NO BOOKS NO LIFE -読書の時間―  -38ページ目

21.あだち充:クロスゲーム 15

「タッチ」{H2」に次ぐ国民的野球漫画第三弾?いよいよ佳境に!



-たしかにコントロールは悪くなったけど―

 スピードは150kmの後半だ。

(「クロスゲーム」15)


あだち充って大家の割には、結構当たり外れのある漫画家です。


ボクシング漫画の「KATSU」とか、SF時代劇「虹色とうがらし」とか、あまりヒットしなかったようです。


でも、水泳漫画「ラフ」は結構好きでした。映画は原作のイメージからかけ離れたミスキャストがたたって、全然お客さんがはいりませんでした。


「みゆき」とかのラブコメ路線も結構ヒットしましたが、やはり「タッチ」「H2」という野球漫画がダントツの人気なんですね。


「タッチ」の前にも、「ナイン」という野球漫画がありました。これも結構よかったです。


今よりも、ストーリー展開のペースが速いので、てっとり早く楽しむのにはいいです。


実は「ナイン」以前にも、あだち充は、「泣き虫甲子園」とかいくつか野球漫画を発表しています。


今とはかなり絵が違います。アシスタントをしていた石井いさみなどに近い絵でしたが、あまり人気を得ることができませんでした。あだち充が、その作風を確立するのは、やはり「ナイン」からなのです。


野球漫画と言っても、あだち充の場合には、舞台は高校野球までに限られます。


それに、学園ラブコメの要素が加わります。


基本は、プラトニックな三角関係です。


この変奏曲こそが、あだち充のもっとも得意とするテーマであり、国民的漫画家たらしめた秘密なのです。


「タッチ」の場合には、上杉和也と上杉達也と浅倉南。


「H2」では、国見比呂と橘英雄と雨宮ひかり。ラストが悲劇的にならないように、古賀春華というもう一人の女性がそれに加わりますが、基本はこの三角関係です。


しかも、男二人も強い肉親の、あるいは友情の絆で結ばれ、他の誰よりも理解しあっているから始末に悪い。


「タッチ」の場合には、途中で上杉和也がいなくなってしまいます。しかし、影のように和也の存在が上杉達也につきまといます。


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例によって、前ふりが長くなりました。「クロスゲーム」の話でしたね。


「クロスゲーム」も、野球漫画なんですが、小学生のころからお話はスタートします。


主人公の樹多村光(きたむらこう)のご近所だったのが、月島四姉妹。


光とは幼なじみのころから、仲のよかった次女、月島若葉が小学校5年のときに、水難事故でなくなってしまいます。


若葉の最後に見た夢、甲子園のマウンドに立つ光の姿・・・それをかなえるために光はトレーニングを始めます。


光とは、ことあるごとに犬猿の仲であった三女月島青葉ですが、彼女は剛速球を投げる投手でもありました。


光は、青葉のフォームを参考にしながら、やがて投手として頭角を現すようになります・・・


正直に言うと、「クロスゲーム」って、コンビニで立ち読みするだけで、途中まではあまり熱心に見ていなかったんです。


コミックを買って読み直すようになったのは、11巻からです。


では、11巻で一体何が起こったのか?


高校生になった光の前に現れたのが、近所に引っ越してきたそば屋の娘、月島若葉とそっくりの滝川あかねでした。


祭りの夜を一緒に歩きながら、光は若葉と一緒に歩いているような錯覚を覚えてしまいます。


光と一緒に歩いているあかねを見かけた青葉までが「幽霊も年をとるのかなあ」と思わず口にするほど、あかねは若葉に似ていたのです。


月島青葉という男まさりの性格の女の子というのは、「シティハンター」の槇村香同様、女性には人気があっても、男性には人気が得にくいキャラクターです。そこで、青葉とは対照的な女らしい正統派美少女、朝倉南の再来とも言えるあかねの登場で「クロスゲーム」株は急上昇しました。


おそらくは私だけでなく、多くの読者の中でも。


その滝川あかねと急接近をする光、やがてあかねも自分とはそっくりの月島若葉の存在を知ることになるのですが、一人っ子であるため、青葉とも姉妹のように仲良くなってしまいます。


まるで若葉のバトンをうけついだかのように、コウとデートを重ねながらも、ことあるごとに反発しあう光と青葉の姿を姉のように、やさしいまなざしで見守るあかね。その曖昧でつかみどころのない態度に、読者はやきもきさせられてしまうのです。


さて、いよいよ高校三年の夏、甲子園の最後のチャンスがやってきました。


光のいる星秀学園が北東京大会予選を勝ち進む中で、あかねは入院してしまいます。


光や青葉の心の中には、小学校のころの悪夢が不安となって蘇ります。そして、読者の中では「タッチ」のあの悲痛なシーンが・・・


その不安や動揺を心に秘めながらも、樹多村光はマウンドに立ち続けます。


月島青葉の理想の男の子・・・それは160kmの剛速球を投げる男の子でしたが、それにどんどん近づいてくる光、認めたくない相手を認めざるをえない青葉の中にも、もう一つの波紋が広がります。自分の方がお手本だったはずなのに、いつしか自分よりも速い球を投げるようになった光の存在。自分がマウンドに立てない以上、姉若葉の夢を託することができるのは光しかいないのだから。


そんな心を知るうちに、同時に、読者の心の中では、どんどんとキュートになってゆく青葉。


―思うんだけどサ。

―はあ?

―あのまんま大きくなっていたら、あかねちゃんより今の青葉ちゃんのほうが似てるんじゃないかなァ、

月島若葉に。

(「クロスゲーム」15)

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お勧め度:☆☆☆★ 70点
著者:あだち充 書名:クロスゲーム15 出版社:小学館  2009年7月刊

大家ゆえの余裕か、大きな展開もないままに、あかねの病名も知らせず読者を悶々とさせながら、甲子園へ一歩一歩と近づいてゆく、あだち引き延ばしマジックの全開です。人一人いない学校や、街中の風景を入れるだけで、読者がはらはらどきどきしてしまうってのも、この作者ならではですね。おそらく、まもなく出る16巻でも、この展開は続きそうですが、それはガタンゴトンと上がってゆくジェットコースターの急降下前の楽しみと言えるでしょう。

PS 熱心なファンの方の反発を買うのを承知で言えば、15巻読むのは、時間的に費用的にも大変。という人は、1巻+11巻~15巻というショートカット路線がお勧め。理由は上の文章を読めば大体わかりますよね。

20.石田衣良:再生

恋愛の、家庭の、仕事の、そして人生の危機に瀕した人たちの再生の物語



「再生」石田衣良の短編集です。


傑作短編集と言える「約束」同様、同じテーマを、違ったシチュエーションに置かれた異なる経歴や世代の人物によって多面的にとらえようとする試みと言えるでしょう。


さまざまなケーススタディを経ることで、読者が自分の抱えているのに近い状況とそのソリューションを見つけ、あるカタルシスを感じさせようとする試みとも言えます。


第一話再生」では、妻を自殺でなくし、息子と二人暮らしの男が「なぜ」という疑問の無限地獄からいかにして立ち直るかを語る。ラストは日本でもヒットした9ある韓流映画のような展開に。


第二話「ガラスの目」では、障害を持った子どもとの同居に耐えられなくなり、別居に至ったテレビディレクターが自責の念にかられ、自殺を思い立つ。彼をくいとめたものは・・・


第三話「流れる」は三年間同棲を続けた同じ職場の男から、突然に別れ話を持ち出された女性の物語。相手もよりによって同じ職場の女性。だが、仕事がピークの今、同居を続けざるをえず、一層精神的に追い詰められてしまう。いかにして、この危機を乗り越えるのか。


第四話「東京地理試験」は、清掃車の運転手が定年退職後、再びタクシーの運転手になるために試験を受けるが落ち続ける。見ていられないと反対する妻。不慣れな地域の地理をものにするために、彼がとった行動とは?


第五話「ミツバチの羽音」では、顧客データの入力を仕事とする契約社員の女性が、あるきっかけで同僚の女性の家庭状況を知る。彼女は、足の不自由な息子を育てていたのであった。やがて、二人の間には心の絆が生まれる・・・


第六話「ツルバラの門」では、ADHDの息子を幼稚園に通わせる母親の物語。転入時に息子の障害をわざわざ他の母親に知らせるプリントを配る彼女に、抵抗する母親があった。だが、息子は早々に他の子どもとトラブルを起こしてしまう・・・


こんなペースで、さらに後6本の短編が続きます。


感心するのは、異なるシチュエーションを具体的なディテールをもって描き出す作者の力量ですが、「あとがき」で作者が告白しているように、「半数以上は直接当人から話をきき、小説に仕立て直した」作品であるようです。


その結果、わたしたち読者が知らないような職場の細かな事情や、病気・障害の推移をリアルに知ることになるのですが、それはこの作品集の長所であると同時に、弱点でもあるという印象を受けました。


作者自らの経験や想像力から生み出された場合のようには、登場人物に活力が満ちていないことが多いのです。そして、登場人物が年配の人間が多いせいか、妙に老成したような印象を受けました。作者の最大の長所である、人物の若々しさ、ストーリー展開の生きのよさも認めにくいのです。最後にはとりあえずのハッピーエンドが訪れるものの、また同じような苦労が日常的に繰り返されることが予想できてしまう。救いよりも、リアルの重さを感じてしまった作品も少なくなかったです。


作者:石田衣良 書名:再生 出版社:角川書店 2009年4月刊


お勧め度:☆☆☆ 60点


ある意味、職人的な仕事による作品集です。最初に登場人物の日常が描かれ、「****は・・・・していた。」という定型文。その後に危機的状況の描写がスタートし、最後の1、2pで救いが訪れるというパターンの連続に慣らされると、途中で先が見え、その通りの展開になってしまうのです。さすがに作者もそれに気づき、途中でひねりをいれようとするのですが・・・要するに、これは「ちょっといい話」の陥るパターンそのものであると言えるでしょう。

十三夜の月

岸田麻未さんのブログ、あさみDays で「十三夜」の月が紹介されていました、「十三夜」は満月の一ヶ月後の月を見る習慣だそうです。


その「十三夜」にあたるのが、10月30日の月でした。


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↑クリックするともう少し大きい画像が見られます。


調べてみると、この日の月の月齢は11.9となっていました。伝統と実際の月齢は一日程度ずれがあるようです。


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こちらが10月31日、十四夜の月。月齢は12.9です。


参照記事:お月見日和

      :深まってきました☆

19.堀江貴文:夢をかなえる「打ち出の小槌」

成功するためにお金よりも大切なものとは何か?


拝金主義疑惑を一掃するホリエモンの新・成功法則




堀江貴文さんは、誤解を招きやすい人です。つい挑発的な言辞を発し、その言葉がメディアによってあおられ、一人歩きしてしまう。「金色夜叉」みたいなわかりやすい図式に入れられて、けしからん奴の筆頭に入れられてしまう・・・


しかし、それは多分に照れ隠しの部分もあり、本心からそう思っているわけではもちろんありません。


その本音の部分をわかりやすく語ったのが、『夢をかなえる「打ち出の小槌」』です。


『夢をかなえる「打ち出の小槌」』の中の堀江さんの主張は一貫したロジックで貫かれています。


それは、いかにして自分の社会的価値を高めるかとということ。


現金よりも大事なものがある。


それは、そのひとの社会的な信用。


具体的には、仕事を任せてどこまで応えることができるかの期待感となってそれは現れます。


これこそが「打ち出の小槌」の正体なのです。


現金5千万円は、五千万円に過ぎない。しかし、本人が信用を築き、自分の価値を高めることができるなら、それは無尽蔵のポテンシャルを持つことができると堀江さんは言います。


冒頭で、占いやスピリチュアルな世界の例をあげながら、信用というものがいかにあいまいなものであるかを堀江さんはまず指摘します。


「端的に言ってしまえば、人間性やキャラクター、人脈、知識、経験など、その人に根ざした目に見えない価値が、他人との関係性を通して、信用となってゆく、ようするに、相手がいて成り立つものであり、その人が信じてくれれば、そこに信用がうまれるのだ。」(PP22-23)


その信用の核となるのは、自信です。自信さえあれば、ごまかしやハッタリもききます。


「自信をもって、できる限りの背伸びをして相手に接していれば、信用は自ずからついてくる。

 信用さえあれば、そこには経済的価値がうまれるのだ。」(P24)


多くの人が、100年に一度の不況と騒ぎ、守りにはいっている方が自分よりよほど拝金主義ではないかと堀江さんは言います。そんなことをしてお金ばかり追いかけても、社会は停滞するだけだし、その人も豊かになれるわけがないのだと。


なぜなら、「お金」とは単に信用を数値化した道具にすぎないからです。信用をアップさせれば、お金は必ずついてくる。


「お金を貯めるよりも、信用を積み重ねることが大事なのだ。」(P35)


個人の価値を考える時、それを企業におきかえてみると、よくわかると堀江さんは言います。資産1億円しかない企業が、2億、3億で買収されるのはなぜか?バランスシートの「資産」の中に含まれる、無形固定資産こそがその差額の正体なのです。


「これを個人にあてはめてみると、その人が持っているキャラクターやイメージ、人脈、ノウハウというのが、まさに企業でいうところの、無形固定資産に相当する。

 これを私は「心の中の打ち出の小槌」と私は呼んでいる。」(p40)


しかし、個人の無形固定資産は、現金同様、ただ持っているだけでは、価値を生み出すことはありません。


価値を顕在化するためには、人との関係を持つ必要があるのです。


人との関係を持ちながら、この価値を顕在化させる場合に、面白いのは、この価値が相手によって大きく変動することがあるということです。自分が1億円分と思うノウハウも、相手によっては十億円分の価値も持つことがある。


「心の中の打ち出の小槌」は、決して人に渡せるものでもないし、奪われることもありません。


だから、お金という結果にとらわれるよりも、まずこの無形固定資産を高める努力こそが必要なのです。


これが、この本の基本となる主張です。


以上は、第一章のおおまかなまとめにすぎません。第二章以降では、さらに自分の価値を高めるための挑戦することの重要性、ハッタリというコミュニケーション能力・営業力をつけることの重要性が説かれます。なぜなら、人との関係性をもち、深めることなしには、個人の固定無形資産は高まることがないからです。第三章では、さらに常識にとらわれる限り、ショートカットを見つけることはできないという脱=常識の勧め。第四章では、その常識の一つとして「借金はいけないこと」と教える教育そのものに疑問を呈し、スピードアップするのに必要不可欠な借金の勧めが説かれています。



夢をかなえる「打ち出の小槌」/堀江 貴文
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著者:堀江貴文 書名:夢をかなえる「打ち出の小槌」 出版社:青志社 2009年11月刊

(実際には10月末から書店の店頭には並んでいます)

お勧め度:☆☆☆☆ 80点

おそらくは、マルクス『資本論』に示唆されたと思われる個人の余剰価値をはっきりと指摘し、その積極活用を説いたという点で比類のない書物です。ただ、いくつか気になる点を指摘しておきます。

あと書きの中で、堀江さんは、これは「羊飼い」により「羊」のために書かれた本と自ら位置づけています。時としてその二つ立場がないまぜになるために、ある意味自己矛盾したように見える記述も見当たります。

この本は、具体的な業界に言及したものではないため、私は「ビジネス」ではなく「自己啓発書」に分類するしかなかったのですが、自己啓発書なんかオレには読む時間はないんだという風に言い切って半ば墓穴を掘ったり、あるいはお金なんかどんどん使わなきゃ駄目と言った後で、「生活費の節約を心がけ、さらに都心で生活してゆけば、20代、30代の若者が生活に困ることはない。」(p100)と唐突に節約の概念が出てきたりします。こういった部分は、レトリックを工夫すれば、違和感なくスルーできるものの、その工夫もなく、むき出しで読者にぶつけると、「何だ、ホリエモンって、前と言ってることがちがう、いいかげんじゃん」との印象を与え、読者を迷わせることになります。

もう一点、最初の起業資金300万円なりを自己資金でまかなうことに対して、疑問を堀江さんは呈しているわけですが、それは借金を返すだけのポテンシャルが自分の中にあると認めた場合にのみ正しいと言えます。ワタミ渡邊美樹さんは、トラックのドライバーをしながら、最初の資金300万円をつくり、そこからワタミの歴史が始まりました。おそらくは、これも渡邊さんにとっての、「心の中の打ち出の小槌」を作るのに必要なプロセスであったと言えます。どちらがより現実的であるかと言えば、渡邊さんの方でしょう。なぜなら、「心の中の打ち出の小槌」のポテンシャルや活用度は、ひとそれぞれだから、堀江さんのように、起業資金の300万円を返し、それでビジネスを軌道に乗せるという絶対的な保証などどこにもないからです。

堀江貴文さんのブログ:六本木で働いていた元社長のアメブロ


渡邊美樹さんのブログ:渡邊美樹の裏のない話

18.マイケル・ジョーダン:挑戦せずにあきらめることはできない

魂に響く不世出のスーパースターの言葉


バスケットボール史上最大のスターと言えば、ほとんどの人がマイケル・ジョーダンの名前をあげることでしょう。


数々の記録を打ち立てたマイケル・ジョーダンですが、マイケル・ジョーダンをマイケル・ジョーダンたらしめたのは、一瞬人間が人間であることを忘れ鳥になったかのようなその華麗なるプレーであり、とりわけダンクシュートでした。その勇姿は、人々の心に夢と勇気と与え続けました。井上雄彦の名作コミック「スラムダンク」もマイケル・ジョーダンの存在なくしては、生まれなかったかもしれません。


「挑戦せずにあきらめることはできない」(原題: I can't accept not trying)は、わずか50p足らずの薄い冊子に過ぎません。


それでも、単にバスケットボールに、スポーツに限らず、人生に対する絶好の指南書になっています。


スランプに陥ったり、どちらに進んでよいのか迷ったりする時、ふとこの本のページを開くと、すっとその暗い世界から抜けことができるのです。


彼の精神の本質は、徹底したセルフ・コンフィデンス、つまり自己への信頼にあります。


過去においても、未来に対しても、失敗への不安を心にみじんも持たずに、ただひたすら理想のイメージを描いて行動すること。それが彼のポリシーです。


「大事なシュートを失敗しても、ぼくはその原因を考えたことは一度もない。なぜなら、失敗した原因をあれこれ考えると、かならずいつも否定的な結果を考えるようになってしまうからだ。」
(p18)


「どんな状況に飛び込むときでも、ぼくは必ず成功すると考えて立ち向かう。もし、失敗したらどうなるかといった否定的なことはまったく考えていない。」
(同上)


同じような言葉は、いろいろなポジティブシンキングの自己啓発書にも書かれているかもしれません。


しかし、それらの書物のいくつかは、無理に自分自身を納得させようとするきらいがあるのに対し、マイケル・ジョーダンの場合には、そうした無理が一切感じられません。心の底からそれを信じ、それを身体で100パーセント具体化してきた足跡が、彼の言葉に比類ない説得力を与えているのです。


失敗を成功へのプロセスと考える点でも、歴史上の多くの成功者の言葉と共通しています。


「ぼくにとって失敗とは、次の機会に、さらなる努力をする原動力となってくれるものだ。」

(p20)


「人類の偉大な発明品は、ひとつの答えを見つける前に、数多くの失敗を繰り返すということだ。」

(同上)


いったん、行動してそれが失敗しても、それを受け入れることができれば、必ず次に進むことができます。


ここから、タイトルの言葉がやってきます。


「ぼくは失敗を受け入れることができる。だれにでも、ときには失敗することがあるからだ。しかし、ぼくは挑戦することをあきらめることは、絶対にできない。」

(p21)


精一杯の努力を重ね、挑戦し続ける時、人の心からは結果に対する不安や失敗への恐怖心も消えてしまうのだと、マイケル・ジョーダンは言います。


「情熱のすべてを注ぎ、110パーセントの努力をしている限り、結果はどうでもいい。

 恐怖心は幻想だ。」

(P22)


マイケル・ジョーダンは、努力は必ず結果に結びつくと信じています。それにも関わらず、努力しているのに失敗する人が多いのはなぜでしょうか。彼はその努力が中途半端なものであるからだと、指摘します。


「ぼくはつねに努力をつづければ、かならず結果が生まれると信じている。ぼくは中途半端な気持ちで何かをすることはない。なぜなら、もし中途半端な気持ちで何かをしたら、中途半端な結果しか得られないことを知っているからだ。」(p24)


個人が成功に至るためのマイケル・ジョーダンのフィロソフィーのエッセンスは、以上の言葉に集約されていると思います。この本の後半では、さらにチームプレーの重要性、基本の大切さ、リーダーであるための言行一致の重要性が述べられています。


明確なビジョンへの確信と、その徹底した実行、集団への個人の犠牲とそのリターン。当たり前の内容であっても、その言葉の一つ一つが輝いて見えるのは、マイケル・ジョーダンがそれを誰もが目に見える驚嘆すべき形で、行動に移し続けたからです。

NO BOOKS NO LIFE -読書の時間―


お勧め度:☆☆☆☆★ 90点


著者:マイケル・ジョーダン 監訳:ラモス瑠偉 書名:挑戦せずにあきらめることはできない

出版社:ソニー・マガジンズ  1998年初版


残念ながら、アマゾンの書名リストの中に、この本を発見することができませんでした。しかし、私がこの本を手に入れたのは、実はBOOKOFFの105円のコーナーでした。もし、あきらめることなしに、探し続けるなら、図書館で、古書店で、あるいはネット上でこの本を見つけることができるでしょう。そして、その努力に値する本だと断言できます。また、原書なら今でもアマゾンで、取り寄せることも可能なはずです。


次回予告


次回は、堀江貴文:夢をかなえる「打ち出の小槌」の予定です。