実業家のひろゆき氏が、ツイッターで「古文・漢文は、センター試験以降、全く使わない人が多数なので、『お金の貯め方』『生活保護、失業保険等の社会保障の取り方』『宗教』『PCスキル』の教育と入れ替えたほうが良い派です」と提言したと言う報道がありました。続けて「古文漢文はやりたい人が学問としてやればいいだけで必須にする必要ないかと」とも言っているそうです。この問題提起はもっともです。私は「全面的に賛成」というわけではありませんが、貴重な提言だと思っています。
私も現在の国語教育は大きな問題があると思っています。
古典教育は本来、日本の古典文化について学ぶことが目的であるはずです。現代語訳が目的ではなく、古典作品の内容を学ぶことが目的であるべきなのです。しかし現実にはそうなっていません。現代語訳ができることが目的となっています。だから文法指導に大きな時間がさかれすぎています。もちろん、これは大学入試に対応したものです。大学入試で現代語訳が要求されるからです。
現代文の分野についても、大きな問題があります。非常に難解な文章の読解が要求されているということです。センター試験でも時々何を言ってるのかわからないような難解な文章が出題されます。受験業者の模擬試験を見ると、本当に難解な文章が出題されます。
本来、国語の授業では論理的な文章を正確に読み取り、論理的に表現できる力を育てることと、日本の文学を批判的に読解し、日本の伝統文化を学ぶことが求められているのだと私は思っています。現在の国語教育は大きくそれと離れています。
一方では指導要領の改訂も、大学入試改革も、理念に賛同できるものもあるのですが、具体案はひどいものです。現実が見えていないものであり、改革が進まないように意図しているのではないかと思ってしまいます。
おそらく、ひろゆき氏の批判は多くの日本人が考えていることです。しかし全国の国語教師はなんとか理屈をつけて現状の国語教育を肯定します。それは裸の王様と同じ状態です。
現在の国語教育を絶対のものとしないで、今後の国語教育のあるべき姿を議論によって見えるようにしていかなければなりません。