☆野中 東・雑種が描く雑記☆ -2ページ目

究極のラブストーリー

普段は好んでラブソングもラブストーリーも好まないボキであるが、例外もあるから困ったものだ…

 

悔しいけれど、お前に夢中〜♪ギャランドゥ〜♪西城秀樹氏だが、良作!も幾つか存在!するから、実にまいっちんぐマチ子先生!!

 

 

わーお!

 

まぁ、デーブ・スペクター氏並みの駄洒落はこの辺にしておき、本題に移ろう。

 

 

邦題「エンジェル、見えない恋人」は最高な映画である。

 

 

正直言って、この様な発想力に脱帽だ!

 

簡単に物語を説明すると、姿が見えない恋人を好きになった女性、ルイーズは子供を授かる。

しかも母親にしか見えない健康な男の子だ。

 

なぬ〜?!

 

などとツッコミたくなる方も当然居られるだろう。

この物語はファンタジーでもあり、純愛劇でもある。

内容は約79分と他の映画の上映時間に比べると、うんと短いのだが、鑑賞するとご理解頂けると思われる。

というのも、時間を忘れさせ、固定概念そのものが馬鹿らしくなるほど優れた作風に驚かされるはずだ。

 

男の子はエンジェルと名付けられる。

生きていく上で欠かせない最低限のマナー、読み書きや人との接し方などを母から学ぶ。

 

 

エンジェルは唯一の理解者である母を永遠に愛し続けた。

また母も最愛なるエンジェルに対しさまざまな経験した事を伝える。

広大な湖での水泳はまるで空に浮かんでいる様で不思議な感覚であるとか、鏡という存在は自身を映し出しているにも関わらず、どことなく他人行儀であるといった詩的な内容の話をエンジェルに判りやすく説明する。

 

何も変わらない日常の中で、唯一エンジェルが気になる事がある。

それは窓に映る大きな屋敷で無邪気に遊ぶ女の子の姿であった。

更にエンジェルを困惑させた点が、母意外に見えないはずの自身の姿が、どうしてか女の子には理解している様なのだ。

勇気を振り絞りエンジェルは静かに女の子の前に立つ。

すると女の子は話しかける。

しかも手を差し伸べ名前を訊くのだ。

素直にエンジェルは自身の名前を伝える。

すると女の子はマドレーヌと答える。

 

今まで母のそばから離れた事のない世間知らずのエンジェルだが、目の前に映るマドレーヌは目が見えないと察する。

そう、マドレーヌは盲目なのだ。

それなのに誰よりも美しい目をしているからエンジェルは困惑するのみ。

 

これを機に二人は仲良くなる。

次第にお互いが特別な存在であると意識し始める。

 

 

エンジェルとマドレーヌは次第に少年少女から一歩先へと成長を遂げる。

二人は絆を深める。

エンジェルはマドレーヌの為、見えない事を詳細に伝える。

実際のマドレーヌの髪の色は赤いのだが、よく見ると二色の赤が重なり光にかざすと金色に輝き、より美しさが増すと答える。

エンジェルの言葉にマドレーヌは驚く。

『え、赤色は一つではないの?』と。

赤も他の色も単色ではないとエンジェルは優しく伝える。

同じ色でも微妙に違いがあり、強い色と弱い色があるといった説明をする。

まるで人も強弱があると説明をする様に、社会は絵本を具現化した内容で重なっているとまでは言わないまでも、近い趣旨の言葉でマドレーヌの耳元で囁く。

 

マドレーヌは姿が見えないエンジェルに対し、とても良い匂いがすると答える。

そしてお互い横たわり、エンジェルの顔を両手で優しく包み込むと、とてもあなたはハンサムよと伝えると、エンジェルははにかむ笑顔をマドレーヌだけにこぼす。

 

若さは永遠には続かない。

先ず母の容態が悪化し、エンジェルに見守れながらこの世を去る。

次にマドレーヌは手術を行えば視力が戻る可能性が高いと説明され数ヶ月間エンジェルの元を去る。

 

然し、内心エンジェルは心配する。

愛する母を失い、もしかしたら視力が戻ればマドレーヌも失うのではと危機感を抱く。

 

エンジェルはマドレーヌの帰りをひたすら待ち続ける。

数日が経ち、数ヶ月が経過し、数年が悪戯に過ぎるとエンジェルは青年となる。

 

手術に成功したマドレーヌは成熟した女性となり元の場所に帰ってくるのだが、全てが様変わりした事に気付く。

 

視覚を取り戻したマドレーヌの姿を確認したエンジェルは喜びが隠せないほど待ち侘びていたが、その反面、恐怖感も感じていた。

恐ろしい事にエンジェルの直感は当たってしまう。

 

視力を取り戻したマドレーヌは以前の様にエンジェルの存在を感じる事ができないのだ。

かつては心の奥底で読み取っていたので純粋な気持ちでエンジェルに接する事ができたのだが、現実を直視できたマドレーヌは愛する者を失っただけではなく孤独感を味わう必要に迫られる。

 

悲しみに暮れるマドレーヌをエンジェルは無視してはいなかった。

寧ろ陰ながら見守っていたのだ。

またマドレーヌも同様にエンジェルの姿は見えないながらも、本能で感じとる気配は読めた。

そしてマドレーヌはエンジェルの母が亡くなった事を知り墓に向かう。

思っている全ての感情を曝け出した内容の恋文を墓に添える。

悲しみを背負ったマドレーヌの後ろ姿を見守るエンジェル。

手紙の内容を読み終えると、自身の存在を罵った。

姿さえ見えればマドレーヌを喜ばせ幸せにできたのに…

 

 

やがて二人は求め合う。

どこまで事実を受け入れられるのかが、この作品の要でもある。

 

 

勇気を振り絞りエンジェルはマドレーヌに告白する。

自分が透明人間である事を。

 

しばらくの間、現状を把握できないマドレーヌであったが、視力を回復する前に愛した存在は今もなお変わらぬ存在であると自覚した時、物語はより深い湖の中を浮遊する場所へと誘う。

 

 

 

個人的に感じた事は、この作品は心が汚れていると鑑賞できない内容であると感じた。

人を愛するのに理屈など必要ないのだ。

最も不可欠なのは信じる事に尽きると。

 

それにしても、マドレーヌを演じた三人の役者は芸達者であると痛感したよ😀

 

 

切り替わるシーンも全く不自然さがない。

寧ろ自然だったから驚いたよ😆

 

 

 

 

それ以上に監督を務めたハリー・クレフェン氏の技量に参ったよ!

元々、俳優をしていただけに出演者への配慮と演出には細かな指示を加え、低予算ながらも広大な作品へと開花させた点は素直に拍手を送りたい👏

 

嫌だね、つうのは、反省せねばならない点は、年老いて行くと理屈に流される事にさ。

若者に何だかんだと説教を垂れても、所詮は理屈でしかない訳だしね。

要するに理屈なんつうもんは、経験論の一部でしかなく、理論上では片付くもんなのだが、人間の感情には数式では解決できない課題は幾らでも存在するのだ。

 

たまに居るでしょう?

数式にしか興味がなく、数で教えたがるオジサンやオバサンを。

要するに数に強い中年は頭がカチカチなだけなので、くれぐれも鵜呑みにせず、自分の声に精を出す事だよ〜ん🙃

 

きゃっ❤️

 

相手の懐具合

『敵を知るには懐に入る方が手っ取り早い』と言い放ったのが、立川談志師匠である。

随分前にTOKYO MXで「談志・陳平の言いたい放だい」という番組で、談志師匠が自民党に入党する際、なぜ敵対していた自民党に入党をしたのか?と野末陳平氏に尋ねられ、『敵を知るには懐に入る方が手っ取り早い』と答えのがとても印象深かった。

 

確かに相手が何を考え、企んでいるのかは寄り添う必要がある。

でも相手が賢い場合、そう易々とは行かないのが世の常である。

要するに、一瞬の隙を見計らう必要があるという事だね。

 

てな具合で、今回は「THE INFORMER/三秒間の死角」という作品を紹介したい。

 

 

簡単に概要を説明すると、主人公ピート(ジョエル・キナマン)はFBIに雇われた囚人である。

マフィアの息の根を止める為、FBIはピートを潜入させ情報を得る。

FBIのウィルコックス(ロザムンド・パイク)はピートに対し、マフィアのボスを捕らえる事が出来れば残りの刑を帳消しする約束をする。

ピートに小型マイクを仕掛け、ウィルコックスは仲間と共にマフィアが尻尾を出した時を虎視眈々と狙う。

そこでウィルコックスは上司であるモンゴメリー(クライヴ・オーウェン)の許可をもらう義務がある。

勿論、この時を狙っていたモンゴメリーはウィルコックスにゴー・サインを出す。

だが、問題が起きる。

ピートはマフィアのボスの息子と共に行動をしていたのだが、息子が予定外の行動に出たのだ。

見知らぬ者にドラッグを売る約束をピートには知らせずに交渉する。

その相手を信用して良いのか解らない状況だ。

 

 

ピートは相手と交渉の前に私的な話を持ち出す。

すると相手は最近まで刑務所に服役していたと話す。

そこでピートも同様、最近まで服役していた事を話し、経験者でないと解らない質問をいくつか挙げる。

やや辻褄が合わない事を察したピートは、『お前は警官か?』と尋ねる。

相手はすぐに否定するも、『もし警官であれば、ここから出る事が不可能だ』とピートが告げると、相手はピートだけに解る様に警官である事を認める。

一瞬の隙を見てピートは相手を突然怒鳴りつけると、アイコンタクトで『このまま俺に任せろ』と相手に告げながら入り口に向かう。

すると、相手はピートの作戦を台無しにするかの様に、警察のバッチと拳銃を出しその場に居合わせた者たちを脅す。

恐らく潜入していた警官は身の危険を感じ動揺したのだろう。

この行動が仇となり警官は背後から息子の銃で撃たれ即死する。

 

 

ピートに隠された小型マイクから状況を把握した上で、この計画は失敗であると認め、ウィルコックスらはその場を去る。

 

警官を殺害した罪は重い。

この件がボスの耳に知れると、この場に居合わせたピートと息子が呼ばれる。

そしてボスはなぜ相手が警官だと解ったのかピートに尋ねる。

だがピートは答えをはぐらかす。

ボスは警官を殺害した事により警察は犯人探しに力を入れる事となる。

そうなると仕事(ドラッグの売買)がやりにくくなるとピートにぼやく。

そこでボスが提案する。

『お前がもう一度服役し、囚人にドラッグを売り捌け』と告げる。

事前にピートは仮釈放であると知らせてある。

こういった事を弱みだと察したボスは強かに提案したのだ。

 

 

この様に最悪な事に発展すると想定していたピートは、事前に家族を守る事を考えていた。

妻のソフィア(アナ・デ・アルマス)に予めピートが帰らなかった場合、娘と共に遠くへ逃げる様に伝えていた。

 

 

 

だが、ソフィアはピートが戻ってくると信じて遠くに逃げる事なくマフィアに捕まってしまう。

こうなるとピートに残された選択肢は無い。

不幸中の幸いな点は、ピートがFBIの協力者であるとマフィアに悟られていない事だ。

マフィアの目を盗みピートはウィルコックスと上司のモンゴメリーに相談する。

 

 

FBIからすれば、今回の計画は4年もかけて考えていただけに失敗に終わった事が遺憾である。

また白紙に戻った状態なので次なる策がない。

そうなると考え方を改め、ウィルコックスはマフィアのボスの提案を呑むしかないと考える。

だがピートからすれば逆戻りとなる事が腹立たしく思う。

そしてピートは警官を守ろうと努力したと反論するが、ウィルコックスとモンゴメリーはマフィアのボスを捕まえたい一心で再度ピートに協力を求める。

 

 

ピートからすればFBIが下した結論は理不尽な要求でしかなく、単純に脅しだと感じた。

但し悪い様にはしないとウィルコックスが約束をする。

刑務所に入り、マフィアのボスが不利になる様なドラッグに絡む人間のリストを手に入れさえすれば釈放すると提案する。

 

 

この件の裏でもう一人の人間が動いていた。

殺された警官の上司であるグレンズ(コモン)である。

 

 

部下が殺された地区の防犯カメラを頼りに事件の真相を探る。

するとピートが映った画像を入手。

ここまでグレンズはこの件にFBIが絡んでいる事を知らない。

それにピートが協力者である事さえも知らないままだ。

 

グレンズが調べ上げる程、この事件は単なる殺人ではない事に気付く。

更に不可解なのがピートの存在だ。

最近まで20年の刑だった筈が、突然取り消され釈放されているのだ。

だが記録には明確な事実が記されていない。

仮に真実が存在するならば、この記録を扱ったウィルコックスの名前のみだ。

 

早速グレンズはウィルコックスとモンゴメリーの元を尋ねる。

しかしグレンズが納得する答えには至らなかった。

ウィルコックスとモンゴメリーは目障りなグレンズにこの件から手を引いて貰おうと嘘を重ねる。

痺れを切らしたグレンズは、犯行現場から近い場所に設置された防犯カメラに映ったピートの画像の他に、車の後部座席から見守るウィルコックスが朧げに映った画像を差し出す。

それでも二人は動じなかった。

 

二人と直接会って感じた事は、グレンズ自身が考えている以上に良からぬ事実が絡み合っている点だ。

そこでグレンズは独自の捜査を重ねる。

 

これ以上時間は割けられないと感じたモンゴメリーは、マフィアのボスを検挙する事を諦めた。

その事をウィルコックスに伝えると当然ながら反対される。

モンゴメリーの腹の中は、この件に警察が関与し始めると余計に厄介であると感じていたからだ。

ましてや服役囚を使い潜入させた上に警官が死傷している。

それにこの件から身を引くという事は必然的にピートを切るという事だ。

こういった背景も理解しているだけにウィルコックスはモンゴメリーの打診に納得できない。

しかもモンゴメリーは同僚であるウィルコックスに対し、これ以上この件に首を突っ込むのであれば、君が単独でこの件い関与し暴走していると上に伝えるまでだと言いつつ脅すのだ。

 

 

然し、時すでに遅し。

ピートはまだこの件が続いている物だと信じていた。

そして服役をしたのだ。

 

 

その後、ピートはFBIから裏切られる事実に直面する。

更に事態が悪化し始める。

理由はマフィアとFBIからも裏切られ刑務所内は正に生き地獄と化す。

また残された家族の安否や事実を揉み消そうとするFBIの在り方についてピートは立ち向かう。

 

 

 

果たしてピートと家族は生き残れるのか?

そしてマフィア以上に悪行を正当化するFBIの真実を告発する事ができるのだろうか?

サブタイトルである『三秒間の死角』は最後に至る時に発覚する。

何より、唯一正義に燃えるグレンズはどこまで真相に迫れるかが見所である🌟

 

 

 

 

展開が速く、緊張感が続く内容は良くできている。

豪華キャストで綴られた作品としては良作なのだが、唯一無駄遣いと考えられる点が、モンゴメリー役のクライヴ・オーウェンが生かされていない事だろう😩

 

時間の都合で仕方ないのかもしれないが、もっと捻りを利かしモンゴメリーの強かで悪徳上司に仕上げて欲しかった。

これ以上求めると何様だよ!と突っ込まれそうなのでお口をチャック・ウイルソンだ!

 

 

てな具合で、ばいちゃ👋

 

 

 

日常は音であふれている

唐突だが、生活の中には音が二つ存在し、騒音と音楽が混在している。

これはあくまで個人的な意見に過ぎないので鵜呑みにせぬ様に。

 

騒音は単純にノイズであり、音楽は音の強弱に関係なく生活に不可欠な物である。

特に後者は店内で流れる音楽であったり、ラジオやテレビから発せられる音楽であったりする。

または生活の中から生まれる音。

例えば、子供が遊ぶ声や鳥の囀り。

それに人が歩く音や、洗濯物を干している音など、人が動く事により発せられる音は日常その物である。

 

普段意識しなくても、気付くと音に包まれている。

先ほど説明した人の足音にも千差万別で、歩き方に癖があったり特徴のある人も居られる。

足音で我が子、または妻や夫の帰りを待つ人も少なくないはず。

 

これは余談だが、音がないと耐えられない人も居られる様だ。

例えば用事もないのにテレビを点けっぱなしにしている事や、気を紛らわす時に音楽を流す時など、要するに沈黙を嫌う人ほど音に頼りがちとなる。

そう考えると音は生活において必要不可欠な存在であるのかもしれない。

 

わーお!

 

与太話はこの辺にしておき、本題に移る。

久しぶりにヴィム・ヴェンダース監督作品、邦題「リスボン物語」を鑑賞した♪

 

 

ヴィム・ヴェンダース監督と言えば、「ベルリン・天使の詩」や「パリ・テキサス」、「都会のアリス」などと名作を世に送り出すロード・ムービー界の大御所でもある。

 

因みにヴィム・ヴェンダース監督の作品は二度紹介した事がある。

 

この作品はポルトガルのリスボン市から映画製作を依頼された流れで作られた映画でもある。

だが、単純に記録映画にしない点がヴィム・ヴェンダース監督の魅力でもある🌟

物語は突然、友人でもある映画監督のモンロー(パトリック・ボウショウ)から助けを求める内容が記された絵葉書が録音技師ヴィンター(リュディガー・フォーグラー)の元に届く。

然し、モンローが助けを求めた先とは遥か遠いポルトガルのリスボンである。

本来であれば、こんな藪から棒と思える用件など無視して当然だ。

それでもヴィンターは友人の為にドイツから自家用車で遥々ポルトガルを目指す。

 

 

道中で自家用車は故障し、やっとの思いでモンローが居る場所を訪れるのだが、当の本人が不在であった。

 

お世辞にも清潔とは言えないホテルの一室でヴィンターはモンローを待ち続ける。

音に敏感なヴィンターは街を出てあらゆる音を拾い集める。

後にモンローの作品に役立てればといったヴィンターなりの友情の証でもあった。

そしてヴィンター以外にモンローの帰りを待つマドレデウスという音楽を奏でるグループを知る。

 

グループの一人がヴィンターにモンローの制作している映画に使う楽曲を手掛けていると伝える。

彼らが奏でる音はヴィンターにとって強烈であった。

土着した音源は他の土地には存在しない美しい音でもあり、独特の哀愁が漂うのだ。

 

 

やや話が脱線するが、日本にも演歌以外に土着した音源が存在する。

あらゆる音源の中で個人的には民謡が日本を象徴する独特の音だと思う。

 

ヴィンターはモンローを待ち続けたが、帰る気配を感じない。

やがて意外な展開で再会をするのだが、助けを求めていたモンローは違う価値観を得て今までとは異なる手法で作品作りに没頭していたのだ。

 

この様子を冷静に視ていたヴィンターは友人の豹変ぶりに驚きを隠せなかった。

そこでヴィンターは辛辣な言葉を承知で友人を正す。

 

この先は本編を通して確認して頂きたい😀

 

 

冒頭でも説明したが、本来はこの作品は記録映画にとどまる所だった。

 

 

 

 

 

 

 

然し、そうしなかったヴィム・ヴェンダース監督は主人公の録音技師という設定を活かし、切り取った映像を基に音を有効に使いこなし、映画の在り方、または哲学を肉付けし、この作品が出来上がったのではないかと、勝手ながら思うボキ😀

 

何よりもポルトガルを代表するマドレデウスを起用し、土着した音と共に効果的に映像に盛り込んだ点も優れている♪

 

 

 

音楽に詳しい人であればご存じだろうが、ポルトガルの土着した音楽と言えばファドである。

然し、マドレデウスは安易にファドと決めつけてもらいたくないという事を音楽を通して表現しているそうだ。

お隣のスペインであれば、イコール・フラメンコと称するのと同様である。

以前にスペイン人に伺ったが、フラメンコはジプシーを表す音楽なので、現代に相応しくないといった若い世代が嫌っている。との事であった。

恐らくこういった事柄と似ているのだろう。

確かに、彼らの音楽には革新を思わせる音を表現していると感じ取った。

 

それにしてもヴィム・ヴェンダース監督は映画通の方でればご存知の通り、音すなわち音楽を作品の要として大事に扱う監督でもある。

この作品も例外ではなく、監督自らマドレデウスを起用したというエピソードもある。

 

こうして考えると、音により居心地の良さ、そうではない悪意のある音など、丸い地球を覆っているものだと痛感するよ…😩