vol.419 中世の日本に "自由都市" 交易、歴史、文化薫る街【堺】チン電に乗って^(前) | 旅ブログ Wo’s別荘

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 夏になると毎年増える、"帰省がてら関西作"ですが・

今年は、当別荘初登場の都市を歩いてみます^走る人

 

関西で"大都市"といえばご存じ、大阪/京都/神戸の3市ですが、これらの街は過去作で何度も訪れています。

で、今回は~

 

関西で『政令指定都市』といえば、上記の京阪神3市が連想されますが、関西に政令市はもう1市あり、計4市です。

 

もう1市は、大阪府堺市ですキラキラ

大阪市の南隣に位置します。

 

2006(平成18)年、隣接する美原町を編入合併した事により人口80万人を突破し、政令市に昇格しました。現在7区を擁しています(※合併後の旧美原町はそのまま「美原区」になった)クリップ

 

余談ですが、平成大合併時に大阪府で唯一行われた市町村合併が、この堺市と旧美原町の合併のみでしたあせる

 

そんな大都市・堺ですが、古墳時代の巨大天皇陵が今なお街の中心部を占める等、歴史深い街であると共に、中世には貿易港として栄え、江戸期にかけて豊かな商人文化が花開いた、日本有数の重層的な歴史を持つ街です。ついに(?)当別荘初登場です^ヒヨコ

 

今作と次作、前後編2作に分けておおくりしますヒマワリ

Wo流堺ブラ、スタートしますしっぽフリフリ

この日少し曇りがちでしたが、↑通天閣が朝陽に映えています^

ここは・

当別荘大阪作で何度も登場の、↑JR天王寺駅です^ビル

 

堺へ行くには、ここからJR阪和線に乗って堺市駅へ行けば早いですが、今作では、『堺へ行く時、僕が一番すきな』ルートで行きます。この天王寺駅前から出ています。

それとは~

なにわの街に今なお残る路面電車・阪堺電車です。

今回はこれに乗って、のんびりと堺を目指しますカメ

一日乗車券を購入し、チンチン電車(※当地では"チン電")に乗り込みます^

路電スタイルの阪堺電車ですが、路線の半分以上は専用軌道となっています電車

↑路線図です目

大阪市~堺市間を結ぶ阪堺電車、元々は南海の軌道線でしたが、1980(昭和55)年に経営分離されました。

 

現在、同線の運行は天王寺~浜寺間を直通運転していますが、阪堺線の本来の本線は↑、日本橋電気街と新世界の境目にある恵美須町駅が起点で、住吉駅で合流、車庫のある我孫子道駅まで重複運行となっています(※天王寺~住吉間は「上町線」で、線区上では支線)

 

恵美須町からの便は我孫子道止となっていて、今では本線と支線の立場が逆転していますw(※通し運賃で乗換可)

 

今回は堺街ブラ作なので、阪堺電車についてはこの辺にしておきますw。又機会改めて、鉄道作でやりたいと思っています^ペンギン

チン電は、↑大和川(※大阪/堺市境)を渡り、堺市へ入ります宇宙人

 

堺市内へ入ると、広い道路の真ん中に専用軌道があるという線形になります。しかし"全くの専用軌道"ではなく、交差点では道路信号に従って走行するという独特の形態となっていますコスモス

堺の中心近く、花田口電停で降ります右下矢印

今回阪堺にしたのは、チン電に乗りたかったのもありますが、これから訪ねる名所が同沿線に多く、一日券で廻れば便利なためですグッド!

冒頭の通り、歴史と文化の息づく街・堺は沢山の名所があります。

市内あちこちに↑案内板がありますが、どこから廻るか迷う程です。

一日でどれだけ行けるか、朝から猛暑の堺を歩き回りますwあせる

電停からすぐ、殿馬場中学校(※この校名からして歴史を感じる)の脇に、一枚の歴史看板が立っていました。

それには~

学校が出来る前、この地は旧堺市役所があったとの事。さらにそれ以前、江戸期にはここに堺奉行所があった地で、いわばここが、数百年に亘って"堺行政の中心"だった場所です。

(※現在の堺市役所にも後程行きます)

現在は学校になってるので痕跡はありませんが、↑の奉行所見取図では、大きな奉行所だった事が偲ばれます。図には『白洲』等も記され、この図を見ているだけで、なんか江戸時代にトリップしたような気になります^サーチ

まだ早朝で、博物館関係はまだ開いてないので、まずはお寺を一つ訪ねます男の子

堺の旧市街には、お好み焼じゃなくw、お寺が数多くあります^

↑妙国寺です(※日蓮宗)

「とさのさむらい はらきりのはか」と書かれた石柱が、お寺の入口に立っています。この妙国寺、二つの歴史を秘めています。

早朝ですが、門は開いてました。おじゃましてみますあじさい

↑本堂は1973(昭和48)年に改築されたものです。

かつては三重塔もあったそうですが、先の大戦の堺空襲で焼失しました。

同寺にまつわる史実の一つ目ですが、先程お寺前の道に立っていた「とさのはらきり・・」の件です。

堺は、1868(慶應4)年、フランスの海兵と土佐藩士の間で発生した殺傷事件「堺事件」があった地です。

 

開国直後の日本で、この事件は大きな外交問題となり、結果として騒擾に関与したとされる土佐藩士11名が、この妙国寺で切腹となりました。上はその慰霊碑です(※謹写)

(※堺事件については、次作・後編でもゆかりの地へ行くので、そこで詳述します)

土佐藩士のお墓は、妙国寺と道向かい(北側)のお寺、宝珠院に建立されています。

本堂の周囲には沢山ソテツが植栽されていますが、この妙国寺、国天然記念物の「巨大ソテツ」があるんですクローバー

 

本堂の奥手に、樹齢1100年と伝わる大蘇鉄があります。同寺の、いま一つの"伝説"が、このソテツです。

(※伝説の内容はこの後)

大蘇鉄を見るには、寺務所で受付をした上、本堂内から見学する形となります。

この日はまだ受付開始前で拝観出来なかったんですが・

↑本堂横の隙間から、チラッと見えました。かなり巨大な上、樹齢1100年とは思えないような"生々しさ"も感じる巨大ソテツでした。

↑に伝わる"伝説"とはこうです。

古来、当地にあったこのソテツを、アノ織田信長が大層気に入り、同寺から安土城へ移植しました(※多分無理やり)あせる

 

ところがこのソテツ、夜な夜な「妙国寺へ帰りたい」と、声をあげて嘆くようになったとの事。信長はこれに激怒し、家来をしてソテツを伐採しようとしたところ、家来達は吐血して次々と倒れ、またソテツ樹の傷口からも赤い鮮血が吹き出し、幹はうねり動いたという恐ろしい光景となったとの事叫び

 

恐れおののいた信長は、ソテツを妙国寺へ返す事を決意。

堺に戻ってきたソテツは、安土で疲弊したのか、衰勢していったとの事。そこで同寺を開山した日蓮宗の高僧・日珖が日々読経し、祈願したところ、満願の日に樹神が現れ「鉄分を与え、一層仏法に依れば、甦って衆生へ報恩するだろう」と告げた、といいます。

 

それに従い、根元に鉄屑を埋めたところ樹勢を回復、その姿を今に伝えるという木です。『蘇鉄』の名は、この故事が由来とも言われていますキラキラ

 

しかし、アノ無敵の信長が恐れをなした程のソテツ、この巨木が動物のように悶絶し、枝から血が吹き出せば、そりゃ恐ろしい光景だったでしょう叫び

(※国天然記念物)

 

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妙国寺を出て、堺の『玄関の一つ』へ行きますドア

(※↑高架道路は阪神高速堺線)

次第に、道路は高いビルに囲まれますビル

ここは・

↑南海高野線・堺東駅です電車

 

堺には、市の玄関といえる駅が3つあります。

海(大阪湾)に近いほうから、南海本線の堺駅、ここ高野線の堺東駅、JR阪和線の堺市駅です。

この3駅は各々1~2km程離れており、バスで結ばれています(※阪堺電車は、南海本線と高野線の間あたりを走っています)

高野線名物、おとなし目の顔のステンレス電車が並ぶ堺東駅キラキラ

駅前からは商店街のアーケードが延び、大阪らしい駅前光景もあります男の子

上記3つの主要駅中でも、同市はこの堺東駅を一番の中心と位置付けています。

というのは~

同駅からすぐに、↑堺市役所があるからですビル

議会等の入る本館と、21階建タワービルの高層館から成り、高層館の最上階に展望ロビーがあるとの事。上がってみる事にします目

EVで一気に、21Fへ右上矢印

当別荘ではこれまで、北九州市や熊本市等の市役所展望ロビーへ昇ってきましたが、ここ堺からの眺めは~

お~~^

南海の線路に沿って建物が密集、堺の街並が見渡せますが、↑その中に、大きな"緑の森"があります。これが、堺の太古の歴史を物語る、巨大な史跡です霧

ご存じ、仁徳天皇陵をはじめとする、百舌鳥古墳群ですモグラ

↑地図の左側にいるのは、同市の『ハニワ部長』ですw

堺市長直轄の特命部長、年令1600才(!)との事^

2019年、隣接する羽曳野市/藤井寺市に跨る古市古墳群と共に、『百舌鳥・古市古墳群』として世界遺産に指定されました星

↑は羽曳野市付近の鳥瞰図ですが、まさに"古墳群"、古墳の隙間を縫うように鉄道や道路があります。藤井寺/羽曳野についても、また機会をつくって歩きたいと思いますヒヨコ

しかし何といっても、一番巨大なのは、↑仁徳天皇陵古墳です。

全長500m以上に及ぶ、世界最大級の墳墓です。次作後編で、実際に傍まで訪ねます。

なお↑は、『堺緞通』という地場産業の絨毯でつくられており、写真かと見紛う程の精緻さに驚きます宝石ブルー

この市役所展望層から見渡せるだけでも、仁徳陵以外にも10以上の古墳が肉眼で確認出来、太古から日本の中枢であった近畿(関西)の歴史が感じられます。次作で現地を訪ねますので、お楽しみに^グッド!

 

-*-*-

あと、この展望ロビーで、意外な企画展をやってました。

↓一角に、どこかで見覚えある漫画のキャラが・

ゴルゴ13が堺市役所に!w

これは・

作者のさいとう・たかをは幼少期、堺に住んでいたとの事。母が堺で理髪店を営み、そこでたかをは学校を卒業後、漫画家として頭角を現し、上京します。

↑ゴルゴ13主人公・デューク東郷について紹介していましたが、年令・住所・本名等、ほとんどは謎でw、わかっている事は職業がスナイパー、16ヵ国語を操り、世界各国に不動産を所有しているという事位wあせる

この展望ロビー、コロナ禍の間は閉鎖され、最近久々に再開したばかりだとの事で、同展はその記念と、たかをの追悼展を兼ねていると思われます。

西側は、大阪湾のむこうに六甲の山並みも望める、素晴らしい眺望でしたクローバー

 

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市役所を出て、再び街中で歴史を探索します走る人

堺東駅からすぐに、"方違神社"という古社があるというので、訪ねてみますカメ

堺から生駒山脈を越え、奈良・葛城へ至っていた古道・長尾街道を少し歩くと~

方違(ほうちがい)神社があります。

神社名の通り、方位除け、また旅行や転居等、方角に関するご利益があるとの事。なんと紀元前(※約2000年前)から当地にあったという超古社ですあじさい

境内にある、↑"三国丘"碑サーチ

 

JR阪和線と南海高野線が交差する主要駅・三国ヶ丘駅でもおなじみの地名ですが、この"三国"とは、現在の大阪府を構成する、摂津/和泉/河内の旧3ヵ国を指します。堺は、この3ヶ国の『境』付近に位置していて、"堺"の名もこれが由来と言われていますクリップ

 

方違神社は、まさにこの三国の境目に位置し、同社HPによると『どこの国にも属さなかった、方位のない聖地であった』との事。

いわば、"大阪府創始の地"であったともいえるのでしょうか(?)

 

-*-*-

次は~

再び、冒頭訪ねた妙国寺付近へ。

堺東駅北側には↑寺院が集中し、商人の街として栄えた堺で、仏教文化も花開いた歴史を伝えていますキラキラ

そんな街中に、↑ひときわ新しい建物、『シマノ自転車博物館』です。

釣り具や自転車部品で有名なメーカー、シマノがつくった博物館で、同社はこの堺が本社です。古来から堺の地場産業であった、刃物や鉄砲等、金属加工の土壌が生んだ、世界のSHIMANOです星

時間の都合で入れませんでしたが、↑外からも自転車の展示が見えます自転車

 

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お寺の軒が連続する街並になってきます家

そんな中、↑公開されている古民家があります。

山口家住宅です(※国重文)

当別荘でこれまで数多く訪ねている古民家ですが、この山口家は、江戸初期の町家として貴重な例だとの事。

中へ入ると、↑大きな土間を中心に部屋が配置されているのが特徴。玄関~土間の天井が吹き抜けになっていて広々目

「越前屋」という豪商だったという同家、茶室等も設けられ、豊かな文化生活を営んでいた昔日が偲ばれる家です。

家のあちこちに、↑布が掛かっているんですが・

堺等、泉州はタオルの地場産業でも有名です。堺のタオルは、元々大阪市でタオルをつくっていた業者が、先の大戦前後に堺市へ移ってきたのが始まりという事ですオバケ

上品さと豪壮さが同時に感じられる、大きな古民家でしたもみじ

 

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この界隈でもう一軒、山口家住宅とセット券になっている建物を訪ねますヒツジ

↑「清学院」という寺子屋です(※国有形文化財)

ここは本来お寺で、「山伏清学院」ともいわれ、修験道を宗旨とする当山派の寺院です。寺子屋を併設していました。

奥の部屋には~

↑当時の硯や机等が現存しています。

 

日本人として初めてチベットへ訪れ、ダライ・ラマとの面会も果たした河口慧海もここで学びました。慧海は堺の生まれです。

 

寺子屋は、明治初年に学制が発足するまで存続しましたが、この清学院はその明治の閉校時、生徒は男女ほぼ同数だったとの事。男尊女卑の風土が強く、女子は勉学不要という考えもあった当時では全国的にも稀有な例だとされ、進取・文化の気風高かった堺ならではとの事(※現地のボランティアさん談)

 

又、撮影禁止でしたが、山伏修験道の祈祷場が↑教室の隣にありました。江戸期、修験道が禁止されていた時期があったとの事ですが、ここ清学院ではこれを無視しw、修行が続けられていたという事です。

 

-*-*-

お昼近くになり、猛暑が厳しくなってきましたあせる

堺市の住所の特徴、↑『〇丁目』ではなく、『〇丁』といいますメモ

街中で見つけた、↑昆虫食自販機ひらめき電球

"メニュー"は↑ご覧の通りです^

僕は食べる勇気まだないですがw、昨今の世の情勢を鑑みれば、こういうのを食べる練習もしといたほうがいいのか(?)かたつむり

元々日本ではイナゴやハチの巣を食べる習慣もあったので、意外と馴染んでいくのかも^てんとうむし

 

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再び、阪堺電車の通りへ^

↑高須神社駅から、チン電に乗ります^

ちなみにこの駅の読み、高須神社(じんしゃといいます。なぜ"じんじゃ"でなく濁らないのか、清学院の観光ボランティアさんに聞いたんですが「わからない」との事。歴史の街には"謎"も多いんです天使

今度の電車は、↑ウクライナカラー^ヒマワリ

市街中心の、↑宿院駅で降ります右下矢印

同駅のある宿院交差点は、堺有数の大きな交差点です車

チン電の通りとクロスするのは、↑フェニックス通りクローバー

そんな宿院に近年、新しい博物館が出来ました。

それは・↓

『さかい利昌の杜』ですビル

 

今作これまでに登場した、河口慧海やさいとう・たかを等、多くの有名人を輩出した堺ですが、同館では堺が生んだ"2大有名人"、千利休&与謝野晶子を紹介しています。

また、同館の隣には↑千利休が屋敷を構えていた跡もあります。

これから内部へ!、というところですが・

 

ここで作容量一杯となりました!

今作(※前半)はここまでですあせる

 

次作後半は、この利昌の杜の内部からご覧頂き、その後に市役所展望ロビーから眺めた、百舌鳥古墳群等も訪ねます。お楽しみに^グッド!

 

 

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(※2023.12 文一部修正)