をめぐって争う理由なんです。経済学者たちは競争は利益を置き去りにすると言いますが、これは非常に重要な指摘です。ジラールはさらに、競争者は自分の本来の目標を犠牲にして、ライバルを打ち負かすことだけに夢中になってしまう傾向があると言っています。競争が激しいのは、相手の価値が高いからではありません。人間は何の意味もないものをめぐって必死に戦い、時間との戦いはさらに熾烈になるんです。

 

人は完全に模倣から逃れることはできません。でも細やかな神経があれば、それだけでその他大勢の人間を大きくリードできます

(ちなみにこの発言だけを取り上げて、「大きくリード」するとは競争に勝つことだなとどミスリードしてはいけません。彼が観ているのは文字通りの独占です。競争相手がいない世界です)

c.f.失業に向かってまっしぐらに進み、地球上でもっとも高い教養でもっとも低い収入を得る方法 2018年06月10日

 

 

この復習をひとつ噛ませた上で(思い出してきたでしょ?)、こんな2つの引用を提示します。

今回の本の冒頭に引かれていたものですね。

 

まずはアリストテレス(いつでもアリストテレス、どこでもアリストテレス)

 

    

真似ることは人間が幼少期から自然に行っていることで、この点において人間はほかの下等動物より優れている。人間はこの世でもっとも真似ることに長けた生き物なのである。 ---アリストテレス

新生児の模倣能力の高さを調べた実験を踏まても、このアリストテレスの彗眼にはいつもながら驚かされます。そして大人になると模倣がミメーシスになり、隠れた欲望になるのです(欲望は、というかそのモデルは自分から隠してはダメ。難しいことだけど)。

 

そしてもう一つ。

 

    

私たちは誰かが欲しがっているからという理由でそれを欲しがる(デイナ・トートリッチ)

これはティールと同じですが、脳に刻み込んでおきたい言葉。

この理由が見えていないから、欲望に振り回される。

 

ここにジラール先生の講義の冒頭の言葉を挟み込めば、ジラールの理論は明快になる、、、はず。

 

人間はお互いが違うから戦うのではなく、同じだから戦うのだ。互いを区別しようとするから、敵同士の双子となり、互いに暴力を振るう分身同士となる。(ルネ・ジラール)

サクリファイスから戦争までこれで説明できてしまうのが、ジラールの模倣理論の凄み。

 

ジラールの思想をミメーシスすると(丁寧にうまくミメーシスできれば)、鏡を通過して向こう側の世界へ移動できます(多分)。遠いと思っていたものが近く、近いと思っていたものが遠い。そして世界がシンプルに説明できるようになり、だからこそ一層、世界はカオスになるのが見える。

 

これがどう「システム」(EcoSystem等とも)関わるのかと言えば、ミメーシスがミームよりはるかに正確だから。正確に世界を記述しているから。世界を正確に記述したら「システム」に至らざるを得ません(What doesn't kill usでリヴァイアサン的なアリ共同体について書かれているように。我々は共生する多細胞生物&細菌叢であるように、人間同士も接続され共同体が一つの身体のように動くのです。ここでもアリストテレスが出てきて政治学を語りだします。人は政治的人間だ、と)

    

かくて国家が自然にもとづくものであって、われわれ各人よりも先にあるのだということは明らかだ。(略)これに反して、共同体に入りこめない者、あるいは自足していて他に何も求めることのない者がもしあるとしたら、それは国家社会のいかなる部分ともならないわけであって、したがって野獣か神かであるということになる。(アリストテレス「政治学」第一巻)

c.f.寺子屋「政治学」ビデオバックナンバー配信開始!!!〜共同体に入れないものは野獣か神かである〜 2014年12月30日

 

信じがたい真実は偽りよりも危険であることが多い。この場合の偽りとは、私は物事を誰の影響も受けずに自力で欲している、私が何を望み、何を望まないかは私が決めていると思うことだ。真実はこうだ。私の欲望は他者の媒介によって誘導されたもので、欲望の生態系は自分が理解できる規模を超えており、自分はその一部である。(ルーク・バージス『欲望の見つけ方』)

余談ながら、「信じがたい真実は偽りよりも危険であることが多い」からこそ、ティールはZero to oneでジラールの名前をあえて出さなかったそうです。

 

私の欲望は他者の媒介によって誘導されたもので、欲望の生態系は自分が理解できる規模を超えており、自分はその一部である