6月2日、日曜日のこと。
大宮公園小動物園、キラさんとの面会中での出来事。
週末はキラホシに会うのが日課となっている。
仕事に忙しくて休みが日曜だけという週末も多い。
それでもキラホシ第一で行動スケジュルールを組んでいる。
毎週、安否確認を兼ねてブチハイエナたちに会いにゆくことは至福でもある。
最愛のキラホシにも人間の魔の手が及ぶことがある。
いや、もうすでに及んでいる。
たまたま、氷山の一角を押さえただけの話。
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挙動不審な一人の老人がキラさんの所へやってきた。
年齢は70過ぎと思われる男、以降は「G」と表記する。
ビニールの手提げ袋を持っていた。
キラさんの気を引くためにGはガラスを幾度もノックしていた。
ガラスを叩く動作は子供と老人がよくやる。
特に、見ていると男女問わず一部の老人が叩くのは程度がひどい。
子供のそれとは比較にならないほどに。
Gはその際は一度居なくなった、だが時間を置いて再来した。
日曜の午前は自分が唯一安定して訪問できる時間。
キラさんのもとを離れずに見守っていることが多い。
そういう状況で、事件は起きそうになった。
Gはカピバラ舎にに近い側、つまりガラスの仕切りがない側へやってきた。
キラホシに鉄格子を介して接することができる側である。
キラさんが目の前にいる状況、老人が袋の中から何かを取り出そうとしていた。
自分はもう「こりゃ、やばい」と思う前に行動を起こしていた。
Gの前に制止するように、割り込んだ。
Gは自分が制止をかけてきたことを理解した様子だった。
素直に手を引っ込めて、去っていった。
その際にキラさんを見つめたが、直後でまだ目がキラキラしていた。
エサやりでキラさんを惹きつけたせいだ。
キラさんの気を引きたいがためにGはエサやりをしようとしていたのは明らかだった。
だが、何かを出す前に制止してしまったために、事件は未遂のままここで終わった。
現行犯を注意すればよかったのかも知れない。
少しタイミングが早過ぎたかも知れない。
何が出てくるのか、少なくとも見届けたかったという興味は残った。
このようなことが、たまたま自分がいたわずかな時間で起きた。
許すことができない、エサやり行為の瞬間だった。
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今年ももう6月になったが、年始初詣の雑踏の頃を思い出す。
例年初詣客のために動物園は元日から頑張って無休で開園する。
それが本当に動物たちにとってリスクであることをわかっていない。
無料の動物園に正月気分の不特定多数がなだれ込む状況が動物たちにとってどれほど危険なことか。
酔いどれも来る、酔った勢いで何をするかも知れない。
事実として、ホシくんは年始に明らかに深刻な体調不良に陥った。
推測の域を出ないが、原因は来客によるエサやりだと思っている。
このことは過去記事も書いてある。
エサやりをする人間の心境を時々考える。
・動物たちが純粋にお腹を空かせているだろうから(かわいそうだと勝手な解釈することに由来)
・人間の食べ物はいつも彼らが食べているものより、きっと美味しいから食べさせてあげようと思ったから(人間が優位であるという奢りに由来)
・人間に相手にされないから、せめて動物に振り向いてもらい相手になってほしいから(動物たちに自らの心の隙間を埋めさせたいことに由来)
・酩酊状態で来園して、その時の気分でエサやりをしたくなったから(初詣・花見の出来る大宮公園では特に)
・自分がかつて飼っていたペットと比較して、なんとかしてあげたいと思ってしまう(自分のペット感覚で、勝手な憐れみ感情が入ることに由来)
まだあるかも知れないが、思いつくところを箇条書きにしてみた。
これらが複合的に絡んでいるように思う。
箇条書きから推測できることだが、エサやりの犯人は「老人」に多いはずだ。
今回のGの動機は明らかに「キラさんに振り向いてほしい、構ってほしい」だ。
Gに何があったのかは知らないが、心の隙間を埋めてほしいと思って動物園に立ち寄ったのかも知れない。
孤独な老人にありがちなのかも知れない。
Gもそういう一人なのかも知れない。
動物はこういう孤独な老人をも癒す。
だが、このGのように一線を超えてしまうのも老人。
こういう人間は動物たちや動物園に対して、
・哀れみの目で見ている(動物たちの置かれた環境がかわいそう)
・動物園の飼育姿勢に不満を持っている(ケアが足りない、ご飯が足りないと)
・妙な正義感、を持っている(飼育員がダメだから、代わりに自分がなんとかしてあげないと)
自分も方向を間違うとGと同じ行為にたどり着いたかも知れない。
だが、正しい理解に努め、心から動物たちの健康と長生きを望むわけであり、間違ったエサやりには反対でしかない。
人間は歳を重ねるほどに世の中の嘘や洗脳に塗れる傾向があると改めて思うに至った。
生き永らえて凝り固めてきた「習慣」「意識」「こだわり」「流儀」といったものが歳を重ねるほど強固であったりする。
それらは決して「悪いこと」ではない。
だが、時にはそれが「悪いこと」として判断されることはある。
【「良かれ」と思ってやったことが「悪かった」】がそれだ。
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数年前、同大宮公園内にある、通称「ボート池」にハクチョウが越冬しにきたことがあった。
一部でかなり話題になった。
暇な老若男女こぞって冬のボート池に集ったのを覚えいてる。
ハクチョウはもちろん野生だ。
お互いのために「野生動物とは棲み分けをしなければいけない」。
ところが、野生動物に対して一部の人間は配慮することなく、餌付けする。
それをするのは先ほど述べたように、老人に多い。
対岸でハクチョウにエサやりしていた人間、姿形から老人だったのを思い出した。
その現行犯は2022年2月のブログにて顔はわからないため人物を特定などできないが、一応姿を晒してある。
野生下で彼らがどのようなものを食べているのかを知っているのか?
無知の人間が良かれと人間の食べ物を与えることが、ゆくゆくは野生動物を殺すことにつながることを知らない。
野生動物を殺したいのだろうか、ならば理解するのだが。
そうではなく、単なる興味関心や振り向かせたいというわがまま、といった安易な感情で野生動物へ接近してはいけない。
動物と仲良くなることは結構だと思う。
だが、動物にエサやりという手段で振り向かせて仲良くしようなど、安直愚鈍でしかない。
そういう人間は動物のことなどどうとも思っていないのだ。
ただ、その人間が接触したいっときだけ、振り向いてもらえればいいのだ。
実に都合がいい、それが人間だ。
野生動物を含む動物たちを利用する人間、結局は自分の都合のために利用しているだけなのだ。
それを禁足で持って実現する行為が「エサやり」だ。
そんなことをしなくても、自分はキラホシと仲良くできている。
本当に動物たちを愛するならば、禁足など犯さず足繁く会いに行けばいい。
それだけで、そのうち動物たちによってはちゃんと反応をしてくれるようになる。
覚えてもらえる。
正攻法で動物たちと仲良くしてほしいものだ。
ところが、人間はろくでもない生き物でもある。
邪道で禁足を犯しても目的のためならば構わないと思う者は当然いる。
だから、いくらエサやりが動物たちを殺すことに繋がることを理解しても、禁足であるエサやり行為が絶えることはないだろう。
実は動物園の運営側は、人間という動物のことを一番わかっている、かも知れない。
動物を見つめるプロ集団の飼育員は当然、人間という動物も見つめて観察しているはずだから。
洗脳にまみれた生き物であるとか。
息をするように嘘を吐く生き物であるとか。
自分がこれまで気付けた人間という動物は他の動物を見つめてきた副産物としてわかったことなのだから…
ここで、大阪の天王寺動物園のことが急に腑に落ちた。
なぜ同園では動物たちとの距離が他園以上に隔たりがある動物園なのかということを。
何年か前の年始での訪問では頻繁に放送で「絶対に!エサやりをしないでください」と館内放送をしていたことを思い出した。
大阪は「エサやり老人が多い地域」なのだということが腑に落ちた。
ブチハイエナのレイくんをみづらくて自分はストレスフルな同園だが、来客から動物を守るための措置としてはやむを得ないと理解をした。
残念だが、エサやりが多発して動物たちが死に追いやられることが続くならば、動物園のあり方は天王寺動物園のようになってゆくだろう。
氷山の一角のエサやりを止めたこと何の解決にもならない。
根本的な解決は、人間が来客である以上「ない」。
動物園側が動物を守るために来客と動物を近づけないという手しかない。
皮肉なことだ。
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去ってゆくG