浮浪人間への道 = Road to Groningen! -3ページ目

9月第一週末。

 

急遽、連休になった。

そこで急に色めいた。

今しか行けない富士山に行く予定を立てた。

九合目の山小屋も予約ができた。

 

それにしても、富士山は時間も金もかかる山となった。

面倒くさい山になった。

だから、さっさと富士山を登り終えてしまいたいというのが本音だった。

今回念願が叶った。

 

詳しくは以下を見てもらいたい。

 

 

 

9月6日土曜。

 

富士宮口から登るにあたって水ヶ塚駐車場を目指した。

正午に着けば良し、とのんびり出かけて13時発の富士宮5合目行きバスに乗った。

入山するには入山料を払った証としてリストバンドを見せる。

警備員が立っていた。

 

書類を書くのに遠くの小屋まで飛ばされた。

事前にWEBで申請してあれば、手前の小屋で対応。

そうでない人は外国人と同じように紙の書類記載専用小屋に飛ばされる。

書く事が多すぎてうんざりした、時間もかかった。

 

曇りだったが、六号目から七合目あたりで雲を突き抜けた。

あとは雲海を眼下に見ながらの登山となる。

面倒なのは人間が多すぎること。

勝手に休憩を取るとそこで後続も立ち止まる。

 

後続はなんで止まっているのか知らない。

そんな、進みたくても進めない事がイライラにつながった。

20人くらいのパーティがいて、その人たちのガイドがペースを決めている。

そういうパーティの後ろに続くことも至る所であった。

 

進まないのは知っていたが、実際にイラつく体験を味わった。

 

14時過ぎに登山を開始して、九合小屋に到着したのは16時台だった。

途中で追い抜いたりして、先を急いだからなんとか進めた。

さもなければ17時を過ぎたはず。

 

七合は2つあって「元祖」と「新」があった。

そのあたりからやはり高山病の傾向があった。

なんとなく頭がモヤモヤと、痛いという感じに近いが耐えられないわけではない。

 

小屋に着いて、寝床へ通された際に愕然としてしまった。

あまりにも狭すぎるから。

1600*450のスペースしかない。

しかも両隣どころか6人が横並びになって一部屋。

 

恐ろしいタコ部屋だった。

 

そんな環境で寝れるはずがなかった。

息苦しいのは酸素不足であるだけでなく、人間のだす呼気のせいもあった。

そして、お決まりの暑過ぎて寝れない、いびきがうるさくて寝れない。

一睡もできなかったのを覚えいている。

 

山小屋の朝は早い。

2時過ぎにはほぼ全員が起きて支度を始める。

そこで強制的に起こされ、以降寝れるはずがなかった。

 

自分は彼らのように山頂で来光を拝むという趣味がなかったため少数派として行動した。

もぬけの殻となった山小屋を5時に出発して、15分後に途中山腹にて日の出を見た。

具合が悪いため、荷物デポした。

この小屋は荷物をデポさせてくれる小屋だったから救われた。

 

本来はデポするつもりはなかった。

 

当初、下山は御殿場ルートを宝永山まで降って、あとは富士宮ルートに戻るという計画だった。

高山病なのだから仕方ない。

体調の方が大事。

 

さて、いろんなやばい登山者を見た。

でも感心したのは、それでも下山してしまうのだから。

体力があればこそできる荒技なのだと。

自分は体力温存、膝をいたわるためにポールを活用。

 

外国人の中にもいろいろいた。

オランダ人の若者はダッシュで各合を駆け上がって、休憩してまたダッシュして。

トータルで自分と同じペースなのがめんどくさかった。

 

中国人は装備品がしっかりとしている。

白人は普段着の感覚の人が多め。

ジーンズやTシャツ短パンとかスニーカーとか。

それでも成し遂げてしまうのだから、凄い。

 

登山と下山の写真の中にずっと同じ人たち(外国人)が写っていた。

数ある小屋の中から同じ小屋に滞在もしていた。

非常に多くの人間が山にいたのに、ここまで一緒になるのは稀だ。

 

面白い経験だった。

 

山小屋に12,000円、入山料4,000円、駐車場代2,000円、バス代2,400円。

これだけでもかなりの出費。

 

富士山に登るには金がかかる。

 

知床も同様に金を取ればいいのに。

人を制限する必要があるのは間違いない、どうすれば制限できるか。

 

富士山のように、課金を増やすのが一つの手かと思う。

 

前夜はNSS近くの豊滝除雪ステーションで仮眠をとった。

 

防寒類を発送してしまったために、夜中寒くて寝られなかった。

日によって夜が暑かったり寒かったり、北海道の気温はよくわからない。

 

さて、最終日。


朝早いうちに円山動物園に移動。

駐車場に車を停めてから開園時間までの2時間余りを北海道神宮の境内で過ごした。

これは毎度のパターン。

 

エゾリスに会えるのがいつも楽しみで、参拝後は必ず境内の散策をする。

 

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北海道最終日は円山動物園でブチハイエナのカミくんに会うのが主な目的。

その後、14時までにレンタカーを返却する必要があるため苫小牧へ移動する。

 

北海道新幹線最終で大宮へ帰る。

苫小牧駅から特急北斗に乗るのが15時半。

 

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さて、久々のカミくん。

寝ているが、元気そうで何より。


室内でも屋外でものんびり。

最初に見た時は室内で寝ていた。


 

 

カミくんも16歳、いい歳だ。

 

外は暑いが、わざわざ暑さを求めて出ることもある。

 

11時半には円山動物園を後にした。


苫小牧へ。

14時に着いて無事にレンタカーを返却した。


以降、荷物はカートに乗せて徒歩移動となった。

駅前の商業ビルにはドンキがあって、しばらく時間を潰した。

道中の食料も買った。

 

特急と新幹線を乗り継いだ。

無事に帰宅したのが23時半だった。

戻ってみれば、また蒸し暑い日々だった。

 

ブチハイエナと山を愛でた北海道旅が終わった。

 

まだ北海道の山々は訪問したい先がいくつもある。

幌尻を筆頭として、利尻、十勝、大雪山系、阿寒、羊蹄など。

百名山ではないが、車窓から見た北海道駒ヶ岳も気になっている。

 

夏の北海道、来年以降また機会を得て訪問したいが、予定は未定。

 

8月15日。

 

夜明け前、浜小清水で目覚めた。

 

小雨が降っていた。

 

残すは2日。

翌日の夜には帰宅する。

予定を再確認した。

 

山行は昨日までで終わった。

あとはハイエナに会いに札幌の2園を訪問する。

その前に、不要となった山道具関連を荷造りして自宅へ送り返す。

 

【予定】

 

・札幌への移動

・道中、旭川にて所持品7割を荷造り

・NSS(ノースサファリサッポロ)

 

女満別空港経由で高速道路で旭川方面へ。

わざと嫌がらせをしてきた車(地元北見ナンバーの軽)がいた。

自分の前に割り込んできて、塞ぐようにのんびり走る軽自動車。


特に目立つ運転はしていない。

観光客や「われ」ナンバーなど他所者が不快なのだろう、としか思えなかった。

 

旭川。

今回は中継地でしかない。

・給油

・ホームセンターにて梱包資材を買い 荷造り

・ヤマト運輸の営業所に2箱持ち込み(送料は5000円程度)

 

ずいぶん身軽になった。

公共交通機関で帰れる程度の所持品になった。

 

長距離、長時間を高速道路で運転して眠くなってきた。

昨夜までの知床縦走で疲れ過ぎていた。

体は休息を欲しがっていた。

 

砂川SAで名物のソフトクリームをたべた。

気分転換を図ったが、余計眠くなった。

 

ナビのおかげで道内で道に迷う事はなかった。

問題なく定山渓の動物園に14時頃到着した。

 

NSS。

今やブチハイエナ3頭を飼育している動物園だ。

最初に訪問した数年前はまだ1頭しかいなかった。

 

同園は所属動物たちを人間の商業活動に供している。

一般に動物園自体は入園料を取るなど営利活動をしているが、ここはそれだけに留まらない。

それが、金儲けの道具にしている感が露骨過ぎて、不快になった。

いつしか距離を置くようになった。

 

札幌市から指導されても改善しないなど、不祥事ばかりが最近報道されている。

ついに、来月2025年9月末で閉園することが決定した。

 

閉園前に訪問しておきたいと思うのは当然のことだ。

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3年前。


まだ1頭目しかいなかったがピーターくんには歓喜して訪問したものだ。

懐かしい。

今回ピーターくんに会えなかったのがとても残念だった。

 

2頭目の「ウーピー」ちゃんには会えた。

ウーピーちゃんが仲間入りしたての頃にも出かけている。

まだ幼獣の頃、園の好意でその日は出場予定なかったのに特別に朝だけ出してもらったのを覚えている。

キリンのエリアを無邪気に走り回るウーピーちゃんを覚えている。

 

3頭目の「アンバー」くんには今回初めて会った。

一言でアンバーくんは「タヌキ顔」。

タヌキ顔のハイエナたちは香川の「しろとり動物園」にたくさんいる。

出自は知らないが、そっちから来たのだろうと推測する。

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元からあるハイエナ舎にはウーピーちゃんが、キリン舎にはまだ幼獣感残るアンバーくんが入っていた。

 

ところで。

宇都宮動物園から同園に出園したキリンの「ヒナタ」くんはどうしたのだろうか?

ヒナタくんにはNSSに移動してから一度再会している。

 

情報検索して分かった。

ヒナタくんは足の関節が逆に曲がって死んだそうだ。

園はそれが病気だったと言い張っている。

 

真相はどうか、わからない。

宇都宮動物園にそのまま居たら、こんな短命で死ぬことはなかっただろうな。

 

そんなことを思いながら、1頭のハイエナにとっては十分広いエリアを駆け回るアンバーくんを眺めた。

 

アンバーくんには水浴び用のプールがあった。

札幌はこの日非常に暑かった。

激しく水浴びするアンバーくんの様子は「ハイエナあるある」でとても微笑ましかった。

水が飛び散り、柵越しに立っていた自分はかなり濡れた。

 

一方、ハイエナ舎のウーピーちゃんにはプールがない。

前回までの訪問と同じ、相変わらずなかった。

ここのハイエナ舎には小さな水場しかない。

西日が暑くて、ウーピーちゃんは口が開いてヒートアップしていた。

 

他の来園者がいなくなっても閉園時刻まで居続けた。

 

2頭を見納めをした。

一番思い出深いピーターくんに会えなかったのが残念だった。

 

9月末で終園後、3頭のハイエナたちはどこへゆくのか気になっている。

もちろん他のすべての所属動物たちも気になるのだが。

自宅のさいたまから近ければ、頻繁に会いにゆけるからいいのになと。

 

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8月13から14日にかけて知床連山を縦走した。

 

記録は長いから以下を参照されたい。

 

 

 

報道で広く知られることになったが、この山行はヒグマ人身事故の渦中にあった。

いろいろ思うことだらけの山行となった。

 

8月13日、5時から登山開始。

岩尾別登山口から1時間程度の標高600m付近に職員3人がいた。

環境省と斜里町と後はどの人か知らない。

「ヒグマが出没しているので注意してください」という趣旨だった。

 

この日、登山口は「大入り」だった。

登山口駐車場には到底車を置けず、沿道に縦列で駐車する一台となった。

最近は登山口に前乗りするのは自分以外にとっても当たり前のようだ。

たくさんの他県ナンバーの車が前夜から訪れている感じだった。

 

「岩尾別の母さん」と呼ばれていた母ヒグマ、より標高の高い「大沢」付近でも目撃されていた。

10日に登山者にかなり接近して撮影されていた。

事件が起きたのは職員がいた場所付近であり、頻繁にこの場にヒグマの親子が現れた理由はここにアリ塚があったからだという。

 

ヒグマには人間には知る由も無いがテリトリーがあるという。

人間に近いところをテリトリーとすることになった母グマはおそらくランクが低い。

山の奥地の暮らしやすいエリアからオスの強者が領域にしてゆくのだという。

ハイエナと違って、ヒグマはオスの方が体が大きくなる。

 

知床は自然そのものだから、盛夏は食べ物がなくなる。

だからアリは貴重な食料になっていたはずだ。

 

そんな貴重な食料のある場所に何も知らない人間の登山者が通ってゆく。

気分が悪かっただろう。

お盆休みに入って、おそらく知床に入った人間が激増したはずだ。

人間増加と食糧不足、加えて子育て中。

 

母グマも大変だったはずだ。

 

自分はクマの気持ちを推し量ることができる。

申し訳ないが、殺された20代男性よりもヒグマの親子の方がどうみても正義。

 

(8月10日大沢で撮影した人の写真を転載「岩尾別の母さん」と呼ばれた親グマと子グマ)

 

 

知床は全域がヒグマ生息域となっている。

だから「Bear Country」という看板まで掲げるようになった。

北米の流儀の真似らしい「ヒグマの聖域」という意味だろう。

 

知床はヒグマを利用して「世界自然遺産」を勝ち取り、町おこしをしている。 

だから、こういう事態になったのはヒグマへの配慮不足だと指摘したい。

 

事故が起きそうな状況だったのに登山道を規制しなかった。

それはこれまで世界遺産登録から20年、人身事故が一度もなかったということの慢心ゆえ。

今回の事故は、ヒグマの生態を理解し「出くわさない」装備や心構えをしていれば防げたと思っている。

 

登山者の自分が苦手な「トレイルラン」の人が被害者になったと知った、「やはり」と思った。

自分たち登山者の背後に音もなく駆け足でやってくるこのテの人達。

鈴を鳴らしてこようが、自分の耳に音が届く前に背後に立たれる。

こういう「いきなり目の前に現れる」種類の人々という認識でいる。

 

だから、視界の悪い場所でヒグマと鉢合わせになる可能性は高まる。

 

「登山道の脇の薮には常にヒグマが隠れて人間をやり過ごすのを待っている」と認識していないとだめだ。

ヒグマたちにみられて登っているという緊張感がなさすぎる。

この日、すれ違った登山者を見ていてヒグマが近くにいるという緊張感がなさすぎる人達もかなり見受けた。

 

多くの後続者に追い越された。

それは自分が遅いからだが、遅い理由として装備品が重たいせいでもあった。

追い抜いた人たちは本当に軽装。

 

周囲を見れば、百名山の「羅臼岳」だけを日帰りで登山する人たちがほぼ100%だった。

日帰り登山ならば、装備は軽装で済む。

足取りも早い。

 

ヒグマ対策として、

・出会ったらすぐ放出できるスプレーの携行

・音を出す、または音楽再生装置の携行

・武器(いざ戦う羽目になった場合の)

 

が必要。

 

自分はこの辺りの準備は万全。

武器として特殊警棒を携行していた。

 

天気は自分が羅臼岳に登った13日は山頂だけ午前は雲が取れなかったが総じて良かった。

ましてや、事故のあった14日は快晴そのもので硫黄山方面から羅臼岳を見返して「今日登る人は天気に恵まれていいな」と何度も思ったものだ。

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以下、感想をもらす。

 

【羅臼岳】

 

登ってみれば印象が違った。

遠く、あるいは知床峠から見る山頂とは違う。

山頂だけゴツゴツした岩場になっている。

近くで見上げると山頂は四角い岩場が乗っかったような印象。

 

岩尾別からの登りは重装備の自分にはこたえた。

次々に後続に追い抜かれた。

それは健脚を気取る自分があまり普段経験しないこと。

ペースを上げると汗が噴き出て、無駄に水分を消費することになりそうだった。

 

この日の(この山行全体の)失敗は持参した水分携帯不足だった。

 

親子グマたちも好きであったろう「銀冷水」は掬う手が痛いほど冷たく、美味しい水だった。

すでにオーバーヒートしていた体に染み渡った。

なのに、500mlしか給水しないで先を目指したことを後悔することになった。

 

銀冷水を出てしばらくすると、開けた沢筋に出た。

そこが「大沢」と呼ばれている場所、沢に水はなかった。

紫のリンドウのような花が満開で綺麗だった。

コケモモもあった。

 

沢を登って行くと「平」に出た。

その羅臼平から分岐があって、まず羅臼岳を目指す。

目指す頂上は雲の中にあるようだが、時折姿を見せてくれた。

 

ゴツゴツした岩場を登るのも装備のせいでしんどかった。

山頂は大勢がいて、雲がかかっていた。

雲が取れるのを待つ人々と一緒に山頂で1時間を過ごした。

 

結局、待てど晴れなかった。

下山するだけの人達と一緒にこれ以上一緒にいるわけにもいかず先を行くことにした。

 

【三ッ峰→サシルイ岳西峰→オッカバヶ岳→南岳→硫黄山】

 

羅臼岳以降の行程。

 

百名山の羅臼岳ルートを離れればひたすら「藪漕ぎ」だった。

その藪漕ぎはエグいそのもので、侵入を拒むように背丈ほどのハイマツが立ち塞がる。

 

俄然クマちゃんたちとの遭遇率は高まる。

藪漕ぎが視界を完全に塞ぎ、恐怖にすら感じる。

三ッ峰手前ですれ違った人の情報では、先行に2名いる。

先行者2名がすぐ先の視界に入ってきた、彼らとは距離を保った、間合を詰めなかった。

 

三ッ峰付近で先の草原にヒグマ2頭を見た。

試みたがほとんど撮影できなかった。

ヒグマを目撃したのは後にも先にもこの1回だけ。

これは物足りないと思うべきではない。

 

自分のヒグマ対策が万全だったことを証明するものだった。

 

ヒグマを目撃した頃から「音楽再生スマホ」をフル活用した。

これは今年の正月に壊れたスマホで、液晶を高価だったが取り替えてもらったものである。

治ったのに具合が悪いから音楽再生専用になっている。

 

動画記録にもなっているが、知床の縦走路はヴェルディが盛大に鳴り響いた。

長編オペラをここぞとばかりに垂れ流した。

 

・オテロ

・アイーダ

・イル トロヴァトーレ

・レクィエム(ホシくん追悼)

 

がメインとなった。

 

藪漕ぎで完全に視界がなくなった状況、ヒグマだらけのこの場所で底知れぬ恐怖すら感じた。

そんな時も、せめて大音量のオペラがヒグマたちに自分の場所を知らせる「よすが」となったに違いない。

 

この日野営地となった二ッ池でも給水できたのだが、そこでは給水をしなかった。

「翌日は下山メインだから未だ2Lもあるから足りる」と誤った判断をしたせいだった。

水はいくらあっても足りない、そのくらい暑かった。

 

夏山は暑くて水分の消費が急増することを去年の夏山、飯豊山で学んだはずだったが、また同じ失敗をしてしまった。

知床だろうが、夏山行は熱中症になりそうなほど暑い。

結果、学べていなかった。

 

その人たちとは野営地を同じくした。

彼らより30分後を自分が進み、野営地も同様の時差で到着した。

 

一応挨拶したのだが、感じが悪そうな50代風の男2人。

ベテランを気取っている風だった。

翌朝、流石に出発前に一声かけるのだが、会話はしなかった。

 

野営地での食事は水で戻せるアルファ化米と魚肉ソーセージ、ナッツ、レトルト食品で済ませた。

火の道具は装備品を増やすから諦めた。

実際に不要だった。

 

ヒグマ対策として本来は食事はテントの中ではなく外で摂る。

だが、実際はテント内で食事をした。

匂いがない物ばかりだったこと、蚊取り線香を強烈にテント内で焚いたこと、からそう判断した。

夕方で天気はよく、西日が眩しい状況だった。

 

歩いてフードロッカーへ食料を置きにゆけば、周囲は気持ちよく澄み渡っていた。

目の前のオッカバヶ岳が立ち塞いで羅臼岳方面の峰は見えなかったが、午後の登山者はいい景色を得られただろう。

 

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翌朝、5時前には目覚めた。

 

昨夕同様に澄み渡った空気だった。

テントは結露が凄く、露払いに時間を喰った。

先行2名は優雅にコーヒーを作っている様子だった。

自分が先にゆくことにした。

 

出発したのが6時ちょうど。

野営地を出れば、再びハイマツの藪漕ぎが待っていた。

夜露のハイマツの露を全身で受け止め、衣服がびしょびしょになった。

出発前に衣類を替えるか迷って、替えなかったが正解だった。

 

道中、振り返って野営地を見れば、自分より30分ほど遅れて、テントが消えた。

つまり、今日は後続になった2人は30分遅れて追従することを意味する。

 

南岳を過ぎたあたりであれほど悩まされた薮がなくなった。

代わりに、ザレた鉢周りとなった、硫黄山の領域になってきた。

肩幅の登山道にくまちゃんのうんちがこれみよがしにしてあった。

4箇所くらいあったのを覚えている。

 

彼らは確実に人間に対して、テリトリーを主張しているのがわかる。

 

クマちゃん同士でもテリトリーを守って生きている。

縄張り意識が高いのは知能が高いという意味でもあると思っている。

 

登山道を切り開いた人がどんな人なのか知らないが、恨みたくなることが多かった。

巻道せずに、基本まっすぐ進む。

だから、アップダウンが多い。

普通はトラバースするだろう岩場も登って、合間を通る。

 

藪漕ぎは終わったが上下に無駄に進むルートに疲れ、喉が枯れた。

水が足りなったが、貴重な水を飲んでも喉が潤わない。

クールダウンするには冷たくて、浸透する塩分ミネラルや糖分が必要。

 

このままでは熱中症で死ぬかもしれない不安が現実化し始めた。

 

そんな中、最後の登り「硫黄山」がやってきた。

相変わらずゴツゴツした岩場。

これまで何度も登り降りして、もう限界が近いのに。

最後の気力を振り絞って登った。

 

頂上登って降りてくるだけだから「荷物をデポする」ということを普通の山ではする。

でも、クマちゃんだらけの周囲にデポは絶対してはいけない。

自戒して重装備のまま山頂に行った。

降りてきた頃に、後続2名の姿が見えた。

 

後続2名をこの後見たのは下山して車を運転中に岩尾別バス停付近を通過した時だった。

 

硫黄山山頂からは「ひたすら降り」を信じてなる早で下山を進めた。

朝から快晴で、日差しが強烈で水分を過剰に必要とする。

のんびり下山しては水が足りなくなる。

 

とはいえ、硫黄山の「沢下り」も足元が悪く、直射日光が常に差した。

暑くて、頻繁に座って呼吸を整えなくては進めなかった。

もはや脱水だった。

 

下山時に2組とすれ違った、これから硫黄山を起点に縦走する人達だ。

1組目の男性3名は装備も十分、体力もありそうだった。

シャトルバス始発便ででカムイワッカ到着した9時から2時間、11時過ぎにすれ違った。

羅臼岳での「人身事故」はもう少し後に起きている、まだ知る由もない。

 

沢が終わって、下山者にとってはしんどい登りがやってきた。

「こんな急登聞いていない!」ともうやりきれなかった。

それは沢筋から普通の山道へと外れるための登りだった。

 

そこからは少し助かったのが、樹木が広がってきたことだった。

木陰のおかげで、多少日差しから逃れることができた。

下山が進むにつれ、足元も平坦になりがちで、歩速が出た。

距離を稼げるようになった。

 

その頃、2組目と出会った。

 

若夫婦と親夫婦といった4人。

先ほどの3名よりも「大丈夫だろうか」感があった。

熱中症気味だと話したら心配され、カリカリ梅をもらった。

さすがに水分をもらうことはしなかった、彼らにとっても命の水。

 

そんな彼らから「人身事故があったらしいよ」と話を聞いた。

「へえ」程度の感想しかなかった。

これほどの問題になるとは思っていなかった。

 

下山につれ歩きやすくなり距離を稼げたおかで、当初の予定下山時刻13時を目指せるようになった。

 

下山まだかな、という頃に「カラシ色」の服の若い男に出会った。

彼は環境省の職員だった、自分を待っていた。

昨日から羅臼岳→硫黄山への縦走者は自分の前に1人、後続2人と合計4名。

先行1名とは結局出会うこともなかったのだが。

 

彼がいたのは硫黄山登山口から5分程度入ったところだった。

つまり、すぐ下山することになった。

降りてみると、環境省やオレンジのヘルメットの狩猟部隊や知床財団やらの人々が10人くらいいた。

 

自分は熱中症気味でヘロヘロだったが、とんでもない山行だったと感想を述べまくった。

誰も水を恵んでくれなかったのは「見た目まだ大丈夫そうだ」と見えたからだろう。

 

酷い。

 

人身事故の概要を知った。

 

岩尾別登山口はもちろん、硫黄山登山口も今から閉鎖するという。

「自分の後に2人来るよ」と職員たちに教えた。

待つといっていたが、後続2人は30分遅れで降りては来なかった。

 

バスに乗り込む時刻を前に、硫黄山登山口は閉鎖され、職員たちは去っていった。

閉鎖と言っても規制線だと思う。

 

13時に下山。

汗拭きシートで全身をスースーさせ、木陰でクールダウンした。

45分後、カムイワッカ湯の滝を訪問した人達を運ぶバスに同乗して岩尾別バス停まで戻った。

 

上空はヘリが旋回していた。

長い砂利道から舗道にでた頃、知床五湖への分岐あたりに登山者と思しき2名が座り込んでいた。

その様子、不自然だった。

 

ヘリでの最初の救助者3名のようだった。

そのうちの1人が人身事故で亡くなった人の友人。

後で知った。

 

岩尾別バス停で降りてから、歩いて車を回収するために岩尾別登山口へ戻る。

ひっきりなしに警察や関係職員の車が過ぎて行く。

 

車両を止めてはいけない川沿いに停めている車に警察が拡声器で退去勧告をしていた。

そこは今回死んだヒグマ親子の頻出地でもあり、ヒグマ見たさに観光客が集まる場所でもあった。

下山後、ニュースによればそこにはトレイルカメラを設置するようになったという。

 

そんな場所を普通に歩かないといけないが、縦走してきた自分としては何の不安もない。

 

それよりもバス停から岩尾別登山口まで歩くと1時間近くかかる。

これが、熱中症気味の自分には最後の苦行となった。

 

車に戻るまで、戻ってからも、報道や斜里町の人などに話しかけられた。

事情聴取のようなものだった。

 

車に戻ってから飲んだ、ポカリスエットがこれほどまでに体に沁み渡った事はなかった。

大量に水分を常備していたが、飲み尽くした。

2L以上は飲んだと思う。

 

熱中症から解放されたために、野湯「三段の湯」に入る気力もでた。

一番上の湯は熱湯に近く足を入れるのも無理だった。

 

さっぱりして下山を急いだ。

上空を下山者を拾って知床五湖へピストンするヘリコプターでうるさい。

全てのアクティヴィティが中止となっていた。

 

岩尾別は言うまでもなく、知床全体が騒然としていた。

 

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今回の遠征での山行はこれにて終わることにした。

12日を山行に充てなかったため、雄雌阿寒岳の予定はまたいつか。

 

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斜里町の「グリーン温泉」に4たび入湯した。

それから札幌方面へ去ることにしたのだが、疲れ果てた。

知床から最寄りのモンベル、でお馴染み浜小清水の道の駅で寝た。

 

スマホをひらけば、この日の羅臼岳での人身事故が全国のトップニュースになっているのを知った。

 

 

 

8月12日。

 

知床峠で目覚めた。

 

早朝4時には目が覚めて、外を見遣ればまだ目の前に羅臼岳は見えた。

この時点では、国後島が、そのピークである爺爺岳(1,772m)が見えた。

 

 

昨日、斜里岳に登った影響で脚が痛い。

脚の具合が良くない。

5時台になると、峠は雲が優勢になって何もかも隠れてしまった。

 

予定では本日滞在3日目が知床連山縦走初日だった。

昨日の斜里は大雨、登山道はぬかるんでいるかもしれない。

天気は曇ったり、晴れたりと安定しない。

不安定な天気が雨を呼ぶかもしれない。

 

【羅臼町・熊の湯】

 

峠は寒かったから風呂に入りたくなった。

今回は羅臼側には用がなかったが、お気に入りの「熊の湯」に向かった。

羅臼の方々が「しっかり管理している野湯」だ。

 

到着したのが6時過ぎだったが「清掃中につき」閉鎖中だった。

待つ間に羅臼の道の駅に寄った。

車中泊の車でほぼ満車だった。

 

また熊の湯に戻ると、程なくして閉鎖が解かれた。

掃除をしていたスキンヘッドのオヤジさんが睨みを利かせている。

一人、橋を超えて入場して行ったのを見て、ついて行く。

 

管理人のおやじさんがいる。

入っていいか尋ねると、「入る前に体を洗え」などのマナーを周知する言葉が返ってきた。

一言返事をすれば、もう一言マナーについての助言がくる。

「初めてではないから大丈夫ですよ」と丁寧に返答した。

 

3年前に来たときは夕方だった。

同様の洗礼を受けている。

ここはオヤジさんのような常駐の町民たちによって維持されている意識高い系野湯だということを知っている。

「何度か来ているからわかっています」と言って、黙らせた。

 

こういう人が管理してくれているからこそ、この素晴らしい温泉に快適に入れる。

心から感謝している。

基本的に観光客はマナーが悪い人間が少なからず必ず居て、目立つものだ。

 

掃除して新湯にしてある。

熱い湯かと思いきや、ぬるかった。

 

管理人「ぬるいだろう?水のホースを外していいよ」

 

自分はその水のホースのところに浸かっていた。

水のホースを外した。

熱ければまた水のホースを湯桶に突っ込んで湯温を調整するシステムだ。 

 

開湯から10人程度が利用していた。

本当に素晴らしい湯だった。

無料であることが信じられないほどに。

 

【本日の山行は明日に延期】

 

体がほかほかに温まって、再び知床峠に戻る。

道中、羅臼岳のシャッターチャンスがあったのに、わずかな時間で雲の中に。

雲が多く天気は目まぐるしく変わる。

 

この時点で本日の山行を断念した。

脚の不具合もある。

 

峠は涼しく快適だったから、車内で多すぎる荷を捌いた。

明日からの縦走のための荷造りをした。

せっかく持ってきたのに使うことなく宅急便で送り返す荷物もある。

 

かなり時間を要した。

 

大事なものを忘れてきたことに気づいた。

今回は1泊2日で山小屋はないため、野営する。

テント用のレインフライがない!

2層構造のテントの外層のシート。

 

これが無いと風雨にたえる仕様にならない。

野営にならない。

 

ちなみに、出発前に実装した写真がある。

緑色の外層がレインフライ。

 

この時点で、明日の縦走までにレインフライを買いに最寄りのモンベルへ行く羽目になった。

知床半島を出て、浜小清水という道の駅とJRの駅がある場所に最寄りの直営店があるという。

 

峠を出て知床自然センターで午前中を過ごした。

縦走後はカムイワッカ湯の滝からシャトルバスで岩尾別バス停まで戻ることがこの時期の縦走の定番となっている。

それに従う。

 

同センターで帰りのバスチケットを買う。

カムイワッカ湯の滝→知床自然センター(片道券):650円。

乗車時に「必ず岩尾別バス停で降りる」と運転手に伝える必要がある。

 

知床は曇っていて涼しい、今のうちにとブログの記事を書いた。

 

昼を過ぎたら、日差しが戻ってきた。

ウトロ界隈も熱くなったから小清水へ向かった。

車で1時間のところに「道の駅葉菜野花(はなやか)小清水」があった。

モンベルもそこにあった。

 

 

 

そこで「あってはならないこと」が起きた。

 

電話で在庫を確認して十分にあると言う話だった。

実際にレインフライの色は4色展開でどの色も在庫があった。

だから、同じ緑はやめにしてオレンジにした。

 

 

無事会計を済ませて、車に戻った。

 

そして、その新しく買ったレインフライをザックの設営用具入れの収納に収納しようとした。

なんと、忘れてきたと思っていた緑色の袋が出てきた!

 

 

やってしまった!

なんという愚行。

あれほど血眼でザックの中を探したのに、目が笊(ざる)でしかなかった。

 

買ったばっかりの商品とレシートを持って返品しに行った。

それはもう恥ずかしいを通り越していた。

 

とはいえ、せっかくやってきた道の駅を散策した。

レストランがあったから明日からの過酷な山行に備えてジンギスカン定食を奮発した。

基本的には食事は湯だけ作って簡素な自炊をしている。

ところが、実際には開放的な気分になったり、気軽に済ませたいからと外食になる傾向がある。

 

小清水を出て、知床へ戻る前に斜里市街へ寄る。

斜里では昨日に引き続き、グリーン温泉に寄った(2度目)。

そして、斜里の人たちを支えているスーパーマーケットで買い物をした。

氷4kgと保冷剤とガラナ。

 

今回はクーラーボックスを持参している。

買った物をそこに詰めた。

明日の山行に持ってゆく大事な水分。

 

知床に戻った。

 

前夜のうちに登山口である岩尾別に入るのはやめた。

それは自然センターの職員から「おやめください」と言われたから。

 

道の駅ウトロ・シリエトクにてこの日は寝た。

暑くてやってられなかった。

角地に停めたが夜のうちに駐車場は埋まった。

 

暗くなっても何時間に及ぶパッキング作業が続いた。

明日は縦走用のザックで挑む。

決して大きな容量のザックではない。

入らないから優先順位を決めて取捨する。

 
パッキングで諦めたものはたくさんある。

・湯作り器具・コーヒーセット一式

・食料(最低限に留める)

・衣類

 

食料は厳選した。

アルファ化米とレトルトと行動食だけ。

行動食はナッツ、魚肉ソーセージなどが中心。

あまり匂いが出ないものにするのは当然。

 

遅くなったが22時過ぎには寝た。

明日は4時に起きたい。