私のおばあちゃん。
今から8年前くらいに亡くなりました。
小さい頃、私はおばあちゃんの家で従妹と一緒に暮らしていたことがありました。
母が再婚するまでの間で自分が物心つき始めた頃だと思います。
私はおばあちゃんが大好きでした。
看護学生の頃、いつものようにおばあちゃんの家に遊びに行ってた時。
私が母親のことをおばあちゃんに愚痴ったことがあったんです。
母親にバイト代を貸したのに返ってこないと。
私はこの時もおばあちゃんは私の味方でいてくれる。
私に寄せたことを言ってくれると思ってたんです。
おばあちゃんから返って言葉は
「親にお金を渡すのは当然だ。」
でした。
その時はすごく衝撃でした。
おばあちゃんに裏切られた気持ちでいっぱいになりました。
当時の私にはとても大きくて、おばあちゃんが味方してくれなかったこと。
親に金を渡すなんて当然なわけが無い。
と全然納得がいかなくて、そういう考えのおばあちゃんが大嫌いになりました。
そこからおばあちゃんの家にはあまり行かなくなり、
おばあちゃんと距離を置くようになりました。
おばあちゃんが亡くなった後も最近まではずっとおばあちゃんに言われた言葉が消えませんでした。
おばあちゃんに対する気持ちをどこで折り合いをつけようか考えたりもしていたけど、自分が否定しているままでは折り合いもつけることもできない。
その部分はどうしても溶けてくれないでいました。
もしかしたらその前後に何か言っていたのかも知れない。
私は自分が衝撃を受けたことだけを切り取って覚えているのかもしれない。
おばあちゃんは私が受け取ったような意味で言ったのではないのかもしれない。
もう、おばあちゃんと話すことはできないので、その時の言葉の意味はわかりません。
わかってもわからなくても良いかなと思っています。
おばあちゃんは、おばあちゃんの考えを私に言ってくれた。
そもそも、私の勘違いや思い込みでその時のおばあちゃんの言葉を受け取っているだけかもしれない。
私はたった一つのおばあちゃんの言葉で、
今までのおばあちゃんとの全てを否定して拒否してしまっていた。
おばあちゃんからの愛情を封印してしまっていた。
小さい頃、おばあちゃんの家で過ごしてた時期や大きくなるまでのおばあちゃんとの想い出。
コーヒー牛乳が好きだったおばあちゃん。
クリスマスの日はケンタッキーを必ず買ってきてくれるおばあちゃん。
学校をさぼっておばあちゃんのうちに遊びに行っても何も言わずに、
ただそこにいさせてくれるおばあちゃん。
おばあちゃんの家にしょっちゅう遊びに行っていました。
おばあちゃんに叱られた記憶は全然思い出せないです。
いつも何も言わずに私を受け入れてくれて、
おばあちゃんの前ではいつでも素直な私でいられた。
おばあちゃん子だった私。
それを思い出すことができた。
おばあちゃんから愛をたくさんもらっていたことに気が付けて本当によかった。
本当はおばあちゃんが亡くなる前に気が付けていたらもっとよかったのかもしれない。
でもその時は全くそんな気持ちにはならなかった。
亡くなった後、何年かして気づけたこのタイミングがよかったのかも知れない。
と思っています。
今は
おばあちゃんありがとう。
勝手に嫌いになってごめんなさい。
と心から言えます。
祖母の事を嫌いになった理由と好きを取り戻した時の事を書いています。
ブログをはじめてすぐの頃に書いたブログです。
この頃思ったことも、当時に思ったことも書いてました。
読みにくいけど、あの頃の私の素直な気持ちです。
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