当別荘では時たま、別々の日に行ってきた2つの違う場所を、ペアリングして1作にする場合があります
特に寺社モノや「た」シリーズ等で使う手法ですが、今作おおくりするのはその『2ヵ所くっつけモノ』史上、最も離れている2ヵ所を1作にしてみました
今作その2ヵ所とは、神社です。
2ヵ所とも我が国有数の古社ですが、片や大阪市は住吉大社、もうひとつは宮城・塩竃市の鹽竈(しおがま)神社へ別々の時に行ってきたものです
両社間の距離は約1000km(!)離れていますが、両社ともに悠久の歴史を秘めた興味深い神社でした。
ではまず、大阪・住吉大社から訪ねます
南海なんば駅から普通電車で10分ちょっと、その名も住吉大社駅で下車
この駅で降りて、なぜかあちこちで目についたのが↑”キティちゃん”w
南海とコラボしてるみたいです
南海高架の西側は住吉公園、東側に住吉大社があります
駅からすぐ、道路1本渡るともう住吉大社なんですが・・
その「道路1本」には、路面電車が走っています
大阪市と堺市を結ぶ、阪堺電車です
これについて書き出すと神社そっちのけで容量オーバーしてしまうので(笑)、又鉄道作で別におおくりします^;
↑住吉大社に着きました。
大阪市住吉区に位置し(※区名をこの神社からとった)、全国にあまたある住吉神社の総本社です
↑同社境内にも”南海キティ”が・w
この神社、単に住吉さんの総本社というだけでなく、全国の神社中でもなかなか特別な歴史を歩んできてるんです。そのため現在でも国から”特別な指定”をうけていますが、これから徐々にご覧頂きます^
入ってすぐにある↑「額堂」
寄進された沢山の絵額が掲げられています。
額堂といえば、成田山新勝寺に行った作(13.6.6up vol.143)にもありましたが、庶民信奉の厚さが垣間見えます。
↑の太鼓橋を渡れば、本殿があります。
初詣の時は大変な賑いになります(※毎年、関西で1~2位の人出)
本殿を囲む内壁に、さらに鳥居
↑この中に、4棟(!)の本殿が建ち並んでいます。
そして、前述の「国からの特別な指定」が↑
これからご覧頂くここの本殿、4棟全てが国宝指定なんです
門からはもう、建ち並ぶ本殿が見えています
手前から奥へ、「第一本宮」~「第四本宮」が整然と建っています。
(※第一と第二が手前に並立し、その奥に第三と第四があります)
ご覧の通り、特に目を見張るような絢爛さはなく、僕もどちらかといえば地味な感じもうけました。
しかし、全国的にみても「神社の社殿が国宝指定」というのはそんなに多くはなく(※かなり有名な神社でも重文級までが多い)、この住吉さんの社殿が”4棟が全部国宝”とはちょっと破格な感じも正直したんですが、なぜこんな特待を受けているか、これから探っていきます^;
同社HPによると、創建は約1800年前(※伝西暦211年)、神功皇后がこの地に住吉の大神を鎮座させた事から始まるそうです。もう神話の世界です・
また、その約100年後に仁徳天皇が難波高津宮を都に定め(※太古は大阪が日本の首都だった)、ここはその港にあたる「住吉の津」として栄えたとの事
住吉大社は、首都の海の守護を担っていたんです。その頃は住吉大社のすぐそばまでが海岸で、現在大阪市内にある「住之江」「高津」「津守」等の地名は、その名残を伝えるものです
・という事で、この神社の神様は海神さんで、海上安全にご利益あると言われます。
この国宝の4本殿、↑ご覧の通り清楚なつくりですが、これ「住吉造」といわれる歴史的な建築様式だそうで、伊勢神宮・出雲大社と並ぶ「神社の3大建築様式」なんだそうです。
以上のように、我が国神社中でも卓越した歴史を持つ同社、4つある本殿全てが国宝になっている所以です・
本殿は↑のように広く開いていて、オープンな感じ^
この中にご神体がおられるのでしょうか・
↑が一番奥にある第四本宮です。
庶民の街、大阪住吉ですが、大社境内は別世界のようなおごそかな雰囲気に包まれていました。
・で、住吉大社探訪、本殿を見て終りじゃないんです。
ここからが本当の”探訪”かもですw
第四本宮のさらに奥手に↑門があり(※駅からみれば裏手となる)、その外にさらに何かつづいているみたいです
門から外へ出てみます
この門の外も境内です。
「パワースポット」があるとの張り紙が・
門の外にも数々のスポットがあるんですが、中でも力を入れてPRしてたのが↑「おもかる石」
どんな石なのか、行ってみます
この門を出てすぐにある↑「石舞台」(※国重文)
四天王寺・広島厳島神社の石舞台とともに「日本三舞台」と呼ばれるもので、今でも毎年1回祭礼の際にここで舞が奉納されるそうです
さらにすすむと、同神社附属(と思います)の会館、武道館となっていますが、いろんな文化活動にも利用されてるようです
この会館前に展示してあった↑子供の習字がなかなかgoodでした。何がgoodかというと、お習字そのものもですが、僕が良いと思ったのは↑先生の朱筆の入れ方
全作品3重丸以上!そして全てに「たいへんよろしい」の朱が・・^^
やっぱり子供の能力って、褒めてこそ伸びるんじゃないでしょうか^、勿論大人もですが、褒められていやな思いをする人はいないと思います。『褒めは肥し』といいますw、心がほのぼのするような展示でした^
でも、↑左下2番目の「みし」って何だろう・・w
そして武道館を出ると、一旦境内から出て一般の街並になるんです
おもかる石のある「おいとしぼし社」は、この住宅地の中にあります
神社周辺の住宅地の中にも、住吉さん関連の神社や祠がみられます
大社の南側には細井川という、文字通りの細い川wが流れていますが、昔はこの川の河口にあたるこの辺が「住吉の津」だったという事です。
↑の看板によると、神功皇后が、住吉の大神を鎮座させる地を探していたところ、この住吉の地が『真住み吉し、住吉の国』と言ってここを定住の地と定めたといいます。これが現在の”大阪市住吉区”の地名由来です。
お、もう少しか・・
この↑鳥居の中のようです
住宅地の中にある末社「大歳社」の中に、件の”おもかる石”がある「おいとしぼし社」があります。
神話の時代からの海神・住吉大社も今やFacebookやってるのか・w
大歳社の隣に並んでいた、↑おいとしぼし社
「老年星社」「お愛し星社」との漢字を当てる場合もあります。
龍神さんを祀っているとも言われていますが、その由来はよくわかっていないそうです。
(※おいとしぼし社は、住吉さんの摂社や末社ではなく「祠」の位置付けだそうです)
祠の前にある、↑が”おもかる石”です。3つあります(※台石の上に載っている丸い石)
元々は隕石だったという説もあるそうです(※ホントか?^)
参拝者はこの石を・・
やり方は↑の看板の要領で、参拝した後どれか1つを両手で「よいしょ」と持ち上げます。僕の感じでは約3kg前後あるかと思われます。
まず1回持ち上げ、どんな重みか覚えた後一旦置き、祈った後再度もう1っ回同じ石を持った時、その石が「案外軽いなぁ」と感じたら願いが叶い、重く感じたら「実現へ努力しましょう」wとの事です。
僕がやってみたところ・・、
結果は秘密です(笑)
再び本殿の境内に戻り、ひとまわり見てからあとにしました。
これ以上写真載せると次の塩竈神社の容量が厳しくなるので(汗)割愛しますが、境内には沢山の摂社・末社が鎮座してます。
その中で、先程の大歳社を含む4つの摂末社を、毎月最初の「辰の日」に参拝して廻る「初辰まいり」が特に有名で、商売繁盛や金運にご利益あると言われ、その日は初詣のような沢山の人で賑うそうです
太古より日本文化に夜明けをもたらしてきた、なにわの海
その守り神、住吉大社・・
大いなる歴史を持ちながら、大阪らしく親しみやすさも感じる神社でした・^
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後半です^
先程までの大阪から、はるか約1000km^^
宮城県、仙台から↑JR仙石線(※松島や石巻へ行く時に乗る線です)で約20分、本塩釜駅で下車
これから行く鹽竈神社への最寄り駅です
ちなみに、「塩釜」「塩竈」「鹽竈」・・→読みは全部「しおがま」なんですが、駅名、市名、神社名にそれぞれ違う文字を使っていて、ややこしいんですw
駅前から神社までの通りは、↑きれいに整備されています
古社のある歴史の街らしく、古い建物もいくつか見られます。
樽の横にあった↑石碑に、足が止まりました。
2011年の大震災の津波、海から1km近く離れたここまで到達したそうです。
お~
参道が3種類あるのか・
↑名前からすれば「表参道」が一番メインっぽいけど、”202段の急な階段”か・w
でもせっかく来たので、頑張って挑戦します^
着きました。
神社はこの↑丘の上みたいです
お、先程の案内板通り、↑「202段の急な石段」が・・
たしかに、↑これは『急』な感じ・・
でも別荘作のためw、挑戦します
お、なんか見えてきた!
と思ったら、さらにもう一段上か・・💦
かなり息切れしつつ(笑)、ようやく本殿の前まで到着^
門の周囲は工事中でした(※当時、門と回廊の工事中)
本殿が見えてきました
↑鹽竈神社、右左宮拝殿です(※国重文)
名の通り、また↑ご覧の通り、2つの拝殿が合わさった社殿です。
各々に武神を祀っています。
右左宮拝殿の右側にある、↑「別宮拝殿」
ここに、鹽竈神社の主祭神である「鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)」を祀っており、これまたその名の通り『塩の神さま』と言われています。
人間の生命維持に欠かせない「塩」を崇めたものだという説もありますが、塩を崇拝の対象とする神社は全国的にも珍しく、その由緒はまだよくわかっていない部分も多い”謎の神様”だそうです・
また、写真割愛しますが、この本社殿敷地の右奥に「志和彦神社」もあり、現在その両社でひとつの宗教法人「志和彦神社鹽竈神社」となっているそうです。
右左宮の横にあった↑の灯篭、「文治の燈篭」といい、1689(元禄2)年、アノ松尾芭蕉がここに立寄り、「神前に古き宝燈あり」と奥の細道に記述あるとの事(※現地看板による)
右左宮の近くにあった↑「献魚台」
これ、解説板がなかったので詳細不明ですが、海が近い塩竈なので魚を奉納するための台と思われます
陸奥国一宮として、特に伊達家の庇護も厚かったといわれる鹽竈神社、近隣の市町村に多くの摂社・末社があるほか、全国に「鹽竈」「塩釜」等の名を持つ神社の総社ともなっています。
また、伊勢神宮と同様に20年毎に式年遷宮する習わしもある等、前半の住吉神社に負けない歴史を秘めた古社といえます
行ったのが昨年秋だったので、↑紅葉もチラホラ見られました
そして帰路、202段の下りです
かなり高齢のかたも頑張って登り下りしていました^
駅から神社まで徒歩約15分ですが、コミュニティバスもあります(※但し1日4本です)💦
石段で疲れた人はタクシーに乗って下さい(笑)
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いかがでしたでしょうか、1000km離れた2神社のコラボ作でした
直近の2神社コンビ作といえば昨年の「石の宝殿・鹿嶋神社」の作(vol.235 16.9.12up)でしたが、この両社は同じ市内(※兵庫県高砂市)だったので距離わずか5km足らずでしたが、今回その約200倍離れた大阪と塩竈、でも神社ならではの共通性も多々感じられました
細長く南北で多様な風土の違いがある日本、しかし基本的なところはやはり同じ国なんだなぁ~というのも感じつつ、神話の世界へしばし空想トリップを楽しんだ神社探訪でした・^
(※2022.8 文リニューアル)