誰も寝てはならぬ、名もなき兵士の名を知るものはいない。夜が明けたら君の側で囁やこう、勝利したと | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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四ツ谷にありますバレリーナ専門の気功整体「まといのば」のブログです。
気功師から見たバレエとヒーリングのコツを公開します。
「まといのば」では、バレエ・ヒーリング・美容の各種セミナーを行っております。

まだ地獄の業火の中で焼かれながら、和らいでいるので、いろいろと各種伝授や連絡などが滞っていて申し訳ありません。

 

地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。
人はすべて火で塩づけられねばならない。(マルコ9:48−49)

 

というか、本当に(これまで)幼子の時は幼子のように話していましたが、大人になったので、大人のように話します。僕が、ではなく、皆さんが、です。

 

これも最初のうちは分からないでしょうから、引用します。

 

私は幼い子供であったとき
幼い子供のように語り
幼い子供のように考え
幼い子供のように思いをめぐらした
ただ 一人前のものになった時 幼い子供のことはやめにした

 

c.f.むきだしの愛、むきだしの言葉 〜「最も小さい者のひとり」と蜘蛛の糸〜 2013年08月20日

・「もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。」(ヨハネの第一の手紙4章12節)
・「すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。」(ヨハネの第一の手紙4章7節)
・マザー・テレサがカルカッタの貧民にイエスを見た
・『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』
・「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗(むやみ)にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」(蜘蛛の糸)
・善きサマリア人のたとえ
・惻隠の情


*2分目あたりから、コリント書です。以下にスクリプトを載せます。

 

ちょっと脱線しましょう。

 

いや、その前に伏線の回収を。これまで幼子のごとく語ってきたこのブログですが、きちんと一人前のものになった人に向けて、一人前扱いして書くことにします。目の前に愛する人達がちらつき、その人たちが退屈しないように書いてきたのですが、その人たちのご機嫌を取りながら書いてきたのですが、そのことによって僕自身がその人々をspoilすることが、今回の騒動で見えてきました。

 

ですので、丁寧に飛翔していきたいと思います。

 

今回の異世界転生スクール楽日のテーマはこちらでした。

 

2013年の記事にこう書いています。

c.f.むきだしの愛、むきだしの言葉 〜「最も小さい者のひとり」と蜘蛛の糸〜 2013年08月20日

 

コリント人への手紙13章は「愛の讃歌」として知られ、チャペルであげる結婚式で神父や牧師が引用することも多い一節です。

しかし、蓮如の御文もそうですし、親鸞の手紙もそうですが、パウロもまたこの満島ひかるさんのような絶叫であったのではないかと思います。心の叫びとして書かれ、静かに読まれたのではないかと。

理解しあえないもの同士が、理解し合える(かもしれないという)奇蹟を想って絶叫するときに言葉が生まれると思います。

 

そして上記の満島ひかりさんの絶叫を挿入したあとに(これはヒーラー/メンターには暗唱させます)、こう続けています。

 

 

コリント書とはコリント人への手紙です。新約聖書のパウロの書簡(お手紙)の一つです。
聖書に限らず、古典は発話され、耳で聞くものです。シェイクスピアは演じられて耳で聞き、目で見るものです。ギリシャ神話も同様。平家物語も琵琶法師が歌い聞かせました。聖書も神父や牧師や司祭や父母が兄弟や先輩が読み聞かせてきて、命が吹き込まれてきました。

(引用開始)

コリント書の第13章を知ってるか?

(主人公:「知らない・・・」)

最高の道である愛
たとえ人間の不思議な言葉
天使の不思議な言葉を話しても
愛がなければ私は鳴る銅鑼(どら) 響(ひび)くシンバル

たとえ予言の賜物(たまもの)があり
あらゆる神秘 あらゆる知識に通じていても
愛がなければ私は何者でもない

たとえ全財産を貧しい人に分け与え
たとえ賞賛(しょうさん)を受けるために自分の身を引き渡しても
愛がなければ私には何の益にもならない

愛は寛容なもの
慈悲深いものは愛
愛は妬(ねた)まず、昂(たか)ぶらず、誇らない
見苦しい振る舞いをせず 自分の利益を求めず
怒らず 人の悪事を数(かぞ)えたてない

愛は決して滅びさることはない
予言の賜物ならば廃(すた)りもしよう
不思議な言葉ならばやみもしよう
知識ならば無用となりもしよう

我々が知るのは一部分
また預言するのも一部分であるゆえに
完全なものが到来するとき
部分的なものは廃れさる

私は幼い子供であったとき
幼い子供のように語り
幼い子供のように考え
幼い子供のように思いをめぐらした
ただ 一人前のものになった時 幼い子供のことはやめにした

我々が今見ているのは ぼんやりと鏡に写っているもの
そのときにみるのは 顔と顔をあわせてのもの
私が今知っているのは一部分
その時には自分がすでに完全に知られているように
私は完全に知るようになる

だから 引き続き残るのは 信仰 希望 愛 この3つ
このうち もっとも優れているのは 愛


(引用者注:以上、コリント書13章1節~13節)

お前はこんなセンテンスも知らない
あんな色欲牧師と一緒に暮らしていたから
聖書のことですらちゃんと把握してない

わかる?

神様のことなんも知らないってことだよ!


(引用終了)

 

満島ひかりさんに乗っかって、僕もこう言いたい。

 

お前達はこんなセンテンスも知らない。

あんな○○と一緒に暮らしていたから

聖書のことすらちゃんと把握していない

 

わかる?

 

神様のことなんも知らないってことだよ!

 

 

だから、神様のことを知るべく、まずは聖書から把握しましょう。

身体に落とし込みましょう。

 

ヒーラー/メンター養成BootCampのポイントをこっそり教えます。

 

いや、誰も知りたくないかな、いや、知りたい人がいるかな、いや、知らない人が多そうだなw

いや、いや、いや、嫌、否、

 

口伝(くでん)です。

 

口から口へ伝えるのです。

 

ルビとはルビーから来ているという説があります。輝くルビーです。子供でも難しい本がこの輝くルビーのおかげで読めるのです。

いや、先生の読み聞かせによって、口から口へと伝えられるのです。

 

僕は母校で幾度目かの受講となったキリスト教概論の授業で牧師から言われました(この話も5万回ほどしていますね)。

このF○○○な本(バイボー)は読んで面白いかい?

どうだい、面白いかい?

面白い?

面白くね〜だろ。
(いや、彼はたしかにアメリカ人だったのですが)

じゃあ、なんで世界のベストセラーなんだい?

教会があるからかい?

ちがうよな?

こいつは面白いんだよ、ただし読んだときではなく、親から先生から牧師からプリーストからファーザーが読んで聞かせて、その意味を詳しく解説してくれて、そして面白みが分かるんだよ、と。

 

僕も本はほとんど読みません。

1日10冊も読めません。本棚を眺めながら、これを一生で読み終わることはないと涙します(嘘です)。

本は読むものではなく、聞くものです(オーディオブックってことじゃないよ、でもオーディオブックは良いです)。

 

 

で、最初に戻ります。

この稿の最初に戻ります。

 

***

 

まだ地獄の業火の中で焼かれながら、和らいでいるので、いろいろと各種伝授や連絡などが滞っていて申し訳ありません。

 

地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。
人はすべて火で塩づけられねばならない。(マルコ9:48−49)

 

マルコの福音書を読みましょう。音読しましょう。

イエスが質問します。お前等は何を論じている。バカどもは黙ります。

なぜなら、誰が一番偉いかと互いに論じあっていたからです。

誰がトップセラピストか、誰が審査会で一番だったか論じあっていたからです。

アホどもが黙っているので、イエス様は答え始めます。

 

「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。

 

リーダーとは仕える者、ですね。

先のものが後になり、です(ぶどう園の喩え)。

 

そして、幼子の一人を抱きかかえてこう言います。


「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」。

 

こういう良い話をしているところに割って入って言って、ぶち壊すのがうっかり八兵衛です。

 

「先生、わたしたちについてこない者が、あなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちについてこなかったので、やめさせました」。

 

先生、「まといのば」のメンバーではない者が、あなたの気功技術を使って悪魔祓いをしているのをブログで読みましたが、その人はRaySalonのセラピスト審査会に登録してこなかったので、やめさせました。

だから、「まといのば」の気功技術をパクって、結果を出すのはピカソも友人だと言っただろ、と僕は反論します。ブログきちんと読めよボケ。眺めているから、アホのままなんだよ、と。

 

ちょっと賢(さか)しいと、あれは「エリヤ」のことを言っていると十字架のイエスに向かって言い募るのです(エリ・エリ・レマ・サバクタニ)。間違いすぎ。

c.f.「天才達」は太陽に向かい「陰陽師」は洞窟に向かう!〜天地は仁ならず、万物をもって芻狗となす 2014年07月21日
イエスの断末魔の叫びである「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」を聞いて、「エリヤに助けを求めている」という中途半端な物知りが我が物顔で歩いているのが地上の世界ということです。この滑稽で物哀しいイエスの臨終こそがすべてを物語っています。

 

 

弟子たちは大概、真逆の判断を勝手にします。

 

イエスは「やめさせないがよい。だれでもわたしの名で力あるわざを行いながら、すぐそのあとで、わたしをそしることはできない
わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である。
だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう。
また、わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい。」

 

と言います。

 

僕がキレているのは、「わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい」からです。

 

「まといのば」のクライアントさんをRaySalonのセラピストが躓かせるのであれば、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによいからです。

 

(引用開始)

9:33

それから彼らはカペナウムにきた。そして家におられるとき、イエスは弟子たちに尋ねられた、「あなたがたは途中で何を論じていたのか」。

9:34
彼らは黙っていた。それは途中で、だれが一ばん偉いかと、互に論じ合っていたからである。

9:35
そこで、イエスはすわって十二弟子を呼び、そして言われた、「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」。

9:36
そして、ひとりの幼な子をとりあげて、彼らのまん中に立たせ、それを抱いて言われた。

9:37
「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」。

9:38
ヨハネがイエスに言った、「先生、わたしたちについてこない者が、あなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちについてこなかったので、やめさせました」。

9:39
イエスは言われた、「やめさせないがよい。だれでもわたしの名で力あるわざを行いながら、すぐそのあとで、わたしをそしることはできない。

9:40
わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である。

9:41
だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう。

9:42
また、わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい。

9:43
もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、かたわになって命に入る方がよい。〔

9:44
地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。〕

9:45
もし、あなたの片足が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両足がそろったままで地獄に投げ入れられるよりは、片足で命に入る方がよい。

9:46
地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。〕

9:47
もし、あなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出しなさい。両眼がそろったままで地獄に投げ入れられるよりは、片目になって神の国に入る方がよい。

9:48
地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。

9:49
人はすべて火で塩づけられねばならない。

9:50
塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさい」。
(引用終了)

 

 

と、ここで最初に戻ります。

 

イエス様のおっしゃるとおり、自分自身の内に塩を持ち、そして互いに和らぐことにしています。

 

ただ、僕は怒鳴りすぎて声がガラガラです。声を枯らすなんてことは(ボイトレをして以来)人生でありません。

異常事態とは思っています。

 

そんなわけで様々な仕事が滞っていますが、気長にお待ち下さい。

「遅いよ〜」と言われたら、僕は普通にキレます。

RADWINPSなら可愛くもない君の機嫌を取るのでしょうが、僕はSkinにキレます(実際にセミナーでキレました。その姿を観たいという方は今ならまだ間に合います。シン・TENETBootCampにお申し込みください)。

 

♫やっと眼を覚ましたかい
それなのになぜ眼も合わせやしないんだい?
「遅いよ」と怒る君
これでもやれるだけ飛ばしてきたんだよ♫

 

 

当然ながら歌詞を読解すれば分かるようにこれは異世界転生スクールのテーマ・ソングです。

読解すれば、謎解きをすれば、宝が手に入ります。

 

そうそう、僕はトゥーランドットにダンサーとして出演したことがあります。足をバットマンしながら歩くだけの役です。

いや、大したことはなくて、その指揮者はズービン・メータでした。両親が大好きな指揮者で、感動でした。

 

Roberto Ferrari - Zubin Mehta, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2764121による

 

 

トゥーランドットと言えば「誰も寝てはならぬ」。

 

「誰も寝てはならぬ」と言えば、ポール・ポッツを思い出すでしょう。携帯電話のセールスマンが一躍オペラスターになりました。

そして、スーザン・ボイル。

c.f.寺子屋参照資料(中編?)「ロッシーニ」に乾杯!誰も寝てはならぬアテナイの学堂 2015年06月22日

 

BGTがポール・ポッツの人生を変えたと言われましたが、僕が考えるに実際は逆です。

ポール・ポッツがBritain's Got Talentを生み出したのです(初代チャンピオン)(そしてスーザン・ボイルがレミゼの「夢破れて」を歌い夢を叶えます)。

君の才能が番組を導いた」(David:審査員)

 

*「カエルの王様

Nessun dorma, nessun dorma (誰も寝てはならぬ) 

Ma il mio mistero e chiuso in me, (名もなき兵士を) 

Il nome mio nessun sapra! (知る者はいない) 

No, no, sulla tua bocca lo diro, (けど夜が明けたら) 

Quando la luce splendera! (君のそばでささやこう)

 Vincero! (勝とう)
これはこのサイトの訳。

DeepLは
誰も寝てはならぬ、誰も寝てはならぬ
しかし、私の謎は私の中に閉じ込められている。
私の名前は誰にも知られてはならない!
いやいや、あなたの唇の上で私はそれを言うでしょう。
光り輝くとき! 
勝つのは私だ! 

 

そして、彼が12年ぶりにチャンピオン戦に出演したとき、面白いエピソードをカミングアウトしました。

 

『BGTへ出る前に
コインを投げた
表なら出場
裏なら全てを諦めよう』

 

ちなみにこの曲を世界的にしたのはあのパバロッティ(TOSCAでもお馴染みですね)。

ズービン・メータは3大テノールをまとめあげた名指揮者であり、イスラエル・フィルを率いています。彼はインド人です(ゾロアスター教徒の家)。パーティーでお会いしたとき、ズービン・メータはインドの伝統服をお召しになっていらっしゃいました。

 

Wikipediaの解説はこうです。知らなかった人は音読すると良いです。

 

このアリアは最終幕である第3幕で、カラフによって歌われる。第2幕において、カラフはトゥーランドット姫への求婚者にだされる3つの難題を見事に解決した。それにも関わらず、姫はカラフとの結婚に難色を示す。そこでカラフは自分の名前を夜明けまでに当ててみせれば、結婚を諦めて命を捧げようと申し出る。ただし、名前を解き明かせなかったら、カラフとの結婚を姫は承諾しなければならない。そこで冷酷な姫は自国の国民に対し、カラフの名を解き明かすまでは寝ることを禁ずるというお触れを出す。そして、もし誰も解き明かせなかったら、国民を皆殺しにすると言う。

第3幕は夜の時点から始まる。カラフは一人、宮殿から月に照らされた庭に出る。そこでトゥーランドット姫のお触れを聞く。ここでアリア『誰も寝てはならぬ』がカラフによって歌われる。

 

誰も寝てはならぬ!
誰も寝てはならぬ!
御姫様、あなたもです
冷たい寝室で、
眺めているのか、星々を
それは愛と希望に打ち震えている

然し私の秘密は胸の内に閉ざされたまま
誰も私の名前を知ることはできない!
いいえ、しかしあなたの唇に告げましょう
陽の光が輝くときに
そして、私の口付けが溶かすでしょう
その沈黙を そして、あなたは私のものになる。

 

 

というわけで、まだ地獄の業火の中で僕は焼かれているので、いろいろと各種『伝授』や『連絡』などが滞っていて申し訳ありません。

 

地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。
人はすべて火で塩づけられねばならない。(マルコ9:48−49)

 

 

僕のボスであるインプレサリオの佐々木さんはオペラが本当に好きでした(ここだけの話、バレエより好きで)。たくさんの一流のオペラを良い席で観せていただきました(出演まで)。団員を集めた会合のときに、一度だけオペラの一節を思い出して話しながら号泣されていました。鬼の目にも涙。最近、その気持が少し分かってきました。ボスはIBCのTOSCAを天国で観ながら、さぞ喜んでいると思います(盟友の溝下先生にもお越しいただけました)、「井脇やるわね」と。ね、ボス。いや団長!

 

 

 


 【動画紹介】
ポール・ポッツを紹介したら、もうひとりのシンデレラガールズであるスーザン・ボイル!

 

 

これは映画のアン・ハサウェイ版でも聴いてもらいたい!