マサミのブログ Road to 42.195km

マサミのブログ Road to 42.195km

走る・観る・聴く・読む・歩く・食べる・楽しむブログ


前回の記事で「裁縫以外に、家事で出来ないことはない」などと偉そうに書きましたが、出来ないこと、まだありました。


アイロンがけ!これは手先が不器用で雑な性格の私には到底無理です。


今まで、アイロンが必要な綿100%のワイシャツとかウールのズボンなどは、クリーニングに出していました。お金はかかるけれど。


唯一ハンカチだけは自分でアイロンがけをしていました。でもこれからは全部タオルハンカチにしちゃえばアイロンからは解放されるかな?と思っています。どうしようかな。

アイロンはまだ買ってないし、アイロン買ったらアイロン台も必要ですからね。


まだまだ出来ないことはありそうだし、これから歳を取るにつれて出来なくなることが増えていくんでしょうねぇ。 

「なんでも出来る」なんて思い上がらず、謙虚に生きなければ。


………

明日は仕事が休みなので、区役所に行って転入手続きをしてきます。そのあと、免許証やパスポートをはじめ、いろんなカードの住所変更。面倒だけど一つずつ、ですよね。

今年の2月頃からずっとのしかかって来ていた懸案事項、このほど最大の山場を越えました。事情があって、関係者とごく一部の親戚にしか話して来ませんでしたので、ブログでもぼかして書いて来ましたが、やっとご報告できます。

 

私、引っ越しました。

 

私の実家がある場所には、親が昭和16年から住んでいましたから、もう93年になります。今の家に建て替えたのが昭和43年なので、建物も築56年。あちこちガタが来ているとはいえ、愛着のある家ですけれど、その家と土地を売り払い、今まで一緒に住んでいた私と妹は家を出て、それぞれ別の場所で一人暮らしをすることに決めました。

 

私の引越し先のほうが先に決まったので、先日9/19(木)に引越しを済ませました。妹の新居も決まってはいるのですが、リフォーム工事の完成を待っているところ。

 

正直、60代も後半になってこういう展開とはまったくの予想外でしたが、いろんなことを考えた末の決断でした。もろもろ…お察しください。ざっくり言ってしまえば、家と土地を売ったお金を、私と妹の老後資金に回そうということです。

 

というわけで、今回は「シン・マサミハウス」についてご紹介します!ニコニコ

 

―――

 

まず、場所について。今までと同じ横浜市営地下鉄の沿線です。まだしばらく仕事は続けたいので、通勤の便利さを優先しました。

でも横浜市の西の端のほうで、すぐ向こうが藤沢市になります。概略図にするとこんなふう↓です。通勤時間は片道25分ほど長くなりました。

 

横浜の西の端という感じ、お分かり頂けると思います。区でいうと「泉区」というところです。

実は引っ越すなら「磯子区」か「泉区」にしようと思っていました。ほら、「磯」も「泉」も、どちらもに関係があるでしょう?ニコニコ

 

でも磯子区は実際に海に面していて、ヨットハーバーもあったりしますが、泉区に海はないんです。そこがちょっと悲しい。

その替わり、今までよりも江の島にかなり近くなりました。乗り換え1回、最短だと30分で江の島(小田急線の片瀬江ノ島駅)まで行けます。運賃は片道472円。シン・マサミハウスは「江の島まで30分!晴れ」をキャッチフレーズにしましょうかねぇ。

 

とはいえ、実は旧マサミハウスに比べると、鎌倉にも少し近くなったんですよ。上の地図だと分かりづらいのですが、実際には地下鉄の駅3つ分、鎌倉にも近くなりました。そこは嬉しい。

 

最寄り駅の周辺は、戸建て住宅と低層マンションが並ぶ静かな街です。小学校、中学校、高校が多くて、住民全体の平均年齢も若い感じ。

昭和40~50年代、エレベーターのない団地を郊外にガンガン建てた「何とかニュータウン」が今は衰退してしまって悲惨なようですが、そういう空気はまったくありません。


もともと「団地」というものが無かったエリアのようで、あたりを歩いてみると、新旧の住宅のなかにポツンポツンと畑が残っていたりします。

そうそう。シン・マサミハウスから徒歩2~3分以内のところに「野菜の無人販売所」が3つもあるんです!新鮮な野菜が安く買えそうで嬉しい。駅の近くに食品スーパーが2軒あるのですが、そこにも、近所の農家さんが作った作物を並べたコーナーがありました。

 

 

駅の周辺はどんな感じかといいますと…

 

ありがたいことに、駅からわずか100m以内にコンビニが5軒、食品スーパーが2軒、ドラッグストアが1軒、100均ショップが1軒、あるんです。

私の考えだと、家の近くに「コンビニ・食品スーパー・ドラッグストア・100均ショップ」が揃っていれば、暮らしに困ることはまずないですよね。

その点では、このエリアは完璧。特に「ユーコープ」と「A-COOP」という2軒の食品スーパーでは、夜7時頃になると、お惣菜やお弁当関係が3割〜5割引きの大サービス!今までの私の生活エリアにはこういうお店はなかったので、とても有難いです。

 

ちなみに区役所は地下鉄の駅で2つ向う。これは旧マサミハウスより近くなりました。医院や病院はまだ開拓していません。当面は今までと同じ、ずっと世話になってきたかかりつけ医に通うつもりです。地下鉄に乗れば18分ですから。

 

 

ーーー

 

 

そしてシン・マサミハウスはどんな建物かと言いますと…間取りはこうです↓

 

 

はい。なんと戸建て(一軒家)の賃貸なんですよ。まったく同じ造りの家が何軒も並んでいます。おそらく広い土地を持っていた大家さんが相続税対策で家作(かさく)を建てた物件でしょう。昭和47(1972)年に出来た建物ですから、築52年!旧マサミハウスに負けないぐらいの歴史がありますが、内装はリフォームされて綺麗。

むしろ昔の日本家屋らしく、押し入れとか天袋など収納がたっぷりあって、そこは助かります。お風呂もトイレも「えっ」と思うほど広々しています。全体の面積は約40平米。

 

2つの和室には2方向に窓があるし、キッチン、風呂場、トイレにも窓がある。陽当たりと風通しの良さは私にとって最重要なポイントでしたので、そこも気に入りました。

 

家賃は、まぁまぁというところ。でも私が物件を探す時に考えていた条件にぴったりだったので、文句なしです。

クルマを停めるスペースもあって、そこは月5,000円で借りられます。旧マサミハウスには車庫がなかったので、私がクルマを持っていたころは近所の駐車場を借りていたのですが、そこは月々27,000円もしました!(15年前の話です)

それを思えば…5,000円で駐車場が借りられるなら、クルマ買っちゃおうかな?などと思ったりもしましたが、それは無いかな。やっぱりクルマは維持費が高くて無理です。

 

 

住み始めてまだ数日ですけど、やはり一軒家はいいですね~。50年以上も前に建っただけあって、家と家の間隔がかなり広くとられています。それに私の部屋は道路に面していますけれど、クルマが通らない道なのでなおさら静かで、振動もまったく感じません。  


私は現役でバリバリ働いていたころ、仕事が多忙なのと不規則なので会社の近くにワンルームマンションを借りて一人暮らしを20年近くしていたのですが、両隣の部屋と上の階、下の階の住人には相当に気を遣いました。

エアコンからの水漏れとか、目覚ましの音がうるさいとか小さなトラブルもありましたし、それを思うと、一軒家の解放感は100点満点です。

 

…と言っても、まだまだ部屋は片付いていません。こんな感じです。

 

片方の六畳間は、まだ段ボールだらけ。まったく手をつけていません。ここは「図書室」になる予定(笑)

 

 

もう一つの六畳間はリビング&寝室にするつもり。これは↑荷物を搬入した直後の様子です。

 

 

これも同じ部屋です。

 

 

これは↑引越しの前に撮った、キッチン回りの様子。新しく購入したのは左から洗濯機、冷蔵庫、その上の電子レンジ、右端のガス台(LPG)と、その上に小さく写っているトースター。

 

まだここで料理らしい料理はしていませんが、ガス台の上にトースターという配置は油がハネるからまずいですよね?そこは考え直します。

なお私は、家で「お米のご飯」は食べないので、炊飯器はありません。どうしても食べたい時はサトウのご飯です。

 

 

搬入直後でまだ空っぽの冷蔵庫。

 

 

冷凍庫も空っぽです。私は冷凍食品は基本的に使わないので、こんなスペースいらないんですよね~。ジョギングのあとのアイシングで氷をけっこう使うので、この写真の上の段だけあればいいぐらい。

 

冷蔵スペースだって、もっと少しでいいんです。なのでずっと小さな冷蔵庫で間に合わせようかと思ったのですが、小さな冷蔵庫って「霜取り」を自分でやんなきゃなんないんですよね。そこが無理と思ったので、無駄を承知で135リットルの冷凍冷蔵を買ってしまいました。

 

 

魚を焼くこともないのでグリル無しのガス台。これにしたって、同時に2台のコンロで料理することなんかないので、一口コンロで良かったんです。でもさすがに、それではビジュアル的にあまりにも寂しいので泣き笑い、このタイプにしました。

お湯が必要な時はその都度鍋を火にかけて沸かすので、電気ポットも無し。旧マサミハウスで暮らしていた頃のことを考えて「これで、足りるな」と思うものだけを揃えました。

 

 

バスタブは旧マサミハウスより広くて深い。お風呂は大好きなので嬉しいです。ワンルームマンションではユニットバスだったけど、ここならシャワーカーテンがいらなくって最高!

 

 

引越し当日に頑張って、リビングルームにする部屋だけは段ボールをなんとか片付けて、気がついたら夜になっていました。

 

シン・マサミハウスでの最初の夕食です。ユーコープで半額だった三元豚の豚カツと、缶ビールで祝杯。お酒に弱い私ですが、こういう時ぐらいは一杯やります。畳は二間ともウッドカーペットを敷きました。

 

 

ーーー

 

 

そんなわけで、どうする!どうなる?68歳の一人暮らしという感じなんですが、どうするもなにも、なんとかするしかないですよね。

今は身体が元気だからなんとかなるだろうと思っていますが、この先はあちこち弱っていくのは明白です。でもそれを今から心配してもしょうがない。一人暮らしの気楽さを最大限に満喫しようと思います。

 

そもそも「暮らす」ということについて、自慢するわけではないのですが、私はほぼ何でも自分でこなして来ました。

食事をなんとかすること(かならずしも「料理」とは限りません)。洗濯。掃除。買い物。ゴミ出し。片付けと整理整頓などなど、主婦目線では合格ラインに達していないかもしれないけれど「生命を維持する」レベルならどうにかやってきました。唯一できないのは「お裁縫」ですけど、緊急時のボタン付けぐらいならなんとかなりますチョキ

まぁ、子どもを持ったことがないのでミルクをあげたりおしめを換えたりの経験はありませんが、あとはね、だいたい一人で今までなんとかやってきましたので、どうにかなるでしょう。

 

あとは妹の引越しを終えて、家と土地を引き渡して、法的な手続きをいろいろ終えてお金を受け取って(買い手はオープンハウスという不動産会社でした。仲介は住友不動産販売)、来年になったら確定申告をして税金を納めて。そこまでやって本当に終わりです。まだ先は長いですねぇ。

 

 

ーーー

 

 

長々と書いて来ましたが、とりあえず新生活はなんとか無事スタートを切りました。今後ともブログが私の大きな支えになることは間違いないです。実際、住む場所も部屋も環境もすっかり変わったけれど、こうやってPCに向かってキーボードを叩いてブログを書いていると、「住み慣れた自分の場所!」という感覚があって落ち着きますね。ブログはありがたい。

これからも引き続きお付き合いくださいますよう、またたくさんのご支援を賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。

 

 

久しぶりにオペラを観ました。どれくらい久しぶりだったのかなと思って、私の浅い浅いオペラ歴を辿ってみますと…

 

2017年2月 『蝶々夫人』@東京芸術劇場

2017年3月 『魔笛』@神奈川県民ホール

2017年4月 『フィガロの結婚』@新国立劇場

2018年2月 『ドン・ジョバンニ』@よこすか芸術劇場

2018年10月 『アイーダ』@神奈川県民ホール

2019年10月 『カルメン』@神奈川県民ホール

2019年12月 『椿姫』@新国立劇場

2020年10月 『トゥーランドット』@神奈川県民ホール

2022年7月 『コジ・ファン・トゥッテ』日生劇場

 

ははぁ。観始めた当初はハイペースで次々にいろいろ観ていたのに、最近はちょっとペースが落ちてますね。コロナもあったし、正直なところ、このところの私はオペラよりバレエのほうに関心が寄っていたので。

 

そんなわけで今回は2年ちょっとぶりで、ちょうど10回目となるオペラ鑑賞でした。とにかく「誰でも知っている有名なオペラ作品を、一度は観ておきたい」というド素人の発想で恥ずかしいんですけど、『トスカ』もタイトルだけは知っていた作品でしたから、観ることが出来て良かったです。では、レポートを。

 

 

JR上野駅の公園口を出て…といえばあそこですよね。はい。駅の目の前にある東京文化会館へ。

 

 

私は『トスカ』というタイトル以外に、まったく知識がありませんでした。忙しくて事前に予習する時間がまったく無く、当日、横浜から上野へ向かう電車の中で「トスカ あらすじ」で検索して、だいたいの物語を頭に入れて臨みました。今はこういうことが出来るから、本当に助かりますね。

 

 

大ホールでなく小ホールが会場でした。(写真は会館HPから) 私にとっては、ここは周防亮介さんの無伴奏ヴァイオリン・リサイタルを聴いた会場ですね。私はうかつなことに会場まで行って、大ホールでなく小ホールでの開催と気がつきました。

 

ということはオケピットがないからオーケストラは入れられません。「録音した音源を使うのかな?」と思ったらそうではなく、ステージ上手(かみて)のほうの客席を少しつぶしてピアノを2台向かい合わせに置き、その中間に指揮者がいるというスタイルで、ちゃんと生演奏でやってくれました。

 

 

西暦1800年、王制派と共和派が争っていた頃のローマを舞台にした『トスカ』の主な登場人物とあらすじは、こんなふうです。

 

カヴァラドッシ:画家。

トスカ:カヴァラドッシの恋人で歌姫。

アンジェロッティ:カヴァラドッシの友人。政治犯として投獄されていた。

スカルピア:残忍で好色な警視総監。

 

・アンジェロッティは脱獄してカヴァラドッシに助けを求める。カヴァラドッシは自分の別荘にかくまう。

・スカルピアはカヴァラドッシを逮捕して拷問するが、カヴァラドッシはアンジェロッティの居場所を白状しない。

・スカルピアはカヴァラドッシが拷問で苦しむ声をトスカに聴かせる。トスカは耐えきれずアンジェロッティの居場所を教えてしまう。

・スカルピアはカヴァラドッシに死刑を宣告するが、トスカは彼の命を救うよう懇願する。

・スカルピアはトスカに「お前が俺のものになるならカヴァラドッシは助けてやる」と迫る。

・悩んだ末にトスカは了承する。スカルピアは「銃殺のふりをするが空砲なので逃げるが良い」と答える。

・トスカはスカルピアに通行証を書かせると、抱かれるふりをしてスカルピアをナイフで刺し殺す。

・トスカは刑場に向かうカヴァラドッシにわけを話し「銃声が聴こえたら倒れるふりをして」と伝える。

・刑が執行され、誰もいなくなってからトスカがカヴァラドッシに近寄ると、彼は息絶えていた。スカルピアはトスカに嘘をついていたのだった。

・スカルピア殺しの嫌疑をかけられ追手に囲まれたトスカは観念し、自ら命を絶つ。

 

 

今回のステージはこんなふう↑。この写真も会館のHPからです。イタリア語での上演で、セリフは写真のように日本語訳が字幕に投影されました。私はやや後方の席でしたが、小さなホールなので出演者さんの細かな表情まで分かって、良かったです。

 

以前、新国立劇場で上演された『トスカ』のダイジェスト映像をご覧ください↓。雰囲気は伝わると思います。

 

本物(と言っては失礼ですけど)、本格的に上演する『トスカ』は出演者も多いし背景も豪華で、迫力ありますね。でも今回の『トスカ』はいろんなものを剥ぎ取って、ギリギリの登場人物とギリギリの音楽、ギリギリの大道具小道具という演出でしたので、その分、歌と演技に集中して観ることが出来て良かったと思います。舞台の上の情報量が少ないから、あっちを観たりこっちを観たりということが無くて。

 

そして第二幕の終盤、スカルピアの悪辣な提案を受け、恋人カヴァラドッシを助けるためにスカルピアに身を許さざるを得ない苦しみをトスカが歌うアリア(独唱)『Vissi d'arte、vissi  d'amore』(歌に生き、恋に生き)。これはトスカの、というよりすべてのオペラ作品を通じての名曲・名場面なんだそうです。

 

私は芸術(歌)と愛のために生きてきました。

恵まれない人には、施しもしてきました。

マリア様のために祭壇には花を欠かしませんでした。

それなのに、神よ、これが報いなのですか?

 

だいたい、こういう内容の歌です。恥ずかしいことに超有名な名曲・名場面だということも知らずに私は観ていたのですが、トスカを演じる迫田美帆さん(藤原家劇団)のソプラノを聴いているうち、「はぁぁ…」と感極まって、思わず涙が溢れてしまいました。

迫田さんの声、迫真の表情、身振り、そして曲のメロディ、ピアノ、字幕に写る歌詞、そういうものが一体になって胸に迫ってきて、深く深く、感動でした。素晴らしい!

 

 

故・佐藤しのぶさんがこの曲を歌う場面がYouTubeにあるので、良かったらご覧ください。

 

 

オペラというと豪華な舞台、絢爛な衣装、大勢の登場人物、オーケストラの演奏…と、何から何まで「物量作戦」で圧倒されるイメージがありますが、今回は実に斬新な演出で、小さなホールでミニマムな舞台と音楽であっても、まったく遜色なく堪能できました。演出の粟國淳(あぐに じゅん)さんの才能には脱帽です。良いものを見せてもらいました。

 

 

ーーー

 

 

ただ、見ていて、疑問が浮かびました。前述した「歌に生き 愛に生き」もそうなんですけど、ここぞ!という名曲・名場面でも、客席からは拍手が起きないし「ブラボー!」の声もかからないんです。

バレエだったら、素晴らしい(難しい)演技が一段落すると、大きな拍手が起きるし、『白鳥の湖』の名場面中の名場面、黒鳥オディールのグラン・フェッテ・アン・トゥルナール(32回の連続ターン)なんかだと、まだ回っているうちに拍手が起きます。

 

ダンサーさんも分かっていて、そういう名場面が一段落するとステージの前に出てきて「どうですかお客さん!」という感じでポーズを取るから、私のような初心者の観客でも「ここは拍手するところだな!」って分かるんですよね。

 

でも今回の舞台では、拍手が起きるのは一幕、二幕、三幕の幕が降りる時だけ。あとはカーテンコール。私は『あれ?オペラって、演技の途中では拍手しないんだっけ?」と思って、モヤモヤしてしまいました。

なので舞台が終わってお客さんがほぼロビーから出て行ってから、出口でお客さんに挨拶していた、いちばん偉そうな?男性にこのことを訊ねてみました。するととても丁寧に優しく、身振り手振りも交えて次のように答えてくださいました。

 

「オペラといってもいろいろあって一概には言えないのですが、今回の舞台に関しては『物語』を味わってもらいたいという想いがありました。なのでストーリーの流れを切ってしまうことなく、お客様には『トスカ』の世界に浸って頂きたいと、演出家はそう考えたんだと思います」

 

…なるほどです。確かにあの『歌に生き…』の場面でも、トスカはあの歌を歌ったあとで吹っ切れたようにスカルピアに向かい合い、恋人を助けるために抱かれるふりをして、スカルピアの胸にナイフを突き立てるのです。

なのにその前に「どうですかお客さん!」「ここは拍手するところですよ~」なんてやったら、興ざめですもんね。うーん。そうかぁ。勉強になりました。

 

(そして今さらですけど、公演のポスターが「ナイフ」をモチーフにしているのも、分かりますね~)

 

 

また、公募で集まった小学生・中学生も教会の合唱団役で登場し、歌とハンドベルで見事な演技を見せてくれました。私はカーテンコールで、お子さんたちにいちばん大きな拍手を贈りました。相当に練習を重ねたことが良く分かりましたからね。みんなの良い思い出になることを祈ります。

 

 

例によって長い記事になってしまいました。最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。バレエもいいけど、やっぱりオペラもいいなぁと、あらためて思った1日でした。

 

 

9/12(木)の夜は、ここに↓いました。

 

西荻窪の北口に出てすぐの…

 

 

こじんまりしたライブハウス「Terra」です。この日に開かれていたのは…

 

 

今年6月に63歳で亡くなったミュージシャン、太田健司さんを偲ぶ『CONCERT for KENJI』という催しでした。

 

実は私も知らなかったのですが、太田健司さんは、ビートルズのメンバー、特にジョージ・ハリスンにインド音楽の魅力を教えたラヴィ・シャンカールの弟子というか、彼のバンドのメンバーだった人です。

 

 

ジョージとラヴィ・シャンカール。(この写真はNMEのサイトから)

 

 

太田健司さんとラヴィ・シャンカール(ラヴィ・シャンカール公式FBより)

 

(同)

 

 

 

ラヴィ・シャンカールは2012年に亡くなっていますが、彼の公式FBには、太田健司さんを偲ぶコメントが掲載されました。


ジョージは2001年に亡くなり、その1年後に親友だったエリック・クラプトンの呼びかけで『コンサート・フォー・ジョージ』というライブが開かれました。そこにもラヴィ・シャンカールが出演しており、太田健司さんもステージで演奏し、ラヴィ・シャンカールと一緒にグラミー賞を受賞されています。ライブの模様は映画化され、私は去年観てきたばかりです。

 

 

 

 

…で、太田健司さんは、GFR(グランド・ファンク・レイルロード)のトリビュートバンドを主宰している太田エージさん、別名エージ・ファーナーさんのお兄さんなんですね。私は太田エージさんのファンで、彼のライブは何度も観て、このブログでも繰り返しレポートしてきたのでご記憶の方もいらっしゃるでしょう。

 

 

そう。この方です。思い出して頂けましたでしょうか。ギターもアンプも、グランド・ファンクが使っていたものとまったく同じ!

 

 

GFRのステージを完璧に再現するエージさんのバンド「グランド・ファンク・マニアック」。この写真は数年前のTerraでのライブの模様です。エージさんのお兄さんが太田健司さんで、ラヴィ・シャンカールのバンドメンバーだったとは初耳だったので、驚きました。エージさんのFBで「兄が亡くなりました」と告知されて知った次第です。

 

今回のライブはエージさんや健司さんの音楽仲間が集まり、健司さんを追悼するという趣旨で開かれました。ドリンク代だけで入場は無料。私はライブを聴きに行くというより、尊敬する太田エージさんに、亡くなったお兄様へのお悔みをひとこと伝えたくてお邪魔しました。

 

 

ステージ脇には、祭壇が設けられていました。

 

 

生前の太田健司さんの写真が飾られています。私もお線香をあげさせてもらい、本番前のエージさんに「お兄さん、残念でしたね」と声をかけることが出来ました。

 

 

演奏を始める前に、エージさんからお兄さんのプロフィールについて紹介がありました。30年ほど前にアメリカに渡り、いろいろ苦労したあげくラビ・シャンカールと繋がりが出来て仲間に迎えられたそうです。

 

エージさんは説明の中でお兄さんのことを「ケンジ君」と呼んでいました。仲が良かったのでしょうね。健司さんはLAで音楽活動を続けていましたが、心臓の病気で急逝されたそうです。さぞかしご無念だったことでしょう。

 

 

そしてライブでは太田健司さんが好きだった曲や、エージさんならではのGFRのコピーもあり、いろいろなメンバーが入れ替わり立ち替わりステージで演奏して故人を追悼しました。

GFRの曲は『ハートブレイカー』と『孤独の叫び』だったと思います。ビートルズの『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』もやってくれて嬉しかった。

 

うまく言葉にするのは難しいのですが、エージさんの、お兄さんへの熱い想いが伝わるライブでした。私には男の兄弟がいないので「兄と弟」というのがどんな雰囲気なのか分かりません。でもたまたま今年はノエルとリアムのギャラガー兄弟が組んで1990年代に大成功した「オアシス」というバンドを再結成するというニュースも伝わりましたし、兄弟の良さって、やっぱりあるんだろうなと思った次第です。

太田健司さんのご冥福をお祈りするとともに、エージさんのますますのご活躍をお祈り致します。

 

 

 

 

 

 

 

<追記>

 

ポスターのデザインとか「コンサート・フォー・ケンジ」というタイトルからしても、ジョージを意識していることは間違いないですね…飛び出すハート 太田健司さんも本望かと思います。

 

 

 


昨日の水曜日のことです。


早番で仕事だったので、いつものように朝7時20分頃に赤坂見附の駅に着き、職場へ向かう途中のコンビニで飲み物とランチを買いました。 



職場に着いてバッグを開けたら、買った覚えのない「黒酢ドリンク」が入っていることに気がつきました。買った記憶はないし、そもそも普段は飲まないものです。



これです↑。レシートを見ても載っていません。なんでこの黒酢ドリンクがバッグに入ってるのか、さっぱり分からない。


前に買ったものがバッグに入れっぱなしだった?いいえ。よく冷えているから、さっきまで冷蔵ケースに入っていたことは間違いないです。


なんか…嫌ですよね?にやり


なぜこの黒酢ドリンクがバッグに入っていたのか、私はあれこれ考えました。


可能性としては、私はセルフレジを使ったんですけど、私の前のお客さんが、黒酢ドリンクを買ったけど忘れていって、その後にレジを使った私が、買ったものを自分のバッグに入れる時にうっかり一緒に入れてしまった…


そのくらいしか思いつきません。私がレジを使った時はお客さんはいませんでした。他の可能性は、ちょっと思いつかない。


でもなぁ。私が買ったのはペットボトルのドリンクと菓子パン、あとカロリーメイトなんですよ。

この黒酢ドリンクは紙パックで、自分が買ったものとは「手触り」が明らかに別物ですよね。それをバッグに入れちゃうかなぁ? まぁ、カロリーメイト(2本入り)とは、大きさ重さ手触りが少し似てますけれど。


どうにも気持ちが落ち着かないので、黒酢ドリンクはそのままにしておいて、帰りがけにまたコンビニに寄って、訳を話して返却しました。

店員さんは外国の方で「???」みたいな感じだったけど、まぁ仕方がない。


お店を出る時に「この商品はどこに並んでるんだろう?」と思って棚を探したら…



おー。なんか、一本分だけスペースが空いてる。朝、私が立ち寄ってから6時間以上が経過してますが、そのままなのかな? 


____



昨日の朝は、珍しく朝刊が届くのが遅れて読めなかったし、横浜駅のホームでは若い男性が倒れていて救急搬送されようとしていたし、なんとなく時空が歪んだようなモヤモヤした気分だったんです。


そうしたら職場の最寄りのコンビニでこんな出来事があって、とても不穏な1日の始まりでした。「なんか良くないことが起きなければいいけど」と思いました。

午後には懸案事項の処理のためにいくつか予定がありましたが、何かゴタつくようならやめて大人しくしていようと決意したほどです。でもおかげさまで特にトラブルもなく仕事が終わり、午後の予定もスムーズにこなすことが出来て良かったです。



でも本当に、あの黒酢ドリンクはいったい、何だったんでしょうね?不思議だ…無気力












というわけでもないのですが(笑)、前回の記事、六本木でポール・マッカートニー写真展を観てからの続きです。

 

 

六本木から日比谷線で霞が関に出て丸の内線に乗り換えて…

 

池袋で降りて西口へ…

 

 

私にはバレエやクラシックのコンサートでお馴染みの東京芸術劇場。はい。この季節に私がここへ行くとなったら、目的は…もうお分かりですよね。

 

 

 

港、船、ヨット、波、埠頭、桟橋…「海」をテーマにした作品だけを集めた絵画展です。毎年お邪魔するようになって、もう何年かなぁ。コロナでも断絶せずに続いてくれた有難い催しです。

 

 

 

私は平日を選んで行くので、いつもこんなふうに空いています。「順路」とかないので、好きなように歩けるのが嬉しい。私はいつも3周します。

まずだーっと1周して、気に入った絵の目星をつけます。2周目は気に行った絵だけをじっくり観る。3周目は、それらの絵を撮影(撮影は許可されています)。有名な美術館で開かれる有名な画家の絵画展では絶対にできない贅沢な鑑賞ができて、しかも無料ですからね。有難いことです。

 

では、私の印象に残った作品をいくつかご紹介します。

 

 

『時の港-連綿と』 平林直哉 油彩 F50 

 

私は遠くからこの絵を観て「あっ、あの人の作品だな!えーっと、確か…平林さんだっけ?」と思って近づいていったら、そうでした。もちろん毎年違う作品を出展されているのですが、タッチが独特で好きなので、覚えてしまいました。

 

 

『サーカスは船に乗って』 神保雅春 油彩 P120

 

この方の絵も、見た途端に「あっ、あれだ」と思いました。もしかして毎年同じタイトルで出品されているのかもしれません。正直、必ずしも「好き」な雰囲気ではないのですが、なんとなく気になってしまうんです。毎年、そう。

 

 

『あの日 君と見た風景』 田中道信 アクリル M100 

 

これは独特な雰囲気があって、思わず足を停めた作品。すごく写実的なんだけど、どことなくシュールな雰囲気を感じたんです。どこがシュール(非現実的)なのか、すぐは分からなかったけど、3周目に見て気がつきました。この記事の最後に答えを書きますので、皆さんもこの絵↑を観てお考え下さい。

 

 

 

『沖縄の海』 安藤恒利 油彩 F30 

 

この作品を観た瞬間、私は「寅さん」を思い出しました。浅岡ルリ子さんと共演した、シリーズの最後のほうの作品、ありましたよね? 沖縄本島でなく離島の雰囲気がある。そして見るからにゴーギャンのタッチ。中央の人物がしゃがんでいるのは、沖縄ふうのお墓にお線香をあげているのかな?

 

 

『海に向かう風』 蓮池髙夫 油彩 F100

 

今回の展示の中で私がいちばん「いいな!」と思ったのがこちらでした。国際的なヨットレースが開かれているヨットハーバーでしょうか。ザクザクしたタッチが、いかにも乾いた風がヤードを吹き抜けていくような雰囲気で、なんか大好き。どことなく絵全体から「トリコロール」を感じるところも気に入りました。

 

 

毎年そうなんですが、この絵画展では、私が良く知っている場所を描いた作品に出会えるのも楽しみのうちです。

 

 

『咸臨丸の浦賀発ち』 河口琢磨 水彩 P40

 

これは幕末に勝海舟たちを乗せて太平洋を往復した咸臨丸が浦賀のドックを出るところ。私は咸臨丸は横浜港(今でいう『象の鼻』ドック)から出航したとばかり思い込んでいましたが、そもそもは浦賀が出発地だったのでしょうか。

 

入江の向うに見える神社は「東叶(ひがしかのう)神社」ですね。そうするとこの絵は「西叶神社」あたりから見た構図かな?ふふふ。そんなふうに考えているとめっちゃ楽しくなります。あっ、そう言えば東叶神社には、勝海舟にまつわるナンタラの伝説がありましたね。なんだったっけ?まぁ、今は寄り道しないでおきましょうあせる

 

 

 

『口之津 天草行きフェリー乗り場』 小渕一好 版画 390×480

 

自分で行ったことはないのですが「口之津」という地名にビビッと来てしまいました。最近、何かの小説で読んだような気がして…吉行淳之介さんの文学仲間だった島尾敏雄の『贋学生』という小説に出て来る場所じゃなかったかな?と思い、帰宅して調べたら合ってました! ちょっと抜粋しますね。

 

「三人は又バスに乗り込んだ。然し雲仙への登山バスではなく、南下して口之津(くちのつ)に行くバスだ。(略)口之津までのバスの中では三人とも半分居眠りをしていた。道路は一層悪く、振動もはげしく、口を聴くのもだるくて半眠りの状態で終点の口之津にほうり出された。三人は軽便鉄道の汽車を待つために、しばらくの時を口之津の小さな駅で待たなければならない。(略)

駅前に桟橋があった。桟橋も駅と同じような小さな簡単なものだ。石垣からつき出た木橋の先に四角な浮桟橋がついているだけのものだ。木橋のたもとに小さな待合室のついた切符売場がある…」

 

『贋学生』は太平洋戦争中に三人の学生が長崎・雲仙を旅をするところから始まる物語です。私がこの作品を読んだのはつい数カ月前のことで、口之津という地名がなんとなく心に引っかかっていて、それがこの絵画展で記憶から引っ張り出されるという不思議な繋がり。面白いですね。

そして「寅さん」も口之津に寄ったことがあったような気がしますが、調べておきます。長崎は繰り返しロケ地に選ばれているのは間違いないんですけど。

 

 

 

『ぷかりさん橋(横浜港)』 梅本眞一郎 油彩 F10 

 

これはまぁ、私にはお馴染みの場所。横浜マラソンではゴールまであと150mぐらいのところで、これを右手に見ながら臨港パークを走るんですけど、みんな苦しいしゴールは目の前だし、ランナーの皆さんにはあまり印象に残っていないかもですね。

 

 

では、先ほどの問題の答え合わせを。

 

この絵はとても写実的なように見えて、でもよく観るとなんだかシュールな雰囲気を感じたのでした。さて、私はこの絵のどの辺が「シュール」と感じたかといいますと…

 

 

そうです。少年にも犬にも、「影」はあるけど「足跡」がない。 この状況で足跡を着けずに波打ち際まで行けるはずがないんですよ。これは作者さん、狙って描いたのかなぁ?訊いてみたいですね。

絵画を鑑賞する姿勢としては邪道な、余計な詮索かも知れませんが、でもその辺が面白かったですニコニコ

 

 

 

ーーー

 

 

 

六本木でポールの写真展を観て、続けて池袋で海洋画展を観たらさすがに休憩したくなりました。とにかく暑い日でしたから、甘くて冷たいものが欲しくなり、こちらへ…

 

東京芸術劇場とは道路を挟んで真向かいにある「ルミネ」へ。レストランフロアをうろうろ歩いて「おぼんdeこぼん」というお店に飛び込みました。このお店、確かマークイズみなとみらいにもあったなぁと思いながら。

 

 

いちごクリームあんみつ580円と、コーヒー200円(セット価格)。

 

 

さんざん歩いて疲れたし暑いしで、甘さと冷たさが全身に沁みました~ 美味しかった!合格

 

 

 

 

ポールの写真展と海洋画展。いくらかでも、観に行ったような気分になって頂けましたでしょうか? 最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

 

懸案事項の処理が佳境で心も身体も余裕がない日々ですが、これだけは観なきゃ!という展示が2件あったので、先週の木曜日に思い切って出かけて、1日のうちに2つとも回ってきました。

 

まずは、こちら…

 

六本木で降りて…

 

 

六本木ヒルズ・森タワーの52階にある「Tokyo city View」へ。

 

 

52階は展望台フロアも兼ねていて、東京タワーを見おろす眺めが楽しめます。

 

 

この眺めには私もちょっと驚きました。神谷町~虎ノ門~溜池かいわいです。虎ノ門ヒルズ以降、再開発がどんどん進んで高いビルが次々に出来ているのは知っていましたけれど、これほどとは。一世を風靡した赤坂アークヒルズなんか、完全に埋もれてしまいました(見えてはいますが)。

 

 

こういう景色が見られるTokyo city Viewで開催されているのが…

 

 

 

 

ポール・マッカートニー写真展「Eyes of the Storm」です。

 

イギリスで人気が爆発していたビートルズがいよいよアメリカに乗り込み、エド・サリバンショーに出演して全米のファンを熱狂させた1963年12月から1964年2月までの3か月間に、ポールが自分のカメラで撮っていた写真を集めたもの。

紛失したと思われていたネガが発見され、ポールも見て驚いたと言われる写真が展示されています。

 

たった3カ月間?といえばその通りですけれど、リバプールのチンピラ(笑)だった4人がブライアン・エプスタインやジョージ・マーティンたちの手で才能を開花させ、世界一の人気者へとジャンプした瞬間を「内側から」捉えた作品の数々は、ビートルズファンならやっぱり見逃せません。

 

特に「撮影禁止」とされているもの以外、大部分は撮影可能という嬉しい展示でしたので、特に印象に残ったものをご紹介します。

 

 

当時、ポールが持っていたカメラ(…と同じモデル)が展示されていました。アサヒペンタックス。この当時の最新機種で、それまでのカメラに比べてずっと小さくて軽く、扱いやすくなったものだそうです。

 

1963年といえば昭和38年。たしかに当時は上から覗いて撮る、縦型のカメラが主流だったのかな?私の父もそういうカメラを使っていた姿が記憶にあります。

 

ただ、小型で扱いやすくなったと言っても、絞りとシャッタースピードを組み合わせて最適な露出を決め、レンズを回してピント(焦点)を合わせてシャッターを切り、その都度フィルムを「巻き上げ」るという、すべてが手作業のカメラ。

撮ったフィルムはDPE(写真屋さん)まで持って行って、現像とプリントが出来上がるまで数日、待たなきゃなんない。

今の感覚だと「そんなめんどくさいこと、やってられるか!」って感じですけど、当時はそれが当たりまえで、特に不満もなくみんな使ってたんですよね~。

 

で、そういうカメラでポールが撮った写真の中で、私が「ああ~」としみじみ感じたのは、ジョンのポートレートでした。

 

 

 

そうか!楽屋とか移動中とか、非公式の場所ではジョンはいつも眼鏡をかけていたんですね。ビートルズ後期~ソロになってからのメガネ姿は印象に残っていますが、アイドル時代は眼鏡はご法度だったのでしょう。(なお、このブログに掲載する写真は、すべて私マサミが適宜トリミングしています。ポール、許してね?)

 

 

そして、いちばん私の心を揺さぶった1枚も、やはりジョンでした。

 

 

ああ。この、孤独の影をまとった表情。曲がヒットし、マスコミやファンに追いかけられるようになり、有頂天になってもいいはずなのに、なんて沈鬱で寂しげな顔なんでしょう。

でもジョンの素顔はこっちだったのかなと思います。そしてそういう瞬間を捉えたポールのセンスも素晴らしい。

 

 

そうそう。ファンやマスコミに向けるのは、こういうおどけた顔なんですよね。営業スマイル。疲れてイライラしててもカメラを向けられたらこういう表情を浮かべないといけないのは、しんどいだろうなぁ。

 

 

そしてこの写真にも「ああ~」と思いました。ビートルズの4人は、行く先々で、こういう景色しか見えなかったんですね。自分たちに向けられる無数のカメラ、カメラ、カメラ、レンズ、レンズ、レンズ…

こういう写真はビートルズの一員であるポールにしか、撮れなかったはずです。まさに「内側」から見た1枚ですよね。

 

 

この女性はジェーン・アッシャー。ポールの最初の恋人と言われる人です。ポールはレコードのジャケット写真などを撮影するプロのカメラマンの仕事ぶりを見るうちに照明の当て方などで出来栄えに差が出ることに興味を覚え、ジェーンをモデルにしてこういう写真を撮ったりしていたそうです。

正面からの光でなく角度をつけることで立体感を生み出す手法。こういうことやってみたくなるの、私もすっごく分かります!

 

 

私が嬉しくなったのはこの1枚。写っているのはフリーダ・ケリー嬢。キャバーン・クラブで演奏していたビートルズに心を奪われ、通い詰めているうちに知り合ったブライアン・エプスタインから「僕の秘書になってくれ」と頼まれ、ファンクラブの事務局を任された人です。

フリーダが思い出を語るドキュメンタリーは『愛しのフリーダ』という作品として2013年に公開されました。

 

 

この写真↑は映画『愛しのフリーダ』から。この作品、ビートルズ関連の映画の中では、私はいちばん好きかもしれません。それこそ『ヤァ!ヤァ!ヤァ!』より好きかも。ブルーレイ持ってます。

 

 

こちらはジョンの最初の奥さん、シンシア。私は初めて顔を見ました。こういう人だったんだぁ。綺麗な女性ですね。とても知的な人みたいだし。ジョンより年上かな?(いま調べたらジョンの1つ上でした)

 

初期のビートルズでは、「ジョンは結婚している」というのは公式には秘密にされていたんですよね~。ほら、なにしろアイドルだったから。

 

 

休暇でくつろぐジョンとシンシア。この写真展の最後のほうは、なぜだかこの二人の写真が多かったです。見ていると…ヨーコさんには大変失礼ながら、ジョンはシンシアと落ち着いた家庭を持てていたら、また別の幸せがあったかもしれないな…と思ってしまいました。

 

見ていて思ったのは、リンゴの写真もジョージの写真もあるし、ブライアン・エプスタインやジョージ・マーティンも出て来るけれど、圧倒的にジョンの写真が多いんです。ポールの、ジョンへの特別な想いを感じて、切なくなってしまいました(涙)

 

 

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まだまだ印象に残ったポールの写真は多いのですが、このくらいにしておきます。東京では9/24(火)まで。その後は大阪でも開催されますので、興味のある方はぜひ。

 

 

私の生涯最良の親友が63歳で旅立って、3年が過ぎました。思い出すと、あの日も確かに暑かったけれど、この3年の間に日本はさらに熱帯化したんじゃないかと思います。

 

命日には行けませんでしたが、今日、お墓参りに行ってきました。

 

京浜急行の駅のそばです。

 

 

本堂の脇の急な階段を登り…

 

 

さらに登ります。汗だく。脚の悪い人には無理ですね。私はいつも「あと何年、この階段を自分の脚で登れるかな?」と思いますイラッ (クルマなら反対側の坂を登って駐車場まで行けるので、歩けなくなったらタクシーですね)

 

 

小高い丘の上の「樹木葬」エリアに、彼は眠っています。お花をあげて、お線香をともして…

 

 

よく冷えたミネラルウォーターを半分、彼の名前が刻まれたプレートにかけて、あとの半分は私が飲みました。「じゃぁ、またな」と心の中でつぶやいて、お詣り終了。

 

 

 

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残された奥様の少しでも励みになればと思い、私はときどきメールを送っていました。でも段々と返信が戻ってこなくなり、最近はちょっと気がかりだったんです。

でも今年の命日に合わせて送ったメールには、久しぶりに長文の返信があり、お元気なようで安心しました。

 

その返信の中にとても印象的なひとことがあったので、ご紹介します。原文そのままではありません。

 

たくさんの方に支えられ、子どもたちに何かを我慢させることもなく暮らせていることを感謝しております

 

ああ、ここ!「子どもたちに何かを我慢させることもなく」という言葉。これが“親ごころ”というものなんだなと思いました。親としては、子どもがやりたいことを我慢させるのは切ないでしょうね。

 

チャランポランに生きて来て結婚もせず子どもを持つこともなかった私には、この気持ちは…想像するしかありません。でも親御さんにとっては共通の想いなのでしょうね。実に真実味を持って胸に響きました。

 

奥様と二人のお子さんの健やかな日々を祈るばかりです。

 

 

 

 

まずは雑談から。

 

ふたつ前の、周防亮介さんの記事で「懸案事項の処理がまさに山場で多忙な毎日ですが」と書きました。この「山場」という言葉、本当は違う言葉を使いたかったのに度忘れして、思い出せなかったんです。

 

ものごとの勢いがまさに頂点という意味で…「ピーク」じゃなくて…漢字二文字で、もっといい言葉…ほら、何だっけ…と15分ぐらい考えたのですが思い出せず、仕方なく「山場」という言葉を使ったのでした。

 

そしたら、48時間ぐらい過ぎた水曜日の午後、急に思い出しました!

 

佳境

 

そうそう。「佳境」って言いたかったんですよね。なんでこんな言葉が出て来なかったんだろう。歳をとるとこういうことが少しずつ増えて来ます。あーやだやだ。

でも受け入れるしかないですね。クルマの運転席に座って、エンジンのかけ方が思い出せなくなるよりはマシだもんなぁおばけくん

 

 

 

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で、懸案事項の処理が本当に佳境で(笑)、東奔西走…は大げさですけど、本当にあちこち動き回っています。そんな中、数日前にちょっと驚いたことがあったので書いておきますね。

 

その日はここに↓いました。

 

JR横浜線の「中山」という駅です。新幹線が停まる「新横浜」から3つ目。私の家からだと1時間ちょっとで着きます。横浜市営地下鉄「グリーンライン」も乗り入れているので、ちょっとしたターミナル駅ですね。

 

私はこの駅には生まれて初めて降りたので、用事を済ませてから、駅の周りを少しブラブラしてみました。なんの用もありませんでしたが、ただ何となく。

 

こちらは北口。バスターミナルが整備されています。東急系のショッピングセンターもあって、そこそこ栄えている感じ。

 

 

反対側の南口もバスターミナル。小ぶりだけど駅ビルもあって、まぁまぁ賑わっていました。北口よりはこちら側の南口のほうがごちゃごちゃした(と言っては失礼ですが)雑然とした雰囲気があって面白そうだったので、こちら側を少し歩いてみることにしました。

 

線路に沿った道を適当に歩き始めて1分もたたないうちに、ふと右側を見ると「えっ?」という光景が視界に飛び込んで来たのです。

 

 

これです!駐輪場の向うのあれは、いったい何? もう、行ってみるしかないですよね。

 

 

駐輪場のフェンスぎりぎりまで恐る恐る近づき、外階段を下から見上げるとこんなふう↑。うひゃ~ポーン

 

 

どこが正面だか分かりませんが、とりあえず横に回ってみたら…

 

 

全部は写っていませんが、ほぼ全体像がこれ↑。「リカーショップ」という看板があるから、酒屋さんだったみたいですね。そして上の階はマンションだったのかなぁ。

 

敷地内に立ち入らないように注意しながら、さらに裏に回ってみました。

 

 

ははぁ…螺旋階段ですか。これは珍しいですね。そして「立入禁止不法侵入は犯罪」「侵入者は警察に通報します」という警告がベタベタと。

 

この場所で上を見上げると…

 

 

もう、何と言ったらいいやら。人が住まなくなって何年たてば、こんなになるんでしょうね?

 

ため息をつきながら私が路地を抜けると、さらに驚きの光景が!

 

 

「リカーショップ」の建物と狭い道を挟んだ反対側にも、こんな建物があるじゃないですか!

 

反対側に回ると、こんなふうです。いやぁ参ったなぁ。ここ、JR横浜線の中山駅から、徒歩2~3分の場所ですよ? 人里離れた山奥じゃなくて、新幹線「のぞみ」も停まる新横浜駅から3つ目。横浜線の快速の停車駅でもある中山駅の、めっちゃ近くなのに! (人通りの多さは、駐輪場に停まっている自転車の混み具合で分かりますよね)

 

私はしばらく唖然として立ち尽くしていました。通行人はそれなりにいましたけど、みんな見慣れた光景なのか、何事もなかったように通り過ぎて行きます。

 

そして私の脳内には「これは…どこかで見たような気がする」という想いが湧いて来たのです。

 

「どこで見たんだっけ…? なんか…アニメ? …もしかして…ジブリ? ええっと…なんか…朽ち果てた塔があって、主人公が『ここには入ってはいけません』って言われるやつ…」

 

私はジブリ作品は『もののけ姫』『トトロ』『魔女宅』『ラピュタ』ぐらいしか見ていなくて、しかも1回ずつしか見ていないのです。なかなか思い出せませんでしたが、急にひらめきました!

 

 

(画像はネットから)

 

そうです。映画『君たちはどう生きるか』で、眞人の大伯父さんが身を隠していた?廃墟の塔。あれを思い出したのでした。アオサギはいませんでしたけれど(笑)

 

でも本当に驚きますよね。夜、暗くなってからは通りかかりたくないです。特に雨がしとしと降る日の深夜なんかに、あの螺旋階段の下とか絶対に行きたくない滝汗

 

しかしあまりにも気になるので、帰宅してから「中山 廃墟」で検索していたら、なんと!「Y.S.」さんという方がアメブロに書いてらっしゃるのを発見しました!

 

2022.5.7(土)横浜緑区中山駅 中山商店街と緑新栄会 | わけわからん (ameblo.jp)

 

最後のほうに…出て来ます(笑) 

 

いやぁ、中山という町、用件は済んだので行く必要はもう無いのですが、また歩いてみたくなりますね。いろいろネタが豊富そう。この界隈は再開発の計画もあるようなので、行くなら今のうちかな。

 

 

 

先月のジョグ記録です。カッコの中はキロあたりのペース。

 

8/1   9.39km(9分15秒)

8/3   7.17km(8分29秒)

8/6  10.28km(9分18秒)

8/11   7.27km(9分00秒)

8/14  10.56km(9分11秒)

8/15  6.19km(8分43秒)

8/18 12.27km(9分03秒)

8/23  7.26km(8分00秒)

8/25  13.22km(8分22秒)

 

<8月の累計走行距離 83.61km>

 

懸案事項の処理に追われたし、異常なほどの猛暑だったし、月末は雨続きだった8月。そんな中での80km超えは「よくやった!」と自分に言おうと思います。

 

9月に入りましたので、10/27の横浜マラソン(フル)に向けて少しずつ距離を伸ばすのと、ペースも上げたいところですけど、そのためにはもう少し涼しくなってくれないとなぁ!

 

気温はともかく、湿度が下がってくれればグッと走りやすくなるはずなんですけどね。もう頼むよ!って感じ。

 

 

 

 

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8月…ねぇ。去年までの8月は、だいたいこんなふうでした。今年の夏は、夜中にふと「何かに揺すぶられてる」ような気がして「地震!?」と思って目が覚めたら、ヨットに乗ってる夢を見ていたことが何度かありました。

 

去年いっぱいでヨットを引退したら、夏が1年じゅうでいちばん苦手な季節になってしまったかもしれない。とても悲しいけれど、そんな気がしています。早く秋になってほしい。

夏がないのはさすがに寂しいけど、真夏は2週間ぐらいあればいいや。ははは。あれほど「夏は自分の季節!」とか言っていたのに。現金なものですね。はぁ~…泣き笑い