☆野中 東・雑種が描く雑記☆ -3ページ目

最近では珍しくない光景

いやはや、周囲を見渡すと誰も彼も彼女もスマホを片手に歩いている。

それだけにとどまらず、喫茶店やレストランでカップルが会話を嗜む事なく、お互いがスマホを眺め無言でいる様は、異様な光景としか例えようがない。

 

わーお!

 

これらは最近では珍しくない光景だ。

 

デジタル社会を活用する事は決して悪い事ではない。

スマホとはスマートフォンの略なので、それこそスマートに扱ってこそ賢い人でもある。

でも、反対にデジタルに利用されるなんて事は、笑えないSF映画そのものだよ。

 

これ以上、愚痴る行為こそスマートではないのでこの辺にしておき、コレらと重なる映像を見つけてしまった!

またもや前回に引き続きショート・ショートから紐解く事にしよう😄

 

原題『Doppelganger』、邦題『ドッペルゲンガー』

因みに『ドッペルゲンガー』を直訳すると、『自己像幻視(じこぞうげんし)』と読むらしい。

 

この作品は約6分とCMよりもちと長い程度の尺で描かれている。

然し、内容が実に優れている。

 

単純に物語を説明すると、四人の男女がスマホのアプリを自慢し合う。

正直、至って下らない内容に呆れ果てる。

だが、「へえ、そんなアプリがあるのか…」と妙に感心するシーンがあるから困りものだ…😩

散々とあらゆるアプリを自慢した結果、その場に居合わせていた人間が突然トイレから出てくると、少数ながらも騒然とする始末。

てな具合で、タイトルの通り『ドッペルゲンガー(自己像幻視)』で周囲の目を眩ました者が勝つのだ。

 

個人的に面白いと感じた点が、冒頭はアナログレコードに針を落とすところから始まる。

一見、矛盾する場面だが、ここはコメディ(喜劇)特有の説明だと解釈すると、随分と頓知(とんち)の」利いたシーンだと勝手ながら感心してしまった😆

 

そう考えると、スマホを持ち歩くカップルが会話をする事なく、限られたスペースで交わしている内容は、もしかしてドッペルゲンガーだとしたら、すんげえ洒落の効いた演出であるともっと感心しちゃうよ!

 

きゃっ❤️

 

な訳ないか…🙃

 

年に一度の寸劇

年に一度の行事といえば、真っ先に例えられるのが誕生日だと思う。

人によっては結婚記念日や墓参りと仰る方もおられるだろう。

 

考えてみると一年を通して行事は幾つもある事に気付く。

 

家族の誕生日は毎年祝う事ができるが、コロナ禍となってからはろくに墓参りだけはできない状態だ。

墓が近くにあれば別だが、自粛ムードが重なり、おいそれとは県を跨ぐ事は不可能な状態でもある。

 

それでも近所でお世話になっている神社で毎月手を合わせる訪れる際、平穏な日常を取り戻した暁には、「必ずご挨拶に疑いますとお伝え下さいませ…」と願掛けしている。

 

こういった心情と重なったのが、前回紹介した無料ショートフィルムから優れた短編映画を選んでみた🌟

 

 

タイトル原題『Game of Life』、邦題『年に一度の再会』である。

 

タイトルの通り、二人の兄弟は年に一度決まった場所で会う事にしている。

兄は神経質な性格なのか、軽装ながらも黒のスーツにインナーは白のカットソーという格好だ。

反対に弟は明るい色のスエット生地のパーカーに首元にストールを巻き、デニムスタイルといった動きやすい格好である。

 

兄は大きなショルダーバッグを肩に掛ける。

弟は大きなキャリーケースを地面を引きずる様に転がしながら歩き続ける。

「こっちの方が楽なのに…」弟はキャリーケースを引きずりながら重たそうなショルダーバッグを抱える兄に言う。

「転がす音がうるさいし、中身より重たい外装そのものが性に合わない…」と突き返す。

 

 

そして二人が辿り着いた場所が墓地である。

それぞれが持っていたバッグの中身を広げると、身に包んでいた格好とは対照的な衣類を取り出す。

 

どちらかというと衣類というよりは衣装に近かった。

兄は全身緑色の衣装に身を包み、明らかに誰が見てもピーターパンの格好をしている。

弟は大きな黒縁の眼鏡を掛け、一般的な山高帽子よりも大きな帽子を被り墓の前で寸劇を披露するのだ。

 

墓で眠るのは母親だ。

生前、幼かった兄弟が披露したピーターパンの寸劇を母親はとてもお気に入りだった様子だ。

そういった記憶を鎖さない為にも兄弟は年に一度再会し、母親の前で寸劇を披露していたのだ。

 

然し、兄は弟に漏らす。

「もう、やめないか」

弟は問いただす。

「え、何を?」

兄は一瞬戸惑うも、勇気を振り絞り本音を伝える。

「毎年やっているこれさ」

そう、兄は母親のために披露している寸劇をやめようと言いたかったのだ。

すると弟は、「これは大人になった証拠なのか?…」と兄に問いただす。

弟の問いに対し兄は無言で母親の墓を眺める。

 

12分ほどの映像なのだが、内容は1時間以上に及ぶ深いメッセージが込められている作品だ。

次の年も必ずこの兄弟は母親の元へ訪れるだろう。

いや、必ず帰ってくると言った表現が正しいのかもしれない。

 

久しぶりに優れた短編映画に出逢えた。

簡素で内容が濃い作品は世に溢れていないので貴重な存在である。

この作品を通し改めて感じた点は、人生も寸劇の寄せ集めであるとふと思った事かな…🤔

 

拾う神に祟り無し?ってか〜

加齢と共に好みというもんは変化を遂げる。

 

食事もさることながら、周辺を囲む趣味嗜好というのも変わるっつうもんだから、季節に関係なく衣替えを必要としない日を過ごしている始末ですよん。

 

てな具合で、最近は音楽を嗜むよりも、落語を嗜む時間が増えたもんですね。

若い頃は風雲児と崇める立川談志師匠を好んでいたが、年を追う毎に三遊亭円楽師匠の言葉が染み渡るついこの頃、野口五郎な訳ですよん。

 

 

その中でも、『死神』は格別なんですね〜♪

 

 

 

 

 

で、『死神』に聞き耳を立ててくださいな。

特に三遊亭円楽師匠のコレが良い塩梅何ですよん❤️

 

甲斐性のない男が一旦は死を選ぶも、死神との出逢いにより、欲に目が眩み、痛い目に遭うといったブラックユーモアがたっぷりと随所に散りばめられた古典落語を代表する談話なんですね〜✨

 

 

 

いやぁ、それにしても、落語は日本が誇れる隔たりのない文化だと痛感しますよ😀

何よりも、落ちがあってこそ語れるもん何ですね〜🙃

そう考えると、今の時代は笑えない落ちばかりで、苦笑を浮かべるのがやっとてな具合ですかね…😩