美濃焼のふるさとを訪ねて(3日目) | マサミのブログ Road to 42.195km

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12/13(水)

この日も多治見駅コンコース内のヴィ・ド・フランスでパンとコーヒーの朝食。今日は長い距離を歩くし、途中に何もお店がない可能性もあるのでコンビニでパンとドリンクを買い出発しました。昨日とはうってかわって快晴、ポカポカ陽気で助かります。

 

今日は今回の旅のハイライトになる予定の日です。志野焼を再発見して人間国宝にもなった荒川豊蔵さんの窯跡に立つ「荒川豊蔵資料館」まで歩き、出来ればさらに歩いて土岐の駅まで行こうというプラン。地図を見ると25kmぐらい歩けば行けそうですが、まともな人間なら考えないコースだと思います(笑)。

 

まずは多治見の見どころとして真っ先に名前があがる「虎渓山永保寺」は見ておこうと思い、向かいました。

 

 

中央線の踏切を渡るとこの表示。ここを左に折れるとかなり急なつづら折りの坂があって、登りきると「虎渓公園」がありました。初日に降りた「古虎渓」という駅名とつながりがありそうですけど、未確認のままです。

 

 

「参道入口」の看板がありましたが、奥がどうなっているのか全然見えません。いいのか?と思いながら入っていくと…

 

 

え?これが参道なの?道が見えないし、向うがどうなってるか分からない。しかも相当に急な下りなんです。途中で諦めて引き返すとしたら帰りは相当に急な坂を登らなければならないので、諦めました。この日の目標はここではないので、ちょっと残念だけど永保寺はスルー。

 

 

気を取り直して道を歩くと「水月窯」の看板がありました。荒川豊蔵さんが息子さんと開いた窯だそうですが、この日は閉まっていました。

 

 

さらに行くと「高田焼」の看板がありました。このあたりは「高田・小名田」という古くからやきもので栄えたエリアで、それらを繋ぐ道が「たかた・おなだオリベストリート」と名付けられています。

 

 

やきものと関連があるか分かりませんが、こういう雰囲気のあるお家もありました。ここは廃屋っぽかったですけど、お城みたいな石垣の上に建ってる!

 

 

おととい訪れた「市之倉」の周辺は、きのう行った「笠原」の周辺はタイル生産で有名でしたが、ここ「高田」ではとっくり造りが盛んだったそうです。道端にこういう↑展示もありました。

 

 

左右を見ると、こんなふうな煙突が立った建物がチラホラ。見学させてもらえそうな所があったら入ってみようかなと思いながら歩き続けましたが、どこも人の気配がしないので話しかけようがなくて…おとといの「市之倉オリベストリート」と同じ雰囲気だったのがちょっと残念。

なんていうか「観光客さん、いらっしゃい!寄ってって!」という感じがしないんですよね。もしかしたらここはあくまで自分たちの「工房」であって、素人に見せるための場所じゃない、という感覚なのかな。

 

 

やがて町並みは終わり、森の中をだらだら登る道になりました。両側は森しか見えません。家もお店もない。クルマはたまに通るだけ。県道381号線です。こういう中を30分以上歩きました。もちろんすれ違う人はゼロ。

 

 

道の左側に小さな流れがあって、その向こうは「土の採取所」になっている所がありました。気がつくと、そこだけこんなふうに↑地面が赤茶けているんです。これはもしかして、このあたりで採れる土には鉄の成分が多く含まれているのでは?などと思ってしまいました。やきものに興味を持つと、こういうことが気になったりします。

 

 

だらだらした登りが延々と続き、そろそろ飽きてきたころにようやく峠の頂上に着き、向うは下りです。ここから、多治見市の北の可児市に入るみたいです。少し人家も見えて来て安心。

 

 

左側にダム?貯水池?みたいなものがありました。

 

このあたりで歩き始めてから4時間ぐらい経過しました。途中で一度だけ休憩をしましたが、そろそろまたトイレに行きたくなってきた。でも公園とか公共施設とかお店とか、トイレを借りられそうな場所がまったく無いんです。さすがにちょっとヤバそうな感じになった時に見えてきたのが…

 

 

この標識でした。潮音寺というお寺です。かなり大きなお寺っぽいので、ここならひょっとして…と思い、境内に向かいました。

 

 

山門をくぐると、禅寺らしく石庭が目に入りました。お寺の人が出て来られたので「トイレをお借りできますか」と頼むと「どうぞどうぞ」と案内してくれました。かなり広いお墓もあり、参拝する善男善女のための来客用トイレが設けてあって、使わせてもらいました。

危機一発!までは行かないにしてもギリギリだったので、とても助かりましたてへぺろ だってここを我慢して通り過ぎても、その先のどこにトイレがあるか分かりませんでしたからね。

 

 

トイレから出て、トレーニングウェアに坊主頭の男性にここから先の道を尋ねたら、丁寧に分かりやすく教えてくださいました。こちらのご住職様だそうです。「横浜からお越しですか。ほほう。今日は多治見から歩いてここまで?それはそれは!」などなど、話し好きな方らしく次から次へと話題が変わり、20分近くも話しこんでしまいました。

 

最後は「多治見にお泊りなら、ぜひ『うなぎ』を食べて帰ってください」とのことで、お勧めのお店の名前まで教えてくれました。「外側がカリッとして、中はふんわりで、そりゃもう美味しいですよ~」と、いかにもウマそうに説明してくださるので、私は「はい、必ず行きます!」と答えました飛び出すハート

 

私は自分が歩いている道が本当に合っているのか不安になりかけていたのですが、目的地まで近いと言うことも教えて頂き安心できて、二重三重に助かりました。本当にありがとうございます。嬉しかったです。お礼に些少ながらお賽銭をあげて仏さまを拝んで来ました。これも何かのご縁でしょうね。

 

 

潮音寺を出るとすぐ、県道381号線から84号線に入る重要なポイント「久々利(くぐり)」に着きました。ここさえ間違わなければ、もう安心です。

 

 

久々利の交差点にはミニストップがありました。多治見の町を出てから4時間ぶりに発見したコンビニです。もう13時を過ぎていたのでここでお弁当を買ってイートイン。

 

 

ミニストップから少し先に「泳宮」という場所があるので寄りました。読み方が不明。

 

 

神話時代、ここに天皇が遊びに来た時、美しい娘が目にとまり、ナンパ(笑)しようとしましたが娘は恥ずかしがって池の鯉に姿を変えてしまい…みたいな伝説があるらしいです。でも池も沼もありませんでした。チラッと見て先を急ぎます。

 

 

小渕ダムを見ながら、だらだらと登ります。もう陽が斜めになりかけてるので、ちょっと焦る。

 

 

大萱(おおがや)という地名が見えて来ました。目指す荒川豊蔵資料館があるところです!

 

 

「志野大橋」を渡り…

 

 

「織部橋」を渡り、どんどん近づいてきます。前回来た時は可児の駅から往復ともクルマだったので、橋にこういう名前が付いてるのは気がつきませんでした。橋の名前が「志野・織部」ですからね。こういうところに目が行くのも、歩いて行くメリット。

 

 

そして着きました!荒川豊蔵資料館、私は二度目の訪問です。

 

 

資料館入口。

 

 

展示室。

 

 

荒川さんが焼いた志野茶碗。奥は瀬戸黒茶碗かな?

 

 

かなり広い敷地の中には小さなせせらぎを挟んで、いくつかの建物が点在しています。紅葉の頃は絶景だったでしょうね!

 

 

あたりには、陶片が山のように積まれています。出来損じたものは割って積み上げたようです。

 

 

これとか。

 

 

荒川さんの作業場も保存されています。右の丸いのが、荒川さんが回したろくろ。

 

 

荒川さんの座右の銘「隋縁」と彫った石。荒川さんが古い志野の破片を発見した場所に立っています。この小さな破片が、昭和の初め、日本の陶磁器界に一大センセーションを巻き起こしたのでした。

 

私はここを訪れたら、尋ねてみたいことが4つありました。

 

1、荒川さんは「久々利の家からここまで何度となく往復したので、しまいには月明りに映える山の形まで覚えてしまった」と自著に書かれていますが、久々利のどのあたりにお住まいだったのでしょうか?

 

2、荒川さんは同じ本の中で、「ここで志野の破片を発見して家に帰る時、『本当に現実にあった出来事だろうか?』という気持ちになり、途中の峠道でふところから破片を取り出して月の光にあてて確かめた」と書かれていますが、その峠はどのあたりでしょうか?

 

3、荒川さんはここへ来る前、北大路魯山人という芸術家に頼まれて鎌倉で食器類を焼いていたそうですが、それは鎌倉のどのあたりだったのでしょうか?

 

4、一説によると、北大路魯山人は「志野の破片を発見したのは自分の手柄だ」と言いふらし、荒川さんはそれが理由で北大路魯山人のもとを離れたらしいですが、それはどのくらい本当なのでしょうか?

 

この質問を資料館の係の女性(学芸員さん?)に投げかけてみたのですが、どれもハッキリした答えはありませんでした。そんな質問をする来館者はいないらしく、かなり驚かれてしまいましたが、資料を調べてくれたり丁寧に対応してくださったので好印象でした。この4つの疑問は、後で自分で調べることにしてお礼を言い、資料館を後にしました。

 

 

資料館を出たのが午後4時過ぎぐらい。実を言いますとかなり足腰が疲れていて、ここから可児の駅までバスで帰ろうかとも一瞬思ったのですけれど「初志貫徹!」を誓い、もう一つ峠を越えて土岐の駅まで向かうことにしました。地図を見ると一本道なので、暗くなってしまってもなんとかなるだろうと。

 

なお可児市内には、明智光秀のふるさとと言われる「明智荘」の跡や、織田信長に仕えた森蘭丸が生まれ育った城跡があったりもします。歴史好きにはたまらないスポットですよね。

 

 

棒のようになりかけている脚を引き摺ってあるくと、ゴルフ場の看板がありました。可児ゴルフ場には3つのコースがあって「志野コース」「織部コース」「黄瀬戸コース」と命名されています。さすが、美濃焼の里のゴルフ場ですね。「黄瀬戸」もやきものの種類のひとつです。

 

このあたりは五斗蒔(ごとまき?)峠という場所らしい。古来からたくさんの窯があった場所のようで、荒川豊蔵さんの著書にも何度も地名が出て来ます。良い土が採れて、薪になる木がたくさんあったのでしょうね。まぁこのあたり、東美濃一帯がそういう土地なのでしょうけれど。

 

 

だんだん陽が落ちて暗くなりかけで心細い。この写真↑ではまだ十分に明るく見えますが、実際はもっとずっと暗かったです。とにかく進みます。

こんなふうに歩道が無いに等しいところが大部分でちょっと怖いんですよね。クルマの運転手さんも、こんなところを歩いている人間は普段みかけないらしく、私に気がつくと驚いたようにハンドルを切ってよけて行きます。驚かせてスイマセンあせる

 

 

「織部の里公園」の看板を発見。織部発祥の窯があるんですね。見たかったけどもう日没も近いので、次回の楽しみにしました。実はこの周辺には他にも「土岐市美濃伝統産業会館」とか「土岐市美濃陶磁歴史館」などの施設があるので、次回は「土岐」をベースにして歩いてみたくなりました。たぶん必ず来ると思います(笑)

 

 

土岐の駅に着いたのが午後5時頃。着いた時はまだ明るさが残っていたけれど、電車を待つうちにとっぷり暮れました。

 

 

ひとつ隣の多治見まで戻り、今日の予定はコンプリート。ホテルで休憩してから、今回の旅の最後の夜なので豪遊しちゃえ!と思って出かけたのですが、意外な結果になりました…その話はあとで。

 

 

結局この日は50,738歩、35.0kmを歩きました。ウヒャ―。25kmぐらいと見積もっていたのに、そんなに歩いたのか。疲れるはずですね。前日は約17km、前々日は約19km歩いてるんだし。

 

ともかく、これで3日目終了です。4日目もまとめて一つの記事にするつもりで書き始めましたが、長くなり過ぎるし私も書き疲れたので、ここでいったん区切ります。ご了承ください。

 

(さらに続く)