どうもどうも、こんにちは。
携帯電話が無いだけで曜日感覚がおかしくなって参りました。
今日は多分月曜日ですよね。
あ、明日学校だ。 提出課題確認しなきゃ・・・。
その課題ですが、提出の際に役立つように最近メモをよく取るようにしています。
メモはもちろん目先の課題だけでなく、今後様々なことに使うこともあります。
いわば財産ですね。
そのメモの代表的なものに、「ノート」があります。
えぇ、あのノートです。
勉強といえばノートですよね。毎日お世話になっている方も多いのではないでしょうか。
ノートはよく、「自分だけの参考書」と言われます。
僕もよく、生徒に「10年後に見返しても大丈夫なようなノートを作ろう」と言っています。
ですが、間違えてはいけないのは、「ノート作り」は「参考書作り」とは違う、ということです。
参考書はとても綺麗にまとまっていますよね。
色分けもきれいだし、重要な文は太字になっていたりします。
ですが、これはノート作りとは違います。
ノートとは、「自分がどのような問題をどうやって解いて、どう間違えたか」が明確になっているものです。
それを見返すことで、同じ過ちを繰り返さない点で「自分だけの参考書」と言えるわけですね。
よく生徒の中に、参考書のようなノートを作る人がいます。
しかも、ノートを綺麗に取るためにはどれだけ時間をかけても気にしていません。
そのようなケースでは、ほとんど内容は頭に入っていません。
頭の中は綺麗にレイアウトすることでいっぱいだからです。
もしあなたが「参考書作り」をしていたなら、是非正しい「ノート作り」を実践してみてください。
きっとそれこそ、誰のものでもない「自分だけの参考書」になるはずです。
どうもみなさん、こんにちは。
日曜日ということで、今日はまったりしまくってきました。
平凡で、何も無い日ってのもなかなか良いものですね。
そういえば中学2年生の頃、担任との二者懇談で、「あなたにとっての理想の日々は」という議題で話し合ったとき、「テスト週間でもなく、受験生でもなく、ただただ普通の日々を送れることが理想」と答えたのを思い出しました。
すかさず先生が 「爺さんみたいだなww」 とツッコんだのを鮮明に覚えています。
って書く予定でした。
なぜか波乱万丈な一日でした。
何が波乱万丈かというと、なりゆきで現在手元に携帯がありません。
プロフィールにも書きましたが、いま僕は重度の携帯、もといiphone依存症です。
よく大学で、「携帯電話を持つのは良いのか」というテーマのもとディスカッションをしたのを覚えています。
そして、たいてい僕は「持たなくても良い派」で議論することが多いです。
と、いうのも携帯電話を持つことにより、プライベートにまで「仕事」や「周りの目」から拘束されてしまうからです。
いつ、どこにいても簡単に連絡がつき、心理的に常に誰かによって監視されているようになります。
まるで、社会全体が急速にパノプティコン化しているようです。
それではストレスがたまりますよね。 便利な携帯電話がストレッサーになってしまうことは、あまり良い傾向とは思えません。
それがあるので、携帯電話はあまり推進派ではありませんでした。
どうもすみませんでした。m(_ _;)m
いま携帯を失って6時間ほどです。
さっきから変な汗と妙な不安感が止まりません。
自分でも信じられないくらい動揺しています。
いま自分が考えていることは、「上司が連絡してきたらどうしよう」、「突然予定変更の連絡が来たらどうしよう」、「学校や友達から緊急の連絡が来たらどうしよう」、「スケジュールを果たしてすべて覚えているだろうか(スケジュールはすべて携帯の中)」等々。
全部僕がディスカッションで「ストレッサー」と言ったものたちです。
今日気づきました。
携帯電話は麻薬のようなもの。
手元にあり、適度に服用していれば日常生活に支障は出ません。
しかし、一度無くしてしまえば、極度の不安とプレッシャーに押しつぶされそうになります。
幸いにも火曜日に手元に戻る予定ですが、もしそれが無期限だとしたら今頃新しい携帯を買いに走っていると思います。
みなさんは、携帯電話をよく使いますか?
知らず知らずのうちに携帯電話にすべてを依存しているいると、いざ失った時に
大 変 な こ と に な り ま す よ 。
某医療番組風
不安で寝れなさそうです・°・(ノД`)・°・
どうもこんにちは。
寒いですね。
12月に入って数日経ちますが、スタッドレスに交換する予約をするのを忘れてました。
11月末にお願いしますって言ったけど、大丈夫だろうか。
さて、今日はちょっと外国語活動というか、低年齢から始める外国語学習について考えてみたいと思います。
まぁ、「外国語活動」というのは今年度から小学校高学年(5,6年生)に新設された「領域」のことで、文科省が作成した「英語ノート」を使って授業を進めていくものです。
「教科」ではなく「領域」なので、国語や算数のように三段階評価(◎、○、△)されるわけではなく、「個人内評価」(総合的な学習のように、「一人ひとりの進歩や到達度を踏まえて評価する」もの。通常は評価書を文章形式で通知表などに載せる)を行います。
その外国語活動ですが、導入時に賛否両論が飛び交いました。
とくに、「母語(日本語)の知識も乏しい時点で外国語を学習するのは、どちらの言語も不完全になる危険がある」という意見がとても多かったように思えます。
先日の「表現力」の記事でも言ったように、僕も言語学習をする上で母語の運用能力は切っても切れない関係にあると思っています。
しかし、本当にそうでしょうか。
そう思ったのは、知り合いの小学生が僕に
『「~がしたい」って英語で言えるよ! "I want to ・・・"』
と言ってきた時でした。
もちろんこの子はS+V+Oなんて文型も、"want"の意味も、"to+動詞の原形"というルールも知りません。
もっと言うと、アルファベットを見ずに「音」で覚えています。
そう、「~がしたい」="I want to~"という、いわば「フレーズごと」で覚えているのです。
実は、僕も初めて英語に触れたときはこういった覚え方で進んでいきました。
当時は単語も文章も読まなかった(読めなかった)ので、音で覚えるしかなかったのですが、もちろん小学生にわかるはずありません。
なので、6年生の頃家族で海外へ行った時も、一言も英語が話せなかったのを覚えています。
しかし、中学に上がり、文法を習った途端、全てが繋がりました。
今まで習っていたことは実はこういった仕組みに基づいて出来ていたのか!
日々発見の連続でした。おかげで一気に英語が好きになったのも記憶しています。
外国語の幼児教育は未だに賛否両論です。
ですが、自分の例を上げると「やって損はない」と思います。
日本語は、国が読書活動を推進していることもあり、自然に身についていくと思います。
外国語を小さい頃から学ぶのも、子ども達の未来を広げるひとつの方法かもしれませんね。