NO BOOKS NO LIFE -読書の時間―  -37ページ目

24.勝間和代:読書進化論

実は、読書の方法論というより


Web全盛の時代における


書物の作り方・売り方を書いた戦略本である



 2007年に出した「お金は銀行に預けるな」がベストセラーとなり、単に働く女性だけでなく、ビジネス本のカリスマ的存在となった勝間和代さん。「アムラー」ならぬ「カツマー」という言葉さえ世に生み出しました。


 その読書論とはどのようなものでしょうか?いかにも彼女らしく、成功への投資として読書を位置づけます。収入アップにつながる、アウトプットにつながるインプットとしての読書です。


 徹底した功利主義が貫かれ、教養としての読書、あるいは愉しみとしての読書の入り込む隙などないのです。


 現代は、インターネットの時代、しかし同時にリアルな書物の力が失われたわけではありません。


 書物は、もっとも安定したフォーマットであり、しかもネットよりも情報の質が高い。本屋のサーフィンの方がネットサーフィンよりもずっと有益な情報にたどりつく可能性は高いと勝間さんは言います。


 しかし、同時に、書物を売る上で果たしたネットの働きがの大きさも忘れてはなりません。


 リアルな書店での本の販売と、ネットの持つ力を戦略的に組み合わせ、いかにニーズに合った本をつくり、いかにしてその売り上げを伸ばすか、この本の主旨はそこにあります。


 フォトリーディングなど、読書の技術の紹介も一通りはあるものの、それは必要なツールとしての位置づけであり、本当の趣旨は、いかにして書物の著者になるかがその次にくるのです。


 アウトプットのためのインプットを行ったのちには、アウトプットが具体化する形を求めてゆくと結局書物となります。しかし、誰もが書物を書けるだけのアウトプットがいきなり可能なわけではありません。だから、その前段階となるのがブログによる情報発信です。


 ブログによる情報発信には、読者のレスポンスという「返報性」があり、それが書く励みとなり、同時にいかなる話題が反響を呼ぶかというマーケッティングのセンスも養われ、その中で書き手の伝える技術も向上するのです。


 その人の文章が、ブログにとどまるか、書物になるかの境目は、文章力よりもコンテンツにあると勝間さんは言います。


 言いかえれば、著者が面白いかどうか、経験や知恵の引き出しを多く持っているかどうかにかかっているのです。


 かくして、ブログから書物の著者へ進化できたとしてもそれで終わりではありません。


 年間8万点もの書物の中で、読者に選んでもらうためには、それ相応の売り方を工夫しなければなりません。


 「書く努力の五倍売る努力をする」、それが勝間さんの日ごろの口癖です。


 具体的には、露出を多くすること。


 新聞広告、電車内の広告、Webでの連動広告、それを各出版社ごとにチームを組んで行うのです。


 同時に著者は、読者とのタッチングポイントを増やす必要もあります。


 具体的には、雑誌、新聞、TV、Webなどメディアへの露出と講演会・サイン会、とにかく「読者との出会いの場」を増やすしかありません。


 一回のサイン会の限界が100名だとしても、その後しばらく書店の一番よい場所においてもらえることの効果大きく、それを何十ケ所と重ねることで、有効なプロモーションとなるのです。


 「夢をかなえるゾウ」でミリオンセラーになった水野敬也さんは、一年間書店の全国行脚を行ったのがそのもっともよい例と言えるでしょう。


 こうしたリアルな努力に、Webのクリック広告を組み合わせることで、一層書物の売り上げを増すことができるでしょう。

読書進化論‾人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか‾ (小学館101新書)/勝間 和代
¥777
Amazon.co.jp

 お勧め度:☆☆☆★ 75点

 著者:勝間和代 書名:読書進化論  小学館101新書 2008年10月刊


 読書によって収入アップをはかりたいと考える人がこの本を手に取るとしても、誰もが書物の著者になりたいと考えているわけではありません。しかし、あくまで、自分をビジネスモデルとしたインディーな生き方へと一直線に結びつけるのがこの人のやり方です。そういう意味で、読む人を選ぶ書物であると言えるでしょう。また、新書のかたちをとっているとは言え、その構成は多分に雑誌的です。途中で、書店のさまざまな人の声を拾い上げるのですが、著者本人の文章とは異なり、さまざまな面への言及があり、著者が何を言いたいのかを忘れてしまうシーンもなきにしもあらずでした。そうした雑多な情報の中には、資料価値の高いものも含まれているのですが、一気に著者の肉声で伝えきった方が、よほどわかりやすく、読みやすい書物となったことでしょう。

 しかし、ビジネス本を執筆できる立場にある人、あるいはそれを夢見る人にとっては、この本は値千金です。いかなる書店や出版社の協力のもと、勝間さんが本の売り上げを伸ばし、成功したかの秘密を惜しむことなく、明らかにしているのですから。

23.湊かなえ:告白

ある女教師の告白から始まる心のドミノ倒し


読者を戦慄の底に陥れ


最後の1pまで目が離せないサスペンス・ミステリー




 本屋大賞というのがあります。本屋の店員が一番売りたいと思う本を選ぶというのがそのキーコンセプト。

 第一回の2004年の小川洋子「博士の愛した数式」に始まり、その後、2005年恩田陸「夜のピクニック」、2006年リリー・フランキー「東京タワー」、2007年佐藤多佳子「一瞬の風になれ」、2008年伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」、そして2009年が湊かなえ「告白」です。


 すべて買ってみて、一つだけ読めない作品がありました。2007年の「一瞬の風になれ」です。

 

 女性の読者はそうでもなかったのかもしれませんが、私には文章そのものがどうにもなじめませんでした。女性が無理をして、ワルぶった男言葉をつかい、コスプレ的な気持ちの悪さを感じ、読み進めることができなかったのです。あんまりいい作品はないけど、何か一つ選ばないわけにはゆかないから・・・そんな強引さを感じました。それ以外の五つの作品は、何の違和感もなく、読者を世界に引き込む優れた作品です。


 そう、この湊かなえ「告白」も、まがうことなき傑作です。


 デビュー作にして、驚くべき完成度を誇り、文章の隅々にまで神経が行き届いています。


 著者は、脇役に至るまで、履歴書を作成するのだそうです。そうすることで、自然に人物が動き出し、物語が展開する。そのために、一人ひとりの人物の存在感が豊かで、立体感を持ち、家族や学校という関係の中でしっかり位置づけられています。表面の言葉をそれっぽく真似ることなく、ニュートラルな文章でも、十分に登場人物を生かすことができるというよい例で、それが「一瞬の風になれ」との大きな違いです。


 ****************************


 物語はある女教師の告白から始まります。


 彼女は、一人娘を学校につれてきて、プールでの水死事故でなくしていました。


 学校を辞めるにあたって、彼女はクラスの生徒に、事件の真相を告げるのです。


 警察では事故として処理されたその事件が、実は殺人事件であったことを。


 そしてクラスの二人の生徒がその犯人であることを。


 さらに、警察に真相を告げることなく、その復習を別のかたちで行ったことまでも・・・


 その衝撃は、犯人である二人の少年だけでなく、クラスの生徒にも波紋を広げてゆきます。


 そして、もられた心の毒は、倒されたドミノのように広がり、増幅され、相互に反響しあった心の歪みは、やがてさらなる惨劇を引き起こすことになるのです。

 

 第一章のこの女教師の告白のバトンを受けるのが、第二章のクラスの女子生徒のその後の経過報告。さらに第三章では少年Bの姉の立場の語りが続きます。その中で少年の母親の日記の内容が明らかにされます。そして、第四章では少年Bの日記が、第五章では少年Aのウェブサイトに記載された告白が続きます。

 

 あたかも、芥川龍之介「藪の中」のように、それらの複数の立場から一つの事件が語られます。そして、それぞれの行動のトリガーとなった心の闇までもつぶさに明らかにされるのです。そして、最後に第六章で再び女教師へと語りが戻ってくる時、いったい何が起こるのでしょうか?


 誰もが自分が正しいと信じて行動しています。しかし、いったい本当の正義はどこにあるのでしょうか?


 そんな疑問も同時に投げかけずにはおかない問題作です。

告白/湊 かなえ
¥1,470
Amazon.co.jp

 お勧め度:☆☆☆☆★ 95点


 著者:湊かなえ 書名:告白  出版社:双葉社 2008年8月刊


 残りの5点は、著者の今後に期待するという意味合いです。成熟した文章表現と、構成の巧みさ。少年犯罪に対する批評家のもっともらしい言葉など浅薄に見えてしまう人間の心への理解力と社会への洞察力。帯にある書店員の告白の一つに「宮部みゆきを読むくらい夢中になって読みました。」とありますが、今後の作品展開は未知数ですが、「告白」の世界は宮部みゆきより上だと断言します。

猫時間 2 <待っている>

19:09


NO BOOKS NO LIFE -読書の時間―


待っている 



ずっと待っている



晩ごはんにありつけるまで


待っている



扉が開いて


おいしいお魚が出てくるのを


忠犬ハチ公のように


待っている



そんな猫が日本中にたくさんいます

22.須藤元気:愛と革命のルネッサンス

We are all oneの理想を胸に、「闘う哲学者」須藤元気が中欧を行く



 須藤元気さんはかつて格闘家として活躍し、変幻自在のトリッキーな動きで、多くの格闘ファンを魅了してきました。175cm、70キロという体格で、120キロの巨漢のバタービーンを制した試合は、今も鮮やかに私の記憶に残っています。しかし、2006年には、突然に引退を表明。


 その後、四国八十八ヶ所を巡る旅行記の「人生論」(2005)以来、ベストセラーとなった「風の谷のあの人と結婚する方法」(2006)、「神はテーブルクロス」(2007)など、現在までに八冊の著作があります。


 「愛と革命のルネッサンス」は彼の8冊目の本にあたる中欧への旅行記です。


 作家として活躍するだけでなく、「狂気の桜」「フライ、ダディ、フライ」などの映画にも出演、さらには映画監督までつとめ、2006年には毎日書道展にも入選し、関係者を驚かせました。


 須藤元気さんの文章は、彼のファイティングスタイル同様、変幻自在。


 歴史を踏まえた高邁な哲学が語られるかと思うと、いつの間にかアニメやゲームの世界の話に移行してしまっているのです。


 そのたとえ方は、ほとんど唯一無二のユーモア、遊び心に満ちています。


 たとえばヒットラーのオーストラリア併合宣言を評して


 「画家を目指していた留学生が、将来戦争で凱旋してくることなど誰にも想像できなかっただろう。

 たとえて言うならば、『ドラゴンボール』で、鳥山明氏的にはラスボスにしたかったはずの(推測だが)圧倒的な戦闘力のフリーザが、まさか3回も変身するとは誰も想像できなかったのと同じレベルかもしれない。」

 (「愛と革命のルネッサンス」p31)


あるいは、プラハの春に関して


「何でも戦車で踏みつぶそうとする武闘派ソ連軍は剛田剛(ジャイアン)のようにわかりやすい。

 チェコ人たちはここで立ち上がろうとしたが、かつて隣国ハンガリーをで起こったソ連軍による関係者の大量虐殺を覚えていた。

 彼らは賢明にも正面からの武力衝突は避け、ドラえもんに諭されたのび太のように沈黙を守った。」

(pp147-148)


 国際政治も、『ドラゴンボール』や『ドラえもん』と同じ次元で語られます。


 そして、それは人間性の真理の一面をついた、わかりやすすぎるたとえと言えるでしょう。


 しかし、その底には、物質至上主義に染まった近代科学主義、還元主義を批判するスピリチュアルな理想主義への真摯な探求心があります。彼の考え方に大きな影響を与えたのは、アーサー・ケストラー、そしてアーヴィン・ラズロ


 今回の中欧への旅も、まさにその理想主義の精神の源流をたどる旅であったのです。


*****************************


 「闘う哲学者」、誰かが彼のことをこう呼びました。


 しかし、「愛と革命のルネッサンス」では、亡くなった極真空手の総帥、大山倍達さんのように、世界の格闘技と対決するわけではありません。


 スピリチュアルな世界に片足を突っ込んでいるからと言って、江原啓介さんのように現地の神様や霊とお話するわけでもありません。


 彼の心は、つねに出会うもの、人、すべてをあるがままに、とらえようとします。


 同行するカメラマンのイトウくんとの旅は、まさにヨーロッパ弥次喜多道中。


 些細な出来事のディテールを見逃さない観察眼が光ります。


 そして、随所に散りばめられる須藤元気ならでは警句集や決め台詞。

 

 「ユーモアは怒りを消すファブリーズなのだろう。」 (p34)


 そんな風にして、ヨーロッパの精神の源流をたどる旅は、ウィーン、ブタペスト、ドレスデン、プラハ、そしてラズロ氏が居を構えるイタリアのチェッチーナへと進むのですが・・・


愛と革命のルネサンス/須藤 元気
¥1,470
Amazon.co.jp
 お勧め度:☆☆☆★ 70点
 
 著者:須藤元気  書名:愛と革命のルネッサンス  出版社:講談社 2009年5月刊

 須藤元気さんは、かなりの名文家です。読者に歴史的背景を示すべきところでは、わかりやすく簡潔にまとめただならぬ知識の持ち主であることをうかがわせます。読者を笑わせるサービス精神に満ちていて、まさにプロフェッショナルの仕事です。

 ただ、とらわれのない心、淡々としたペースで進む旅の記述は、最後まで行ってもあまりテンションが上がりません。クールな目で自己相対化をしてしまうため、陶酔や高揚感などの起伏も乏しく、それが旅行記での彼のスタイルとして定着してしまっている感があります。逆に、彼一流のユーモアのセンスともども、それがスピリチュアルな世界にアレルギーを持った人でも、須藤元気だけは許せてしまう理由の一つなのですが・・・

 

 多彩な人間だけに、ライカM8、あるいはGX200を自ら操り、シャッターを切るその腕前も一流。

 同行したイトウくんの写真ともども、中欧の街や人の姿を見事にとらえて写真集としても楽しめる一冊です。


17時の月

「17時の月」 という記事が中田有紀さんのAKI-BEYA にありました。


ちょうど同じ時間帯、私も月を撮っていたので、エントリーにまとめることにしました。


とは言え、ちょうどいた場所から月がきれいに見えるのは、道路のど真ん中だけでした。


ポケットから取り出したデジカメで、信号が緑になった数十秒の間だけ、横断歩道の真ん中で信号が赤に変わる前にシャッターを切り、渡りきる。当然、カメラの設定をいじる暇もなく、高感度のノイズバリバリの画像でした。


NO BOOKS NO LIFE -読書の時間―


画像はクリックすれば、もう少し大きくなります。

17:01


ちなみにもう少し大きいカメラで撮ってあったのが、こちら。電線とかとの位置関係など気にしてられません。


NO BOOKS NO LIFE -読書の時間―

16:57


車の通らない場所できちんと撮ればこのくらいの画像は得られたはずですが、もう空の青みは失われていました。


NO BOOKS NO LIFE -読書の時間―

17:11


ちなみにこの日(11月3日)は、月齢15.9で満月でした。


月齢に関しては、こちらのサイトのページが便利です(でも、こちらに戻れなくなるので注意のこと)。


こよみのページ:http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm


PS 1枚目の画像で使ったのは、PANASONICのTZ5という10倍ズーム機、2枚目、3枚目の画像はSONYのサイバーショットH1という数年前の12倍ズーム機です。