はじめに

英国国立ウェールズ大学経営大学院MBAプログラムの田所教授によると、競合が激しい現在の市場においては、ブランドの果たす役割は、ますます重要になっている。そして、ビジネスの成功のためには、強いブランドを構築し、その力を最大限に活用するとともに、ブランド価値の向上を図ることが不可欠であると述べられている。

我々はブランドに対して意味を付与していくためには、そもそも、そのブランドが認知されたものでなければならない。なぜならば、誰も知らないブランドには、誰も意味を付与することができないからである。その意味では、ブランドの出発点は、製品やサービスそれ自体であるといえる。ここからブランディングが始まると考える。

ブランドの認知が高まるにつれ、ブランド連想として多くの意味を付与していくことが可能になっていくといえよう。これらは相互に影響を与えつつ、当のブランドを顧客にとってかけがえのない存在にしていくことにより強いブランド力を勝ち得るのである。

ブランディングを築きあげるには順番があり、また、それには時間もかかる。知名度があるだけでは強いブランドとは一概にはいえないし、品質が良いと評価されているだけでは、良いブランドとはいえないのではなかろうか。これらは、強いブランドの条件の一つにすぎないと考える。

強いブランドとはいったいどのようなものであろうか。本レポートでは、第1章でブランド・エクィティを概観し、第2章において、そのブランド・エクィティの主要な資産である「ブランド認知」、「ブランド連想」、「知覚品質」、「ブランド・ロイヤルティ」等について、「JUST DO IT!」で有名な「ナイキ(NIKE)」を事例として取り上げて論ずる。

ナイキは革新的な製品デザイン、トップ・アスリートへのスポンサーシップや競争意欲、動じない姿勢などを連想させるように、消費者にとって重要な連想の集合を有している。

「ナイキのマーケターたちは、自らのマーケティングの努力の指針として、社内向けに「本物・運動・パフォーマンス」」(ケビン・ケラー、2005,p.136)という3語の言葉を基軸としてマーケティング活動をしている。この3語は、ブランドとしての正しい方向性を確認するとともに、少しでも軌道を外れることがないようにするための精神的なガードレールの役割を果たしているといえよう。

「長年の間にナイキは、ランニングシューズから競技用シューズ、競技用シューズとアパレル、さらには「運動競技に関連するあらゆる製品(器具を含む)へとブランドの意味を広げた」(ケビン・ケラー、2005,p.136)。

しかしながら、各拡張段階においても、この本物・運動・パフォーマンスという3語が手動的役割を果たしたと言われている。ナイキはヨーロッパへの進出にあたって何度かスタートでつまずき、その後ようやく「本物・運動・パフォーマンス」がヨーロッパでは異なる意味合いを持つことに気付き、とりわけサッカーを重視しなくてはならないこと」(ケビン・ケラー、2005,p.136)を理解したのである。

このようにして、ナイキは世界進出を果たすとともに、この3語の枠組みを拡張しながら、ナイキという製品ブランド、そしてナイキというコーポレートブランドを強固なものに成長させた。この強くて、なおかつ素晴らしいブランドの成長の推移を見ながら、強いブランドの条件を探っていく。

第1章 ブランド・エクィティとは

 「ブランド・エクィティとは、ブランド、その名前やシンボルと結びついたブランドの資産と負債の集合である。そして、エクィティは、企業かつまたは企業の顧客への製品やサービスの価値を増やすか、または減少させる」(デービッド・A・アーカー,2001,p.20)とある。つまり、「ブランド・エクィティ」とは、ブランド名によって消費者が感じるプラスの価値からマイナスの価値を引き算したものである。同じ商品でもそのブランド名がついていることによって生じる価値の増加分と言い替えられる。

つまり、「ブランドは企業にとっては重要な無形資産」(田所、2011、第2回講義レジュメ)なのである。

 強いブランドの構築のためには、その過程はどのように創られていくのかを考えると、一連のステップにしたがって構築されるといわれている。

「ブランド構築における四つのステップとは、

1、 ブランドと顧客とのアイデンティフィケーション(同一化)、ならびに特定の製品や顧客ニーズに関するブランド連想を促すこと。

2、 有形、無形のブランド連想を戦略的に扱いながら、顧客の中にブランド・ミーニング(意味)を育んでいくこと。

3、 ブランド・アイデンティフィケーションおよびブランド・ミーニングについて、顧客の反応をうまく引き出すこと。

4、 ブランドに対する顧客の反応にもとづき、ブランドと顧客との間に強く活発なロイヤルティの関係を築くこと。」(ケビン・ケラー、2005,p.52

これらの四つのステップは、明確に順番づけられているといえよう。アイデンティフィケーションなしでブランド・ミーニングを確立することは難しいであろう。また、ミーニングなしではレスポンスも得られないし、レスポンスなしでは顧客との関係も築くことはできないのである。

第2章 ナイキのブランドアイデンティティ

アーカーによれば、強いブランドは、消費者のそのブランドに対する認知、連想、知覚品質、ブランドロイヤリティが確立されている。これらを実現するために自社のブランドアイデンティティを確立しなければならない。伊藤(2001)によれば、ブランドアイデンティティとは「企業のコアアイデンティティに基づく顧客に対する約束」であり(P44)、「社会状況が多少変化しようが、時代を超えて守り通していくべき企業としてのこだわり」であるとしている。

 松田(2003)によると、ナイキは「スポーツ選手によるスポーツ選手のための企業」と自社の存在価値を定め、「最高のスポーツ価値の創造」「芸術としてのスポーツの蘇生」「スポーツ選手に対する尊敬心」の追及をその目的としている。スポーツへの支援活動と製品展開を通じて、消費者に対して「保守的社会への対抗心」「新たな自分の解放」という約束を守り続けている。これがナイキのブランドアイデンティティである。

アスリートを徹底して支援する戦略を貫き、ナイキのシューズを着用したアスリートがオリンピックやワールドカップで大活躍する。これらの約束を消費者に提供し、消費者に熱狂と夢を提供し続けてきた。ナイキのシューズやユニフォームを着用すれば自分もマイケル・ジョーダンの様に宙を舞い、ロナウドのように神業的なボール捌きを実現できるという夢を与えた。

この強力なブランドアイデンティティはナイキのブランド戦略により出来上がった。アスリートのスーパープレーの映像とナイキ(Just Do It)というブランドロゴをミックスして放映し、ナイキ=スーパープレーを常に連想させる、ブランドコミュニケーションを徹底している。

1964年のビートルズの曲を使用した芸術性さえ感じさせる「革命」をテーマとしたTVCMにより、米国内にジョギングブームを引き起こした。このように新たなマーケットをナイキ自ら創出し、消費者の購買意欲をかきたてるブランド構築は当時の競合他社には出来ない発想であった。米国内では「ヘルス&フィットネス革命」を起こしたと評価された。(松田2003P92

このような成功の裏にはコアアイデンティティを軸とした弛みない研究開発がある。スポーツ用品においては競合他社との製品コモディティ化が進んでおり差別化は困難である。しかしながら、「軽い、動きやすい、フィットする」などといった実質価値と同等以上に消費者の心理的価値を重視している。

つまり、現代の消費者はシューズに性能を求めるのではなく、「ファンタジー」を求めているのだと認識している。その製品作りがブランドの強さの一つだと言える。Airジョーダンのようなストーリーとファンタジー性のあるシューズを履けば、少年やファンも空高く舞い上がり強烈なダンクシュートを決められるのだと心酔できる。この「心理的価値を具現化」できる物づくりにより、爆発的なヒットが継続し、さらにナイキのブランド力を強固なものにしていったのである。

第3章 消費者のナイキへの認知・連想・知覚品質

 アーカーによれば、ブランドエクイティとは「ブランドの名前やシンボルと結びついた資産(負債)の集合」であるとしている。本節では認知、連想、知覚品質について述べておきたい。

田所教授によれば、ブランド認知とは「消費者がそのブランドがある製品カテゴリーに属していることを認識している状態」でり、ブランド再認(手がかりとしてあるブランドが示された時にそのブランドを識別できる状態)とブランド再生(商品カテゴリー等が示された時に特定のブランドを思い出せる状態)により、認知が行われる。

 ブランド連想とは、「消費者が頭の中に呼び起こす一連の連想」であり、ブランド連想は「ブランドの市場でのポジショニング、競合ブランドによる差別化を明確にし、優位性を作る」ことだとしている(田所2011)この連想が消費者に購買決定を促す重要な要因となり、良好なリレーションを構築する基盤となる。

 知覚品質とは「ブランドの品質に対して顧客が下す評価」であり、「消費者が購買に当たり最も重視するもの」(田所2011)である。ここで注意が必要なのは、知覚品質とは客観的品質ではなく、消費者が主観で感じる品質のことである。つまり、消費者が評価する品質と企業が重視する品質はイコールではない。

 ナイキの創業から、強力なブランドアイデンティティを構築した過程を振り返ると、上記が形成されていることに気付かされる。以下にそれを論じる。

 創業者フィル・ナイトは1971年に「勝利の女神ニケ」からブランド名をとり「ナイキ」を発足させた。彼は起業家精神の持ち主で、行商から始め、既存の社会や既得権に猛烈な反骨心を抱いていた。ナイキのブランドを通し、「新しい人間、新しい社会」の実現を夢見ていたのである。

 かつてのシューズ競合企業(リーボックやオニツカタイガー(現アシックス))は大量生産・大量消費といったマスマーケティングが中心であった。(松田2003)しかし、フィル・ナイトは中距離ランナーのスティーブ・プリフォンテンに注目し、ナイキのマーク入りのシャツとシューズを身に着けて競技に出場させる奇抜な戦略をとった。彼が見事に七つのアメリカ記録を樹立したことで、一躍スターになり、彼の成長と共にナイキの名も広く認知される結果となった。これがナイキガイといわれるナイキのイメージに相応しい選手を起用したブランド展開の始まりである。

 消費者に強力な認知や連想を与えるためには、製品の品質もアスリートや消費者の期待に応えるものでなければならない。1980年代前半にカジュアルでファッショナブルなエアロビクス・シューズの市場が米国内に出来上がるという大きな変化があった。ナイキは自社の製品開発の真髄を「すべてはラボから始まる」という生産者志向に求めていたが、競合のリーボックはファッショナブルなレザーシューズを販売したことで、この市場の女性たちの心を大きく掴んだ。つまり、心理的価値を重視した製品開発に大敗したのである。  

この大敗をきっかけにフィル・ナイトは自社の姿勢を「すべては生活者から始まる」という顧客志向に転換し、製品開発やTQMのあり方、社員のモチベーション、かつリーダーシップのあり方まで、全てにおいて「実質価値」と同様に「心理的価値」を優先する顧客志向に大転換を行ったのである。この大敗がなければ、ナイキの強力なブランド戦略は成し得なかったであろう。

 大きく方針転換したナイキは「心理的価値」を重視したブランド戦略を猛追する。1985年にノーズカロライナ大学出身の選手と、5年間のCM出演料300万ドルという破格の契約をした。これがマイケル・ジョーダンである。ジョーダンのNBAでの活躍は語るに及ばないが、バスケの神様と言われる彼がナイキのスウッシュ入りのシューズとシャツを着て、強烈なダンクシュートを決める姿に、人々は熱狂し心酔するのである。エアジョーダンという世界で最も有名なバスケットシューズは消費者の心を弾ませ、コレクターも出現するなどのプレミアムな製品まで上り詰めた。ナイキの「心理的価値」の追求と人々への「新しい価値」提供に大成功した一つの事例である。

 また、グローバルファミリーと称して世界を見据えていたナイキは、世界に進出するのであればサッカーという新たな市場に進出する必要性があった。1994年のワールドカップでユニフォームやシューズの提供が全く無かったナイキは、ブラジル代表に注目した。競合であるアディダスが本国ドイツチームをサポートするのに対抗し、サンバのリズムで自由で体勢に反逆的なイメージのブラジル代表に製品を提供することで消費者へのナイキストーリーを提供したのである。2002年のワールドカップには32カ国出場の中で、8チームへの製品支援を行うまでに急成長した背景には、彼らのCM戦略が大成功したことが上げられる。

 ナイキのサッカーCMも自由と開放をメインテーマにしている。製品や品質を謳うCMはそこには存在しない。例えば、空港で飛行機を待つロナウドを中心としたブラジル代表選手に、ひょんなことからボールが足元に転がり、空港内でスーパープレーを繰り広げる。サッカーの楽しみと興奮を消費者に伝えるCMである。または日本向けのCMとしてはスターの中田英寿が退屈なサッカー協会イメージした体制に反発し、サッカー少年に自由を訴えかけるというものである。いずれも製品PRではなくCMの最後に「Just Do It」というナイキの理念が表示されるのみである。

 このようなサッカーの楽しみ喜びを伝える情熱的で時には感動的なCM戦略により、消費者の心理的価値を引き出すブランド構築を全面に押し出してきたのである。

 ナイキのブランド戦略を松田(2003)参考に体系化すると、ピラミッド型製品展開によるブランド構築手法が採られている。まずはハイレベルのトップアスリートに徹底してナイキブランドを使用させて結果を出させ、競技用シューズで圧倒的な競争優位を築く。それに共感を覚えた中間部のアマチュアプレイヤー層への展開、さらにはウィークエンドプレーヤー層、レジャー層へと下方転移の普及プロセスを重視している。それぞれの層にはマーケットリーダーが存在し、リーダーによる着用によって影響力を増し、さらに二段階のマーケット拡大が可能になっている。さらにこの競技用シューズの影響を受け、ファッショナブルに使用する若者を中心とした購買層を獲得する。ヒップホップのTOPアーティストであるエミネムがスウッシュのダウンジャケットを着用していたり、日本ではソフネットといわれるサッカーをイメージした原宿の人気ブランドとコラボしてプレミアムな人気ファッションアパレルを展開したりと、このピラミッド構造を一義とした販売展開が大成功している。

 このようなブランド戦略で展開されたナイキの製品は、バスケットシューズといえばマイケルジョーダンのエアジョーダン=ナイキという認知がなされ、サッカーでもスーパープレーはナイキを着用することで生まれるといった連想を消費者に抱かせるのである。またTOPレベルの研究開発により最先端の製品品質と機能を実現しながら、消費者へファンタジーを提供するCM戦略、エアジョーダンのような心理的価値を充分に満たすような製品展開により知覚品質も充足させるのである。上述のようなナイキの独特なブランドコミュニケーションにより、これら3点が強化され、「サッカー=ナイキ」「バスケットボール=ナイキ」「テニス=ナイキ」更には「スポーツの感動=ナイキ」といったブランドイメージを消費者に見事に植え付けている。これがナイキ製品の購買決定の強い要因となっている。

次節では、消費者のナイキに対するブランドロイヤリティを考察したい。


続く