浮浪人間への道 = Road to Groningen! -2ページ目

10月6日。

 

10月第一週末はあいにくの雨。

とはいえ山にゆきたい、最もよい季節ゆえに。

というわけで各地の天気予報からなるべく北の新潟中越地方を選んだ。

どうせなら、十日町にも寄れる一座というわけで「越後駒ヶ岳」に出かけた。

 

前日夕方、17時に出発。

圏央道に乗り関越道で渋川伊香保IC下車。

そこからは国道17号で三国峠を攻める(帰路でも三国峠は下道を選択)。

ずっと雨の路面だったが、魚沼市街に入って路面が乾燥してきた。

 

魚沼市内で国道291号→352号と経由するとだんだん道がヤバくなってきた。

やばいのは濃霧も一層濃くなってきた。

峠攻めが好きな自分としても怖くなるほどの視界不良。

そんな峠道を30分くらいひたすら進んだら目的地である登山口駐車場があった。

 

枝折峠、標高は1,000mを超えている。

 

そこに到着したら車が既に満車だった、22時のこと。

自車は最後の枠であるトイレ前の身障者マークの場所に仕方なく停めた。

その後も車を後をたたず、駐車場の島に停めるか路駐という感じになっていた。

どうしてこんなに人気なのか分からなかった。

 

関東の雨を嫌って、自分と同様に晴れそうな場所を求めてきた人もいるだろう。

だが、別の理由もあった。

 

「滝雲」という自然現象を狙ってきている人がいることを後で知った。

雲海が山同士の高低差で原尻の滝のように流れてゆくさまを登山中に飽きるほど見た。

 

滝雲現象

 

峠の駐車場、路面は濡れている。

前日にある程度雨が降ったのだろう。

程なくして寝た。

 

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翌朝3時過ぎ。

もう目が覚めてしまった、というより起こされた。

 

トイレがすぐ目の前にある一番最寄りの枠に停めたせいで、大勢がそこに集まる。

4時になると団体を引率する人が大声で「4時半に出発しますから、それまでにトイレを済ましてください」と。

自分の車を囲むように多くの人がヘッドライトを灯す。

こんな状況でこれ以上寝ていられなかった。

 

1時間遅らせるつもりだったが、当初の予定に戻して5時出発にした。

 

トイレ脇から登山道が始まっている。

すぐにこの写真の看板が見えてきた。

 

これまでの山行と比較して、今日のコースはそれほど難儀ではない。

来週の山行を意識してウォームアップの意味も兼ねて軽めにしている。

むしろ、下山後の寄り道のことばかりが頭をよぎり、早く行動したいと前のめりになりがちとなった。

 

30分もしないうちに、先行していた21名の団体一行に追いついた。

道を譲ってもらうのも一筋と簡単ではなく、いちいち辟易した。

団体は高齢者のグループで、引率ガイドはそれなりの人だろうと思う。

この団体には下山時にも対峙することで再会するのだが、その際も道を譲るのに延々待つ羽目になる。

 

尾根歩きが主体のコースは高齢団体が多い。

黒斑山の時もそうだった、21名の団体は年配者の団体だった。

それでも彼らのように歳を得てなお元気なことはいいことだ。

自分の両親には決して出来ないことだから、羨ましくもあった。

 

超特急の山行となった。

下山後のへぎそばのことばかりが頭によぎっていた。

さらに寄り道もして帰ることになっていたから、帰宅時間のことも考えていた。

とにかく先を急いだ。

 

 

雲海、右手に荒沢岳

 

今回は1人だけに道を譲るだけとなり、逆に多くの人に道を譲ってもらった。

休憩も歩きながらで、だった。

 

百草ノ池にて、山頂が見えてくる。

 

 

山頂着は8時過ぎ。

15分ぐらい山頂を4人程度の人たちと共有した。

紅茶のラムレーズンパウンドケーキを少量食べた。

へぎそばのために。

 

 

眼下に八海山を総観する、見事な山容だった。

 

中ノ岳のピーク

 

左に中ノ岳、右に八海山。

 

頂上手前、小屋がある。

主人が布団を干していた。

小屋泊で来光を浴びて降りてきた人もいた。

 

中ノ岳とともに越後三山、また別の機会に訪問したい。

序盤から荒沢岳が見え、山頂では平ヶ岳や会津駒ヶ岳も見えた。

良い山が集まっている。

 

下山では滑る木道や泥土に転んだ。

ぬかるみが多くて、装備衣類が汚れた。

 

それでも天気は暑いくらいに晴れ渡った。

関東は雨だったというから驚く。

 

下山後は1時間かけて十日町へ移動した。

道の駅で風呂に入り、市街のいつもガソリンを入れるGSで今回も7円安く給油した。

 

その足で「小嶋屋総本店」へ。

へぎそば2人前を平らげた。

 

 

帰路、ひらせいホームセンターに寄って土産を買った。

現在の同僚で年下の先輩がかつて勤めていたというその店舗。

米が安かった、日配が安い。

地域密着型、コメリよりも庶民的なホームセンターに思えた。

 

街道から名峰たちが眩しかった。

気になる山がちらほらあった。

特に気になる急峻な山があった、「大源太山」というらしい。

いつか登りたいものだ。

 

帰路、三国峠からはまた雨になった。

月夜野ICから高速に乗ったが、濃霧で運転しづらかった。

埼玉に入れば関越道は渋滞だったから、上里PAで下車した。

あとは下道で我慢の運転になる。

 

19時15分、帰宅した。

 

 

 

 

 

 

 

9月23日。

 

三連休の最終日。

どうやら天気が回復しそうだと判明。

秋分の日でもある、秋がこの日から始まる予報に好機と判断した。

 

厳しいけれど挑戦するならこの日だろうとついに決意をして臨んだ。

自分にとって特別な一座。

 

このようなことはあまり書くべきではないが気象は容易に操作される時代になっている。

週末に限って雨とか、連休しっかり晴れることが最近は特に少なくなっている。

おまけに自分は多忙で疲労がちで、出かける気力も削がれている。

山に出かけることはとても気合の要る行為となってきている。

 

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【甲斐駒ヶ岳】

 

30代、小淵沢での修行時代に晴れたらいつでも見えた一座。

 

登山に興味がなかった当時、まさか今日登るということになろうとは思わなかった。

「山は遠くから見るもの」それでは満足できなかった。

 

甲斐駒ヶ岳にアクセスするには主に2つのルートがある。

・白州側から「黒戸尾根」コース

・バスで北沢峠まで来てから始まるコース

 

今回は難易度のより高い「黒戸尾根」コースにした。

理由はより難度の高いものに挑戦したいから。

 

例の通り、前夜のうちに登山口駐車場に移動した。

今回は、勝手知っている尾白川渓谷駐車場。

翌日は朝早い。

早く寝たい、というわけで往路で高速道路を利用した。

 

トイレも駐車場のキャパシティも問題ない。

モタモタしたが22時には寝た。

 

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2:30起床。

用意してきたバターコーヒーを飲むが、これがのちのち祟る。

 

3時に車から出発。

真っ暗だからヘッドライトを点す。

 

雨後でガスがかかっており、蒸し暑い。

ちなみに、この日から暦通り秋が始まる。

気象操作をしているのは日本人なのか、春分秋分の日で急に「時季らしい気温」に落ち着く。

さいたまは直前まで35℃前後だった、この日から30℃を下回る。

 

序盤、全然進めなかった。

胃がもたれて気持ち悪い、バターコーヒーが祟った。

普段バターコーヒーをしているが時間帯が6時半だ。

こんな夜中に本来食事などしてはいけないのだ。

 

後からやってくる健脚にどんどん抜かれてゆく。

 

 

 

「日本三大急登」と言われるこの黒戸尾根コースは伊達ではなかった。

直立する梯子や鎖場が沢山ある。

 

四号目以降は一旦降る。

それは黒戸山から甲斐駒ヶ岳に山体が移行するからだろう。

五号目あたりは平らで、かつてはここに小屋があったらしい。

厳しい登りは五号目過ぎてすぐ始まった。

 

 

ここから七丈小屋までは厳しい直登を一気に進んだ。

八号目あたりからはロッククライミングのようになってきた。

 

ちなみに各号目には石碑や祠や何かしらの遺物がある。

特に、五号目以降は各号に剣が屹立しているのが印象に残った。

剣がここまで多いのは見たことがない。

 

今も昔もこのコースに多くの人が挑み、苦労して登頂したのがわかる。

 

9時20分、山頂着、とにかく長かった。

スタートから6時間以上もかかったことになる。

心底疲れたのだが、山頂に着くと大勢が賑わっていた。

それが違和感でしかなかった。

 

 

北沢峠からやってきた人たちはお気楽だったのだろうと思う場面が多々あった。

・3mはあるであろう長い自撮り棒をかざす人

・老人会のようなおばさん達

・短パンの人

 

こういう人たちと山頂をシェアした。

 

山頂めし(自作パウンドケーキ、母の牡丹餅)。

ほとんど食えずじまい。

 

 

山頂からの景色。

雲は眼下には多いが、この時間帯はまあまあ望めた。

 

西(W)を望遠・巨視

 

仙丈ヶ岳

 

鋸岳

 

北ア・御嶽山方面

 

下山時に三号目あたりの「刃渡り」にて撮影。

八ヶ岳南麓、小淵沢方面

 

 

あれほど直登だったから下山は恐怖だろうと想像していたが、そんなことはなかった。

ただ、傾斜が大きいから足を痛める。

トレッキングポールはやはり必要。

鎖・梯子ではしまう必要があるが、それ以外では絶対に必要。

 

若い人やトレランの人で無しの人は多かったが、脚への負担を後で思い知る。

下山して4日経ってようやく強烈な筋肉痛から解放された。

脚を労って無理せず下山しているが、それにもかかわらずだ。

 

凄い一座だった。

見ていても凄いのに、登ってさらにそう感じた。

 

また戻ってきたい。

ただ、次回は北沢峠経由でもいいかもしれない。

9月21日。

 

この日は土曜日だった。

朝の出勤時間に達成した。

 

この後事故渋滞に出会う。

大型と中型トラックの事故。

土日は事故が多い。

 

さて、明日から自分は連休。

山かどこか、出かけたい。

 

9月16日、敬老の日。

 

(人間の)両親は今年も健在でこの日を迎えた。

但し、もう父は長くはないだろう。

幸いなことに病気はなく、老衰の境地にある。

エアコンがなければ確実に生き延びられない、本人もそう言っている。

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残暑は連日猛暑日として続いている。

キラホシに会いに行ったが、大入りだった。

この日、珍しく最高気温が真夏日程度にとどまったせいか、連休最終日のせいか、知らない。

 

キラさんも、ホシくんも連日暑くて辛そうだったが、この日は過ごしやすそうだった。

 

全ての生き物は生まれた時から死へ向かっている。

キラホシの様子も出会った頃から随分と老化が進んでいる。

そして、国内最高齢ブチハイエナ夫婦として、なんとか生き延びている。

 

いつか、会いたくても会えない日が来る。

それは仕方ないが、後悔の無いように足繁く通う日々はこれからも続く。

 

このようなことを改めて感じたのはハイエナ舎の隣、カピバラ舎での訃報を受けてのこと。

チェリーが死んだという。

昨年末のラメールに次いで2頭目。

3頭いたが今は残ったピースしかいない。

 

カピバラ推しの衆は多い。

広いカピバラ舎がより一層広く感じるようになった今日この頃。

 

今回の出来事は今後の自分への出来事となる。

避けられない辛い別れ。

 

供養塔に花束の数々。

 

やってくる人間はそんなことを気にすることなく、現在展示されている動物たちを「消費」する。

大多数の来客にとって「死んで居なくなった動物など知ったことではない」という様子に見えた。

無料の動物園だから、余計かもしれないが。

 

この前日(9月15日)、宇都宮へ出かけた。

山行に出かけたのだが、早朝からすでに栃木北部には雷雨をもたらす雲が出てきていた。

確実に雨が降りそうだった。

宝積寺あたりで山を断念して、動物園へ行き先を変更した。

 

という経緯で、宇都宮動物園に行って来た。

7月以来(例年は8月のお盆休みに訪問しているが、今年は例外)の訪問。

キラホシの末子、ブブに会いに行ったわけだがハイエナ以外にも推しの動物にも会う。

 

推しの動物たちのうちの一頭がいなかった。

何事もなかったかのように。園内には訃報のお知らせすらなかった。

 

ジョジョがいる

 

口之島牛舎、ジュジュが左、ジョジョが右にいる…はずだった。

 

ジュジュがいない。綺麗さっぱりとしている。

 

これを見て悟った。

ジュジュ死んじゃったんだな…と。

 

2頭が生きていた前回までの訪問では個体名表示&紹介があった。

今は個体紹介すらない、生きているジョジョの名前すら客は知ることができない状況にある。

どうしてこうなってしまうのだろうか?

 

来客には動物たちの死を伏せなければいけない、のだろう。

動物園は子連れ家族にとってレジャー施設、楽しみにくる場所の典型。

特に子供に「死」という「楽しみ」を阻害する情報を伏せなければいけないのだろうと察する。

 

塗り絵イベントを終えたとある飼育員氏にジュジュのことを尋ねた。

 

彼はジュジュが亡くなったことを丁寧に言葉を選んで教えてくれた。

「SNSには載っている」というから、普段は見ないが覗いて見た。

ジュジュはお盆の後に亡くなったことを知った。

もうひと月近くになる、訃報の掲示もしないだろう。

 

今年もお盆に行くべきだった…

 

出会った時点でジュジュは足の不自由なおばあちゃんだった。

生まれた時から足が不自由だったというが、それゆえに余計に応援していた。

別れ際にはこう言ったものだった、「次に会いにくるまで生きてろよー」と。

 

今回は生きていてくれなかった。

 

牛は人に殺される、つまり「犠牲」を強いられる生き物でもある。

動物園でなければ、貴重な口之島牛でなければとっくに殺処分されていただろう。

 

このような推しが突然に亡くなってしまった例に遭遇した。

 

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キラホシ残された日々の少なさを思うと同時に、長寿を願わずにはいられない敬老の日となった。

 

 

それはもう…暑かった、8月が終わった。

 

過去形なのは8月という暦だけ。

9月になっても連日35℃の日々が続いているさいたま。

 

残暑は今もって厳しいのだが、8月のそれとはやはり違う。

いい加減、残暑にうんざりではあるが、朝晩に秋を感じる今日この頃。

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今夏(8月までの)のキラホシへの飼育体制を見ていて感じることを書く。

 

・天然の水溜まり

 

ホシくんがせっせと掘って作った窪地がある。

以前はそこを掘られて水が溜まるのをボウフラ等衛生上の問題があるとして飼育員は逆に埋めてしまっていた。

埋めるのをやめたことにある時驚いたものだ。

そして、ホシくんの行動を尊重してくれたのか堀り固めてもらって今がある。

 

今夏、ホシくんの天然の水たまりが高確率で維持されてきた。

ほぼ毎週末会いにゆくが、行く毎に水溜まりがあった。

このことがどれほどホシくんの生命維持に重要なことか。

その水で、涼を得て、おしっこをして、もちろん飲む。

 

 

去年は日照り続きで干上がってしまっていた。

なのに、今年は結構維持されてきた。

飼育員によるものであって欲しかったが、そうではなくたまたま雨天続きのせいだった、と判明した。

 

8月は特に後半、集中豪雨が多かった。

1時間に100ミリ近くの記録的な雨が頻発した。

そのために天然の水たまりが干からびることがほぼなかった。

 

キラさんが水たまりを見つめている

 

9月中旬なのに当地では毎日35℃の連続。

8月と違うのは雷雨がないという点。

それでわかった、今は干上がっている。

その現実から、この窪地が人為的に維持されていないことがわかった。

 

9月に入っても暑いからキラホシ2頭は暑くてしんどそう。

2頭ともに水を得ていないように見える。

 

 

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・キラさんは専用プールを活用しているのか

 

これが最近疑問に思うこと。

ホシくんはキラさんに配慮してこのプールに入らないことがわかっている。

それはホシくんがキラさんとの圧倒的な身分の差をわきまえているから。

残念だが、ハイエナ社会の掟なのだから仕方ない。

 

ではキラさんは?

 

8月後半、暑そうにしているキラさんが、あろうことかホシくんの水溜まりで涼を得ることがあった。

その光景を初めて見たため、驚いた。

 

 

 

実は以前からキラさんにとって専用プールを躊躇しているフシがあって注視してきた。

とにかくハイエナのことを考えていないプールの構造である。

「縁が邪魔」「水深が深い」という点。

他園の水浴び環境を見ればこのことにはすぐ気づく。

 

キラさんは小用のためにここに入ることはよくある

 

キラさんももう若くない、どころか国内最高齢。

日本で最初にブチハイエナの出産に成功したキラさんに対する扱いがこれ。

人間の老人にはバリアフリー対策など施すが、キラさんに対してはお構いなし。

 

キラさんは後脚からではなく前脚から入るため、ゆっくりではあるが「飛び込み」姿勢だ。

水位が最近低いのは、水深が深い問題には寄与するが、逆に水位まで距離が出来てしまう。

視覚的にも「より一層の飛び込み感」が醸される。

 

このプールには数年前からボウフラ対策で住まわせていた金魚がいたが、いつの間にか居なくなった。

ハイエナは魚も食べる、円山動物園ではカミくんに魚を給餌していたのを見ている。

キラホシは金魚は食べないと見ているが、実際はわからない。

何故いなくなったのか知らない。

 

老体にますます厳しいさいたまの酷暑厳寒の気候。

飼育体制の不備というより、飼育環境の不備。

 

ハイエナとクマから成る猛獣舎の改修工事が進行中でありがたい。

だが、どうせやるなら放牧場内の施設工事もついでに実施してほしい。

不備という認識がないからやらないだろうが…