[小説の読解は特別なことはない]
小説の読解に特別なことはありません。読心術、つまり人の心の中がわかるような超能力が必要なことはありません。根拠を求めて、そこから導き出される結論を読み取る力が問われているだけです。
よく人の心理なんかわかるはずがないと言う人がいます。確かに他人の心の中はわかりません。しかし小説の場合、作者は登場人物の心理を(伝えられる範囲内で)描写しています。その描写をたよりに私たちは小説を読んでいるわけですから、その人物の心理が(伝えられた範囲内で)わからなければ小説としての意味はないのです。
作者が表現しようとしていることを読み取ることが小説の試験問題なのです。
以上のことが基本なのですが、近年小説の問題に大きな変化がおきつつあります。
[ナラトロジー」が共通テストのトレンドに]
「ナラトロジー」が共通テストのトレンドになっています。「ナラトロジー」というのは「語り手」を意識した読解のことです。基礎的なことから説明します。
[「小説」って何?]
いったい小説って何なのでしょうか。「語り手」と「作者」の関係を考えながら小説の構造をかんがえてみましょう。
《第1段階》
小説の骨格には話の筋(ストーリー)があります。具体例として次の桃太郎の冒頭部分を使ってみましょう。
むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんがいました。
ある日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ選択にいきました。
この筋だけの話(ストーリーだけの話)を第1段階とします。いわゆる「物語」の状態です。
《第2段階》
さて、この話を誰かが誰かに語り聞かせる場面を想像してみてください。そのとき「語り手」は少し聞き手を意識して語り始めます。
きょうは花子ちゃんにおもしろいお話しをしてあげるね。
むかしね、むかしっていうのはね、花子ちゃんが生まれるずっと前のことだよ。
花子ちゃんが生まれるずっとずっと前にね、田舎の村にね、おじいさんとおばあさんが住んでいたんだ。
おじいさんはね、おばあさんととっても仲良しでね、ふたりっきりで生活していたけど、毎日毎日働いて、幸せだったんだ。
秋になってきてね寒くなってきたんだと思うんだけど、昔って枯木に火をつけてストーブにしてたんだけど、その枯木を準備しなければならなくなってね、おじいさんは山に枯木を探しに行ったんだ。
おばあさんはね、今はどの家だって水道があるけど、昔はなかったから、洗濯しに川までいったんだ。
なんて話をし始めます。これは語り手が聞き手を意識して聞き手に理解しやすいように筋(ストーリー)に介入しているわけです。これを第2段階とします。「語り」の段階です。
《第3段階》
次第に語り手は介入の度合いを高めていきます。その具体例を書きます。
トンビが輪を描いている。北からの風がゆるやかに流れている。風は山の上の木々を赤く染め始める。秋の空は高く澄んでいた。
山のふもとに小さな家がある。その小さな家で老夫婦が生活をしていた。家といっても今の感覚から言えば小屋である。雨風を防げばそれでいいという建物である。その頃のそのあたりに住む人々はそれが当たり前の家であった。
科学という言葉のなかったころである。誰もが神を信じていた。神の力で生かされていると信じていた時代だ。彼らは死は怖くなかった。いや、死は怖くないというのを建前として生きていた。かれらは静かに生きていた。子供のいない老夫婦にとってそれが生きるということであった。
この時期になると冬を越す準備をしなければならない。年老いた男は山に枯木を取りにいく。男は年を経るにしたがって体が動かなくなることを感じていた。背中に痛みを感じて生きていくことに苦しさを覚え始めていた。体のいたみは心を締め付け始める。漠然とした不安。
「ちくしょう。」
男は山に向かって一言叫ぶ。その叫び声が返ってきたとき、涙があふれてくる。
年老いた女は川に洗濯に行く。女にとって耐えることが生きることだった。この時期水が冷たいのは知っている。しかし、それを悔やんでいてはいけない。いつも自分を殺すことだけを心掛けてきた。
例えばこのように語り手はどんどんストーリーに介入していきます。最初のほうでは聞き手に視点の誘導をしています。そしてストーリーを壊さない程度に勝手に設定を作り上げていきます。そして登場人物の心を描き始めます。
このように、語り手はどんどん第一段階の筋(ストーリー)に介入して脚色していきます。ここまでくるとほとんど小説っぽくなってきます。
小説の本質は「語り」にあると言ってもいいのです。「語り」を意識して読解することが小説の読解にはどうしても必要だと言うことがわかり始めました。