美濃焼のふるさとを訪ねて(最終日) | マサミのブログ Road to 42.195km

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12/14(木)

今回の旅も4日目となり、最終日です。朝食は昨日買って食べなかったパンと、ホテル内の自販機の缶コーヒーHOTで済ませました。9時過ぎにホテルをチェックアウト。まず土岐川の向う側へ。

 

 

「新羅神社」という神社を参拝しました。なぜここに行こうとしたのかちょっと思い出せません。たぶんガイドブックかパンフレットで紹介されていたんだろうと思いますが、それも見当たらなくて。たしか「厄除け」にいいという神社だったような記憶があります。

 

続いて、その近くにある「西浦庭園」へ。これはパンフレットに載っていました。しかし場所がどうしても見つからないのです。地図を見るとすぐ近くまで来ているのは確かなのにたどり着けない。たまたま駐車場に車を停めて降りて来た男性がいたので尋ねましたが、知らないそうです。2人で地図を見て考えたのですが分からず、男性は「申し訳ない」と言って去って行きました。

 

仕方なく、行けなきゃ行けないでもいいやと思って適当に歩いていると、数分後にさっきの男性が道端に立っていました。スマホを見ながらキョロキョロしています。そして私の顔を見ると「あっ」と気がつき、「どうやらこっちのようですよ?」と言って先導してくれました。

そしたら、そこからほんの50mぐらいのところに西浦庭園がありました。あの人は私と別れた後も気になって、スマホで検索してくれていたんですね。有難いことでした(私は本当に困って命の危険があるぐらいの時でないとスマホの地図は見ないので、思いつかなかったんです)。

 

 

これが西浦庭園の正門。

 

 

明治天皇がこの地を訪問された時、地元の名士だった西浦さんという人が自分の土地を使って天皇ご一行が休憩できる場所を作ったんだそうです。テニスコート1面(周囲のスペースも含めて)ぐらいの、コンパクトな庭園でした。

 

 

そして西浦庭園のすぐ脇の民家の塀に、こんな看板が…「ねこでます」

 

 

あたりを見ると…あっ、本当にいました!

 

 

呼んだけど来てくれませんでした。

 

 

そしてもう1匹いるのを発見。私が去り際に振り返ると、さっきの看板の横に猫の出入り口があって、本当にそこから出入りするのが見えました。可愛いニコニコ

 

 

さらにその辺をぶらぶら歩いていると、気になるものが目にとまったんです。それは…

 

え?ナニコレ?大きなイカの剥製?

 

 

これはディンギー(小型ヨット)じゃないですか! 私がずっと乗ってたのとほぼ同じ大きさ。ヤマハのシーホッパーかなと思いましたが、違うような気もする。それにしても、ここは岐阜県ですよ?海がないじゃん。大きな湖もないし。それなのになぜここにディンギーが? 近くに誰かいたら話しかけてみたかったんですけど、誰もいませんでした。不思議…

 

 

そうこうしているうちにお昼近くなったので、昨日、潮音禅寺のご住職さんに勧められたうなぎ屋さんに向かいました。

 

『たじみ旅手帳』というガイドブック↑によれば、やきものづくりに携わる陶工さんたちは窯の熱で消耗した体力を補うため、昔からうなぎをたくさん食べたんだそうです。それで今でも多治見にはうなぎ屋さんが多いとか。

 

 

ご住職さんに教わった「うな千」。土岐川にかかる「昭和橋」のたもとにあります。

 

 

建物を見た感じではかなりの老舗のようですが、受付は最新のシステムでした。人数とメールアドレスを入力しておくと受付番号を書いた紙が出て来て、席が空いたら番号で呼び出してくれるスタイル。静岡のハンバーグの名店「さわやか」と同じじゃん! 開店の10分前ぐらいに行きましたが、私の前に4組がすでに待っていました。そして開店と同時にダーッとお客さんが入ってきて一気に満席。平日なのに!

 

それほどの人気店だけあって、ご住職さんのお薦めとおり、とても美味しかったです。詳しくは「グルメ編」で詳しくご紹介しますね。

 

美味しいうなぎで大満足して、さらに少し散歩。一昨日おとずれたらほとんどのお店が閉まっていた「多治見銀座商店街」にもう一度寄ってみましたが…

 

あれ?

 

うーん。「たじみ銀ぶら市」という幟はあるんですけど、やはりこんな感じ。2日前と同じです。ひょっとして、これがこの商店街の「常態」なのかな?あまりにも悲しいですが。

 

気を取り直して、すぐ近くの「本町オリベストリート」へ向かいました。

 

いちばん目立つ建物が「陶都創造館」。この中に「多治見商人物語」という博物館と「ギャラリーヴォイス」という展示施設があります。1階にはショップが数店舗あって陶器類や多治見の名産品のショッピングができます。

 

 

 

なるほど。「多治見商人物語」という博物館だけあって、やきものを扱う商人さんたちの苦労や工夫の様子が分かるような展示がされていました。鉄道がなくて馬しかいなかった頃、重い陶器を運ぶのは相当に大変だったようです。近隣で焼かれた陶器類はいったん多治見の町に集まり、そこから全国に出荷されたんですね。人も物もお金も集積した、かつての多治見の賑わいが偲ばれました。

 

 

同じ建物の中にあるギャラリーヴォイスでは、「やきものの現在(いま) 土と魂の立ち上がる姿」という展示が行われていました。これはちょっと面白そうと思って入ってみると…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おお~!皆さんお気づきと思いますが、まさに私のホームグラウンドとも言える「菊池寛実記念 智美術館」の世界じゃないですか!作品の数は少ないけれど、すごく楽しめました。5人の作家さんによる現代陶芸の作品が並んでいたんですね。

 

帰り際に受付の女性(学芸員さん?)と少しお話をしました。「楽しめました!」と私が言うと「良かったです。やきもの、お好きですか?」と訊いてくれて、そこからしばらく会話が続きました。「智美術館が好きで、よく行くんです」と言うと「あ、コイツは少しは分かってるやつだな」と思ってくれたようで、さらに深い話に…

ほんの数分間ですが、勉強になる話を聴かせて頂きました。こういうギャラリーがあるとは知らず偶然に飛び込んだのですが、行って良かったです。

 

そろそろ帰りの時間も気になるので、お土産を探すことにしました。

 

陶都創造館のすぐ隣にある「井筒」というお店。ここが凄かったんです!

 

 

玄関を入ると、こんなふう。奥に見える暖簾をくぐると、さらに建物の裏手まで土間が続いています。これって京都の町家の造りですよね?

 

 

靴を脱いであがってみると、畳の部屋にはたくさんの焼き物が並んでいます。

 

 

1階と2階を繋ぐのは、狭くて急な階段。人が歩くとギシギシきしむんです。

 

 

2階の広間。

 

 

2階は、奥へと廊下が続いていました。奥の部屋に入ってみると…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい。もう私は途中から、やきものよりも家具に目が行ってしまいました。建物も古いけど家具も古い! 帳場の女性に訊いてみると「古い家を買い取ってこの商売を始めたんですけど、置いてあった家具もそのまま使ってるんです」とのことでした。失礼ながら、やきものの商売には熱心なわりに、家や家具にはあまり関心が無さそうな…ふうに私には感じられました。この古民家と古い家具、ひっくるめたら相当な価値がありそうですよね。

 

でもこちらで売っているやきものは、基本的にとても親しみやすいお値段でした。なかには「この棚のもの、すべて値札の半額!」と書かれたものもあって、私はそこから1品、自分のために選びました。何を買ったかというと…

 

 

これです。志野焼…のように見えるコーヒーカップとお皿のセット。ひと目で「これだ!」と思いました。4000円ちょっとの値札がついていましたが、半額なので2000円そこそこで買えてしまいました。

 

大満足で本町オリベストリートを後にして、多治見駅へと戻ります。途中のながせ商店街に気になるお店があったのを思い出し、入ってみることにしました。

 

 

こちらです。ヤマニ陶器さん。

 

 

品の良いシニア世代の女性が1人でお店をやってらっしゃいました。許可を得て撮影。

 

 

この写真から感じる広さの、倍ぐらいあります。奥行きがとても深いお店。全スペースを2周、ゆっくりと回ってここでも自分用に2点、選びました。

 

 

これまた、志野焼…のように見えるお皿。本当の志野焼とどこが違うかというと…

 

 

これが本物の志野焼の茶碗です。アップにしてみると…

 

 

表面に細かいヒビが入っているでしょう?これは陶器本体の上に塗られた釉薬(ゆうやく・うわぐすり)が、窯で焼かれる時に下地の土と収縮度が違うために起きるものなんだそうです。「貫入(かんにゅう)」と呼びます。

 

ところが私が買ったお皿は…

 

ね?まったく貫入が無い。だから、いくら志野のように見えても志野ではない…というのは私の考えなんですけど、合ってますかね?どなたかぜひ解説をお願いいたします。なおさっき「井筒」で買ったコーヒーカップとお皿のセットも同様に貫入はありませんでした。

 

 

ヤマニ陶器さんでは、もう1点、こういうお皿も買いました。なんか、どことなくいいなと思って。渋いですよね~。これにトーストとか載せたら映えるかも?というイメージが湧いたんです。まだやってみてはいませんけど。

メモを失くしてしまって金額がハッキリしませんが、志野のように見えるお皿とこれと合わせて、3000円もしなかったと思います。

 

ヤマニ陶器さんでは、お店の女性と少しお話をしました。おっしゃるには「昔はうちみたいなお店がこの通りに何軒もあったんですけど、今はうちしか残っていないんです」とのこと。私の地元でも、かつてはいわゆる「瀬戸物屋さん」が商店街に何軒かありましたけど、今は皆無ですからねぇ。

多治見の町とは言っても、一般市民を対象にしたごく普通の、個人商店の陶器店は経営が難しいのでしょう。食器が必要なら、駅前のビルの中の100均ショップか、ちょっと離れたところのイオンモールまで車で行って買うのが主流かな。寂しいことです。

 

このあと、多治見駅前に新しく出来た商業施設の中の「オリベ」という店で、お友だちへのお土産を何点か購入し、多治見での予定は無事にすべて終了しました。

 

 

多治見駅からJRの快速で名古屋へ。地下鉄で向かったのは杁中(いりなか)という所。

 

 

 

分かる人には分かる。どうしても行きたいお店があったんです。名古屋で何を食べたかはグルメ編をお楽しみに。ここで食事して名古屋駅へ戻り、陶器のお土産でズッシリ重くなったリュックを抱えて新幹線で横浜への帰路についたのでした。この日、ホテルを出て家に帰るまでに歩いたのは22,262歩、15.3km。

 

この4日間で歩いた距離をおさらいすると…

 

12/11 27,090歩、18.6km

12/12 24,554歩、16.9km

12/13 50,738歩、35.0km

12/14 22,262歩、15.3km

 

4日間トータルで124,644歩、85.8kmに達しました。いわゆる“ふつう”の人の感覚だと「なんでそこまで?」と思われるはずですが、ウルトラマラソンだと私が4日間で歩いた距離を1日で軽く踏破しちゃいますからね。なので、そこそこ足腰を鍛えた人なら、「それが何か?」という数字だと思います。

とは言っても、私はこの旅から帰宅して以降、身体のあちこちに異変をきたして絶不調に陥りました。これだけ歩いたのが原因かどうかは分かりませんが、さすがにちょっと身体を酷使し過ぎたかなという反省は、あります。少しですけどニコニコ

 

 

 

ーーー

 

 

 

思い返すと、「市之倉」「たかた・おなだ」「本町」と3カ所にある「オリベストリート」を全部歩いて回ったのに、やきものを作っている現場、ろくろを回したり土をひねっているところはついに一つも見なかったです。何度も書いたように「どうぞ見てって!」という雰囲気の場所が無かったこともあるけど、探せばきっとあったはず。そこは心残りと言えます。

 

でも今回の旅のいちばん大きな目的は、生前の荒川豊蔵さんがやきものづくりに没頭しながら眺めた多治見、可児、土岐の山々と谷、川、空などの風景を自分の目で確かめることでしたので、そこはたっぷり堪能できました。「あの山の景色を荒川さんも見たんだな」とか「この峠を荒川さんも自分の足で登り下りしたんだな」と思うと、じわっとした感慨がありましたね。行って良かったです。

 

荒川豊蔵さん 1894(明治27)年3月21日~1985(昭和60)年8月15日

 

 

 

レポートはこれで終わります。長い長い記事にお付き合い頂き、ありがとうございました。