8月13から14日にかけて知床連山を縦走した。
記録は長いから以下を参照されたい。
報道で広く知られることになったが、この山行はヒグマ人身事故の渦中にあった。
いろいろ思うことだらけの山行となった。
8月13日、5時から登山開始。
岩尾別登山口から1時間程度の標高600m付近に職員3人がいた。
環境省と斜里町と後はどの人か知らない。
「ヒグマが出没しているので注意してください」という趣旨だった。
この日、登山口は「大入り」だった。
登山口駐車場には到底車を置けず、沿道に縦列で駐車する一台となった。
最近は登山口に前乗りするのは自分以外にとっても当たり前のようだ。
たくさんの他県ナンバーの車が前夜から訪れている感じだった。
「岩尾別の母さん」と呼ばれていた母ヒグマ、より標高の高い「大沢」付近でも目撃されていた。
10日に登山者にかなり接近して撮影されていた。
事件が起きたのは職員がいた場所付近であり、頻繁にこの場にヒグマの親子が現れた理由はここにアリ塚があったからだという。
ヒグマには人間には知る由も無いがテリトリーがあるという。
人間に近いところをテリトリーとすることになった母グマはおそらくランクが低い。
山の奥地の暮らしやすいエリアからオスの強者が領域にしてゆくのだという。
ハイエナと違って、ヒグマはオスの方が体が大きくなる。
知床は自然そのものだから、盛夏は食べ物がなくなる。
だからアリは貴重な食料になっていたはずだ。
そんな貴重な食料のある場所に何も知らない人間の登山者が通ってゆく。
気分が悪かっただろう。
お盆休みに入って、おそらく知床に入った人間が激増したはずだ。
人間増加と食糧不足、加えて子育て中。
母グマも大変だったはずだ。
自分はクマの気持ちを推し量ることができる。
申し訳ないが、殺された20代男性よりもヒグマの親子の方がどうみても正義。

(8月10日大沢で撮影した人の写真を転載「岩尾別の母さん」と呼ばれた親グマと子グマ)
知床は全域がヒグマ生息域となっている。
だから「Bear Country」という看板まで掲げるようになった。
北米の流儀の真似らしい「ヒグマの聖域」という意味だろう。
知床はヒグマを利用して「世界自然遺産」を勝ち取り、町おこしをしている。
だから、こういう事態になったのはヒグマへの配慮不足だと指摘したい。
事故が起きそうな状況だったのに登山道を規制しなかった。
それはこれまで世界遺産登録から20年、人身事故が一度もなかったということの慢心ゆえ。
今回の事故は、ヒグマの生態を理解し「出くわさない」装備や心構えをしていれば防げたと思っている。
登山者の自分が苦手な「トレイルラン」の人が被害者になったと知った、「やはり」と思った。
自分たち登山者の背後に音もなく駆け足でやってくるこのテの人達。
鈴を鳴らしてこようが、自分の耳に音が届く前に背後に立たれる。
こういう「いきなり目の前に現れる」種類の人々という認識でいる。
だから、視界の悪い場所でヒグマと鉢合わせになる可能性は高まる。
「登山道の脇の薮には常にヒグマが隠れて人間をやり過ごすのを待っている」と認識していないとだめだ。
ヒグマたちにみられて登っているという緊張感がなさすぎる。
この日、すれ違った登山者を見ていてヒグマが近くにいるという緊張感がなさすぎる人達もかなり見受けた。
多くの後続者に追い越された。
それは自分が遅いからだが、遅い理由として装備品が重たいせいでもあった。
追い抜いた人たちは本当に軽装。
周囲を見れば、百名山の「羅臼岳」だけを日帰りで登山する人たちがほぼ100%だった。
日帰り登山ならば、装備は軽装で済む。
足取りも早い。
ヒグマ対策として、
・出会ったらすぐ放出できるスプレーの携行
・音を出す、または音楽再生装置の携行
・武器(いざ戦う羽目になった場合の)
が必要。
自分はこの辺りの準備は万全。
武器として特殊警棒を携行していた。
天気は自分が羅臼岳に登った13日は山頂だけ午前は雲が取れなかったが総じて良かった。
ましてや、事故のあった14日は快晴そのもので硫黄山方面から羅臼岳を見返して「今日登る人は天気に恵まれていいな」と何度も思ったものだ。
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以下、感想をもらす。
【羅臼岳】
登ってみれば印象が違った。
遠く、あるいは知床峠から見る山頂とは違う。
山頂だけゴツゴツした岩場になっている。
近くで見上げると山頂は四角い岩場が乗っかったような印象。
岩尾別からの登りは重装備の自分にはこたえた。
次々に後続に追い抜かれた。
それは健脚を気取る自分があまり普段経験しないこと。
ペースを上げると汗が噴き出て、無駄に水分を消費することになりそうだった。
この日の(この山行全体の)失敗は持参した水分携帯不足だった。
親子グマたちも好きであったろう「銀冷水」は掬う手が痛いほど冷たく、美味しい水だった。
すでにオーバーヒートしていた体に染み渡った。
なのに、500mlしか給水しないで先を目指したことを後悔することになった。
銀冷水を出てしばらくすると、開けた沢筋に出た。
そこが「大沢」と呼ばれている場所、沢に水はなかった。
紫のリンドウのような花が満開で綺麗だった。
コケモモもあった。
沢を登って行くと「平」に出た。
その羅臼平から分岐があって、まず羅臼岳を目指す。
目指す頂上は雲の中にあるようだが、時折姿を見せてくれた。
ゴツゴツした岩場を登るのも装備のせいでしんどかった。
山頂は大勢がいて、雲がかかっていた。
雲が取れるのを待つ人々と一緒に山頂で1時間を過ごした。
結局、待てど晴れなかった。
下山するだけの人達と一緒にこれ以上一緒にいるわけにもいかず先を行くことにした。
【三ッ峰→サシルイ岳西峰→オッカバヶ岳→南岳→硫黄山】
羅臼岳以降の行程。
百名山の羅臼岳ルートを離れればひたすら「藪漕ぎ」だった。
その藪漕ぎはエグいそのもので、侵入を拒むように背丈ほどのハイマツが立ち塞がる。
俄然クマちゃんたちとの遭遇率は高まる。
藪漕ぎが視界を完全に塞ぎ、恐怖にすら感じる。
三ッ峰手前ですれ違った人の情報では、先行に2名いる。
先行者2名がすぐ先の視界に入ってきた、彼らとは距離を保った、間合を詰めなかった。
三ッ峰付近で先の草原にヒグマ2頭を見た。
試みたがほとんど撮影できなかった。
ヒグマを目撃したのは後にも先にもこの1回だけ。
これは物足りないと思うべきではない。
自分のヒグマ対策が万全だったことを証明するものだった。
ヒグマを目撃した頃から「音楽再生スマホ」をフル活用した。
これは今年の正月に壊れたスマホで、液晶を高価だったが取り替えてもらったものである。
治ったのに具合が悪いから音楽再生専用になっている。
動画記録にもなっているが、知床の縦走路はヴェルディが盛大に鳴り響いた。
長編オペラをここぞとばかりに垂れ流した。
・オテロ
・アイーダ
・イル トロヴァトーレ
・レクィエム(ホシくん追悼)
がメインとなった。
藪漕ぎで完全に視界がなくなった状況、ヒグマだらけのこの場所で底知れぬ恐怖すら感じた。
そんな時も、せめて大音量のオペラがヒグマたちに自分の場所を知らせる「よすが」となったに違いない。
この日野営地となった二ッ池でも給水できたのだが、そこでは給水をしなかった。
「翌日は下山メインだから未だ2Lもあるから足りる」と誤った判断をしたせいだった。
水はいくらあっても足りない、そのくらい暑かった。
夏山は暑くて水分の消費が急増することを去年の夏山、飯豊山で学んだはずだったが、また同じ失敗をしてしまった。
知床だろうが、夏山行は熱中症になりそうなほど暑い。
結果、学べていなかった。
その人たちとは野営地を同じくした。
彼らより30分後を自分が進み、野営地も同様の時差で到着した。
一応挨拶したのだが、感じが悪そうな50代風の男2人。
ベテランを気取っている風だった。
翌朝、流石に出発前に一声かけるのだが、会話はしなかった。
野営地での食事は水で戻せるアルファ化米と魚肉ソーセージ、ナッツ、レトルト食品で済ませた。
火の道具は装備品を増やすから諦めた。
実際に不要だった。
ヒグマ対策として本来は食事はテントの中ではなく外で摂る。
だが、実際はテント内で食事をした。
匂いがない物ばかりだったこと、蚊取り線香を強烈にテント内で焚いたこと、からそう判断した。
夕方で天気はよく、西日が眩しい状況だった。
歩いてフードロッカーへ食料を置きにゆけば、周囲は気持ちよく澄み渡っていた。
目の前のオッカバヶ岳が立ち塞いで羅臼岳方面の峰は見えなかったが、午後の登山者はいい景色を得られただろう。
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翌朝、5時前には目覚めた。
昨夕同様に澄み渡った空気だった。
テントは結露が凄く、露払いに時間を喰った。
先行2名は優雅にコーヒーを作っている様子だった。
自分が先にゆくことにした。
出発したのが6時ちょうど。
野営地を出れば、再びハイマツの藪漕ぎが待っていた。
夜露のハイマツの露を全身で受け止め、衣服がびしょびしょになった。
出発前に衣類を替えるか迷って、替えなかったが正解だった。
道中、振り返って野営地を見れば、自分より30分ほど遅れて、テントが消えた。
つまり、今日は後続になった2人は30分遅れて追従することを意味する。
南岳を過ぎたあたりであれほど悩まされた薮がなくなった。
代わりに、ザレた鉢周りとなった、硫黄山の領域になってきた。
肩幅の登山道にくまちゃんのうんちがこれみよがしにしてあった。
4箇所くらいあったのを覚えている。
彼らは確実に人間に対して、テリトリーを主張しているのがわかる。
クマちゃん同士でもテリトリーを守って生きている。
縄張り意識が高いのは知能が高いという意味でもあると思っている。
登山道を切り開いた人がどんな人なのか知らないが、恨みたくなることが多かった。
巻道せずに、基本まっすぐ進む。
だから、アップダウンが多い。
普通はトラバースするだろう岩場も登って、合間を通る。
藪漕ぎは終わったが上下に無駄に進むルートに疲れ、喉が枯れた。
水が足りなったが、貴重な水を飲んでも喉が潤わない。
クールダウンするには冷たくて、浸透する塩分ミネラルや糖分が必要。
このままでは熱中症で死ぬかもしれない不安が現実化し始めた。
そんな中、最後の登り「硫黄山」がやってきた。
相変わらずゴツゴツした岩場。
これまで何度も登り降りして、もう限界が近いのに。
最後の気力を振り絞って登った。
頂上登って降りてくるだけだから「荷物をデポする」ということを普通の山ではする。
でも、クマちゃんだらけの周囲にデポは絶対してはいけない。
自戒して重装備のまま山頂に行った。
降りてきた頃に、後続2名の姿が見えた。
後続2名をこの後見たのは下山して車を運転中に岩尾別バス停付近を通過した時だった。
硫黄山山頂からは「ひたすら降り」を信じてなる早で下山を進めた。
朝から快晴で、日差しが強烈で水分を過剰に必要とする。
のんびり下山しては水が足りなくなる。
とはいえ、硫黄山の「沢下り」も足元が悪く、直射日光が常に差した。
暑くて、頻繁に座って呼吸を整えなくては進めなかった。
もはや脱水だった。
下山時に2組とすれ違った、これから硫黄山を起点に縦走する人達だ。
1組目の男性3名は装備も十分、体力もありそうだった。
シャトルバス始発便ででカムイワッカ到着した9時から2時間、11時過ぎにすれ違った。
羅臼岳での「人身事故」はもう少し後に起きている、まだ知る由もない。
沢が終わって、下山者にとってはしんどい登りがやってきた。
「こんな急登聞いていない!」ともうやりきれなかった。
それは沢筋から普通の山道へと外れるための登りだった。
そこからは少し助かったのが、樹木が広がってきたことだった。
木陰のおかげで、多少日差しから逃れることができた。
下山が進むにつれ、足元も平坦になりがちで、歩速が出た。
距離を稼げるようになった。
その頃、2組目と出会った。
若夫婦と親夫婦といった4人。
先ほどの3名よりも「大丈夫だろうか」感があった。
熱中症気味だと話したら心配され、カリカリ梅をもらった。
さすがに水分をもらうことはしなかった、彼らにとっても命の水。
そんな彼らから「人身事故があったらしいよ」と話を聞いた。
「へえ」程度の感想しかなかった。
これほどの問題になるとは思っていなかった。
下山につれ歩きやすくなり距離を稼げたおかで、当初の予定下山時刻13時を目指せるようになった。
下山まだかな、という頃に「カラシ色」の服の若い男に出会った。
彼は環境省の職員だった、自分を待っていた。
昨日から羅臼岳→硫黄山への縦走者は自分の前に1人、後続2人と合計4名。
先行1名とは結局出会うこともなかったのだが。
彼がいたのは硫黄山登山口から5分程度入ったところだった。
つまり、すぐ下山することになった。
降りてみると、環境省やオレンジのヘルメットの狩猟部隊や知床財団やらの人々が10人くらいいた。
自分は熱中症気味でヘロヘロだったが、とんでもない山行だったと感想を述べまくった。
誰も水を恵んでくれなかったのは「見た目まだ大丈夫そうだ」と見えたからだろう。
酷い。
人身事故の概要を知った。
岩尾別登山口はもちろん、硫黄山登山口も今から閉鎖するという。
「自分の後に2人来るよ」と職員たちに教えた。
待つといっていたが、後続2人は30分遅れで降りては来なかった。
バスに乗り込む時刻を前に、硫黄山登山口は閉鎖され、職員たちは去っていった。
閉鎖と言っても規制線だと思う。
13時に下山。
汗拭きシートで全身をスースーさせ、木陰でクールダウンした。
45分後、カムイワッカ湯の滝を訪問した人達を運ぶバスに同乗して岩尾別バス停まで戻った。
上空はヘリが旋回していた。
長い砂利道から舗道にでた頃、知床五湖への分岐あたりに登山者と思しき2名が座り込んでいた。
その様子、不自然だった。
ヘリでの最初の救助者3名のようだった。
そのうちの1人が人身事故で亡くなった人の友人。
後で知った。
岩尾別バス停で降りてから、歩いて車を回収するために岩尾別登山口へ戻る。
ひっきりなしに警察や関係職員の車が過ぎて行く。
車両を止めてはいけない川沿いに停めている車に警察が拡声器で退去勧告をしていた。
そこは今回死んだヒグマ親子の頻出地でもあり、ヒグマ見たさに観光客が集まる場所でもあった。
下山後、ニュースによればそこにはトレイルカメラを設置するようになったという。
そんな場所を普通に歩かないといけないが、縦走してきた自分としては何の不安もない。
それよりもバス停から岩尾別登山口まで歩くと1時間近くかかる。
これが、熱中症気味の自分には最後の苦行となった。
車に戻るまで、戻ってからも、報道や斜里町の人などに話しかけられた。
事情聴取のようなものだった。
車に戻ってから飲んだ、ポカリスエットがこれほどまでに体に沁み渡った事はなかった。
大量に水分を常備していたが、飲み尽くした。
2L以上は飲んだと思う。
熱中症から解放されたために、野湯「三段の湯」に入る気力もでた。
一番上の湯は熱湯に近く足を入れるのも無理だった。
さっぱりして下山を急いだ。
上空を下山者を拾って知床五湖へピストンするヘリコプターでうるさい。
全てのアクティヴィティが中止となっていた。
岩尾別は言うまでもなく、知床全体が騒然としていた。
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今回の遠征での山行はこれにて終わることにした。
12日を山行に充てなかったため、雄雌阿寒岳の予定はまたいつか。
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斜里町の「グリーン温泉」に4たび入湯した。
それから札幌方面へ去ることにしたのだが、疲れ果てた。
知床から最寄りのモンベル、でお馴染み浜小清水の道の駅で寝た。
スマホをひらけば、この日の羅臼岳での人身事故が全国のトップニュースになっているのを知った。


